パンひとすじ35年、孤高のマイスターが作りあげた名店「ブレッドアース」の物語

2018.11.21

総務省が実施している家計調査によると、米とパンにかける支出金額は2010年に逆転し、以来ずっとパンがリードしている。日本人の食文化もパンのトレンドも劇的に変化する中、ここ10年ほどで米粉を使ったパンも定着してきた。米どころとして名高い新潟県長岡市にも、米粉を取り入れたパンが評判のベーカリーがある。⽶⾷が基本の新潟で愛されている“おいしいパン屋”「BREAD AESiR(ブレッドアース)」の物語をお届けしたい。

 

「おいしいパン屋」が運営する
「おいしいパンの店」

長岡のベーカリーとして真っ先に名前が挙がるのが「BREAD AESiR(ブレッドアース)」だろう。この店を運営するのが、その名も株式会社「おいしいパン屋」という会社。その代表取締役で、パン職人として35年のキャリアを持つ安部義光さんを訪ねた。

長岡市千手にあるブレッドアース。目を引く外観で、ひっそりした界隈のランドマークになっている。

朝7時の開店と共に常連さんたちが引きも切らず訪れ、午後には品薄になることもある人気店・ブレッドアースはこの11月に5周年を迎える。オープン当初はどんな様子だったのだろう。

「融資してくれた銀⾏さんに『この道は⾞も⼈もあまり通らないから、よくない⽴地ですよ』と⾔われて、どうなるかと⼼配していたのですが、予想以上にたくさんのお客さんが来てくださったんですよ。社名は『おいしいパン屋』。普通はこんな名前つけませんよね、恥ずかしくて(笑)。直球ですが『おいしいパンを作ろう』といつも⾃分に⾔い聞かせています。社名に恥じないようにしなくてはね。プレッシャーを与えておかないと何にもやりませんから」(安部さん)

福島県の会津で⽣まれ育ち、高校を卒業して18歳で上京した安部さん。いつからパン職人になりたいと思っていたのだろうか。

「いや、特にパン職人になろうとは考えていませんでした。高卒の自分を雇ってくれるところなら、仕事は何でもいいと思っていて。たまたま採用してくれた神戸屋レストランに就職し、パン作りの修業をすることになりました」(安部さん)

気になる店名とフクロウが目印。「AESiR」とは何か? その答は本文の中に。

「パンの仕事が⾯⽩いと思い始めたのは25歳くらい。パンを⾃分で作れるようになり、少しずつ上⼿くなってきて。自分で⽬標を立てて達成して、また目標を立てて……。それを繰り返しているうちに⾯⽩みが出てきたんですね。気付けばチームリーダーになり、すべてを⾒る責任者になっていて。東京では18歳から35歳までの17年間を過ごしました」(安部さん)

福島県出身の安部さんが、なぜ長岡で出店することになったのだろう。

「いつか自分の店を出したいと思っていましたが、貯金がまったくなくて。長岡に来たのは18年前、2000年のことです。長岡の友人から『一緒にパン屋をやらないか』と誘われ、縁もゆかりもないこの町にやってきました」(安部さん)

BREAD AESiR(ブレッドアース)オーナーの安部義光さん。

 

パンの風味を生かす米粉とは?

製粉機メーカーと試行錯誤を経て

手を抜くことが大嫌いという安部さんは、もっとおいしいパンを作ろうと長岡でも引き続き精進していた。小麦粉を熱湯でこね、アルファ化(糊化)した湯種を生地に混ぜてもっちり感を出す「湯種(ゆだね)法」で作ってきたが、長岡で10年以上が経過し、安部さんのパン作りに転機が訪れる。

「長岡市内にある製粉機メーカーの社長がよく店に来ていて、私の仕事ぶりを見てくれていました。そのころ米粉パンがブームになっていたのですが、その社長さんが自社の機械で様々な種類の米粉を作って持ってきて、『どういう米粉がいいのか、パンを作ってテストしてみてほしい』と。粒子が粗すぎてもダメ、細かすぎてもダメ。いろいろと実験して調整してもらって、これだというものを見つけました。そのメーカーは米粉をアルファ化する機械を開発して、それは世界初のものでよく売れているそうですが、 湯種では気泡ができてしまうという問題がアルファ化された米粉で解決されたんです。米の風味が出ずにパンの風味が生きた、おいしいパンが出来上がりました」(安部さん)

そろそろ独立をと思っていたタイミングで製粉機メーカーと作り上げた米粉に出会い、安部さんは背中を押されたという。

「材料を扱う業者さんから『独⽴するなら、この場所を使いませんか』と声をかけてもらいました。製粉機メーカーの社⻑さんと息子さんも応援してくれたし、相変わらず貯⾦はなかったけど、ようやく⾃分の店を持てるチャンスだと。仕事関係以外にネットワークのない長岡で、ただコツコツと真⾯⽬にパンを作り続けていただけですが、たくさんの⼈が相談に乗ってくれて、私を助けてくれました」(安部さん)

そして2013年の冬、念願の店・ブレッドアースをオープン。⽴地の悪さを物ともしない盛況なスタートを切った。

35年にわたり生地をこね、パンを作り続けてきた手。若いころはバターやオリーブオイルで油アレルギーにもなったが、いまではすっかり落ち着いたそうだ。

 

店名の「AESiR」とフクロウに込めた願い

気になる店名についても聞いてみた。地球のアースとはスペルが違うが、どういう意味なのだろう。

「AESiRは『アース』と読みますが、地球ではなく、大地の神を含めた北欧神話の神々の総称です。⻑岡の地元の素材を積極的に使っていこうと。マスコットのフクロウは『福をもたらす』、お客さんに福が訪れて、みなさんを幸せにしたいという願いを込めています。『これってなんだろう?』というのがポイントですね。単純だと忘れられてしまいますから(笑)」(安部さん)

午後になると売り切れて棚がガランとすることもあるので、来店は午前中がおすすめ。電話で取り置きもしてくれる。

午前7時、店内に焼き上がったパンの香りが立ち込め、棚にぎっしりとパンが並ぶ。この状態で朝いちばんのお客さんを迎えるには、いったい何時から作り始めるのだろう。

「2時30分起床、3時30分に出勤して4時から作り始めます。7時には焼きたてのパンを並べて、来てくれたお客さんをがっかりさせないようにしないと。でも、少しするとなくなってしまって結局がっかりさせてしまう……。特に週末は品切れで閉めるのが早いのですが、平日でも午後4時くらいになくなってしまうこともあります。暑くても寒くても大雪でも、毎日来てくれるお客さんたちのために手は抜けません」(安部さん)

安部さんの仕事は午後3時くらいに終わり、店を6時に閉めて売り上げを計算して帰宅。9時に就寝。「寝不足にはもう慣れました」と安部さんは笑う。

ストイックにパンの道を歩んできた安部さん。「完全にアウェーな中、ハングリーにやってきました」

 

こだわりは「オーバーナイト製法」
そして5%の地元産の米粉

ブレッドアースでは、こねた生地をひと晩寝かせる「オーバーナイト製法」を採用している。

「じっくりゆっくり低温熟成させることで生地に甘みが出ます。それがうちのこだわりのひとつ。熟成させる機械を導入して、やっと朝4時スタートで間に合うようになったんです。それがないと、もっと早く来ないといけない。2時間は違いますね」(安部さん)

もうひとつのこだわりが米粉だ。全商品の約9割に使用しているという米粉は長岡市の栃尾地域産。95%の小麦粉に5%の米粉を混ぜて使うと、風味がまったく違うものになると安部さんは語る。

そんなブレッドアースのこだわりが詰まった定番商品を紹介しよう。

いちばん人気の「ザルツバター」140円。4年熟成の外国産の塩を使用しているそうだが、メーカーは秘密。つぶあんが入った「ザルツあんバター」180円はおやつにぴったり。

左「クロワッサン」190円。右「チョコクロワッサン」230円。小麦粉やバターは銘柄を固定せず、いいものが出ると積極的にどんどん代えていくという。

「牛すじカレーパン」200円。中に入った牛すじカレーは自家製。料理も安部さんが担当している。

「クランベリーとクリームチーズのフランスパン」280円。⽢酸っぱいフルーツの⾵味がアクセントに。

ブレッドアースでは定番商品のほかに、毎月3〜4点の新作が登場する。夏は枝豆やナス、ブルーベリー、秋はきのこやサツマイモなど季節ごとの長岡野菜・果実をふんだんに使用。

「シュトーレンなどがあるクリスマスシーズンを除き、定期的に新商品を出すように心がけています。毎月フリーペーパーに情報を掲載するので、それに合わせて。そんなペースで新商品を出す店は少ないかもしれないけど、ほかでやってないことをやらないといけない。常にそう思っています」(安部さん)

今月の新作は「グリュイエールチーズとソーセージのフルート」と「りんごのデニッシュ」。安部さんが「うちのがいちばんおいしい」と胸を張る「シュトーレン」は、最高級バターと国産小麦に合わせたナッツとドライフルーツが香ばしく、しっとりした芳醇な味わい。ぜひ試してほしい。

左奥が「グリュイエールチーズとソーセージのフルート」260円、手前が「りんごのデニッシュ」300円。

クリスマスシーズンにぴったりの「シュトーレン」は3種類から選べる箱入り2300円(箱なし2200円)。

 

休日はドライブでベーカリーめぐり

ブレッドアースは月曜定休。週に一度の貴重な休日、安部さんは何をして過ごしているのだろう。

「家にはいませんね。近隣の県とか関東とか、遠出してパンを食べに行きます。リサーチして、次はここに行ってみようといつも考えていますが、それに付き合う妻も大変です(笑)。こういうことを繰り返しながら、次は何を作ろうかというアイデアが生まれるし、ほかの店のパンを自分の舌で味わってセンスを磨いています。長岡市内のパン屋さんには行きません。同じものを作っても仕方ない。長岡にないものを作りたいから」(安部さん)

「パンは生き物。生地作りはイースト菌で息を吹き込み、育てることだから。愛情を込めれば美味しいパンになる、まるで子育てのようです」

店の2階はイートイン。パンを買って、その場で食べられるカフェスペースになっている。「パンの味がよくわかるから、できるだけ出来たてを食べてほしいと思い、このスペースを作りました。備えつけのトースターで温めると、もっとおいしくなりますよ」と安部さん。

2階のイートイン。ランチタイムは子連れのお客さんで賑わう。

「もっともっとお客さんに喜んでもらいたいし、お客さんと同様、スタッフも大事に思っています。シフト制で現在スタッフは15⼈。社員は2人。若い人たちもいれば年配の主婦の人たちもいて、みんな楽しく仕事をしてくれていますよ」(安部さん)

月に2回、長岡駅の近くでブレッドアースのパンが買える機会がある。長岡市役所が入った「アオーレ長岡」の広場「ナカドマ」で開催されている、地元名品の直売イベント「ばくばくマルシェ」だ。おいしいものを求める人たちの笑顔あふれるマルシェで、ブレッドアースのブースはどこよりも賑わう。

「ばくばくマルシェ」のブレッドアースのブース。子供からお年寄りまで、たくさんの人がやってくる。

ブレッドアースがオープンする前から安部さんを⽀えるスタッフ、中野さんは⾔う。「大変だけど楽しい仕事です。マルシェの日は朝から大忙しで、オーナーたちはいつもより1時間早くパンを作り始めてみんなで準備します。ここでブレッドアースのパンに出合い、お店まで来てくれる人も。新作のパンは私たちスタッフがアイデアを出すこともありますし、お客さんから『こんなの作ってほしい』というリクエストをもらうこともあるんですよ」

今春、長岡駅から徒歩5分ほどの場所に移転した人気カフェ、GOOD LUCK COFFEEではブレッドアースのプレーンドーナツを淹れたてのコーヒーと一緒に楽しめる。

GOOD LUCK COFFEEについては、下記の記事もご一読を。

コーヒーを通じて若者に夢を! GOOD LUCK COFFEEが目指す理想のカフェの姿

「良いものはいち早く取り入れよう、ほかがやっていないことをやってみよう」という、安部さんのパイオニア精神が垣間見えるのはパンだけではない。安部さんが東京のベーカリーで見て気に入り、今年6月に導入した「セルフ会計」システム。スタッフがお金に触れないという衛生面への配慮と作業の効率化を目指したもので、パンのデータをカメラで読み取り、認識して価格を表示するレジは新潟では初めてだそう。

「セルフ会計は衛生的で効率的」とお客さんからも概ね好評のようだ。「使い方は簡単です。ご説明しますので安心してくださいね」とスタッフの大渕さん。

安部さんは笑顔で語る。「パンの仕事は長時間勤務で重労働だけど、私はこれしかできないし、ほかを知らないんでね(笑)。長岡ではよそ者で、言ってみれば移民。だから何でも挑戦してみます。いつでもチャレンジ。チャンスは必ず訪れるから、それをすぐ掴めるようにしたいですね」

「恥ずかしいから早くして〜」と言いつつ、笑ってくれた安部さん。実直にパン作りひとすじに取り組んできた、その真摯な気持ちが取材でひしひしと伝わった。

 

Text: Akiko Matsumaru
Photos: Hirokuni Iketo, Akiko Matsumaru

 

BREAD AESiR(ブレッド アース)
[住所]新潟県長岡市千手3-3-26
[電話]0258-86-8550
[営業時間]7:00〜18:00(イートインは16:00まで、パンがなくなり次第閉店)月曜定休、不定休あり
[URL]https://www.facebook.com/pages/category/Wholesale-Bakery/BREAD-AESiRブレッド-アース-1466184113665073/
※11月24日(土)・25日(日)に「5周年感謝祭」を開催。会計が8%オフになります。

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