【長岡蔵人めぐり 第5回】井戸神さまのいる里山で生まれる昔ながらの酒、池浦酒造
おいしい水と米が生まれる地で
実直に醸す、地元の定番晩酌酒
「風光明媚」という言葉がしっくりくる、のどかな里山が広がる旧三島郡和島村。ここは江戸時代末期の僧侶・良寛和尚がその生涯を閉じた地としても知られています。
「両高と呼ばれるこのあたりの土地は昔から良い水がたくさん出る場所なんです」
立派な杉玉が飾られた1830年(天保元年)創業の「池浦酒造」で迎えてくれたのは、7代目の池浦隆太郎さん。敷地には、信濃川の伏流水由来のまろやかな軟水が豊富に湧き出る井戸が8つ。庄屋の家系だった初代・隆右衛門さんが良い湧き水が出ると知り、酒造りを始めたのがルーツです。生活用水も井戸水で、蔵の近くには井戸神さまがまつられる場所もあります。
蔵に入ると、大吟醸の仕込み作業が行われていました。杜氏たちが米の入った15キロ以上の袋をサンタクロースのようにかついでタンクに運び、二人がかりになって櫂棒(かいぼう)で混ぜます。現在は池浦さんを含む5名で酒造りを行っており、すべてが手作業です。
伝統的な酒造りで醸すのは、「地元の人に毎日飲まれる酒」。蔵の代表銘柄である「和楽互尊(わらくごそん)」とは、「お互いに尊び合いましょう、そうすれば和やかで楽しい世界になりますよ」という意味の互尊精神を表した言葉だそうです。
小さな蔵だから丁寧に醸せる、
オーナー杜氏のおもしろさ
池浦さんの父である先代・隆さんは東京農大の醸造学科で学びましたが、池浦さんが選んだのは東京農工大の農学部。しかも抗生物質のゼミで、卒業研究のテーマはコレステロールだったそうです。府中競馬場に遊びに行くなど東京での学生時代を謳歌し、卒業後は兵庫・灘の酒蔵で酒造りの基本を学びました。ふるさとに戻り、酒造りに携わってもう少しで30年。外に出たことで地元の魅力に気づいた面があったといいます。
「子供の頃、秋になると杜氏が増えて蔵が一気に忙しくなりました。杜氏さんたちがかわいがってくれて、蔵が遊び場でね。蔵全体が大きな家族のようにして育ちましたから、後を継げと親からは一度も言われなかったけれど、当たり前のようにここに戻ってきました。この付近はは土着の人が暮らす、暮らしやすい土地。人の出入りは少ないけれど、良い水が豊富に湧いて、前の田んぼで良い米が採れる。地元の米を昔ながらのやり方でしっかり磨いて、スッキリした酒を丁寧に造りたい、それだけです」
地元の人に飲んでもらいたい一心で醸す普通酒「金印」は、普通酒でありながらも米を精米歩合60%まで磨いており、淡麗になりすぎない味のある辛口、つまり「飽きのこない晩酌酒」を目指しています。
せっかく造るなら
地元で育った米で
10年前にオーナー杜氏となり、酒米を従来の「山田錦」から地元の「越淡麗(こしたんれい)」に変えました。また、すぐ近くの田んぼでできた「こしひかり」100%で醸した酒も地元の人に向けて造っています。
おいしい酒造りに何より欠かせないのは、良い米を見極めること。毎年、「今年はどんな米かな?」というところから始まるそうです。
「農家さんから預かった米をどういう風に持っていくかが、腕の見せどころ。良い麹を造らないと良い酒にならないので、麹造りの時は一人で相当ブツブツ言いながらやっていますよ(笑)」
池浦さんは楽しそうに続けます。
「規模が小さいからこそ、思ったことをすぐに実行できるし、1本1本を丁寧に造れるのがウチの強み。おもしろいのは、なかなか一筋縄ではいかない、ということですかね。生き物が相手だから、理想通りに仕込んだつもりでもうなくいかないこともあれば、『あれ、良い酒になっちゃった』ということもあって、いつも一喜一憂していますよ。絞りたての酒はもちろんおいしいんだけど、寝かせると酒の本性がぐっと出てきますんでね、私のいい加減なところが酒に出ているかもしれません(笑)」
すっきり飲み飽きない定番酒に加えて、タイプの違う新しい酒にも挑戦しており、「今後は日本酒の奥深さをさらに追求していきたい」とも話してくれました。
この地で余生を過ごした良寛さんは、じつはお酒好きだったそう。良い水と良い米に恵まれた土地で実直に酒を醸す蔵の空気に触れて、両高はお酒の神様にとことん好かれた場所なのだ、としみじみ実感したのでした。
Text: 森本亮子
Photo: 池田哲郎
●Information
池浦酒造
[住所]長岡市両高1538
[電話]0258-74-3141
[URL]https://ikeura-shuzo.com/