「全員ゴール」を目指した夏の日——小学5年生、2000m遠泳チャレンジの記録

2019/3/25

「小学生が海で2000mの遠泳に挑戦し、クラス全員が泳ぎきった」と聞くと、驚く方も多いのではないでしょうか。大正15年以来、形は変えながらも、現在も続く伝統行事にしている学校が、新潟県長岡市にあります。

長岡市立表町小学校の5年生は毎年7月に「海の学校」と名付けられた校外学習で「遠泳」を行っています。個々に長く泳いだり、タイムを競ったりするのではなく、隊列を作り、それを維持しながら2000m、時間にして50~60分ものあいだ海を泳ぎきるのです。かなりハードな目標にも思えますが、春にはほとんど泳げなかった子も、毎年完泳しているのだとか。

泳力の指導や安全面への手厚い配慮が必要なことから、サポートする側にも経験の積み重ねが必要なこの行事が、長年続けられている理由はどこにあるのでしょうか。そして、遠泳を通して、子どもたちはどのように成長するのでしょう。表町小学校の遠泳へのチャレンジに迫ります。

 

大事なのは「リスクに早く気づく」こと
まずは遠泳ならではの泳ぎ方を習得!

5年生の水泳練習は、日によってはまだ肌寒い5月下旬から始まります。1回の授業は、2コマ分の90分。本番が近くなると、この練習を週に2~3回行います。水泳指導は体育などの時間と「海の学校」1日目の練習の時間に行われます。さらに、泳ぎの苦手な子は水泳部に入部し、放課後も練習します。表町小学校全ての教員が指導に当たっています。指導のために来校する地域ボランティアの方もおり、学校、地域が協力して5年生の活動を支えているのです。

練習見学に伺ったのは、本番3週間前の6月の終わりのことでした。その日は体育の時間で教務主任の渡辺登先生と、5年生担任の髙野真也先生が指導に当たっていました。

準備運動を終えた子どもたちは、コースごとに分かれて泳ぎ始めました。コースのひとつでは、まだ泳ぎ慣れていない子たちが、渡辺先生に基本をみっちり教わっています。

「うまくなったね。おお、いいじゃん。平泳ぎは『いただきます』するときに顔を上げて」と手のかき方を指導する渡辺先生。

練習が始まってしばらくすると、「遠泳」が普通の泳ぎでないことが徐々に分かってきました。「顔上げで泳ぐ練習、25メートル×4本行ってみよう!」と髙野先生の声がけでプールを見ると、泳ぎ方が競泳用とは違うのです。基本は平泳ぎですが、顔を常に水面から上げて泳ぎ続けているのです。息継ぎがないので、呼吸の面では楽そうに見えますが、推進力やスピードの点では鈍りそうです。なぜ、この体勢で泳ぐのでしょう。

顔を上げたこの体勢でずっと泳ぐ。

「顔を上げて泳ぐのには理由があります。隊列を整えて進むので、周りをしっかり見て泳がないといけない。顔を上げていれば遅れている人はいないか把握しやすいのです。さらに、海の場合は泳げなくて沈んでしまうことだって考えられますから、顔上げしたほうがお互いにピンチに陥っている児童の発見が早いんです」と渡辺先生。2000mを泳ぎ切る体力も必要ですが、それ以上に周りを見る力、気づく力を育てる練習でもあったのです。

 

本番前のハードな練習は
泳力と自主性を育てるため

後半は、隊列を組んで長距離を泳ぐ練習です。この日は20分続けて泳ぐのが目標。泳ぎながら先頭の女の子が「ファーイトー」とよく響く声を出すと、続けて他の全員は隊列を組みながら「ファーイトー」と返します。その「声出し」をずっと続けたまま泳ぐのです。大きな声を出しながら泳ぐのは、かなりきついはず。特に先頭の子は声だしをサボれないうえ、隊列が崩れないように泳ぐ速度も調整しなければいけません。

先頭を泳ぎ、声出しの音頭を取るのは「隊長」の役割です。隊長はどのように決まるのでしょう。担任の髙野先生に話を聞いてみました。「隊長は立候補と全員の承認によって決まります」と先生。毎年、隊長決めにもドラマがあり、今年も三人の立候補者がいたそうです。もう一人キーマンとなるのがアンカーとなる「副隊長」です。「アンカーは後ろから全体を見て隊列を調整する役割を務めています。泳力があって頼りになる子です」

波のある海を想定して、ビート版で波を作って泳ぐ子どもたちにかける先生。

そうして15分。隊長の声が時折、水に飲まれるようになりました。子どもたち一人ひとりの表情が苦しくなってきて、水をかく力が一定でなくなってくるのが見ていてわかります。顔を上げっぱなしにするのがきついのかもしれません。語尾が水にのまれたり、顔上げできずに頭を水に沈める普通の平泳ぎになってしまう子もいます。

子どもたちは必死にくらいつくような泳ぎを見せます。ラスト一周。足や腰が沈みながらも泳ぎ切る子どもたち。彼らの見せる気迫あふれる泳ぎっぷりに、圧倒される思いでした。

海での泳ぎは波もあるのでプールよりさらに大変なのでは、と思いましたが「実は、プールの練習のほうがきついんです。海は塩水で浮力があるので。ここで自分を追い込んでおくから、当日少し楽な気持ちで泳げるんですよ」と渡辺先生。ここからさらに3週間の練習を経て、自分を追い込んだ彼らは、本番でどんな泳ぎを見せてくれるのでしょうか。

海の学校のしおりには子どもたちの抱負が書かれていた。

 

戦禍に焼かれた小学校が歩んだ
不撓不屈の歴史

「町校」の愛称で親しまれている1871年創立の表町小学校。

「不撓不屈(ふとうふくつ)」。強い意志を持って、どんな困難にも挫けないことを表す、スポーツの大会の横断幕で見るようなこの熟語が、この表町小学校のスローガンです。

表町小学校の歴史は古く、1871(明治4)年の創立から今年で147年。明治維新の頃、この地域には私学校がありましたが、戊辰戦争で幕府方だった長岡は城も町も一面焼け野原になり、このとき、学校も焼けて失われてしまいました。しかし、「教育の普及こそが地域の振興につながる」との思いを胸に、町民有志と町年寄りらが連名で県に学校設立を願い出て、表町小学校は創立されました。

しかし、昭和20年8月1日。第二次世界大戦で長岡の街は米軍による空襲を受け、市の中央部に近い表町小学校は全校舎が被災し、焼失しました。長岡空襲における死者数は1400余名でしたが、そのうち表町小学校に通っていた学童の戦死者は100余名にものぼります。

2度の焼失と、あまりにも多くの子どもたちの命が空襲により奪われたという歴史――。悲しみ深く困難に満ちた時代にあっても「教育」を諦めず、人を育てることを続けてきた学校。「不撓不屈」の四字熟語にはそうした想いが込められているのです。

遠泳の目標として「不撓不屈」の四文字熟語を掲げる子もいた。

そうした校風と歴史をバックボーンに続いている行事の一つが、5年生による「海の学校」の遠泳です。さらに6年生になると「山の学校」という3泊4日で立山連峰雄山3003mを目指しての登山行事が行われます。学校と地域の人々が一体となって、子どもたちの体と心を育て、次代を担う子どもの教育に励む表町小学校の精神のことを「町校魂」と呼びます。町校出身であることに誇りを持ち、子どもや孫に「海の学校」「山の学校」を体験させたいと語るOBも多いのだとか。

 

いよいよ当日!
子供たちは緊張の面持ち

会場となる柏崎の海岸。子どもたちは朝6時に起きてゴミ袋片手に海岸清掃をする。

7月20日。一泊二日の「海の学校」の二日目に、遠泳は実施されます。海岸清掃と朝食を済ませた子どもたちと、先生方はじめ学校の職員や、安全面をサポートするライフセーバーの方、子どもたちの家族らは、隊列の確認、サポートする持ち場などの最終確認を入念にしていました。

この日は絶好の海日和。からりと晴れて日差しが暑く照り付けるなか、子どもたちは海岸へと向かいます。

ライフセーバーの方から、海で泳ぐ際の注意点についての話がありました。「プールと違い、海は囲われていませんし、急に深くなったりと怖いところもあります。大変なときには声をかけてください」。その話を子どもたちは真剣な表情で聞いています。続いて、準備運動と体を慣らすためにひと泳ぎ。子どもたちの表情を見た渡辺先生が「みなさん、硬いですね。リラックスしたほうがいいですね」と声をかけるほど、子どもたちから緊張した気配がただよいます。

子どもたち、先生、保護者をはじめサポーターの人たちが円陣を組み、隊長の子が掛け声をかけて、いよいよスタートです!

全員の抱負が書かれた大きな幕がテントに張りだされていた。

 

2000mの遠泳がスタート

9時30分。隊長を先頭に子どもたちは二人ずつ順に海に入り、隊列を組んで泳ぎ始めました。

ファーイトー
ファーイトー

柏崎の海に、子どもたちの声が響きます。

ボートに乗った大人たちが囲み、見守ります。「ゆっくり!ゆっくり! 横に開きすぎ」との声がかかります。プールよりも広い海。最初は間隔が思うようにとれないのかもしれません。しかしその後は遠目に見る限り、隊列は崩れることなく、遅れる子もいない様子。順調に泳いでいるようです。

 

見守る家族の思い

浜では応援やサポートに来た家族の人たちが子どもたちを見守りつつ、ゴール後のために飲み物やスイカを用意していました。

家族のみなさんは、どんな気持ちで子どもたちを見守っているのでしょう。アンカーをつとめる副隊長の男の子のおばあさんが応援に来ていらっしゃいました。「スイミングは保育園のときから行っています。表町小学校は遠泳があるから、小さい時からスイミングに通う子が多いのよ」とのこと。海の学校の前に挨拶に来てくれたそうで「副隊長としてみんなを支えてがんばる、と言っていました。『楽しんでおいでよ』と声かけました。帰ってきたらほめてやらなきゃ」

続いてお話を聞かせていただいたのは、隊長の女の子のお母さん。なんと、お兄さんもかつて隊長を務めたのだそうです。「娘は隊長には自分で立候補したんです。5歳上の兄が「海の学校」で隊長だったので、自分もという思いがあったようですね。子どもの入学予定の小学校には2kmの遠泳があると聞いて、兄には保育園の頃から水泳を習わせたのですが、それがきっかけで妹のほうも水泳をはじめて、今はスイミングクラブの選手コースに通うようになりました。クラブで日ごろから泳いでいますが、隊列形式で顔上げて声を出して泳ぐのにはとまどったみたいです。練習の後半になると水を飲んでしまうみたいでした」

長男と次男が表町小OBで、今日は三男の応援にきたというお母さんがいました。「うちはもう海の学校は三回目の参加なので、なんとかなるかな、という感じで見ています。うちの子は違うスポーツをやっているので、スイミング教室には通ったことがないのですが、学校で先生にみっちり教わって短期間で上達して泳げるようになりました。10分、20分と少しずつ続けて泳げるようになっていって。40分泳げれば大丈夫だよ、と言われたそうです」

この日のために、小さいころからスイミング教室に通って備える家庭もあれば、短期間の練習でも必ず泳げるようになる、と経験値で構えている家庭もあり。無事完泳を祈りながら、がんばっている子どもたちを誇りに思うような家族の皆さんのまなざしでした。

保護者の皆さんの作成した応援うちわ。

 

ゴールで待ち受けるのは
「やりきった」という喜び

子どもたちの泳ぎも、いよいよ後半に差し掛かってきました。テトラポットで囲まれた海をぐるりと一周するコース。少しずつ、ゴール近くに近づいてきます。

海には「ファーイトー」「ファーイトー」の声が響き続けています。三週間前の練習では、最後には声が水にのまれるような感じもありましたが、終盤に入っても子どもたちの声はよく通り、隊列も崩れません。

そして、遂にゴール!

子どもたちはゴールにつくと、ペアの相手とつないだ手を高だかと上げます。

見事、全員で泳ぎ切った子どもたちはみな晴れ晴れとした顔をしています。隊長の女の子から「私たちのことを安全にみまもってくださり、ありがとうございました」という挨拶があり、続いて「バンザーイ、バンザーイ」とみんなで完泳できたことを喜び、一同拍手。

泳ぎ終わった子どもたちは、今、どんな気持ちなのでしょう。練習で苦戦していたものの最後まで泳ぎ切った女の子に、どのタイミングが辛かったですか?と聞いてみると「はじめのほう。波が、プールとは違っていました」との答え。やはり、海での泳ぎに慣れるまでは大変だったのでしょう。

隊長をやり切った女の子にもインタビューできました。まずは隊長に立候補した気持ちを尋ねると「お兄ちゃんが隊長をやった遠泳を見に来て、声が海全体に響いて、自分もあんなふうになりたいと思った」とのこと。見事な発声には小さいころからの憧れが込められていたのですね。隊長として大変だったことは?と聞くと「みんなをまとめたり、ファイトの声で途中水を飲んでしまうところ。波がすごくて、しょっぱかった。特にテトラポットのあいだとかは波が強くて。どちらかといえば、後半が大変だった」と答えてくれました。

遠くから見ているぶんにはわからなかったのですが、実は、順調に見えて、波に強いうねりがあるところもあったのだそう。泳ぎのリズムがとりにくくなるなど、子どもたちにとってはやはり大変なチャレンジだったのです。

副隊長の男の子は「みんなと協力し合えたからよかった。めっちゃ嬉しい! とにかく完泳できたことが嬉しい!」と満面の笑み。大変だったことは?と聞くと「みんなを気遣うことが大変だった。それは達成できたと思います」と、充実感いっぱいの表情で答えてくれました。

他の子どもたちからも「楽しかった!」「心が気持ちいい」「とても感動しました」「泳ぎ切ってすっきりしました!」という声が。疲れた、という言葉はありません。むしろ完全燃焼したという清々しさに満ちた子どもたちの感想でした。

「海の学校」の当日も、子どもたちをサポートして一緒に泳ぐ中村核さん。長年、小学生の水泳指導や、水泳大会のサポートに携わっている。

地域ボランティアの方にもお話をお聞きしました。中村核(ただし)さんは縁あって20年近くも表町小学校の子どもたちに水泳を教えています。泳ぎの苦手な子の指導を担当することが多く、「本番まで練習時間があと2時間しかない、というタイミングで、急に上達して長距離を泳げるようになった子もいました」と忘れがたいエピソードもあるのだとか。中村さんは「海の学校」のよさを「絆が芽生えることですかね。泳げる人は最初から泳げるのですが、泳げない子にも声援を送るんですよ。ファイト!とね。そこから一体感が生まれる。日々の練習時間も含め、その絆が生まれるプロセスがいいのではないでしょうか」と語ってくれました。

「昨日は職員だけで遠泳のリハーサルをしました。職員は子どもの倍くらい泳いでいるので、体力的にもギリギリです」とほっとした表情の渡辺先生。

子どもたちをずっと指導し、見守り、今回も一緒に2000mを泳いだ渡辺先生はどんな思いなのでしょう。「彼らはまだ生まれて10~11年。自然に対してどう恐怖心を抱くかは、本番に泳いでみないとわからない。当日何が起こるかわかりません。だから、プールで波をたてて練習したり、途中で止まれるように立ち泳ぎの練習をしたり……、全員が完泳できるように、海で泳ぐのに必要なテクニックを身につけられるように、考えられる最大限の準備をしてきました。みんな完泳できて、最高ですよね。海をしっかり学んで、笑顔で、やりきった顔をしていましたね!」と笑顔。「事故がないように、万が一事故が起きてもすぐに対応できるようにみなさんが準備してくださる」と保護者や地域の方への感謝を口にされていました。

練習では「子どもたちのモチベーションを維持するのが大変でした」と語る髙野先生。

同じく子どもたちの練習を指導し、2000mを一緒に泳いだ担任の髙野先生にもお話を聞いてみました。「こどもたちが練習中も本番直前も硬い表情をしていたので、今、笑顔になっているのが嬉しいですね。例年、練習を始める5月下旬には、5mしか泳げない子もいて、とても全員2000m完泳できそうにないんです。でも先輩たちがやってきたから、自分たちにもできるんだ、という根拠が彼らには最初からある。先輩から受け継いできた伝統への責任を果たし、自分にとっての壁も乗り越えられたという達成感があの笑顔になっているんでしょうね」と、続いてきた伝統の強みを語ってくれました。

 

一生に一度の体験と自信が
人生の糧になる

それにしても、子どもたちにとっても学校や保護者にとっても大変な行事が、なぜ続けられるのでしょうか。取材中の渡辺先生の話で印象に残った言葉があります。「遠泳をすると『やりきった』という自信がつくんです。一生に一度の体験で、中学にいっても忘れない。ひとつの通過儀礼のようなものですね」。なぜ遠泳をするのか――その答えが、ここにあるように思います。困難にも思える高い目標を、練習を重ねて体と心を鍛え、仲間と支え合って乗り越え、自信をつける。その過程で、泳力はもちろん、周りを見て気づく力をつけ、声をかけあう大切さを学ぶ子どもたち。小学生の彼らに得難い経験を積ませるために、多くの大人たちが事故のないようにと、この伝統行事を支えています。子どもに挑戦の場を提供し続けている学校職員と地域関係者の皆さんの努力には頭の下がる思いがします。

戦火から立ち上がった人々によって連綿と貫かれてきた「町校魂」を説明する言葉には「いかなる困難に遭遇しても屈することなく、最後の成功を目指して不撓不屈、自己の最善を尽くす」と書かれています。伝統校の重みをゆるぎない強さに変え、表町小学校の子どもたちはこれからも挑戦を続けるのでしょう。夏の日の達成感は、こうして次の世代へとリレーされていくのです。

Text&Photos:Chiharu Kawauchi

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