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料理家・坂田阿希子さんが長岡で語る「思い出の味」と「本当のおいしさ」のこと

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2019年 8月 20日 | な!ナガオカ スタッフ

料理家として数多くのレシピ本を世に送り出し、テレビや雑誌でも活躍中の人気料理家、坂田阿希子さん。坂田さんの本はデザインや写真の美しさもさることながら、本格的な味を家庭でも再現できるようにと心配りされた、丁寧でわかりやすい解説が魅力です。その料理のビジュアル、味を追求する姿勢には一徹な職人魂を感じる一方、テレビなどで語る姿はにこやかで気さくな雰囲気。そんな坂田さんは、実は新潟県長岡市にゆかりのある方なのだとか。坂田さんは長岡にどんな味の思い出をお持ちなのかお聞きしたくなり、5月1日に長岡市で行われたトークショーのあとに、坂田さんにインタビューさせていただきました。

 

しょうゆ赤飯に三角ちまき……「祖母の味」は長岡に

――はじめまして。今日は坂田さんに長岡の思い出の味について、お聞きしたいと思っています。よろしくお願いします。ご出身は、長岡市のお隣の見附市とうかがいました。

「そうなんです。長岡にはおいしいお店があって、子どものころからずっと、よく家族で食事に出かける町だったんです。高校時代は長岡市の高校に通学していたので、その当時好きで通っていたお店などもたくさんありますよ」

――そうなんですか! どんなお店に行かれていたのかすぐにでもお聞きしたいところですが、まずは幼少期の味の思い出からお聞きしたいと思います。以前、ある雑誌で『新潟の実家のおばあさまが小豆を煮てあんこを作って笹団子などを作ってくれた』という話をされていらっしゃったのを読ませていただきました。おばあさまの思い出の味についてお聞きしたいのですが。

「我が家では、赤飯とか、ちまきとか、笹団子やのっぺなど、昔から受け継がれる味は祖母が作っていて、日常の食事や洋食などは母が作っていましたね。祖母の味の思い出といえば、まずは季節ごとに作ってくれるお赤飯ですね。東京のお赤飯は、ささげを使ってピンク色に仕上げる赤飯ですが、小さいときから食べていたお赤飯は、長岡で食べられているような、しょうゆ味の茶色いお赤飯でした。それをうちの祖母が、春にはたけのこ、夏には枝豆を入れたしょうゆ赤飯を季節ごとに大量に炊いて、近所の人に配ったりしていたんです。その赤飯を炊いた時は、朝ごはんもおやつも赤飯と、数日そんな感じで食べているんですよ。今になってみると本当に懐かしいし、おいしかったと思います。以前、『大人気料理家50人のニッポンのおかずBest500』(主婦の友社 2012年刊)という50人の料理家が自分の一番思い出の味を紹介する本で、私は母に聞いた祖母のレシピで、枝豆入りのしょうゆ赤飯を紹介したんですよ」

「赤飯なのに赤くない!? 長岡名物「しょうゆ赤飯」の謎」

「あと、祖母の味といえば、5月ごろに作る三角形のちまきを思い出します。ちまきを包む工程は小さいときからずっと見ていました。最後は大きな鍋でゆであげて、きなことお砂糖を混ぜたものをつけて……」

――東京では、あの正三角形のちまきは売ってないですよね。

「ないです、ないです。でもやっぱり、その時期は朝ごはんにもおやつにもちまきを食べていましたね。祖母はそういう昔からの味をずっとずっと続けて作ってくれていたなって」

新潟県の三角ちまき。ちまきは地域によって形や中身が異なり、細長い形で中身に甘味をつけたタイプのちまきも知られているが、新潟のちまきといえばこの形。

 

『フロリダ・キッチン』と母の手作り洋食

「私自身も、うちの一家も、みんな洋食が好きなんですけれど、すごくクラシックな洋食屋さんが昔は長岡にもとてもたくさんあって。その中でも特別好きなお店があったんです」

――なんというお店ですか?

「『フロリダ・キッチン』です。かつて長岡市坂之上にあった『フロリダ』には、昔から家族で通っていて、思い入れが深く、それこそ、本当にひと月に二回か三回は行っていました。私が東京に行ってからも帰省したときは必ず行っていましたし、例えば何かに合格したからじゃあお祝いに行こうかとか、日曜日に『今日フロリダ行こう』みたいに、家族みんなその店での食事を楽しみに行っていたんです。なので、ある意味私の一番の思い出の味わいは『フロリダ』にあるというか、あの丁寧な味の作り方は自分の中でリスペクトもしているし、自分の味のルーツにつながっているところもあります。

その『フロリダ』の味を、母がよく家で試行錯誤して真似して作ってくれていたんです。私は『フロリダ』では、カニクリームコロッケとか鶏肉の料理が好みだったんですけれど、父と姉は豚肉が好みだったので、母も父が好きな豚肉料理をよく再現してくれていました。なかでも「ポークトマト煮」という、トマトソースで豚肉を煮込む料理が印象に残っています。ほかに坂田家ではグラタンなどもよく登場しました。母のグラタンは今でも私の好物のひとつです。おいしいんです」

――「ポークトマト煮」は以前、NHKの「きょうの料理」で紹介されていましたよね。

➢坂田さんが紹介されたレシピはこちら

「そうなんです! すごく丁寧な家庭の昭和の味という感じで。家族の思い出の味といえば、『フロリダ・キッチン』の味であり、また母が作ってくれた洋食の味だったりします」

坂田阿希子さんの「洋食教本」には誰もが好きな洋食のメニューが100点掲載。『フロリダ・キッチン』の味がルーツと語る坂田さんの洋食愛が隅々にまで感じられる一冊。

 

長岡には昔ながらのおいしい店がある

「『フロリダ・キッチン』が何よりも私の長岡の思い出の味なんですけれど、『ナカタ』も高校生のときはよく行きましたね。昨日も夜、姉とごはん食べようという話になったときに、『レストラン ナカタ』か、前に一回行って内装が素敵だった『ニコラス』(長岡市東坂之上にあるロシア料理店)に行きたいねって言って、結局『ニコラス』で軽く食べてから『長崎亭』に長崎ちゃんぽんを食べに行きました。長岡には昔からやっている、いいお店がいくつも残っています。ああいう老舗っぽい店がまえのいいお店こそ長く続いてほしい、なくならないでほしいって思うんです」

――長岡の殿町、大手通りからスズラン通りにかけての雰囲気は昔の賑わいとは違うけれど、でも昔からあるお店のひとつひとつには往時の面影が残っていますよね。

「そうですね。長岡まつり花火大会に合わせて、東京の友達を毎年お呼びしていたことがあって。殿町を歩くと、やっぱり『ニコラス』のように古くからある店がまえの素敵なお店があって、東京から来たお客さんが『すっごくいいね!行きたい!興味ある』って言ってくれるんです。そういうお店こそ続いてほしいなって、帰るたびにとても思いますね。昨日『ニコラス』で食べたのも、ピロシキとか、昔ながらのちょっと懐かしい感じの料理で、だけどしみじみ、ああ、こういうのがいいんだよね、やっぱり私がいいなって思うものとか求めていく世界観ってああいう感じだな、と思いました。幼少時や高校時代から好きだった、レトロな雰囲気の丁寧ですごくおいしいものを出してくれるお店。それが私の印象に残る長岡のお店です」

 

食べることを大事にする家庭だった

――お話を聞いていると、本当に食べることを大事にされるご家庭だったということですよね。

「ああ、そうです。今になってそう思いますね。私の小さかったころは、中華は『南清飯店』(現在は閉店)という本格的な中華料理のお店がありまして、家族でよく行きましたね。手作りしゅうまいとか肉まんとか、お土産で買えるような点心があって……」

――外で食べるときにも、きちんと丁寧に作られた料理がいただける場所を選んで、ご両親が連れて行ってくださっていたんですね。

「そうですね。両親は二人とも健在なんですが、今でも、今度どこで何食べようか、と話しているくらい食べることが好きなんですよね。私も姉も食べることが大好きで、今日何を食べるかの店選びは絶対失敗したくない!(笑) そういうところは坂田家の家族の特徴で。東京での暮らしも長いのですが、実際、新潟とか長岡って味のレベルが高いんじゃないかな、と思います。料亭や割烹がたくさんありますし、お米やお酒が有名ですが、野菜などおいしい素材もたくさんありますよね」

――うれしいですね。日常的に食べているお米がおいしいし、お酒もおいしいし、枝豆やナス、レンコンや里芋など自慢できる地元野菜がたくさんあります。素材がいいんだっていう誇りが地域にあるから、作る料理人の方も丁寧にされているのかな、なんて思います。

トークショーの終了後、スタッフと共に。一番右はトークショーの主催者Book Knock(ブックノック)店主・長谷川敏明さん。な!ナガオカでは『読書の秋! 話題の本屋さんが長岡にまつわる本を紹介』を書いてくださいました。

 

フルーツパーラーに通った青春時代

――いよいよ青春時代、長岡に通学していた高校時代の思い出をお聞きしたいのですが。

「高校生のとき、フジヤマフルーツ(青果店)二階の『ナッツベリー』(長岡市大手通り交差点にあったフルーツパーラー)というお店に本当によく行っていました。週に一、二度は行っていたので、おこづかいがなくなると行けなくなってしまう。だから、おこづかいをもらった日には、今日は絶対二品頼んでいいスペシャルデーにしよう、と決めて(笑)、パフェとパンケーキとか、グラタンと何々とか、二品頼む会をやるくらい。ナッツベリーはもしかすると、学校帰りに一番よく行ったお店ではないかと思います。

土曜日には、たまに学校の帰りにお昼ごはんを食べて帰っていました。よく行ったのは『トスカーナ』(長岡市城内町にあったイタリアン。旧イトーヨーカドー丸大長岡店のミスタードーナツの向かいにあった)。ここももうなくなっちゃったんですけれど、すっごくおいしかったんですよ。トスカーナはお昼に友達同士で行くことが多かったです。あとは『TIME』(長岡市東坂之上町、すずらん通りにあった)っていうジャズクラブみたいなところがランチをやっていたんですが、とびきりおいしかったんです。ピアノが置いてあって、夜はたぶんライブをやっていて、大人っぽい店でした。そこは本当においしかった……」

――食べるのが大好きな高校生だったんですね。「ここ、おいしいから行こうよ」って友達を誘って……

「そうそう。私は見附市から通っていたので、中学から同じ学校の子たちは電車も一緒だし帰るまで一緒なので、だいたい見附から通っているメンバーで、電車の時間までに……本数があまりないから(笑)、乗り遅れて一時間待ちになったら『じゃあ、ナッツベリーに行って何か食べて帰ろうか』となったり。あのころ、大和デパートの近くに『JAM』っていう喫茶店があって、長岡技科大の学生さんたちがアルバイトしていて、そこも雰囲気がよかったんですよ。ひとつ大人な感じで。あとは当時、『ボン・オーハシ』(パンと洋菓子の店)の喫茶店があって、そこのグラタンセットも食べましたし、『ローランローゼ』(洋菓子店)の店舗もあって、ちょっとおしゃれな感じでしたよね。いい時代でした。まだデパートも健在で活気がありましたよね」

――大和、丸専、丸大、イチムラ……。

「長崎屋もありましたね」

――長崎屋の屋上近くのボウリング場のソフトクリームがおいしかった思い出があります。

「そう! そう! そう! ソフトクリームがおいしかった! ソフトクリームもいろんなところで食べました。電車の時間まであと30分くらいしかなくて、『ナッツベリー』に行くほどの時間はないというときにちょうどよかった」

――懐かしいお店の名前が本当にたくさん出てきました。長岡に住んでいた方なら、「あ!知ってる」と嬉しく思っていただけるのではないでしょうか。

「もうひとつ、大人になってから行くようになった大好きなお店があるんです。すずらん通りの、とある老舗の純喫茶なのですが、最初は姉から、その店の卵サンドがおいしいよって教えてもらって。その味にすごく感激して。ほかの料理もいろいろおいしいんですけれど、卵サンドが絶品だと思います」

――再現レシピを著書で紹介されていらっしゃいますね。先生の『洋食教本』『サンドイッチ教本』(東京書籍)や「きょうの料理」のサイトで拝見しました。

「ふんわりとしたスクランブルエッグを焼いて、パンにはバターではなくマヨネーズを塗るんです。食パンはくせのない普通においしいパンがよくって、この喫茶店では近くのパン屋さんの食パンを使っていると聞きました。今日のトークショーではいちごのフルーツサンドの作り方を紹介したんですが、フルーツサンドのような水分の多い具材を挟むときは焼いた翌日の少し落ち着いたパンのほうがおいしくできるんですが、この卵サンドは焼いた当日のふんわりとしたやわらかいパンで作るほうがおいしいんですよ。

トークショーでいちごのフルーツサンドに使う生クリームについて解説する坂田阿希子さん。

 

出版社の社員から料理家になるまで

――それでは、長岡でたくさんの味に触れ、味を大事にされてきた先生が、どのようにして料理家の道に行かれたのでしょうか。

「もともと食べることは大好きで、昔から料理番組や料理本も好きでした。それで大学卒業後、料理の雑誌を作る出版社に就職したのですが、毎日通っているうちに会社員としての日々に、なんとなくやりたいことと違うような気がするな、と悶々としてしまって。一方で料理やお菓子を作ったりするのは当時から好きだったので、私は作る人のほうなら続けられそうな気がする、と思ったんです。会社勤めをしながら、料理家のアシスタントを募集していないか聞いたり調べたりしていたのですが、そういう募集はなかなか見つからなくて。結局、決意して会社を辞めたのち、撮影で縁をいただいた食器を集めるスタイリストさんのもとで手伝いをしていました。そのスタイリストさんと料理家の先生のところに行ったときに、『料理がやりたいのなら、うちに来ればいいじゃない』っておっしゃってくださったのが藤野嘉子先生だったんです。そこからは藤野先生のもとで何もわからないところからアシスタントをやらせてもらいました。

そのうち、やっぱりフレンチをきっちり学びたい、と思うようになって。最初はフランス菓子の店で三年くらいパティスリーの仕事を学び、次に当時一世を風靡していたフランス人の方のフレンチレストランにまずパティシエとして入って、その店で料理も学ばせてもらい、何年か修行を積ませてもらいました。その時期に、しっかりとした料理とお菓子の技術や知識を学ばせてもらったことが料理家としての今の自分につながっている、と思っています。

そうしてお店で働いてみて、私は料理を作る人であり続けたいと思いましたが、シェフを目指していたわけではない。その時あらためて、自分は料理が本という形になるのが好きなんだと気づいたんです。自分のレシピを文字、写真、デザインを通して本という形になって伝えることができたら、と思うようになりました。本という形で自分のレシピが世に出ていくという過程がやりたいんだな、と。そこから、独立して料理家としてやってみよう、と決意しました。

独立して初期のころは営業にもいきましたし、まったく仕事がなくて働いていないという状況もかなり長く続きました。ですが、たまたま最初に勤めた料理雑誌の会社の同期の女性が、会社を辞めてフリーライターをやっていて、彼女があちこちの料理雑誌から『今度こういう仕事があるんだけどやってみない?』と仕事をもってきてくれて。そこから少しずつ少しずつ仕事がくるようになりました」

――故郷で母や祖母から伝えられた味、家族で囲んだ洋食の記憶、料理雑誌で学んだ料理本の編集技術、洋菓子店やフレンチレストランで修行した日々が料理家としての坂田さんの土台にあり、それが今花開いているのですね。

「仕事がないときでも、自分がどんなになっても自信がもてるように、何かきっちりした確実なもの、技術とか知識を身に着けておくということは、とても必要だと思っています。それがあるからがんばれる、みたいな感じですね」

――常々、坂田さんの本のレシピや本としてのビジュアルの完成度はすばらしく高いな、と思っていました。伝えたいことがはっきりとあって、そのために本を作っているという印象を受けていまして、その背景というのが、よくわかったように思います。

 

丁寧に作った「おいしさ」を伝えてほしい

トークショーでのワンシーン。丁寧に作られたフルーツサンドのおいしさに参加者からはため息がこぼれた。

――最後に、料理家として、読者にどんなことを伝えたいと考えていらっしゃいますか?

「普通においしくて簡単ということよりも、『少し手間はかかるけれどものすごくおいしい』みたいな料理を目指したいですね。時代も変わってしまったけれど、時短料理とか少ない材料で料理を作るとか、そういった料理が得意な方はほかにもたくさんいらっしゃるので、料理家としては、自分が幼少のときから食べなれていて、丁寧で奇をてらっていなくて、やっぱりおいしいなと感じる味を伝えらればいいなと思っています。

おいしい味わいとか自分が感激したことって、ずっと、こうやって大人になっても忘れないものです。そうした体験がきっかけで、私みたいに料理を作る職業を選んだりするということもある。だから、やっぱり本当に丁寧に作った『おいしい』という感じを伝えることが大事なのではないでしょうか。忙しくて本当に時間がないのはよくわかるけれど、時々、本当に時間があるときだけでいいから、ちょっと振り返って、丁寧な味をお子さんとか大切な人に伝えてほしい。それって、のちのち伝わっていくことじゃないかなって思うので、私は、そういう料理をこれからも作っていきたいと思っています」

――ありがとうございました。時々、本当に時間があるときだけでいいと聞くと、ほっとするというか、「できるかも」と思います!

「ね。あまり毎日がんばろうとするのは大変だけれど、ときどきならね(笑)」

坂田阿希子さんの著書の数々。フレンチレストランやフランス菓子の店で磨かれた技術やセンス、丁寧でおいしい味を届けたい思いにあふれる本の数々をぜひ一度手に取ってみて/いただきたい。2019年7月15日には新刊『トマト・ブック』(東京書籍)も発売。

 

Text: Chiharu Kawauchi
Photos: Hirokuni Iketo

 

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