【教えて! ご主人】殿町一、キャラの濃いラーメン店 そのルーツは?

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2016/7/26

長岡イチの繁華街「殿町」で、24時からオープンする「中華 大吉」。入り口にのれんはなく、降りているシャッターをお客さんが自ら上げて入店する独特のスタイル。麺の量はご主人の桑原さんが「客の顔を見てなんとなく」決めているそう。人気テレビ番組「月曜から夜ふかし」(TeNY)にて「やる気がなさすぎるラーメン店」として紹介されたほど、その奔放さは高い知名度を誇っている。平日の20時、仕込みを行う桑原さんにそのルーツを伺いました。

 

2-大吉-店主-桑原さん

“生きあたりばったり”の人生

昭和54年12月20日にオープンした「中華 大吉」。ご主人の桑原さんは当時22歳。

「父親も姉も銀行員で、おじさんも公務員で、堅い家庭で育ったのに、大学受験に失敗したんだよね」。予備校に行き、再度受験するが希望の大学には受からなかった。「銀行も二浪は取らないとオヤジに言われて、専門学校に行くことにした」。

これが1度目の人生の分かれ道。

「転落の人生の始まりだ。ベリーフェイマスアクターになっていたかもしれないのに……」

 

2度目のターニングポイント

夜間の調理師専門学校に通いはじめたが、昼間はなにもしていなかったため、だんだんとバツが悪くなり、専門学校から煉瓦亭の近くにあったステーキ屋を紹介される。時同じくして、精肉店を営む親戚から「人がいないから行って」と強く勧められ、すずらん通りにある「中華料理 おがわ」で働きはじめた。

これが2度目のターニングポイント。

「洋食に行っていたら今頃、料理の鉄人になっていたかもしれないのに……」

 

3度目の分岐点は霊媒師の言葉

料理専門学校は1年半で卒業。進路を決めるとき、「料亭 いまつ」がオープンにともない、和食と洋食の職人を募集してると聞きつけた。和食を希望し、一生モノの名入れの和包丁を3本も作って気合い十分。たが、「オヤジが大島にいた霊媒師のとこにいって、俺の人生を見てもらったんだって。そしたら和食は合わない。60歳まで店が持てないからやめておけ。料理の道なら、中華か洋食なら悪くないって」と言われたのを真に受けて、「じゃあ、このままおがわでいいじゃん」と料亭 いまつへの就職を断念した。

これが3つ目の転換期。

「和食に進んでいたら、いまごろ花板になって偉そうにできていたのに……」

オヤジの意見に流されがちな桑原青年は、「中華料理 おがわ」で3年半修行を積み、昭和54年、オヤジが見つけてきた現在の場所にラーメン屋を開くことになる。

「これにかけて頑張るぞ!」って感じじゃなくて、「なしくずし的」に、が正直なところだった。

 

19年前の外観。当時はシャッターが開けられ、のれんもある。普通だ。

ガラガラガラ~っとシャッターが上がり、40歳くらいの男性が顔をのぞかせる。

お客「もうやってる?」

ご主人「まだやってないよ!いま取材受けてるから後にして~」

お客「何分後ならいいの?」

ご主人「まだ仕込んでないよ。うちは12時からだよ」

お客「まだ9時半かぁ。じゃあ、1時間半後にくるね」

ガラガラガラガラ~

 

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