お正月だけじゃない!切り餅を現代の食卓に届ける「越後製菓」のこだわりに迫る

2019/4/26

全国屈指の米どころ、新潟県長岡市に本社を置き、今年創業62年を迎える「越後製菓」。あられ・おせんべいなどの米菓、電子レンジで炊きたてが味わえるパックごはん、そして、鏡餅・切り餅・丸餅などバリエーション豊富なお餅を生産し、“鏡餅の業界シェア1位”を誇るメーカーです。
営業所は全国各地に14ヶ所と幅広いネットワークを持つ同社ですが、工場は新潟県内を中心に9ヶ所と、鏡餅シーズンだけ稼働する季節工場が4ヶ所。水よし、空気よしの豊かな環境で作られるお餅の秘密を探りに、長岡市に隣接する小千谷市の高梨工場を訪ねました。

 

乾麺から米菓への歴史的転換!
ボーナス代わりに配った餅が看板商品に

越後製菓の歴史は、意外にも「そば」から始まりました。
1946年、小千谷市出身の山﨑正さんが地元の特産品「小千谷そば」に注目し、そばを作って長岡市の会社や官公庁に販売を始め、翌年に現在の本社がある長岡市呉服町に工場を建設したのが始まり。1951年に合資会社山﨑製麺所を設立して乾麺製造に乗り出したものの、雪国での製造は不適と判断して断念。そこで、生麺の製造を主体に新たに米菓の製造を開始し、1957年に越後製菓株式会社が誕生しました。

現在の看板商品であるお餅が発売されたのも、これまた意外ないきさつから。
1962年に火災で米菓工場を焼失しましたが、その後も米菓製造は継続し、1964年に当時としては近代的な製麺工場を建設。しかし、暮れのボーナスが支払えず社員にお餅を配ったことがあったのだとか。「その餅を換金してほしい」という要望が強く、東京のデパートで切り餅の販売を始めた、これが餅部門誕生の経緯だそうです。

本社工場で麺の傍らお餅を作ってきましたが、次第に手狭になり、小千谷市高梨町に1万㎡の用地を得て専用の高梨工場が誕生したのは1973年。ここから本格的にお餅の生産がスタートしました。

180人ほどが働いている高梨工場入り口。お餅の原料となる炊きたての「おこわ」の芳香がフワ〜ッと漂っています。

今回お話を伺ったのは、工場長の小林正義さんと営業管理部課長の山谷浩隆さん。小林さんは入社40年、山谷さんは34年という、越後製菓の商品開発の歴史を知り尽くしたベテランのおふたりです。

左から営業管理部課長の山谷浩隆さん、工場長の小林正義さん。

 

「社員が知識や技術を持つことが大事」
地元の大学院で微生物を究めた工場長

現在は1個ずつパックになった個包装のお餅が主流ですが、かつてはどこの家庭でも、お米屋さんが作った大きくて平たい「のし餅」を買い、家で切り分けていました。40代以上なら覚えている人も多いでしょう。このお餅は時間が経つと硬くなり、カビが生えるのがネックでしたが、1971年に真空包装機を自社開発して包装餅を、78年に業界初の脱酸素剤入り生切り餅を発売したのが越後製菓でした。

「昔は大家族の時代でしたが、核家族化が進み、それに合わせて個包装になっていったんですよ」(山谷さん)

「昔のお餅はカビが生えるのが当たり前。少しずつ開発を重ね、いまでは2年も日持ちしますから、非常食にもいいですよね」(小林さん)

「お餅」とひと口に言っても、素材や形、用途などバリエーション豊かな商品群。

小林さんは地元の長岡工業高等専門学校で化学を学び、卒業後に越後製菓に入社。その20年後、社員教育の一環で長岡技術科学大学(以下、技大)大学院に進学しました。

「仕事が終わってからの夕方と週末を中心に通って、酵母や乳酸菌など発酵や微生物の研究をしました。お餅は微生物のコントロールがとても大事で、すぐカビが生えるので、2年持たせるには微生物を排除しないと。社員が知識や技術を持つことが大事という会社の考えがあり、順番に大学に通わせてもらって、勤務しながら博士号を取得した社員は私を含めて7人います」(小林さん)

工場長で取締役、工学博士の小林さんは油絵を描いて長岡市展にも出品するという多才な人。

「現場で仕事をしてから大学に行かせてもらったので新しい発見があり、楽しかったですねぇ。独学で本を読むことはできても、遺伝子操作などの実験はやれませんから。学士から博士課程まで10年かけて修了しました。その後も分析してもらったり、共同研究をしたり、技大とはずっとお付き合いがあります。

会長も社長も、技術者で理系なんです。新しいことをやっていくためには理論もわかっていないと難しいし、社員が学ぶことで初めて会社の技術が維持できます。働きながら学ぶなんてなかなかできないことですから、ありがたいですね」(小林さん)

 

おいしいお餅はどう作られている?
工場長と一緒に工場見学へ

そしていよいよ、小林さんの案内で工場の製造ラインを見学!解説を聞きながら場内を巡ります。

「お餅といえば“コシ”、すなわち弾力性と“アシ”、すなわちよくのびるという特徴。お米の白さ、おこわの香り、保存性の高さ。うちではお餅をつくのに合わせて自社の精米工場で精米しているんです。精米するとそこから酸化が始まるので、それが進まないうちにお餅にします。挽きたてのコーヒーがおいしいのと同じ。酸素との闘いですね」(小林さん)

「お餅メーカーもたくさんありますが、おそらく自社で精米しているのは弊社だけではないかなと思います」と山谷さんも自信を覗かせます。

小林さんが解説しながら案内してくれました。「工程自体は実に簡単。お米を蒸して餅ついて包装するだけ、なんですけどね(笑)」

シンプルな工程ながら、いかに手をかけ、日本古来の杵つき餅を機械で再現するか。パネルからも越後製菓のこだわりが伺えます。

「もち米を1粒ずつ色彩選別機にかけて異物を取り除き、洗って水につける。水は信濃川の伏流水です。水温が低いほうがおいしいごはんができますが、餅も同じ。そして、100度の蒸気で30分蒸し上げるとおこわ、蒸し米になります。これを8kgずつ計量して粗くつぶしてから臼に入れ、杵で約100回ついてお餅にします」(小林さん)

「おいしいお餅はおいしい蒸し米作りから」と蒸し器の説明をする小林さん。

「昔ながらの釜とせいろでおこわを作るのと同じ原理の機械で蒸し米を作ります。つぶが残っているとおはぎ、つきすぎても『ういろう』みたいな食感になってしまうので、そのバランス、黄金比率が大事ですね」(小林さん)

日本の家庭で使われてきた「せいろ」と同じ原理の蒸し機とは驚きました。基本に忠実に、そこに試行錯誤による調整と改良を積み重ねてきた、地道な努力の日々が想像できます。

 

オリジナリティのために機械も自作!
メンテナンスも社員の手で行う徹底ぶり

一連の工程の中で、見ていて楽しかったのが餅つき機。ぐるっと円を描いて連なる臼に8kgずつ投入された蒸し米を、中央からタコの足のように伸びたアームで操作する杵でペッタンペッタンとついていきます。それは、よく目にする餅つきの風景そのもの。

ペッタンペッタンとひたすら餅つきに励むこの機械。なんと会長と社長の設計で越後製菓オリジナルだそうです。

この機械の働きぶりを、ぜひ動画でご覧ください。

「『人が餅をつくのと同じ原理の機械を作りたかった』と会長が言っていました。40年前、私がこの機械の下に潜って溶接したんです。以来ずっと変わらず餅をついていますが、なかなか壊れないし、壊れても自作だから自分たちで直せます。その辺の技術や知識を維持していけるかどうかは社員のレベルで決まるので、やはり教育は大事ですね」(小林さん)

「他社と同じ機械だと同じものしか作れませんから、オリジナリティのあるものを作りたいと思ったら、機械から自作しないと。天井から臼の上に落下するものがないように設計して配置しているので、中越地震のときも2週間で復旧したんですよ」(山谷さん)

餅つきが終わったら、次はペタンと挟んで薄く伸して冷やす工程へ。

「15mmくらいの厚さにしてマイナス10度で一気に冷やします。この急速冷却が重要。つきたてはデンプンと水が上手に絡まって柔らかくなっていて、早く冷やすとこの状態で固まる。家庭で熱を加えただけで、つきたてが再現できるんです。ゆっくり冷やした場合は、でんぷんが結晶化して、料理するときに柔らかくならない。煮ると湯どけするし、焼くと生焼けになっておいしくないのです。

一気に10度以下まで冷やしたら冷蔵庫に移して丸2日。餅が固まったら縦横に切り、四角い切り餅に。のし餅1枚で、約50gの餅が160個作れます」(小林さん)

お餅を伸す工程。この「のし餅」から160個のお餅が出来上がります。

 

包装の歴史は「酸素との闘い」の歴史

そして、出来上がったお餅は包装の工程へ。
パッケージこそ、お餅の賞味期限を決定づける要素です。先述したように、酸素はお米の大敵。それだけに「いかに酸化を避けるか」を考え抜き、長い年月をかけて改良に改良を重ね、進化を遂げてきました。

「1973年に本格的に生産開始した最初の餅は表面だけ熱殺菌したもので、日持ちは4ヶ月でしたが、当時市場に流通していたレトルト殺菌餅より、はるかにおいしいと評判になりました。1979年に、切ったお餅を生のまま入れて熱を加えない『田舎もち』を発売。当社が化学メーカーと共同研究して世界で初めて実用化した脱酸素剤を外袋に入れて、日持ちは半年になりました。9月・10月に作った餅がおいしいままお正月まで十分持つということで、全国的に広まったんです」(小林さん)

そして、1984年に無菌化個包装餅「越後生一番」シリーズを発売。いまなお愛されている主力商品が誕生しました。

発売以来のロングセラー、越後製菓の看板商品「越後生一番」の切り餅。

「個包装して外袋に脱酸素剤を入れましたが、外袋を開けると、外袋に酸素が入ってしまうのがネックでした。2011年に個包装の1つずつに脱酸素剤を入れ、2015年には外袋と個包装に脱酸素材を入れるダブルバリア包装で日持ちが2年になりました」(小林さん)

個包装されたお餅が流れるライン。カメラで撮影して品質管理をしています。

「個包装に賞味期限を印字してカメラで裏表を検査し、エックス線で練り込みの異物もチェック。なにかあったら1個ずつトレースできるようにしています」(小林さん)

「昔ながらの製法で、いかにおいしいままお客さんに届けられるか、その研究開発に終わりはありません」と小林さん。

 

お餅はお正月だけのものじゃない!
毎日の献立に取り入れてみよう

かつてはお正月の食べ物だったお餅ですが、いまでは朝ごはんに食べる人もいればおやつに食べる人もいる時代。越後製菓は、そんなライフスタイルの変化を敏感にキャッチして細やかな対応をしてきました。そのひとつが2005年に「越後生一番」に採用された「ふっくらカット」。

「昔は火鉢やコンロで下から炙っていて、上にプクッと膨らんでいましたが、現在の主流はオーブントースターです。上下に火があると両脇から膨らんでしまいます。そこで、横に切り込みを入れることで上下に膨らみ、きれいに焼き上がるよう改良しました」(小林さん)

うっすらと横に入った切り込みが見えますか?

切り込みがパカッと開いて上下に膨らみます。

「お餅は手間がかかると思っている人もいるかもしれませんが、パンと同じくらい気軽。ただ焼いて食べるだけです。ぜひ日常的に食べていただきたいですね」(山谷さん)

「だけど、焼いて海苔を巻くか、お雑煮くらいしか作ったことないな」という人も多いかも。越後製菓の公式サイトにはたくさんのアイデアレシピが載っているので、ぜひチェックを。

越後製菓の会議室にも「お餅メニュー」が。

レシピはどれもおいしそうで、和洋中、様々な料理に使えそう!
ということで、いくつか作ってみました。使ったお餅は定番の「越後生一番」切り餅に加え、「鍋一番」「スライスもち」、そして越後製菓製の餃子の皮も。

使い勝手のいい一口サイズの丸いお餅「鍋一番」と2mmにスライスされた「スライスもち」

さすが越後製菓と感動必至のモチモチ感!他社製品とはちょっと違う「餃子の皮」

オリーブオイルにカットした切り餅とエビを入れた「おもちとエビのアヒージョ」

餃子の皮の上にスライスもち、海苔、チーズを乗せて焼いた「花のおもちピザ」

カットした切り餅を使ったボリュームたっぷりメニュー「もちと豚肉の甘辛炒め」

やってみたかった「おもちのチーズフォンデュ」は「鍋一番」で、これは自己流。

煮てよし、焼いてよし、炒めてよし。子供も大人も大好きなお餅。日々の献立に加えたいレシピを試しつつ、いつものメニューにもぜひ取り入れてみてください。

そして、お餅づくしのデザートにはこちらも。もっと手軽にお餅のおいしさを味わってほしいと開発した「あんこ餅」「きなこ餅」。お湯を注いで3分で食べられる、2018年秋に発売された話題の商品です。

小腹が空いたら気軽に食べたい!「きなこ餅」と「あんこ餅」

さて、お餅を極めた感のある越後製菓ですが、これからの課題について聞いてみました。

「いやぁ、課題はまだまだありますよ。例えば焼き餅に最適な餅、お雑煮に最適な餅など、調理法ごとに商品を開発するとか、そこまでやれたらいいですね」(山谷さん)

「好みに応じてお餅のバリエーションを増やすこと。チンすれば食べられるお雑煮とか、もしニーズがあれば作りたいし、個包装で日持ちは実現しましたが、その一方で環境のために包装を減らせないかなとも思うんですよね。エコ問題も同時に考えていきたいです」(小林さん)

お餅という日本古来の食文化を維持すると同時に、そのおいしさと豊かな用途を伝えることで現代の生活に受け入れられるものにし、次世代へと繋いでいくために、越後製菓の日々の努力はこれからも続きます。

高橋英樹さん&真麻さん親子が共演する「正解は越後製菓!」のCMも話題。
おいしいレシピや楽しい情報満載の公式サイトもぜひチェックして!

 

Text: Akiko Matsumaru
Photos: Hirokuni Iketo, Akiko Matsumaru

 

●Information
越後製菓株式会社
[住所]新潟県長岡市呉服町1-4-5
[電話]0258-32-2358(代表)
[URL]https://www.echigoseika.co.jp

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