未曾有の水害を乗り越え、7年ぶりの復活。長岡の川に「やな場」が戻ってきた!

2018.9.27

「やな場」という言葉をご存知だろうか。

日本各地に古くから伝わる「簗(やな)漁」を行う漁場だ。簗漁とは、川に杭を打ち込み、竹や木を使ったすのこを張り巡らせ、川の上流から泳いでくる魚を捕らえるという、シンプルかつ大胆な漁法である。その歴史は古く、「万葉集」の中でも言及されたり、平安時代から漁が行われていたという説もある。生計を支える漁業としてだけでなく、多くの人を集める観光資源としても知られてきた。

新潟県長岡市にも、やな場が存在する。信濃川の支流である魚野川(うおのがわ)は、水質のよい清流が流れることから豊かな漁場として知られ、3箇所のやな場がある。中でも、長岡市西川口地区にある「川口やな場」は、国内有数の歴史をもつ。

昭和初期の川口やな場男山漁場(出典:2018年7月開催祝賀イベント展示写真)

川口のやな場は昭和中期には最盛期を迎え、年間平均約30,000人もの人が訪れるなど、レジャースポットとして、たいへんな盛り上がりを見せていた。

そのうちの一つ「男山漁場」は、やな場の管理運営とともに併設された食堂の経営も行なう、川口エリアの人気観光スポットだ。

「男山漁場」は代々、関家が運営してきた。今回お話を伺ったのは、5代目にあたる関達夫さんだ。

男山漁場5代目、関達夫さん。

達夫さんは、父や祖父などの姿を見ながら、小さい頃からやな場に親しんできた。

「毎年、8月の長岡花火の時期になると、常連さんが必ず花火の前に寄ってくれたりするんです。それに、夏は家族、親戚が揃う時期。家族みんなで一緒に大勢で遊びにきてくれるのが嬉しかった」と話す。

 

やな場が豪雨災害で壊滅……
出だしでつまづいた夢

達夫さんは10代までを地元川口で過ごし、進学を機に東京へ。都内の日本料理店で修行をしたのち、川口に戻った。そのきっかけは、2011年の東日本大震災だった。慣れ親しんだ地元にいずれは戻ろうと考えていたが、震災を機に、故郷への思いが強くなっていったという。

だが、達夫さんが川口に戻った同じ年、今度はその地元を、未曾有の災害が襲った。

豪雨直後の様子。男山漁場のすぐ近くにある川口小学校。

2011年7月に発生した「平成23年新潟・福島豪雨」だ。7月28日から降り続いた大雨は、30日になっても勢いを弱めることなく、猛烈に数日間降り続いた。結果、新潟県内各地の河川は増水し、各地に大きな被害をもたらした。

魚野川も、大変な状態が続いていた。
堀之内地区にある国土交通省の観測所では、避難の基準となる「はん濫危険水位」を超える状態が約10時間続き、水位は観測史上最高を記録した。

高台に避難し、魚野川の様子を見つめる達夫さんたちの目に、信じがたい光景が飛び込んできた。

「建物も何もかも、ほとんどすべてが流されてしまいました。あんな光景を目にすることになるなんて、思いもしなかったな…」と達夫さんは当時の様子を回想する。

河川敷にあった男山漁場食事処。基礎部分は水流によって破壊され、骨組みがむき出しになっている。

魚野川の水位は上がり、ついには堤防を越え、激しい濁流となって河川内にあった男山漁場の施設を襲った。

その結果、川辺にあった男山漁場の施設は、ほとんどすべて失われてしまった。
それにより、しばらくは川辺から少し離れた高台にある食堂のみでの営業を余儀無くされてしまった。

漁業設備自体が壊滅的な被害を受けてしまったので、釣ったばかりの新鮮な魚を出すという、達夫さんが最も力を入れたいことができなくなってしまったのだ。

「今はこんな状態なので、こういうものしか用意できない。申し訳ないです」といって頭を下げ、養殖の焼き魚の提供を行なったこともあった。もちろん、養殖の魚が悪いということではない。獲れたばかりの新鮮な魚をイメージして訪れたお客さんの楽しみが少なくなってしまうということに対しての申し訳なさが達夫さんを襲った。

売り上げも激減した。「川に入って獲れないんだったら、ここ(男山漁場)じゃなくて他所でいいや、というお客さんもいらっしゃいました。寂しかったですよね。被害を受けて当然、経営も苦しくなったというのもありましたけれど…お客さんのそういう姿を見ることになってしまったのは、つらかったですね」

場所としての楽しみを提供できないもどかしさ。達夫さん自身も、幼少から親しみ、多くの人たちと楽しい時間を過ごした場所なのだ。東京での生活を経て、その思いはより強くなったのかもしれない。

「やな場という場所には、わかりやすい面白さがあると思うんですよね。獲ったばかりの魚を川の近くですぐ食べるっていう、単純な面白さ。しかも、この辺は景色も綺麗です。山を見ながら、風を感じながら焼きたての魚を食べるっていうのは、純粋に楽しいものですから。

 

再開を模索する日々

「いつまでもやな場を営業できない状態が続いていたら、見る人によっては『あ、やな場ってもうやめちゃったんだね』などと思うかもしれない。それはよくない。なんとかしなきゃ、早く再開しなきゃと」

早期の再開を模索する日々が始まるが、それは想像していたよりも困難な道のりだったという。

「川辺の被害が、思っていたよりもはるかに大きかったんです。川の中に設けた橋げたや、川の流れをせき止める機構、構造物などがほとんど流されたり、壊されてしまった。さらに、川底には大量の砂が堆積してしまって、やな場を埋めてしまったんです。これをもとに戻すとなると、大規模な工事が必要になる。これは、(個人の力では)正直、とても手に負えないと思いました」

 

住民、行政が歩調を合わせ
「水辺プラザ」として再出発

整備中の「水辺プラザ」。

達夫さんが男山漁場の再開を模索する中、やな場をはじめ、魚野川の川辺空間の復活を望む声は、地元住民からも上がっていた。2012年には「水辺空間整備検討会」というワークショップが開催され、復旧に向けた活動が本格的にスタートする。

地域住民の声をうけ、長岡市、河川を管理する国土交通省信濃川河川事務所は、川辺の整備に乗り出した。

男山漁場に隣接する河川敷エリアは、2003年に国土交通省が「水辺プラザ」として整備した公共空間が広がっている。この空間を再整備することから、まずは可能な範囲で川辺に賑わいを取り戻していこうという形だ。

地域住民、行政関係者、学識者、商工会関係者などを集めた「魚野川水辺プラザのあり方を考える懇談会」が発足し、会合を重ね、川辺という環境を活かした空間づくりが計画されていった。

西川口エリアは、魚野川が大きく蛇行する箇所にある。そのため、大洪水を経て川底に砂が堆積しやすい、あるいは変化しやすいなどの問題があった。それらを踏まえて、より安全で川辺の生き物が学べる空間を創出するなど地域の声を取り入れ、次第に形が整っていった。

 

やな場の復活

オープン直前の時期、達夫さんは新しくなったやな場を案内してくれた

着々と工事は進み、2018年、ついにやな場を含めた水辺プラザは復活の日を迎える。

魚野川の中州へと伸びる橋を渡ると、真新しい木で組まれたやな場が、川の上流に向けて張り出していた。

初夏の川口は、Tシャツ一枚でも少し歩けば汗だくになるほどの暑さだった。しかし、やな場は驚くほど涼しい。

かつて食事処があった場所を指差す達夫さん。奥に見えているのは、健在だった別館。

「ちょうどあの辺ですよ。今はもう、本当に何もないでしょう」

達夫さんが指差す先は、かつて川辺の食事処があった場所だ。

「昔から川口のやな場に来てくれるお客さんは、川辺の食事処も含めて『やな場』と認識している方が多いと思う。そう考えると、それが今、無いというのは申し訳ないですよね」と達夫さん。

しかし、達夫さんは前を向いている。

「川辺の雰囲気を味わいながらの楽しみは、じゅうぶん提供できると思うんです。夏の暑い中、エアコンなんて無いけれど、川風を感じながら食事を食べる。それこそお客さんが求めていることなんだと思っています。そうした環境はなんとかして提供していきたいです」

 

「川辺に親しみ川辺でしかできない体験」を
これからのお客さんのために

やな場に隣接するエリアには、新しくなった「水辺プラザ」が完成。2018年7月1日にはリニューアル記念式典が開催された。

式典には磯田長岡市長らが参列。テープカットを行った。

川口小学校児童による「川口あおり太鼓」の演奏。

地元の商工会青年部による鮎や鮭料理の売店にも列が。

式典には、地域住民や近隣から多くの客が訪れていた。長岡市中心部から来ていた50代の男性に話を聞くと「川のすぐそばで魚を獲って食べられる。そんな空間はあまりない。私たちの世代は子どもの頃から慣れ親しんだ場所だけれど、一度無くなってしまったからこそ、そのことに改めて気がつきました」と話していた。

青空のもと、やな場の一般公開が開始。待ちわびた客が続々と川を渡り、中洲にあるやな場へと向かう。

家族連れも何組か参加していたが、やな場に近づくにつれて大きな歓声が上がっていた。

豪快に流れ込む川の水を見ただけでも大興奮の子どもたち。我先にと箱に手を伸ばし、魚を獲っていく。

「ぬるぬるしてる!」

女の子も参加。「生きているお魚さんを触ったのははじめて!」とびっくり。

豪雨災害からすでに7年もの時間が経過した。訪れた子どもたちの多くは、川口のやな場に来るのは初めてだ。両親や達夫さんらの指導を受けながら、次々に手を伸ばしていた。

式典に伴い出店された出店スペースの中には、串が打たれた魚を手際よく並べる達夫さんの姿があった。

「再開まで長い時間がかかってしまいました。ご高齢の方の中には、再開を待たずして亡くなってしまった方もいます。そうした方たちには本当に申し訳ないなと。だからこそ、また来てくださるお客さんたちは、がっかりさせたくないですね」

達夫さんは「今できることを、しっかりとやり続けたい」と何度も話していた。

男山漁場別館。

かつてのように、河川敷に大きな食事処を構えて営業することは、まだまだできない。川口の地域住民や長岡市などと連携し、盛り上げていきたいと熱く語っていた。

「手探りでやっていくしかないですね。魚に限らず、川辺でコーヒーを楽しめるようなスペースを作るのでもいいですし。地域の方はもちろん、若い方などで『一緒になにかやってみたい』という方がいれば、ぜひ一緒にやりたいです」

一般公開が始まり、川辺に人の賑わいが戻りつつある。達夫さんの挑戦は始まったばかりだ。

 

Text and Photos: Junpei Takeya

 

越後川口男山漁場
[住所] 新潟県長岡市西川口1029
[問い合わせ先] 0258-89-3104
[営業期間] 4月~11月(冬期間は要予約)
[営業時間] 10時~18時 (ラストオーダー17時)
[定休日] 営業期間中は定休日なし
※ やな場の開放時間は10時〜16時まで。増水時、荒天時は入場制限あり。確実に見学・体験を行いたい場合、電話での問い合わせをおすすめします。
[HP] http://www.kawaguchiyanaba.com/

 

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