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東京より愛を込めて。東洋一の闘牛ラバーが語る「越後山古志の角突き」の魅力とは

山古志長岡
山古志長岡
2019年 8月 21日 | な!ナガオカ スタッフ

「『ドシーン!』ってね、そりゃもうすごい迫力で。とにかく圧巻なんですよ!」

新宿と渋谷からほど近い人気の住宅街・幡ヶ谷。ここで34年の長きにわたり地元民に愛される精肉店「ミートショップ・グルメナカムラ」には、前沢牛をはじめとする目利きの効いた精肉や手作り惣菜が並ぶ。この店の社長・中村勇士郎さんは、新潟県長岡市の伝統行事「越後山古志の角突き」の筋金入りのファンである。

「越後山古志の牛の角突き」は1000年の歴史があると言われる長岡市山古志地域の伝統行事。直径最大約30メートルの土俵で1トン級の牛が衝突し、勢子(せこ)と言われる人たちが素手で飛び込み、取り組みを収める。

 

趣味も仕事も牛一筋50年!

「闘牛グッズを集めているのを知っている人がプレゼントしてくれたりもして、いつの間にか数が増えましたねぇ」

「小ゾウほどの大きさの牛が全力でぶつかり、ツノでやり合う時は骨粉が舞うほどすさまじい。牛の隆々とした肢体やダイナミックな動きはさることながら、荒ぶる2頭の牛を40人がかりで引き離す勢子(せこ・牛を止める役割を担う人)の度胸と腕前も見ものです」

秘蔵写真や新聞記事を手に、嬉々としながら闘牛の魅力を教えてくれる中村さん。精肉店上階の事務所には、置物、写真、新聞記事のスクラップなど自慢の闘牛コレクションでいっぱいだ。

「自宅も店舗も事務所も闘牛尽くし。車も座席シートに闘牛Tシャツを巻いたり、シールもあちこちに貼ったりして。なんてったって、闘牛場へ行くための車だから(笑)。給料は全部、闘牛場に行っちゃう。牛にやるのが楽しみっていうかね。妻をはじめ、家族は困りながらも付き合ってくれてありがたいです」

東京から山古志までは260キロ近く。車で30分ほどの「小千谷の角突き」とあわせて毎年7回ほど訪れている。時間をつくっては闘牛場へ車を走らせ半世紀以上、仕事も趣味も“どっぷり牛漬け”の中村さんだが、牛への愛は子供の頃から培われていたようだ。

「新潟・柏崎の実家が半分酪農・半分農家を営んでいました。当時は耕運機なんてないのですべて人力。牛の鼻先を持って田んぼをかくのが子供の頃の仕事でした。牛のいる生活が当たり前で、小さい頃から牛が好き。山古志の闘牛も小学生の頃に一度見たことがあります」

高度経済成長期に全国から東京へと集まってきた学生の集団就職の、ほぼ最後の世代。中学を卒業して3日目、ボストンバッグを持った15歳の中村少年は上野駅に降り立った。

「柏崎では1日で3人ぐらいにしか会わないのに、上野駅にはたくさんの人であふれていて、気持ち悪くなっちゃいました(笑)」

大都会で社会人になっても、牛への愛情は冷めなかった。

「精肉業の会社に入り、4,000円(現在の価値に換算すると約48,000円ほど)の初任給で最初に買ったのが牛の置物。働きながらコツコツお金を貯めて、山古志と小千谷の闘牛場に通って、闘牛グッズを集めて、気がつけば今年で72歳です」

「これが初給料で買った初代の置物。ずんぐりむっくりしていかにも闘牛らしくて、すごくカッコイイ」

どうしても闘牛場へ行けない時は、気持ちがウズウズしてたまらないそうだ。

「見に行った試合は全部動画に収めていますから、自宅のテレビで動画を見てなぐさめます。シェリー樽でつけた焼酎『山古志』の水割りで1杯をやりながら闘牛の動画を見る。これはこれで最高なんですよ(笑)」

中村さんお気に入りの粕焼酎『山古志』。「シェリー樽でつけてあるから香りがすごく良い」。弱いので水割り1杯だけ。

 

白黒つけない“引き分けの美学”

岩手、宇和島、沖ノ島、鹿児島、沖縄……闘牛をおこなう市町村は全国に9つ。4年に一度開かれる『全国闘牛サミット協議会』では、全国から集結した牛たちが勝負を繰り広げ“日本一の闘牛”を決める。骨格、ツノ、性格など地方ごとに個性が光って面白いが、「おっとりとした山古志のファイトスタイルが私の性格に合っているみたい」と、中村さんはフニャッと笑う。

「勝敗をつけないのは新潟の闘牛だけ。コテンパンにやり合わないで、『引き分け』で終了するのが一番の特徴です。負けちゃうとそれ以降戦う気が失せるということで、『もうちょっとやれば俺が勝ったのに』という気持ちを両方の牛に残すんです」

山古志の牛は“おっとり”しているからこそ、思いがけない一幕もある。

「せっかく土俵に上がったのに、牛が戦わないこともあります。『お前とはやりたくない』とお互いにそっぽを向いちゃって。そういう時は勢子さんたちが『よした、よした!(頑張った、頑張った)』と牛の横腹を叩いて鼓舞するのですが、全〜然、戦わない(笑)。『それじゃ、ここでやめましょうか』って退場させます。アナウンサーが『今日は気分が乗らないんですね〜』と言ったりして、会場はもう笑いの渦。のんびりとした素朴さもまた魅力なんです」

もちろん、闘いが白熱することもある。研鑽を積んだ勢子長(せこちょう・審判)による、引き分けを見極めるタイミングも観戦の醍醐味だ。

「引き分けにするギリギリのところを見極めて合図を出す。勝負が拮抗して盛り上がり、引き分けた後の拍手喝采はものすごいですよ」

 

牛は家族のような存在

山古志の闘牛は岩手の短角牛がルーツだ。その昔、岩手から新潟へ山越えする際、南部鉄器など重いものが多かったため、運搬手段として牛が使われた。馬と違って牛はスロースピード。連れて戻るには時間がかかりすぎるからと、新潟にそのまま置いていったという説がある。

「山間部では牛は農家の働き手として大きな戦力。その家の主(あるじ)を手伝うので、家族同然に大事に育てるんですね。次第に牛を戦わせるのが娯楽になっていったのでしょう。かわいい牛だから傷をつけない“引き分け文化”ができたのかもしれません」

中村さんのお気に入りは、引退した「レッドブル」という黒い牛。

「ブチ、グレーがかったもの、赤茶など色々いるけれど、真っ黒い牛が精悍(せいかん)に見えますね。黒光りしているとやっぱり強そうで。名前も色々いて、おじいさんや孫の名前をつけている人もいます。現役の最高年齢は15歳の『健康力(けんこうりき)』。人間だと75歳ぐらいですが、横綱級です。山古志と小千谷、それぞれに魅力がありますが、私の見る限りでは小千谷は半纏を着ていてトラディショナルな雰囲気。対して、山古志は横文字のTシャツを着てちょっと今風かな(笑)」

 

闘牛文化は山古志の誇り

新聞記事や写真をスクラップした闘牛ファイルには、勢子や子供たちの写真も収められている。牛の綱を引く若者や子供の誇らしげな表情が印象的だ。

「若い世代も年配の人たちも、皆いい顔をしているでしょう? 物心ついた頃から闘牛文化に触れて育ち、『山古志の角突き』にプライドをかけています。牛の急所は鼻。中に手を入れてぎゅっと掴むと大人しくなるのですが、興奮した大きな牛の間に飛び込み、素手で捕まえ縄をかけて制すのは至難の業。ふっ飛ばされたり下じきになったり、一瞬を取り違えれば大ケガします。だからこそ、勢子たちの度胸や絶妙なタイミングに毎回胸が熱くなる。この素晴らしい文化をこれからもずっと続けてもらいたい。少しでもモチベーションを上げてもらえるようにと、若い方に写真をプレゼントしているんです」

2004年10月の新潟県中越地震で山古志地域は震度6強を観測、甚大な被害を受けた。

「牛舎も倒れ、たった1匹の闘牛だけが残りました。当時、山古志闘牛会の会長だった故・松井浩二さんが牛をヘリコプターで運び、仮設の闘牛場を整備するなど、『山古志闘牛』の再興に尽力されました。今は息子さんが遺志を継がれていますが、山古志の人は辛抱人(しんぼうにん)というか、あきらめない気概が脈々とあるのが素晴らしいと思います」

結果、「山古志の角突き」は震災復興の大きな力となった。

国の重要無形民族文化財にも指定され、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』にも登場する「山古志の角突き」。「いつもアンテナを張っています。地元の新聞に載った時は、柏崎の親戚が切り抜きを菜っ葉などと一緒に送ってくれてね」

 

闘牛の向こうに人間ドラマがある

種苧原(たねすはら)、竹沢、虫亀、池谷など、山古志地方には闘牛場が点在していたが、現在はそのほとんどが閉鎖。だが、観覧席を配した『山古志闘牛場』では、今も闘牛大会を見物できる。

「山古志の人たちは素朴でね、闘牛場で隣に座っただけで『お前さん、どっから来たんだ?』と気さくに声をかけ、『ああ東京からか、すごいところからよく来たねぇ』と歓迎してくれる。またある時は、『ここぞと力が入ると牛の尻尾がピューッと平らに上向くんだ』『金玉が大きい方が強いぞ』とか色々教えてもらいました。夫の亡き後、『平畑』という牛を世話している山古志のおばあさんがおられるのですが、闘い終わった牛は彼女の言うことだけ聞くんです。大きな牛をおばあさんが引っ張って帰るシーンはなかなかイイもので、荒ぶる戦う姿とほのぼのとした姿のギャップがたまらない。『ホトケさんに何か買ってあげて』とご祝儀を渡すと、すごく喜んでくれて。温かなシーンにたくさん出会えるのも大きな喜びです」

また、「闘牛好きは元気!」とも。

「闘牛好きな人は80代、90代でもとてもお元気。『自分もいずれこうなりたい』と思うようなイイお年寄りが地域にはたくさんおられます。酒豪も多いですしね(笑)」

 

心寄り添う瞬間が魅力的、と話す中村さんもまたイイ表情。2017年に発足した「山古志角突き女子部」の応援も楽しみに増えたそう。

「部長の森山明子さんを筆頭に、牛持ちの女性メンバーがよく頑張っておられます。皆で応援しよう! という機運が高まっていて、私も微力ながら応援しています」

な!ナガオカ参考記事:女性も土俵へ!1000年の伝統を守り時代を見つめる、山古志「牛の角突き」の現在地

 

お楽しみは闘牛以外にも

「山古志地域は環境も空気も自然も食べ物も人もイイ」と中村さんは熱烈ラブコール。土地の魅力はさりながら、闘牛場には山古志牛を使った串、カレー、焼きそばなどのご当地観戦フードも充実。

「5月の大型連休は1粒で二度おいしいんですよ。山古志と小千谷の日程が重なるのは年に一度だけですが、一晩泊まれば2つの地域の闘牛を見られます。宿もたくさんあるのですが、私は女房と山古志に近い蓬平(よもぎひら)にある『花の宿 よもやま館』によく泊まります。すごくきれいな温泉でねぇ。蓬平には温泉がいくつかあるので湯めぐりもイイでしょう。あとは、8月の長岡花火大会のシーズンもオススメ。昼は闘牛、夜は花火を楽しんで、山古志牛を食べて温泉に浸かって。酒どころですから飲み比べもアリ。楽しみが色々あるから、闘牛のオーナーになって足しげく通う女性やご夫婦も大勢いらっしゃいますよ」

 

夢は闘牛ミュージアムをつくること

今、中村さんの闘牛愛は一つの夢へと育ちつつある。

「闘牛グッズを集めて半世紀あまりが経ちました。妻が丑年だから集めている……なんて言ったら、『何を言ってるのよ、モウ調子に乗っちゃって!』と怒られちゃうかな(笑)。闘牛ファンたるものグッズはやはり“対”が欲しいので、相棒を探すのも楽しみの一つ。先日、結婚したての頃に横浜の古道具屋さんで求めた闘牛の置物と同じ名前の相棒と、40年ぶりに合えたんです。ようやく2匹を向かい合わせられた! とうれしかったです。自宅、店、事務所とあちこちに飾っているコレクションを、近い将来、一か所に集めたいと思っています。いつか車を運転して山古志へ行けなくなっても、“マイ闘牛ミュージアム”があればさみしくないし、老後の大きな楽しみになりますから」

 

闘牛を語りながら笑顔がこぼれる中村さん。闘牛&山古志への愛がひしひしと。

陶器、金属、木、ガラスなど、さまざまな闘牛の置物がズラリ

中村さんのご自宅にあるコレクションの一部。

遠く離れた東京から、山古志の牛と人を見つめる温かなまなざし。中村さんの闘牛愛はこれからも燃え続ける。

 

Text: Ryoko Morimoto
Photos: Akane Imoto

 

《越後山古志の闘牛大会》

[2019年今後の開催日程]9/15(日)、9/22(日)、10/13(日)、10/23(水)、11/3(日)

[会場]山古志闘牛場
[開場]10:00 [開始]13:00(雨天決行)
[料金]お一人様2,000円(高校生以上)

※全国のコンビニエンスストアーでチケットが購入出来ます。
山古志闘牛会 TEL:0258-59-3933
山古志観光協会 TEL:0258-59-2343

※レジャー用シートなど、座席代わりになる敷物を持参のうえ見学を。

ミートショップ・グルメナカムラ
[住所]東京都渋谷区幡ヶ谷3-2-8
[電話]03-3378-8077
[営業時間]8:00〜20:00 第1・3水曜定休
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