『るろうに剣心』と「伝えるこころ」について〜漫画家・和月伸宏氏インタビュー

2016/8/11

宝永3年(1706年)の大火で類焼し、享保元年(1716年)に再建されたと伝えられている県内最古の民家「長谷川邸」では11月まで、再建から300年を記念した「長谷川邸三百年祭」を開催しています。

その一環として8月16日(火)まで開かれているのが、大ヒット作『るろうに剣心』の作者として知られる、長岡市越路地区(旧越路町)出身の漫画家・和月伸宏さんの原画展。

長岡市の取り組みにもたいへん協力的な和月さんの地元への思い、長谷川邸や長岡花火への思い、そして『るろうに剣心』に込めた願いとは? 花火の翌日、じっくりお話を伺いました。

 

長谷川邸との関わり

--本日はよろしくお願いいたします。
和月さんは現在、長谷川邸で原画展を開催していらっしゃいますよね。地元である長岡市とのとてもユニークな関わり方だと思うのですが、これが実現した経緯はどのようなものだったのでしょうか?

和月「普段、こういうことはあまりしないんですけどね。
実は越路の関係者の方から母親経由で『300年祭で何かやらないか』というお話をいただいて。『親孝行しておこうかな』という気持ちもあり、また、こういう取り組みを地元のファンの方々が喜んでくれるのであれば、ぜひご協力させていただこうと思ったんです。」

--それまでに長谷川邸のことや、その歴史というものを意識されたことは?

和月「実は、まったくなかったんです。僕が育ったのは旧越路町の来迎寺というところで、長谷川邸は塚野山地区というところにあります。自分の地区の歴史文化に関しては井上円了や巴が丘丘陵のことなど、いろいろと知ってはいましたが、子供時代は世界も狭いですから、他の地域のこととなるとなかなか知る機会がなくて。
今回お話をいただいて初めて現地を訪れ、式典にも参加させていただいたんですが、『こんなすごいものを知らなかったなんて、もったいなかったなあ』と思いました。子供時代にこれを知っていたら、きっと『るろうに剣心』でもこれをモチーフにした物語を描けたんだろうなと、悔しくもありましたね。『なんで、こんないいものを教えてくれなかったんだよ!』と(笑)。」

--しかし、大人になってから改めて、漫画を通じてこういう関わりができるのも幸せなことかもしれませんね。

和月「それは、確かにありがたいことですね。しかし、子供の頃に知っておくのと大人になってから見て学ぶのは、やはり記憶や心に刻まれる深さが違いますから。子供のいる親御さんや教育関係者の方々には、ぜひ『長岡にはいいものがたくさんあるのだから、早いうちに見せておいてください!』と訴えておきたいです(笑)。」

--展示に出品される原画は、すべてご自身がお選びになったんですか?

和月「はい。『剣心』の連載時代や、映画化の絡みで描いたものを中心に、その他の作品からも少し選んでいます。
前半では『剣心』の第1話を丸々公開しています。また、後半では、映画化にあわせて『週刊少年ジャンプ』に十数年ぶりに執筆した、すべての始まりの5日前を描いた「第零幕」も展示しました。」

--原画を1話丸ごとですか。それは、ファンとしてはたまらないですね。

和月「場面場面の絵を細切れで出すよりは、丸々お見せすることによって『剣心』の世界観やテーマから感じていただこうと思って。あとは『こんなに絵が変わったんだな』と思ってもらうのも面白いかと。
来場者には長谷川邸そのものを見に来られた方も多いわけで、『剣心』を知らない方にも作品の概要をお伝えできるような構成がいいなと考えたんです。僕は絵だけを描いている人ではなく、ストーリーも含めての『漫画家』なので、『こういう作家がいるんだな』『こういうテーマの描き方があるんだな』ということを知っていただければと考えました。」

 

祭りの本質は「続けていくこと」

--昨日は長岡花火もご覧になり、献花もされたわけですが、これまでにも花火をご覧になったことはありますか?

和月「小学校の頃に一度だけあります。当時はまだ合併前でしたし、遠い町の催しという感じでそれほど身近な存在でもなかったんですが、長岡に住んでいる従兄弟の家に行ったときに見たことがありますね。
それ以降は見る機会もなく上京しましたし、漫画家になって週刊連載を始めてしまうと、もうとんでもなく忙しい毎日になりますから、一度も見てはいないんですけど。ただ母親からは『長岡花火、どんどん大きく綺麗になっていくよ。帰省したら見においで』と言われてはいたので、今回お声がけをいただいたのをきっかけに数十年ぶりに見たんですが、びっくりしましたね。『大きくなってるなあ!』と。
昔見たときは三尺玉もクライマックスで一発上げるくらいだったのが、三つも四つも上がっていくのは壮観のひとことでした。『スターマイン』も大盤振る舞いのような内容で、とても面白かったです。」

--中越地震以降に「フェニックス」もプログラムに加わったりして、時代とともにアップデートされている部分もありますもんね。

和月「『フェニックス』もすごかったですね。視界に収まりきれないほど大きいので、5分くらい打ち上げている間、ずっと顔を左右に動かしながら見ていました。
やっぱり、テレビや映像で見るのもいいんですが、改めて会場に行くと、花火の美しさだけでなく、夜空に広がっていくその大きさや音、空気の振動、人々の声や息遣いなど、その場でしか味わえない醍醐味がたくさんあるんだなと改めて思いましたね。それまで映像だけを見て花火を見た気になっていましたが、『ああ、やっぱりリアルで見ないのはもったいないんだな』と痛感しました。皆さんにもぜひ、生で見るのをお勧めしたいです。」

--長岡花火はもともと戦災犠牲者への慰霊と鎮魂をテーマに始まったわけですが、そういったことに関しては子供時代に学んだり聞かされていましたか?

和月「長岡で空襲があり、たくさんの人が亡くなったということは小学校の頃に教えられてはいましたが、それ以上のことはあまり知らされなかったように思います。市との取り組みでまたこちらに来るようになって改めて、という感じですね。

--大人になってから改めて花火の背景を知って、どんなことをお感じになりますか?

和月「『死者1468人』という数字を、ただの数として見てしまってはならないということは強く思います。僕たちが感じるべきなのはその多寡ではなく、その一つひとつの人生それぞれに自分と同じく個別の物語や思い、夢があり、それらがそこで散っていったのだということです。
また、そこで断ち切られてしまうのは人生だけでなく、それまで数多の人々が連綿と伝えてきた歴史や文化、そこに人々がこめた思いといったものも、命と一緒に失われてしまう。そこから復興するにあたって再開できたものもあるけれど、永遠に消えてしまったものもたくさんあるわけです。それは、やはり悲しいことですよね。
いろいろな経験を積み重ね、『自分以外の人生や時間がある』ということに対する想像力が養われてきたからこそ、より強くそう思うのかもしれません。」

--暴力や憎しみが次々と連鎖していくような今の時代に、平和への誓いを掲げた長岡花火のようなものが存在していることの意義をどうお感じになりますか?

和月「もちろん、すべての人がこの背景を正確に学び、反戦平和の願いを強く抱いて見に来る必要はないと思うんです。
しかし、これが毎年開かれるということ、たくさんの人々が花火を見に来て、そこにたくさんの笑顔が生まれていくことこそが『平和』というものなんですよね。『ああ、今年も無事に花火大会が開けたね』という、それだけで意義がある。どこかで、その尊さを感じてもらえればいいと思います。
そういう意味では、こうした催しや祭りというものの本質は、『続けていくこと』にこそあるのではないかと思います。本当に世の中に余裕がなくなってくると、それすら奪われてしまう。続けて、次につなげていくことが何よりも大事なんですね。」

 

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