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建築マニア必見! 長岡が誇る名建造物「機那サフラン酒本舗」とは?

学ぶ摂田屋歴史長岡
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2016年 8月 20日 | な!ナガオカ スタッフ

かつて、「機那サフラン酒」という名の酒が一世を風靡したのをご存じだろうか。サフラン、蜂蜜、桂皮、丁子、甘草など十種類ほどの植物等で調製した、とある「家伝の酒」が一時は海外に販路を広げるほどの人気を誇ったという。その栄華を今に伝えるのが、長岡市摂田屋(せったや)に現存する「機那サフラン酒本舗」の土蔵の建物だ。

ひと目見て、一私企業の建物とは思えないほどの緻密な細工と、何より各所に配された極彩色の鏝絵(こてえ)に心を奪われる。しかし、実はこれ、創業者・吉澤仁太郎が築いた“夢の館”の一端に過ぎない。明治から昭和初期にかけて、次々と建てられた主屋、衣装蔵、鏝絵蔵、離れ座敷。浅間山から運んだ大量の溶岩や名石を配した庭園もある。長い長い時を経て今、この見事な蔵屋敷の一部が、土・日曜日と祝日限定で一般に公開されている。

機那サフラン酒本舗の離れ座敷は昭和6年建築。庭園に面して建つ。若き日の田中角栄をはじめ、各界の名士がわざわざ車を降りて見物に訪れたとか。

機那サフラン酒本舗の離れ座敷は昭和6年建築。庭園に面して建つ。若き日の田中角栄をはじめ、各界の名士がわざわざ車を降りて見物に訪れたとか。

 

夢の館を築いたサフラン酒王・吉澤仁太郎

初代吉澤仁太郎(よしざわにたろう)は文久3(1863)年、摂田屋の隣・古志郡定明村の農家の生まれ。明治17(1884)年、21歳にして家伝の薬酒「サフラン酒」の製造を始め、明治27(1894)年には摂田屋に移り住み、屋敷を構えたという。
新潟、山形、秋田、北海道と販路を広げ、昭和初期にはハワイにまで進出。一代で巨万の富を築いた仁太郎は、その栄華を誇示するように明治の終わりから機那サフラン酒本舗の普請を重ねる。

48歳。精緻な彫刻が全面を覆う高さ10m超の「大看板」を建立 <明治44(1911)年>
50歳。巨大な鬼瓦を載せた大屋根などをしつらえ主屋を増築 <大正2(1913)年>
53歳。内外に鏝絵を施した土蔵「衣装蔵」を建築 <大正5(1916)年>
63歳。なまこ壁と極彩色の鏝絵を施した土蔵「鏝絵蔵」を建築 <大正15(1926)年>
68歳。庭園に面して「離れ座敷」を建築 <昭和6年(1931)年>

離れ座敷は最高の材料を集めて建てられた。

離れ座敷は最高の材料を集めて建てられた。

寺院などで見られる折上格天井。サフラン酒本舗の離れ座敷ではポップな市松模様?

寺院などでよく見られる折上格天井。離れ座敷のそれは市松模様で、何だかポップな感じ。

離れ座敷の和室照明。家紋入りのオリジナルデザインか。

離れ座敷の和室照明。家紋入りのオリジナルデザインか。

離れ座敷の2階から望む緑の庭園。

離れ座敷の2階から望む緑の庭園。

7主屋看板

明治時代から主屋に掲げられている看板。奥は衣装蔵。

衣装蔵の通気口にはサフラン酒の瓶の意匠が。

衣装蔵の通気口にはサフラン酒の瓶の意匠が。

 

「日本一の鏝絵蔵」を創った
盟友・河上伊吉

機那サフラン酒本舗で最も目を引く土蔵の鏝絵は、近所に暮らしていた左官・河上伊吉(かわかみいきち)の作と伝わる。元は酒や薪炭の商いを生業としていたが、なぜか富山に修業に出て、日本の伝統的な左官表現である鏝絵を習得。摂田屋に戻って大正5(1926)年、30歳で機那サフラン酒本舗の衣装蔵の鏝絵を制作する。だがこれは習作。

吉澤仁太郎とは年がかなり離れていたが親友だったという。仁太郎の世界観に共鳴したのか、伊吉が次に手掛ける鏝絵は格段にバージョンアップする。

漆喰(しっくい)と鏝で図柄を立体的に描き出す鏝絵は、多くは建物の「一部」装飾として制作される。それが機那サフラン酒本舗の鏝絵蔵では、恵比寿大黒をはじめ各種の動植物や霊獣の鏝絵が満載。しかも色漆喰を用いて極彩色。瓦と漆喰で作る黒白格子柄の「なまこ壁」によく映えて、華やかさを極める。後世に「日本一」とたたえられる鏝絵蔵の片隅には、誇らしげな「佐伊」(左官伊吉の略)のサインが残されている。

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恵比寿大黒をはじめ各種の動植物や霊獣の鏝絵が土蔵の外にも内にもみっしりと施されている。

 

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