『るろうに剣心』で描きたかったこと

--『剣心』の中で、主人公の剣心はかつて「人斬り」と恐れられた剣士でありながら、現在は「不殺(ころさず)」という信念を抱き、富国強兵の国是を掲げながら少しずつ弱肉強食の世へと向かっていく明治という時代と対峙します。どのような思いで、そういうテーマをお選びになったのでしょうか。

和月「そうですね……。『剣心』の時代設定や物語の流れは、決して史実をひっくり返すようなものではありません。ただ、大きな歴史の流れや時代の波に逆らうことはできなくとも、その中で生きていく人々の気持ちを細やかに描くことを目指したつもりです。
戦争というテーマを直接に描いているわけではありませんが、『そういう時代だからしょうがなかったんだ』といって人を傷つけることや殺すことを肯定することはできないのだという思いは、作品を貫いていると思いますね。」

--作品には、2人の大敵が登場しますね。最初に出てくるのは「人斬り」の後継者であり、時代の支配者になるという野望を抱いてあくまで「力」を希求する志々雄真実、そして次に登場するのは、姉が剣心のせいで死んだと信じ、その怨みを晴らすために剣心を殺そうとする雪代縁。
彼らの存在は「欲望」と「憎悪」という、人間がなかなか乗り越えることのできない二つの業を表しています。近頃のニュースなどを見ていてもそれを痛感することが多いですが、『剣心』は、今改めて見ても、それを象徴的に描いた作品でした。

和月「『綺麗にわかりやすい答えを提示してしまうのは、実は怖いことなんじゃないか』という思いが、常にあるんです。
時代には、いつでもふたつの側面があります。抗いえない大きな流れと、それでも塗りつぶしえない生き方や考え方、個人の心の機微のようなもの。
志々雄はいわば前者の象徴で、『大きなことをしてやろう』というわかりやすい野望を抱いて巨大な暴力を振るう、そのキャラの設定も含めて超人的な存在として描いた、ある意味で非常に少年誌的な悪のピカレスクです。僕は彼に繊細さを与えはしなかったし、それが逆に彼の魅力にもなった部分があるかもしれない。いっぽう、縁の場合は徹底的に『私怨』から始まっています。彼の物語は後者というか、完全なる“個”の物語ですね。」

和月「彼らを通じて僕が伝えたかったのは、『答えなど、決して出しきれはしないのだ』ということです。作品を通じて、剣心は自らの過去に対して最後の最後まで明確な答えを出せないまま悩み、苦しみます。でも、その姿をこそ描きたかった。綺麗に、簡単に、世の中や物事をズバッと『こうだ』とぶった切ってしまうのは、その間にあるはずのさまざまな思いやそれぞれの事情をも切り捨ててしまうこと。それは、とても怖いことだと思います。ですから、少年漫画であっても、ただ『正しさ』をふりかざすようなものを描こうとは思いませんでした。」

 

力に溺れた『強さ』はかっこ悪い

--単純な勧善懲悪にして、ひとつの価値で他をぬりつぶすことはできなかった、と。

和月「エンターテインメントにはわかりやすさも大事な要素ではありますが、特に、戦うということや人が生きる/死ぬということに関して、わかりやすさだけに安住することはできなかった。そうしたことは、簡単にわりきれるものでは決してないんです。それは僕の性分ですし、『剣心』以外の作品においても、それは同じだと思っています。」

--そう言いつつ、和月さんの作品は、剣や銃器といったもののディテールが実に精緻に、美しく描かれていますよね。人を殺すための道具であることはさておき、その存在感そのものはきっとお好きなのだろうなと思わせる、マニアックともいえる描写の細かさがあります。

和月「物としては、はっきり言うと好きですね。僕も男の子なので、戦いや強いものへの憧れは強くありますから。」

--「不殺」の物語を紡ぐうえで、そうした趣好とどのように折り合いをつけ、何を描こうとされたのでしょうか?

和月「ただ敵を倒して『やったー! 気持ちいい!』ということにはしない、ということでしょうか。
象徴的なのが、志々雄編に登場する瀬田宗次郎というキャラクターとの戦いです。弱肉強食という志々雄の思想に共鳴する宗次郎を倒しながら、剣心は『だからと言って正しいのが自分というわけではない。それでは志々雄と同じだ』と、『勝者=正義』という思想を否定する。力なき正義は無力ではありますが、『勝ったものが正しい』ということではいけない。そうしたことを踏まえながらも、少年漫画として子供にも楽しんでもらえるようなものを描くよう心がけたつもりです。なかなか難しかったですけど(笑)。」

--善悪を超越した部分で美しく黒光りする剣や銃器にあこがれるのも、またひとつの真理ですもんね。

和月「そうですね。それを単純に否定しても、また嘘になってしまう。ただし、その強さの中に、つねに優しさを備えさせておきたかったんです。
強いものにかっこよさを見出し、それに憧れてもいい。しかし、『強いだけ』だと、それはいつか必ずかっこ悪いものになってしまう。いじめだとか、メンツだけのために争うとか、そういう『強さ』に溺れただけの力の使い方は本当にかっこ悪い。力を持っているのなら、それをどう使うかをきちんと考え、想像しなければならないと思うんです。」

 

「プラスの気持ち」を伝えていきたい

--和月さんが生まれ育った越路町もいまでは長岡市の一部になりましたが、いわば「大長岡市」としての地元との縁は、これからも続いていくわけですよね。

和月「そうですね。いつのまにか山も海もある、巨大な地元になりましたが(笑)。」

--今後、どのような関わりをしていきたいと思っていますか?

和月「まずは、いい作品を描き続けること。僕はやはり漫画家ですし、それを疎かにして地元への恩返しなどできるはずもないと思っていますから。その合間に何かをする理由があって、その余裕があれば喜んでご協力したいです。」

--これまでに『剣心』のような作品を世に問うてきた作家として、そうした関わりを通じて地元に何を伝えたいと思っていますか?

和月「やはり、子供たちのためになるようなことでしょうか。
子供は、行動範囲そのものはそんなに広くないので『世界が狭い』存在であるとも言えますが、いっぽうで、その想像力の世界は、無限ともいえる大きさを持っています。それに対して『これはこういう意味だよ』『こういう解釈をするべきものだよ』という物の教え方をしてしまうと、その想像力の世界を狭めてしまう結果になるような気がする。
なので、作家である自分としては、まず子供たちが楽しんでくれるようなものを提供したいです。さっきの長岡花火の話と一緒で、『慰霊の花火である』ということを頭から教えて特定のイメージを植え付けるのではなく、それを抜きにしても、まずは楽しんでもらう。『楽しい』『うれしい』のような、プラスの気持ちだけを先に与えたいんです。それがベースにあれば、あとはその子の成長とともに学ぶべきことを学んでいけるはず。自分の作るものやすることを通じて、その助けになりたいと思います。」

--なるほど。最後に、長岡の魅力はどんなところだと思いますか?

和月「やはり、都会すぎず田舎すぎず、というバランスの良さはいいところですね。山も海も川もあり、都市機能もしっかりと揃っている。いまや、映画館のある街なんて珍しいくらいですから。いっぽうで、僕の実家の近くの山などを見ていると『子供の頃と同じように、頑張ればまだクワガタも獲れるかな』なんて思わせる豊饒さもある。手近でこれだけ様々なものが揃った環境というのは、実はそんなにないんですよね。この街のよさを保ったまま次の世代に伝えていくお手伝いができることがあれば、僕にできることは何でもしていきたいと思っています。」

インタビュー後、いつも持ち歩いているという愛用のペンでサイン入れ。

インタビュー後、いつも持ち歩いているという愛用のペンでサイン入れ。

長谷川邸三百年祭  るろうに剣心×長谷川邸~和月伸宏 里帰原画展~
[開催期間]2016年8月1日(月)~8月16日(火) 午前9時~午後4時30分
[住所]新潟県長岡市塚野山773番地1
[電話]0258-92-5903(長谷川邸再建300年祭実行委員会事務局・長岡市越路支所産業建設課内)
[料金]大人420円/こども(小・中学生)210円

 

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