地域のみんなをプレイヤーにする。「宮内・摂田屋method」が掲げる、住民主導のまちづくりプロセス
「このまちにしかない」
地域振興のかたちとは?
——お三方は「宮内・摂田屋method」(以下、メソッド)のメンバーですが、全部で何名くらいのメンバーがいらっしゃるんですか?
斎藤 現在、15名ほどですね。
——どんな方がいて、どんな活動をしているのでしょう。
斎藤 まず、このまちで活動されている若手の蔵元の方々。そして、宮内・摂田屋が発酵のまちとしてにぎわい始めてからこの地域にできたフレンチやイタリアンのオーナーシェフの方々、食を通じて若い交流人口の増加に大きく寄与している「SUZU」の鈴木将さん、さらには新潟大学の先生といった、多彩なプレイヤーが集まっています。こうしたメンバーで、このまちをいかに盛り上げていくか、それも、ただお金を集めるような盛り上げ方ではなく、地元に住む方々を中心としたまちづくりをいかにするべきかということを月に一回議論し合っています。そこで出た問題意識やアイデアをもとにそれぞれ、あるいは協力し合って、実際に企画のかたちでまちに発出していくというのが、現在の主な活動ですね。
——結成のきっかけはなんだったんですか?
斎藤 長岡市が「発酵・醸造のまち」を謳い始めてから私が所属する「ミライ発酵本舗」がまず2020年に発足し、地域の蔵元の方々にご挨拶をするところから活動が始まりました。みなさん、長い歴史の中でこの地域に産業を興してこられた方々です。そこに、若い食のプロフェッショナルたちも入ってきているタイミングでした。地域の子どもたちもとても元気だという印象を受けましたし、先生方も熱心に指導されている。こういう方々と仲間になれたら、どんなに楽しいことができるだろうと思いました。
また、町内会長さんとお話をする機会も多く、そうすると地域の先輩方からかつての宮内や摂田屋がいかに賑やかで、映画館や銭湯などもあり、人々の行き交うまちだったかということを伺いもしました。こうしたさまざまな世代の知恵と力をお借りすることで、このまちにしかない地域振興の形を作ることができるのではないかという思いが強くなり、「チームを作ろう」と思い立ったんです。
——チームの核となっているのは、どういう問題意識なんでしょうか。
斎藤 蔵元の皆さんや諸先輩方はこれまでにも産業を興して、雇用を創出して、地域振興に努めてこられました。しかし、いま日本全体が抱えているような少子高齢化や産業構造の変化といった課題が例外なくこの地域にも降りかかってくる今、今度は新しい世代がそれを担わなければならないという意識が強いですね。
——社会が発展し、成熟し、そして衰退と言われる局面に入る中で地域に対して働きかけるということは、諸先輩方がとってきたやり方とは違うことをやらなければならない、ということでもありますよね。そのあたり、実際に地域に根ざして事業を継続していらっしゃる川上さんと、江口さんはどうお考えですか?
川上 私たち吉乃川は470年ほど、このまちで酒をつくってきました。これだけ事業を続けてこられた大きな要因としては、やはり水や気候がよかったことと、その中で技術の継承がきちんと行われてきたこと。ただ、本質的に最も大きいのは、地元の人たちが「自分たちの酒だ」と言って飲んできてくれたことです。どんなに環境が整っていても、造った酒が地元の人に喜んでもらえないものになってしまったら、それは厳しい。その点、私たちはまず地元の方が喜んでくださって、そこから市内、県内、全国、海外と広がる中で大きくなってこられたのは幸運なことでした。おそらく、この地域に根付いてきた食文化や気候、ここで育った人々の味覚が、長い間に吉乃川の酒を作ってきてくれたのだと思っています。
——地域固有の要素を守ることが、より広い範囲に通じることにつながったわけですね。
川上 とは言え全国的に日本酒離れは進んでいますし、お客様の世代の移り変わりもある。そんな中では、ただつくって飲んでもらうだけでなく、吉乃川とお客様とのより深い関係作りの場が必要だと考えています。吉乃川の味わいはもちろん、歴史や想いを直接感じていただく体験をつくっていきたいと思います。そのため、この場に実際に来てもらって、蔵や地域に親しんでもらう。そこに関係とともにお酒を飲んでもらえる。そういった少し長めのサイクルも作っていけたらいいですね。
——地元の風景というものが自分たちにとってどんな存在であるかというのは、子どもの頃はわかりませんよね。ただ、長じてから「あの場所で過ごした時間が確実に自分を作っていたんだな」と思うときは、多くの人に訪れるはずで。
川上 地元にいるうちではなくても、例えばどこかに出て行って帰省したときだっていいんです。「こういうお店があったな」「こういう人がいたな」ということをふと思い出してまた足を運んだり、ものを買い求めたりする。そういう場所でいることが、この先に続けていくことの軸になると思います。
——ある人にとって「他にない風景」になれるとしたら、それは非常に強いことですね。東京にもあるような風景、どこにでもあるようなどこかになるのではなく、ここにしかない風景をつくる。
川上 そうですね。一言で日本酒といっても実は蔵ごとに全然味も違いますし、そういう意味ではみんなで「他にない場所」になっていけるといいですね。
江口 私たちの本店は宮本という、自然豊かな場所にある古民家を再生した地区にあります。そもそも私たちのものづくりは「田んぼの真ん中で、そこで獲れたお米を使って団子や餅を作りたい」というところからスタートしているので、その拠点を探していたときにその場所を紹介され、ひと目で気に入りました。地元の人たちには「こんな何もない場所がいいのかね〜」なんて言われましたが(笑)。
摂田屋に店舗を構えたくなったのも、もともと古いものが好きで、古い街並みを歩くには最高の場所だからでした。それに加え、お酒に味噌・醤油と、豊かな醸造文化が生み出した素晴らしい産品がある。そうした産品もまた、住民にとっては身の回りに当たり前にあるものなので、その産地であることにありがたみを感じていない方もいます。そんなとき、私のように外から来た人間が「いや、これは素晴らしいことなんですよ」と言うことでそのよさが再認識されることもありますし、何をやるにせよ、土地の人に、地元の魅力に改めて気づいてもらうことが大事だなと思っています。
人間的な想像力の働く範囲で
ものごとを決定していく
——お二方の言っていることはいずれも単に外から一過性のお金を呼び込むための「魅力」ではなく、あくまで地元の人たちベースの自己再発見ということですよね。
斎藤 私たちが大事にしているのは「ミュニシパリズム」の実践です。ミュニシパリズムとは地域主権主義ともいい、物事の決定を選挙で選ばれた政治家だけに任せるのではなく、住民が主体的に自分たちの地域の意思決定に参加していくという考え方です。国のような大きな単位になるとなかなか難しくなりますが、もっと小さい単位ならそれは可能かもしれない。この宮内・摂田屋くらいの規模であれば、何か物事を決めるにあたって「あの人はどう思うだろう」「この人にとって、この決定はどういう意味を持つだろう」といった人間的な想像力が働くし、それにもとづいて議論をし、自分たちの向かう方向を決めていけるんじゃなかと思っています。
そして、そのプレイヤーとなるのは必ずしも私たちだけではなく、町内会の方々、学生、子どもたち、そして蔵元さんやさまざまな商売をされている方々。地域に住むみんなです。このみんなで、自分たちの街を作っていくんだという発想ですね。それを進めるにあたってはこの地域の発酵・醸造という背景を軸におくことが重要で、まっさらな新しいものを作ろうということではありません。これまでの時間的蓄積に敬意を持つことは何より大事ですから。
——時間の集積としてまちや地域があるという考え方は大事ですね。しかし、そうした時間への敬意というのは、今や意識しないとなかなか身につかないものです。もはや物事を決定する大人たちからして「時間をかけて育てるより、何でもお金に変えたりお金で買ったらいい」という消費的な社会意識の中で育っており、子どもたちもそれを吸収してしまう中で、この時間感覚というものを、どうやって地域に伝えていけばいいんでしょう。
斎藤 以前、修学旅行で来た子どもたちに話をした際に「自分の暮らすまちの自慢をしてください」と言ってみたんです。そうすると、みんな「何だっけ……」と止まってしまった。子どもたちが自分の生まれ育った地域の自慢をできないのは、大人の責任です。ですから、メソッドでは地域の子どもたちと積極的に交わり、まず私が彼らにまちの自慢をします(笑)。その自慢の根拠となるのは、私たちが地域のさらに先輩方から聞くいろいろなお話です。「昔の摂田屋はこんな感じで……」という話をすると、子どもたちは目を輝かせて聞く。そうやって世代や経験を超えた接続をしていくことができれば、その先には多様な人と人がつながり、発酵する地域ができるんじゃないかと思っています。
——先ほどプレイヤーはみんなだとおっしゃいましたが、その役割も、何か発信するとか、主導的なものばかりでなくていいんですよね。地域の昔話をするでもいいし、自分の持っている何かをまちに持ち寄るということがプレイヤーの条件なのかなと思います。
斎藤 先日、地域の宮内中学校の中学生たちを対象に授業をする機会があったんが、それをきっかけに、中学生たちが自分でこの地域の歴史を学び直して、まちのマップを作ってくれたんです。本当に熱心に勉強をしていないと作れないような素晴らしいもので。2000部ほど観光案内として各所に置かせていただいていましたが、あっという間になくなりました。
また、二年前に新潟大学の先生が摂田屋でフィールドワークを行ったんですが、その学生たちがこのまちに加えるべきものとして「ここにしかない体験型コンテンツ」はどうだろうという自主的な提案をしてくれ、「セッタニアプロジェクト」というものが立ち上がりました。
——セッタニア?
斎藤 キッザニアという、さまざまな企業が子どもたちに職業体験をさせる施設の、摂田屋バージョンです。子どもたちが、まずこのまちの生業を経験する。例えば江口だんごさんでは小学生がお団子作りをして、別でそれを販売するチームも作る。それを大学生たちがサポートし、さらには市内の子育て支援施設からも子どもたちがやってくる。醸造のまちでありながら、お酒を飲めない世代の中でも交流が広がっていく。そこに、大人たちも引き寄せられてくる。提案だけでなく実践にまでつながったことも含め、素晴らしいことです。
——異なる世代間の交流が、こうしたプロジェクトには欠かせませんね。
斎藤 そうですね。町内会長さんやかつての商店主の方々といった先輩世代も快く参画してくださっています。JRの宮内駅から摂田屋につながる県道沿いでは、かつてたいへん賑わっていた商店街が今はすっかりシャッター通りになっています。ここに再び人の流れを取り戻してみたいと、長岡造形大学の方々や商店会の方々にご協力いただいてシャッターアートを制作したんです。ここにもまた人が多く集まり、面白がってくれる方も多かったので、これを機にまた新たなプレイヤーが増えそうだなと思っています。
自分たちにとって大切な景色の
一部として社会に参加する意識
——川上さんはこの地域で生まれ育った方ですが、当時と今とでまちの雰囲気の違いはお感じになりますか?
川上 私の小さい頃と比べると、本当に変わったなと思います。その頃は人の流れもそんなにはなかったし、通学路として自分が歩いてはいても、特段これが特別な場所なんだという思いを抱くことはありませんでした。しかし、長岡市が「発酵・醸造のまち」を打ち出し始め、サフラン酒の蔵がきちんと改修されていく中で「古いものを大切に守ってきたまちなんだ」と改めて感じましたし、少しずつ住民の方の顔や姿も見えるようになるにつけ、「昔から住んでいる人がこんなにいるということは、このまちならではの暮らしやすさというものがあるはずだ。それは何だろう」とも考えるようになりました。きっと、他の皆さんもそうなんじゃないでしょうか。そういう思考が昔からあるまちは多いと思いますが、今改めて生まれているまちというのは、珍しいかもしれません。
江口 先ほど話に出た「セッタニア」ではお団子作り体験や販売体験を行ったんですが、それに参加した子どもたちが、自分で作った焼き立ての団子であることや、それに使っているのが地元の醤油であること、つまりはここにしかないものであることで「こんなに美味しいんだ」と思ってくれたことは非常に大きいです。その体験によって感動が生まれれば大人になっても記憶に残るし、今度は他の人にもそれを伝えたくなりますよね。
「セッタニア」のあと、非常に嬉しかったことがあって。団子作りを体験した子が、学校や習い事の帰りに自転車で寄ってくれるようになったんです。2本190円の焼きたて団子を買いに100円玉を握りしめて、しかも友だちを引き連れて。「この団子、うまいんだぞ!そこの蔵の醤油を使ってて……」と、うちの販売員より上手なセールストークを披露して(笑)、友だちみんなで集まって食べているわけです。さっそく自分の体験を共有しようとしていることにも感動を覚えましたし、単なるイベントごとで終わるのではなく、そのあとにこんな光景が生まれるような企画を、みんなで作れたということも素晴らしい。これは、このまちと、そこに集う人たちでなければ生まれなかったことだと思います。
——子どもが友達とたまる場所といえば今やコンビニというイメージですが、その場所がお団子屋になっている、というのは極めていい光景ですね。昔は駄菓子屋などにもそういう機能があって、そこにはお菓子を買うだけでなく、地域の人との交流の現場にもなっていたけれど、どこにでもあるコンビニではなかなかそうはならない。「自分はこの大切な場所を作ることに関与している」という意識が持てるかどうかの差なんだと思います。新しいことをするにも、地元のお客さんをすっ飛ばして一足飛びに外向けの大きなイメージを打ち出していたら、こうはならなかったでしょうね。
江口 私は、団子屋というのは日常的・地元密着的な、半径2キロメートルくらいのマーケットを相手にする商売だと思っています。その範囲の人たち、特におやつとして食べる子どもたちに受け入れられるだろうかということを指標にして出店をするわけですが、この摂田屋では大人たちや学校の先生方が子どもたちに「私たちのまちは、こんなまちなんだよ」ということを積極的に教える文化がある。きちんと目の前の人に向き合い、関わり合う意識のある場所だからこそ、こうなっているんでしょう。
——一方で、事業者としては外からのお客さんや観光客にも来てはほしいですよね。その際、その方たちが何に魅力を感じるはずだと考え、何を見てもらいたいと思うのかは、美意識の問題でもあります。自分たちのまちが単なる消費対象になるだけでいいのか、それともファンになって何度も来たり、積極的に関わってくれるようになった方がいいと考えるのか。前者であれば人間を数字だと割り切った商売をすればいいし、後者の場合はローカルな論理やまちの社会意識との接点の中にいることを楽しんでもらえるよう、チューニングをしなければならない。そのあたりは、どうお考えになりますか。
斎藤 このまちにはさまざまに個性豊かな方々がいますから、「あの人に会いに行きたい」と思ってもらえるようなまちにしていきたいですね。そこにお金以上の関係を出現させることができれば、とても豊かなまちづくりができると思います。
——何かを買うにしても「誰から買うのか」「どこで買うのか」といった、自分にとってより理由の大きな、交換不可能な要素が大事ですものね。
斎藤 そうですね。まちの中に、さまざまな例えば、「摂田屋に来れば江口社長が団子を焼いているところに会える」ということが、一つの大きな理由になり得る。そうした関係を、外の方とも作っていきたいです。
——社長みずから団子を焼いているんですか?
江口 たまにですよ(笑)。
斎藤 江口だんごにいけば江口社長に会えて、吉乃川さんに行けば川上さんに会える。
川上 たまにね(笑)。
斎藤 (笑)。そう思って来てくださる方が増えると、観光客とまちとの間にもよい関係が生まれるはずです。
時間をかけて関係できる相手こそ
プロセスをともにする仲間になる
江口 もうひとつ、会えることと同じくらい重要なのは、そこにいる人たちが「自分のまちが好きだ」ということが伝わることです。私は本当に摂田屋が大好きなので、本来は本店にいるべきところ、しょっちゅう来ています。「社長は?」「また摂田屋!?」といった会話が本店でよく交わされるそうで(笑)。摂田屋にいてもお店にだけいるのではなく、蔵元さんとお話をしていたり、お店でご飯を食べていることも多いです。このまちの時間が本当に楽しいなと思うから、それを自分なりのやり方で他の人に伝えようと知恵をしぼることができます。これまであまり言っていなかったんですが、江口だんごの摂田屋店では、団子の醤油は「越のむらさき」と「星野本店」さん、赤飯のお酒は「吉乃川」、さんというふうに、商品に摂田屋の醤油やお酒を使っているんです。他の商品にも「味噌星六」さん、「長谷川酒造」さん、そして機那サフラン酒と、摂田屋に立地する蔵の製品を使用していますが、それは他店舗でも売る通常商品なので、団子と赤飯だけは摂田屋店限定の特別な取り組みです。
——そうなんですか!? それはもっと知られるべきことなのでは。
江口 確かに。それによって、お店がその土地にある理由というものを、きちんと感じてもらえるといいですね。宮内・摂田屋にはそうした「ここで仕事をする理由」を考えて発信しようとする大人も多いですし、このまちで働くことを大人たちが全力で楽しんでいる姿を見れば、子どもたちもまちに愛着が湧くと思います。その積み重ねで、外のお客さんも宮内・摂田屋に来る理由、ひいては長岡に来る理由ができますから。
——江口さんは本当に摂田屋を楽しんでいますね。
江口 かなり楽しいです!(笑)
川上 私も楽しい、というか、感動することが多いです。例えば、例年「セッタニア」の際に近隣のレストランにご協力いただいて、吉乃川の酒と料理のペアリングを楽しむ講座を開催していますが、私たちは酒のプロであっても食のプロではないので、当然、食のプロの知見が必要になります。そんなときに助けを求められる方々が近くにいるというのは実に心強いですし、地元の酒と食材を使ってきちんとしたものを提供することで、お客さんにも新しい世界が開けると思います。
昨年、まさにそういうことがあって。ペアリングに参加してくれた、日本酒にはそんなに詳しくないという大学生が、酒のことや料理のこと、本当に細かく質問してくれたんですよ。で、最後に「ワインには熟成という概念がありますけど、日本酒の場合はどうなんでしょうか?」という質問をいただいて。
——体験中にどんどん解像度が上がっている(笑)。
川上 うちには長期熟成古酒もあるのでご紹介したら、併設のバーで自分の生まれ年のお酒を飲まれて、最終的にはお買い上げくださったんです。かなりいい値段のものなんですが、短い時間に彼の中でそこまでする価値観の転回があったこと、それに立ち会えたことに、本当に感動しました。
——楽しさや感動というのは本当に尊いものですね。一方、同じ地域の中で人と関係していくということは、楽しさだけではすまないものです。合意形成にかかる労力的・時間的コスト、利害調整、好き嫌いなど、大変な要素もついてきますよね。
斎藤 もちろん、さまざまな調整の必要はあります。我々の考える方向性だけが正しいわけではないし、あるテーマでは町内の方や事業者の方と意見が合っても、別のテーマでは絶対に合意が得られない場合もあります。
ただ、時には全員が「こっちのほうがいい」と思うようなテーマがもあるじゃないですか。例えば「子どもたちが元気で、地域に愛着を持てるまちになったほうがいいよね」ということに反対する人はほとんどいない。では、そこにたどり着くためにどんな議論や決定を重ねていくか。まちの皆様とは、そのプロセスをご一緒できる仲間でありたいと思っています。
——それは非常に「公共」的な考え方ですね。同じ地域に住んで毎日のように顔を合わせているわけですから、一つのテーマで折り合わないからといってすべてを切り捨ててしまうことはできない。そんな中で、一人ひとりでは限定されている人たちが自分の持っているものを持ち寄りながら理想の形へと向かっていくために、人任せではなくそれぞれコミュニケーションコストを分担しながら議論を重ねられる地域共同体の関係というのは、今や貴重といってもいい。
斎藤 まだまだその達成にはほど遠いと思ってますので、いろいろな方にご指導いただかなければなりませんが、誰がどんな考え方を持っているにせよ、何かを決めたり議論する際にその人の顔が見えて、想像力が働くような関係を日々築いていくことかなと思っています。
川上 少し話はそれますが、私にとっての宮内・摂田屋のターニングポイントは2つあって。ひとつは飲食店舗の方々が入ってきてくれたことです。私たちの基本は「吉乃川の酒」をつくることです。製造する量も多いため、それがどのように皆様の食や生活の中に存在していくのかを目にする機会が少なかったんですが、地元に私たちのお酒を使ったレストランさんが増えてきたこともあり、「作ったあとの時間」のことを考えることができるようになりました。
もうひとつは、「Hakko Trip」にせよ「セッタニア」にせよ、このまちで行われる企画がちゃんと回数を重ねて定着してきたことです。地元の人と大学や行政がきちんと協力関係を築いたうえで、一度きりのイベントではなく、継続した関係が続いていること。
そうした長期的な関係が、自分たちが楽しみながら成立するようになったんだな、と。
——おふたりのお話には非常に重要なことが含まれていると思いました。やはり、何事にも時間が必要なんですよね。一度きりの盛り上がりだとか、単なる集客や収益だけを求めて何かを行うのなら、このまちに何の愛着もない大企業でも呼び込んで、ドカンと盛り上げて荒っぽく稼ぐのが一番です。しかし、そうではなく、何年もかけて少しずつ修正を行いながら関係を作っていく先に、そのまちのムードやちょっとしたことではブレない信頼が生まれるんでしょうね。
斎藤 細かい賛成や反対は、日々いろいろあるんですよ。ただ、それも含めてこのまちですから。それを考えることを抜きにしては何も始まらない。いや、魂のないものでよければ作ることはできても、何も残せないと思っています。
「まちの景色をみんなで作る」
第二のステージのはじまり
——この先にみなさんが目指しているビジョンや、具体的な計画はあるんですか?
斎藤 地方都市の例に漏れず、地域課題としてやはり空き家・空き店舗・空き地をどうするかということは大きいです。メソッドを結成して2年が経ち、概念的なことは少しずつ浸透しつつあると思っているので、次の具体的なステージとしては、こうした空き家をいかにまちの人の流れの中に再配置し、地域にひらけるようにするかを考えるということだと思います。町内会さんとも協力しながらそれを進めていて、すでに新店舗の出店のお話もあるんですが、大事なのはあくまで発酵・醸造を軸にそれを行っていくということですね。
——場所に蓄積されてきた時間や文脈を無視してスクラップ・アンド・ビルドするのではなく、「このまちはこんなまちである」「ここでやるならこんなことがふさわしい」といった場所の性格のようなものが出来上がっていれば、それを理解している人や、そのあり方を大切にできる人も入ってきますね。豊かな蓄積をいかに、次の世代につなげていくのか。川上さんと江口さんは、何かこの先のビジョンはありますか?
川上 私たちとしては、これまで守られてきたことを守り続けていくことが第一です。その上で、私の野望としては、このまちに惹かれてやってきた人たちが滞在できるゲストハウスのようなものを作りたいな……なんて考えています。吉乃川が持っている古い建物もたくさんありますから、そうしたところを改装してまちづくりや歴史に関わる本もたくさん置いて、うちのお酒を飲んでいただいたり、食事は近隣のお店に行っていただいたり。現実的なハードルはありますが、そんな拠点ができたら、さぞ楽しいだろうと。あくまで個人的な野望ですが(笑)
——吉乃川さんは私企業ですから、本当はゴリゴリに土地もリソースも占有して、自分のところの利潤だけを追求したっていい。しかし、それをやらずに空間や利益を他者とシェアしていくということを目指すわけですね。
川上 はい。もちろん利益は大事ですけれど、自分だけが短期的にそれを得ようとしていくと、いずれ限界が来ると思うんです。私たちがメソッドでわざわざ時間も労力もかけながらコミュニケーションを重ねているのは、やはりそっちの方が将来性が大きいと考えるからです。自分たちの利益を持続的に、健全に継続していくためにも、まずは土地のほうが元気で豊かであってほしいし、そこを楽しいとか生きやすいと思ってくれる人たちが繋がっていって、また新たな状況が生まれていってほしい。メソッドでやっていることは、そのための第一歩なのだと思います。
——「地域のために」と義務感だけで滅私奉公をするのではなく、あくまで自分たちが気持ちよく生きられるための土壌づくりとして社会参加をする。これは非常に大事なことですね。
江口 あとは「無理をしない」ということが大事なんだと思います。自分たちができること、持っているものを出発点に「このまちだったら何ができるかな」ということを考えるわけですが、それがまちのサイズを無闇に超えたものであってはいけない。私たちは摂田屋の産品で団子やお菓子を作る、いわば加工業です。何百年もいいものを作ることを突き詰めてきた酒蔵さんや醤油蔵さんの産品をいかに加工して、さらにこの地域にいいものを増やしていくか。それを通じて、このまちの景色のひとつになっていくことが、まちや社会に参加するということなのかもしれません。
吉乃川さんとうちの店舗の間に細い小道があるんですが、そこを歩いていると、周辺の蔵から麹や醤油のいい香りが漂ってきて、私は大好きなんです。そこに、自分が焼いている団子の香りが加わって、また新しいまちの香りになっていく。こんな喜ばしいことはないですし、そうやってみんなで作っていく景色を大切にしながらやっていきたいですね。
川上 斎藤さんが4〜5年前にこのまちに来られたとき、正直「このへんにいないタイプの人が来たな」と思ったんです(笑)。いつもジャケットとベストでビシッと決めて、およそ今まで見たことのない人という印象でした。ですがその後、まちの人たちに一人ひとり丁寧にぶつかっていく熱意を見てきましたし、このたった一人の人がいなければ起こらなかったことが、さまざまに起こってきました。今ではこの人がいて本当によかったと思います。そのファッションも、すっかりこのまちの景色の一部になりましたし(笑)。
斎藤 (笑)。まちづくりに重要なのはやはり、今ここにいる人たちのつながりを大事にすることですし、同時に、前々から土地に蓄積されてきたものを大事にするということでもあると思います。この意志をともにできる仲間を私たちも求めていますし、事業者でなくとも「我こそは」と思う方は、ぜひご参集ください!
公開取材はこの後、まちのさまざまな人々が入り乱れて会話を交わす場になった。町内会長さんや年配者の語るかつてのまちの風景に興味を示し「ぜひ今度聞かせてください」と目を輝かせる若者、「活動をともにしていきたい」と語る学校関係者……。「時間をかけて」とは言いつつも、宮内・摂田屋methodがなければこのまちに生まれなかったはずのコミュニケーションや相互信頼が、すでに確実に生まれている。自分たちの生活を離れた大きな力ではなく、自分たちのリアリティによるまちづくりが本当に可能かもしれないと思える場所であること、それ自体がまちの魅力なのかもしれないと思わせる光景だった。宮内・摂田屋methodの活動に、これからも期待したい。
宮内・摂田屋method
[URL] https://www.miraihakko.jp/585/
Text&Photo:な!ナガオカ編集部