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長岡生まれの100年米菓「柿の種」“元祖”浪花屋で聞いた誕生物語

1柿の種:商品
長岡食べる
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2016年 12月 24日 | な!ナガオカ スタッフ

♪た~ね た~ね 柿の種 が~んそ浪花屋の柿の種

新潟で生まれ育った40代以上の人なら、たぶん文字を見ただけで頭の中でメロディーが流れ出すはず。昭和50年代に新潟県内限定で放映されていた、浪花屋製菓のテレビCMソングだ。

歌に出てくる「柿の種」は、言わずと知れた米菓の定番「柿の種」。その誕生は、今から100年近く前の大正末期までさかのぼる。「元祖」をうたう新潟県長岡市の浪花屋製菓を訪ね、また様々な文献をあたりながら、柿の種の歴史を調べてみた。

 

ハプニングで生まれた あの形

浪花屋製菓製の「元祖 柿の種」のパッケージには、柿の種が誕生90周年を迎えた2014年から、次のような誕生物語が記されている。

――現在の柿の種を最初に作り出したのは、当社の創業者・今井與三郎です。当時は薄くスライスした餅を重ね、小判型の金型で切り抜いて、あられを作っていました。ある日うっかり金型を踏みつぶしてしまい、その金型を使ってできた、ゆがんだ形のあられが「柿の種に似ている」と言われたことをヒントに、大正13年「柿の種」が誕生しました。…(略)…柿の種を作り続けて90年。浪花屋の柿の種が「元祖 柿の種」といわれる由縁であります。――

今井與三郎(いまい よさぶろう)が、長岡の郊外に住まいと店舗を兼ねた米菓工場を建てたのは、大正12(1923)年の秋のこと。今や国内外で広く知られる米菓・柿の種の始まりは、創業したてで屋号もまだ考えていなかった小さな工場だったのだ。

3本社工場

現在の浪花屋製菓本社工場。門を入って右手奥、工場の一画には直売コーナーも。

4本社工場事務棟

趣ある木造の事務棟。創業地の社屋が手狭になり、昭和44年に工場とともに移転新築された。

2型レプリカと上村さん

金型のレプリカを手に、柿の種の誕生エピソードを話す浪花屋製菓代表取締役の上村一重さん。

「これが、当時の金型のレプリカです。ゆがんでしまった型を何とか直そうとしたけれど元に戻らなかったというから、本当はもっと薄くて軟らかい材質だったと思うのですが」

そう言って、浪花屋製菓代表取締役の上村一重さんが、與三郎の妻が誤って踏みつぶした金型を再現したものを見せてくれた。確かに切り口は、「柿の種」のあの形だ。

「筒状の型の上の方が少し幅広くなっているでしょう。抜いた生地が型から取れやすくするためなんですよ」と上村さん。なるほど、これなら1回ごとに型の向きを変えて生地を取り出さなくても型抜きが続けられ、効率良く作業できる。

上村さんが入社したのは、既に今井與三郎が浪花屋製菓から去って後のことだが、「長く仕えていた先輩社員たちから、よく話は聞きました。今井與三郎という人は考え方がすごく進んでいて、常に何か改善できないかと考えていたといいます。現在は使っていませんが、今井が考案したという機械もありました。自分にも従業員にも厳しい人だったそうです」。

5創業者:今井與三郎

創業者・今井與三郎。長岡市編集発行『ふるさと長岡の人びと』で「米菓『柿の種』と消雪パイプの考案者」と紹介されている。

 

越後なのに「浪花屋」のワケ

今井與三郎が創業した当時、新潟県の米菓産業は創成の頃。うるち米(炊くと米飯になる普通の米)を原料にしたせんべいが主流だった中で與三郎は、ふらりと店に現われた「大阪であられ職人をしていた」と言う青年から製法を聞き、うるち米より高価なもち米を使った、あられ作りに取り組み始める。

「あられ作りを教えてやろう」と與三郎に持ち掛けた自称職人のこの青年、実はあられ屋に奉公はしていたが、技術者ではなかった。教えるほどの知識もなく、「指導」もそこそこに、そのうち姿をくらましてしまう。

それでも與三郎は妻と2人で試行錯誤を繰り返し、ようやく商品として出せる、あられが仕上がったのが約1年後。偶然に生まれたあの形から「柿の種」と名付け、あられ製法の要領を最初に教えてくれたのが大阪の人だから、屋号を「浪花屋」にしたという。

昭和の初めには新潟市へ進出して売店や工場を開設、長岡の本社工場で作った製品も信濃川をゆく船で輸送した。創業してわずか数年でこの展開。苦心して開発した米菓・柿の種はそれほど評判が高く、人気を博したのだろう。

6商品群と直売所

浪花屋製菓本社工場の一画で、柿の種をはじめ各種商品を直売している。手前の「柿チョコ」シリーズは3月までの季節限定販売。

 

今も輝くロングセラー商品

今では数多くのメーカーが、各社で工夫を凝らした柿の種を売り出している。おかげで私たちはバリエーション豊かにこの米菓を楽しめるのだけれど、「生みの親」である今井與三郎は、「柿の種」と名付けたとき、商標として登録を考えなかったのだろうか。

商標権は取得したが後に更新せずに権利が消滅した、そもそも商標登録しなかった、登録する前に名称が一般に普及した……。いろいろ想像できるが、浪花屋製菓にも経緯を示す資料は無く、確かなことは分からないという。

いつからか「柿の種」と言えば米菓のアレと人々に認知され、誕生から1世紀近くも愛され続けている。

今井與三郎から数えて10代目の浪花屋製菓代表取締役である上村さんは、「経緯は分からないが結果的に多数のメーカーが柿の種の製造に参入したことで、『柿の種』の名はより多くの人に広まって、米菓のひとつのジャンルを確立するまでになれたのではないか」と話す。

柿の種とともに歴史を重ねてきた浪花屋製菓も、伝統の味「元祖 柿の種」を基本としながら、大粒や厚切りと形状を変えたり、柿の種とピーナッツを合わせた柿ピーや、大辛口、カレー味、わさび味など、昭和の終わり頃から多彩な味の柿の種を発売。平成になって売り出した、柿の種をチョコレートでコーティングした「柿チョコ」は、新たな米菓ファンを引き付けている。

7進物缶

進物缶の包装紙デザインは、米菓じゃない柿の種が登場する昔話「猿カニ合戦」のイメージから生まれたらしい。

8ひも掛け

包装工程は機械化しているが、最後のひも掛けだけは熟練の手仕事で。

浪花屋の柿の種は、種類や形によってベースとなる生地の硬さや味付けを微妙に変えている。あられの特長である、もち米の味わいが一番生きるように仕上げるためだ。

上村さんは言う。「米菓は、もち米で作る『あられ・おかき』と、うるち米で作る『せんべい』があります。浪花屋の柿の種は『あられ』が始まり。もち米にこだわるのは、浪花屋の柿の種を作ってきた先輩たち、そして受け継ぐ私たち自身のプライドなのです」

「おいしいものを作り続けること」。それが、元祖たる浪花屋の誇りだ。

帰り際に、楽しみな話を聞いた。
来年2017年の春ごろから工場見学ができるように、社内で準備を進めているという。詳細は浪花屋製菓ホームページで発表とのこと。チェックをお忘れなく。

 

浪花屋製菓
[住所]新潟県長岡市摂田屋町2680
[電話番号]0258-23-2201
[ホームページ]http://www.naniwayaseika.co.jp/

 

【参考文献】
米菓の新潟県創業史(新潟県米菓工業協同組合)
元祖浪花屋 柿の種のココロ 新潟発ブランド物語①(恒文社)
ふるさと長岡の人びと(長岡市)
長岡歴史事典(長岡市)
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