カギは伝統産業の応用!山村の牧場が挑戦する「持続可能なアルパカビジネス」

2017.7.12

アンデス原産の動物・アルパカが日本に定着したのは、化学メーカー・株式会社クラレの「ミラバケッソ」のCMが発端ではないでしょうか。もふもふの毛皮、長い首、大きな瞳に長いまつ毛と、愛くるしい容姿で一躍スターダムに上ったアルパカ。このアルパカと触れ合えると人気なのが、新潟県長岡市の「山古志アルパカ村」です。

山古志地区は、美しい棚田の景観や錦鯉、闘牛で知られていますが、近年は「アルパカ」目当ての観光客が増え、山古志でも指折りの観光スポットに成長。また、アルパカたちは県内外のイベントで集客の目玉として貸し出され、子どもたちに大人気! 山古志の観光大使のような存在となっています。

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油夫のアルパカ牧場には休日ともなれば、たくさんの観光客が訪れる。

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種苧原のアルパカ牧場。油夫の牧場から車で10分ほど。二つの牧場をはしごする人も。

ところで、夏のアルパカたちに会ったことはありますか? これが「もふもふ」のイメージとはかけ離れた、ラクダのような容貌なんです! アルパカの毛刈りシーズンは、5月末~6月。暑い夏を前に、すっきり毛刈りをするのです。もともと南米のペルーなどで、毛を利用するために飼育されてきたアルパカ。海外ではニット製品の材料としてもよく知られていますが、山古志のアルパカたちの毛は、何かに使われているのでしょうか? 山古志のあらたな特産物になる可能性は? 毛刈りシーズンの山古志アルパカ村を訪ねました。

 

まずはアルパカの毛刈りを体験!

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飼育担当の志田麻里奈さんと関克之さん。

「山古志アルパカ村」の牧場は二つあり、一つは油夫(ゆぶ)地区、もう一つは種苧原(たねすはら)地区にあります。今回、取材で訪れたのは、種苧原の牧場。飼育担当の志田麻里奈さんと関克之さんが、アルパカの毛刈りの様子を見せてくれました。

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前髪もカットしてもらう。

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男前になった「アリー」。

暴れると危険なので、アルパカは最初に足を紐で縛られ、ゴロンと寝転がった姿勢にさせられます。手際よくバリカンで毛を刈っていく志田さんと関さん。健康チェックをしたり薬を飲ませたりもして、1頭あたり15分ほどで完了です。

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ビフォー&アフターをご覧ください。こちらは毛刈り前。

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毛刈り後の姿。毛皮がなくなると、なんだかラクダみたいです。

暴れることもなく、おとなしい様子のアルパカを見ていると、なんだか自分でもできそうな気が。「すみません、私も毛刈りやってみていいでしょうか?」恐る恐るたずねるとなんと「OK!」 毛刈りに挑戦させていただきました! ふんわりとあたたかいアルパカの触り心地は気持ちよく、刈ってしまうのがもったいないくらい。いよいよバリカンをスイッチオン。でも、毛に厚みがあってどこまでが毛でどこからが皮膚なのかわかりにくい……。お二人の刈りあとと比べると、残った毛が長めになってしまいました。やはり難しいものなんですね。貴重な体験、ありがとうございました!

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思っていたより難しい……。「もっと刃をたてて」とアドバイスを受ける筆者。

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アルパカの毛は、それぞれの名前のついた袋に詰め込まれます。

刈られた毛はいったいその後どうなるのでしょう。気になるところですが、その話は、記事の後半でまたお伝えします。

 

なぜ、山古志でアルパカだったのか?

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毛刈り体験のあと、この牧場についてお話しを聞かせてくださったのは、「山古志アルパカ村」代表取締役、青木勝(まさる)さん(67歳)。青木さんは旧山古志村の職員時代に中越大震災の災害担当として働き、また長岡市との合併担当でもありました。合併後は市の職員となり、最後は山古志支所長として退官。山古志地区の苦難と再生の時期を支えてきた、気骨ある男性です。その青木さんがいったいどういういきさつで、山古志アルパカ村を立ち上げたのでしょうか。

――山古志でアルパカ牧場を営むことになった、そもそものいきさつを教えていただけますか。

「2004年10月の新潟県中越大地震のすぐあと、アメリカコロラド州のアルパカ牧場オーナー、シュガーマン・典子さんが『山古志の人たちを元気づけたい』と、アルパカ3頭の寄贈を申し出てくれたんです。ただ当時、山古志は全村避難だったので、実際に来ることになったのは5年後、村の人が帰ってきた2009年。でも、牧場はどこにするのか、誰が世話をするのか、というのも決まっていなかった。それで一番、地震の被害がひどくて、住んでいるのがお年寄りばかりの油夫に“やってみないか”と声をかけ、飼育組合を作ったんです。お年寄りたちばかりですから、日常管理ができればいいや、くらいのスタートでした」

「実際にやってみたら、皆、牛の世話に慣れているものだから、アルパカ3頭の世話もなんとかなることがわかり、お客さんも来ることがわかった。そこで次は、アルパカを増やそう、ということになりました。ただ、アルパカの輸入となると、飼育組合ではどうにもできない。そこで株式会社として『山古志アルパカ村』を立ち上げたんです。新たなアルパカを増やして山古志だけで繁殖できるようになり、年間10頭は子どもが生まれるようになりました。今では山古志アルパカ村には両牧場で約40頭、リースで行っているのが約20頭、あわせて60頭近いアルパカがいます。北海道、福島、広島、山口、栃木など全国の動物園や観光牧場に、山古志出身のアルパカたちが行ってるんですよ」

 

「血統書」というブランド力と
人懐っこさを武器に

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――そんなに全国各地に山古志出身のアルパカが! でも、どうして山古志のアルパカが求められるんでしょう。

「実は、最初のアルパカたちがアメリカの牧場から来ていることが大きい。これまで日本には、ペルーやニュージーランドのアルパカが来ていたと思うのですが、アメリカではアルパカをペットとして管理しているんです。時間をかけて系統立てて飼育できるようにして、生まれた子どもは協会で登録し、『血統書』が作れるようにしてある。両親の血統がちゃんとしていないと子どもの血統書は作れません。山古志のアルパカには、全頭、血統書があるんです。血液採取をして、アメリカの協会に送ってDNA鑑定をしてもらって、ということを一頭一頭、全部やっている。山古志に牧場が二つあるのは繁殖をきちんと管理できるようにしているためで、油夫にいるのはメスと子ども、種苧原にいるのはオスです。今年は誰と誰を組み合わせようか、考えて繁殖させています」

「きちんと管理していれば、近親交配の可能性が低くなり、病気がでにくい。そのため、、価値が上がるんです。それが差別化に重要なところ。アメリカから血統書付きのアルパカがやってくるというのは、ビジネスチャンスなわけ。それを最大限生かそうとしたんです。日本でそれをややれるところはここ、山古志しかない」

――血統という強み! 山古志のアルパカたちにそんな武器があるとは驚きです。そうすると、そのアルパカたちを今後はどんどん増やして、牧場を大きくしていくのですか?

「いや、アルパカはうまくいっても一年に一頭しか生まれないから、増やすのは大変です。それに、生まれたら今度は人間に親しむようにさせないといけません。アルパカって、唾を吐くとか乱暴だとか言われることもある動物なんですが、山古志の子たちはやたらと唾を吐くこともないし、人懐っこい。そこも人気の理由なんです。あまりにも規模が大きすぎると、人間好きにはなかなかなりません。だから、スキンシップがはかれるくらいの小規模でやっていくほうがいい。400頭もいたら無理だけど、20頭なら、ペットのように、一頭一頭の個性がわかるように育てていける。大きすぎないフィールドだからこそ、お客さんの手から餌をあげられるしね。『ふれあい動物』として提供していこうと思ったときに、このコンセプトに添うことが大事なんです。だから、これ以上大きな規模にするのではなく、このくらいのミニ牧場をあちこちに作るのがいいと思っている。日本全国にアルパカを広める、という事業と一緒にね」

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山古志のアルパカ牧場では、売店で一回100円のアルパカの餌を買って、手のひらやボウルにのせて差し出すと、人懐っこいアルパカたちが寄ってきて、餌を食べてくれます。小さな子どもたちが大喜びなのはもちろん、大人も思わず笑顔に。

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アルパカたちを紹介するボードが各牧場に貼ってあります。

「小学校に貸出もしているんです。素晴らしいよ。子どもたちの目の位置とアルパカの目の位置が一緒なの。子どもたちが寄ってきても、アルパカは自分の仲間だと思っちゃう。嫌がらないし、乱暴しないし。でも先生が上から目線でちょっかいかけると、つばを吐く(笑)。最初、このくらいの大きさの動物には触れない子もいるんだけど、卒業するときには、アルパカとの別れが悲しくて大泣きしてるの。アルパカって、トイレは決まったところでやるし、くさくないし、子どもたちと仲良くできるし、鳴き声もほとんどないし、学校で飼うふれあい動物としての条件を実は全部クリアしているんだよ。アルパカとともにすごす一年って子どもにとってすごい思い出だろうね!」

 

アルパカの毛でビジネスはできるか?

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――アルパカビジネスの思いがけない深さとおもしろさに聞き入ってしまいましたが、ところで、本日お聞きしたかったのは、山古志のアルパカの毛って、刈ったあと、どうなるの?ということなんです。

「刈った毛は、地元のお母さんたちが手作りストラップを作ってくれているほか、『アルパカ&どんぐりストラップ』という、中越大震災からの復興のシンボルとなる商品の素材にもなっています。長岡市の福祉施設の人たちが作ってくれていて、障がい者雇用と就労支援にもつながっています。また、手芸好きな人たちから“自分で糸を紡ぎたいから分けてほしい”とご要望いただいて、応えることもありますよ」

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山古志アルパカ牧場で販売している、地元の方手作りのストラップ。フェルト細工にしたものも。

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復興のシンボルとして作られている「アルパカ&どんぐりストラップ」。写真: 山古志どんぐりの会

「それ以外の毛のほとんどは新潟県見附市の丸正ニットファクトリーに持っていってもらい、ニット製品を作ってもらっています。県内で撚糸をできるところがなくて、苦労しましたが、商品化するところまできています」

――ということは、山古志アルパカのニット製品が特産物になる日も近い?

「毛でビジネスするには、60頭くらいではなく、何万頭といないとできないんですけどね」

――それでも、このアルパカたちの毛がどんな製品になるのか、見てみたくなりました。

 

山古志のアルパカはどんな製品に?
生産しているニット工場へ

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創業1832年という新潟県内でも指折りの老舗繊維メーカー、丸正ニットファクトリーの佐野統康さん。

あのアルパカの毛がどんなニットになるのか、見てみたい!と訪ねたのは、新潟県見附市の丸正ニットファクトリー。代表取締役社長の佐野統康さんが見せてくださったのは、ちょっと意外なほどシンプルでおしゃれ、着回しのききそうな、女性もののセーターでした。

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――こんな素敵なニットになっちゃうんですか? あのアルパカたちが……

「アルパカの毛の特徴は、丈夫で保温性があり、ふんわりしていること。アウトドア用の製品とかメンズウェアなんかにも向いているのですが、今回は、女性もののセーターに仕立ててみました。ポンチョのほうは試作品です」

――いったい、あの毛をどのような工程でニットにしていくのでしょう。

「大変なんですよ。まず、原毛には泥や藁や糞などがついてますから、手作業で取ります。そして汚れや脂を3回にわたって洗い落とし、天日干しします。また、本来はアルパカの毛はその太さ・細さ・毛質によって分けて別々の糸にする「整毛」が必要なのですが、その機械が日本になく、また毛の量が少ないこともあり、今はすべての毛を一緒に機械で紡績してもらっています。また、国内産のアルパカ原毛100%で毛糸を作ると、セーターに使うには張りがありすぎるので、合成繊維もミックスするなど、バランスをみてベストの配合を考え、柔らかな糸に仕上げています。それから、ここでニット製品として編み上げます」

――そんなに大変なんですか……。佐野さんはなぜ、そこまでして山古志のアルパカでニットを作ろうと思ったんでしょう。

「2013年に、プライベートでアルパカ牧場を見にいったのがきっかけですね。刈られた毛が積み上げられていて、聞くと、どうしたものかと困っているという。それで職業柄、もったいない、この毛を活かしたいな、と」

ニットを生業とする人の矜持を感じさせる言葉! かっこいいです。

丸正ニットファクトリーの皆さんが、手間暇かけて製品化したセーターは、いよいよ今年9月末から通販専門チャンネル「ジュピターショップチャンネル」で500~600枚が販売されるそう。小規模のテスト販売を除けば、これが山古志アルパカニットの本格的デビューだそうです。

「今回はセーターを作りましたが、今後は、ストールやマフラー、ニット帽のような雑貨類を作っていきたいと考えてます」

山古志アルパカのニット帽があったら欲しい! この先、どんなアイテムが生まれるのか、楽しみです。

 

山古志独自の「牛飼い技術」
「錦鯉のビジネスモデル」を
アルパカに応用

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山古志のアルパカ村、ここから先はどのような展開をしていくのでしょう。あらためて、青木さんにお聞きしてみました。

「アルパカを観光牧場にするつもりは最初からなかった。入場料をとると、アルパカを外から見られないようにしなくちゃいけないし、駐車場の整備から、飲食、休憩所、お土産、ありとあらゆる設備が必要だけど、それにはとてつもない整備が必要になっちゃう。でも『地域を活性化させる』のが目的なら、アルパカを見にきた人たちが地域の中を回遊できるようにすればいいわけ。足りないサービスは、他に地域のなかでやればいい。土日だけ、牧場の隣で蕎麦屋やるとかね」

――山古志アルパカ村の今のかたちが、この地域に住んでいる人にとっても回しやすいサイズ感、ということですね。

「年間10頭のアルパカが毎年生まれるようになって、アルパカの販売・貸付・イベントでの展示という『生体ビジネス』が事業として可能になった。はじめは、アルパカ3頭をもらっても、それが事業になるかどうかは誰もわかりませんでした。でも、それを市のものとして見せて終わりにしたらそれっきり。そうじゃなくて、事業の可能性があるならなんとかしてみよう、としたから今があるんです」

――本当に、山古志でアルパカビジネスが成り立っていることが今回、驚きでした。

「なんで山古志でアルパカなの?というとね。アルパカって、牛目ラクダ科なんですよ。牛を飼う技術は、我々の伝統的なものです」

――なるほど! 山古志には闘牛があり、牛を飼う文化がありましたね!

「反芻動物だから、冬の雪のなかでも畜舎で飼える。世話の仕方も牛と一緒です。だからここに置けるんです。山古志には、牛を飼う技術も環境も整っていて、しかもお年寄りが管理できますからね」

「もうひとつ、事業化するにあたって参考にした動物のキャラクタービジネスの先進モデルは『錦鯉』です。錦鯉も、山古志で生まれたもの。それが世界を市場にキャラクタービジネスとして成り立っている。アルパカをどうやって活用するかということは、錦鯉を市場化したノウハウと一緒です。血統を重視しますし、品質のよさで日本中に市場を拡大していったやり方がすでにあるんです」

――錦鯉のノウハウまでが、アルパカビジネスに活かされている……。

「そう。飼育技術は牛、ビジネスモデルは錦鯉。これが山古志のアルパカです」

まさかの山古志の伝統産業とのマッチング。もしかしたら、アメリカのアルパカたちは、山古志に来るべくしてやってきたのかもしれません。美しい自然の中で愛情かけて育てられ、愛嬌たっぷりの見た目やしぐさで私たちを癒してくれる彼らに、山古志を訪れた折には、ぜひ、会っていってください。

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Text & Photos : Chiharu Kawauchi

 

山古志アルパカ村
[所在地]油夫牧場:新潟県長岡市山古志竹沢乙169
種苧原牧場:新潟県長岡市種苧原2978
[電話]0258-59-2062
[料金]見学無料
[駐車場]あり
※冬期間は越冬のため見学できません。
取材協力:丸正ニットファクトリー

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