な!ナガオカ

長岡の花火を創り続けた伝説の花火師 嘉瀬誠次

★★★DSC_0168
ながおか興しまつり長岡長岡花火
ながおか興しまつり長岡長岡花火
2016年 7月 27日 | な!ナガオカ スタッフ

長岡まつり大花火大会を代表する名物花火の一つ正三尺玉。見る人を魅了して止まない花火技術の最高傑作です。直径90㎝、重さ300㎏の巨大な玉が上空600mに打ち上げられ、直径650mもの大輪の華を咲かせます。

昭和26年、「戦災復興祭」から「長岡まつり」に名称を変えた年、正三尺玉を見事に復活させ、長く長岡の花火の発展を支え続けた花火師・嘉瀬誠次さん。花火づくりに込めた想いに迫ります。

嘉瀬誠次(かせ・せいじ) 大正11年生まれ。祖父の代から3代続く長岡の花火師。14歳で父に師事し花火師に。昭和18年に出兵、終戦から3年にわたるシベリア抑留を経て帰郷。昭和26年父とともに長岡まつり大花火大会で戦後初の正三尺玉の打ち上げに成功。長生橋の仕掛け花火ナイアガラやミラクルスターマインなど、長岡の名物花火を数々生み出した。平成16年の正三尺玉の打ち上げで一度は現役を退くが、花火関係者に2年越しで復活を懇願され、平成18年の市政100周年記念「世界の花火ショー」で自身最後となる正三尺玉2発を打ち上げる。ロサンゼルスオリンピック開会式など海外での打ち上げ経験は25回と多数。

嘉瀬誠次(かせ・せいじ) 大正11年生まれ。祖父の代から3代続く長岡の花火師。14歳で父に師事し花火師に。昭和18年に出兵、終戦から3年にわたるシベリア抑留を経て帰郷。昭和26年父とともに長岡まつり大花火大会で戦後初の正三尺玉の打ち上げに成功。長生橋の仕掛け花火ナイアガラやミラクルスターマインなど、長岡の名物花火を数々生み出した。平成16年の正三尺玉の打ち上げで一度は現役を退くが、花火関係者に2年越しで復活を懇願され、平成18年の市政100周年記念「世界の花火ショー」で自身最後となる正三尺玉2発を打ち上げる。ロサンゼルスオリンピック開会式など海外での打ち上げ経験は25回と多数。

インタビュアー・山崎まゆみさん 長岡出身、温泉エッセイスト、越後長岡応援団。第20回小学館ノンフィクション大賞の最終候補に。

インタビュアー・山崎まゆみさん  長岡出身、温泉エッセイスト、越後長岡応援団。第20回小学館ノンフィクション大賞の最終候補に。

 

 

もっといい花火を上げるぞ。花火を
楽しめる平和な世の中であってほしい

--嘉瀬さん、こんにちは。今日はまた花火の話を聞かせてもらおうと思ってね。大正15年、嘉瀬さんが正三尺玉を初めて見たお話から伺おうかな。

嘉瀬「4歳のときだな。菊型の花火でね。当時の三尺玉は上がっても満足に開けば良しとしたもの。あんまり進歩なかったんだよ。今みたいに大きくならんしね。開くとき口がいびつだったし、星はみんな砕けているし。花火師のせがれとして、もっといい花火を上げたいなあと闘志が湧きましたね。
子ども心に商売敵(がたき)という気持ちがどっかにあったんだろう。もう戦々恐々として見てたこてね。『俺だったらこう上げる、俺も負けない』と絶えず子どもの頃から思っていた。」

--その思いが、昭和26年にお父さんと一緒に打ち上げた正三尺玉につながるわけですね。

嘉瀬「花火は親父に聞きながら俺がほとんど考えたんだ。玉が小さくても、大きくても原理は決まっているでしょ。世界に一つしかない花火、珍しい花火を作ろうと思ったんだ。花火は何万発も作ったけれども、三尺玉を作るときは緊張したね。他の玉と違って絶えず3カ月間、100%落ち度の無いようにしようという気持ちだった。きれいに上げるためにだいぶ研究しました。やるだけのことはやりましたよ。今思い残すことはないね。
花火は、どうかもう戦争はしないでほしいという思いと、まっすぐに玉が上がってくれという思いで打ち上げた。終わると何かほっとしてね。よくやったなあという実感だろうね。確かに上がってちゃんと輝いているのを見て、しゃがみ込んじゃったなあ。あのときは天にも昇る思いだった。みなさんからきれいだなあと、我を忘れて無我夢中になって見上げてもらえれば、それで最高。みんなが花火を楽しめる平和な世の中であってほしい。」

--みんなを驚かせるのが楽しかったんですね。ナイアガラも嘉瀬さんが発明したとか。

嘉瀬「市から新しい花火はないかと頼まれ、3日考えたよ。長生橋にナイアガラを仕掛けてやろうと。しかし、当時の橋を管理する建設省がなかなかいいと言わない。国道にかかる橋に火付けるなんてさ、だめらこてね普通。私が何度もお願いしてなんとか実行しましたけどね。端から端まで870mに取り付けたんですよ。」

--初めてのナイアガラはどうでした。

嘉瀬「そりゃきれいさあ。長さがすごい。信濃川ってのはね大舞台だね。長岡の花火はあんだけたくさん上がるろ、あれだけお客さんが来るろ。広いろ。花火を西からも東からもお客さんが見れるんだよね。よそは片っぽしか見えない。堤防の斜面も緩やかでお客さんが見やすい。日本一いや、世界一の大舞台。花火の打ち上げで世界中を飛んで歩いたけど、こんなところほかにねえわ。」

--嘉瀬さん最後の花火は平成18年ですよね。

嘉瀬「2発打ち上げた。1発は頼まれたもの。もう1発は俺が用意したんだ。お客さんには内緒にしていて驚かせた。上の方に差し上げるものは、本当は一対にするもの。
だから最後は2発上げようと準備していたんだ。お世話になったみなさんにお返ししたいと思ったんだよね。」

★DSC_0351

嘉瀬花火師、生涯最後の正三尺玉「黄金すだれ小割り雪模様」。(平成18年8月4日の1発目)

嘉瀬花火師、生涯最後の正三尺玉 「紅玉錦」(平成18年8月4日の2発目) 嘉瀬花火師、生涯最後の正三尺玉

嘉瀬花火師、生涯最後の正三尺玉「紅玉錦」。(平成18年8月4日の2発目)

1 2 3
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページトップへ