川口の未来を照らす、祭りの火
実行委員長 小宮山 正久さん
2万のホタルが舞い降りる夜。
夕暮れとともに、約2万本のキャンドルに灯がともる瞬間。雪景色の中に、たくさんのホタルが舞い降りたかのような幻想的な世界が広がります。川口の冬の風物詩になっている「えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭」。その実行委員長を務めているのが、小宮山正久さん(64歳)です。「毎年2月の第4土曜日に開かれるんですが、2月の長岡と言えば、年間を通じても最も寒い時期。平均気温は1℃や2℃すが、長時間外で過ごすと体感温度は氷点下です」。そんな寒さを忘れてしまうほど、お祭り当日は長岡市の内外から人が集まり、大いに盛り上がります。最大の特長は、何と言っても市民が参加できるレクリエーションが盛りだくさんなところ。地元食材を使った美味しい料理が味わえる「うまいもの屋台」が多数出店するほか、大人も子どもも参加して、ひたすら雪を積んで高さを競い合う「雪積み合戦」、子どもが楽しめる「ジャンボ滑り台」「雪中宝さがし」など、雪国ならではの催しがたくさんあります。雪明かりの向こう側に、歓声とともに大きなスターマイン(連続発射花火)があがると終了の合図。「今年の来場者数は約2万人ほど。おかげさまで大盛況でした」。
雪国の知恵。
とちお遊雪まつり、スノーフェスティバル in 越路、長岡雪しか祭り、おぐに雪まつり、えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭、古志の火まつり。今でこそ、長岡6大冬まつりの一つにその名を連ねるイベントになりましたが、意外にもその歴史は浅く、はじまりは13年前のこと。「町おこしの目玉になるようなイベントをつくれないかと、知恵をこらしたんでしょう。雪を使って何かできないか」豪雪地帯ならではの発想から、小さなかまくらに火を灯す「火ぼたる」が生まれました。「つくり方は簡単。バケツに雪をつめて、ひっくり返せば、ほらね」小宮山さんの手にかかると、あっという間に小さなかまくらが出来上がります。かまくらさえできれば、あとは中をシャベルで掘って、キャンドルを入れるだけ。子どもでも簡単につくれるところも「火ぼたる」の魅力です。「地域のみなさんの協力なしには、お祭りはできません。毎年、川口中学校の生徒さんにお願いして、雪洞づくりを手伝ってもらっています」各町内にもろうそくを配り、祭りの日一日は、川口全体が雪明かり一色になります。
夜空に咲いた花。
毎年の恒例行事としてすっかり定着した「えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭」ですが、3年ほど開催されなかった時期があります。中越地震があった2004年、川口町では最大震度7を記録。全壊や半壊となった家屋は1000棟近くにものぼりました。日常の生活を取り戻すことに精一杯。「とてもお祭りを開催できるような状態ではありませんでした」ようやくお祭りを実施できるようになったのは、震災から3年近くが経過した頃。なんとか復活させようと、役場も商工会も町の人々も、みんなで力をあわせて、開催にこぎつけました。こうして中越地震以降、初の開催となった2009年。「一面の雪景色の中、一斉にキャンドルに灯がともったときは、感慨深いものがありました」。夜空に大きく咲いたスターマインは、川口の復興の証でもありました。
絶やすことのない祭りの火。
小宮山さんが、実行委員長を務めるようになったのは3年ほど前のこと。「商工会の会長として、ではなく、小宮山正久、一個人として、代表を務めさせていただいています」まつりごとは、あくまでも地域のみなさんが主役。商工会が頭になるものではない。というのが小宮山さんの考え方です。明治の時代から、代々続く家業を息子さんに譲り、小宮山さんが商工会の会長職についたのが2012年。18歳のときに青年部に入ってから半世紀近く、川口町商工会の活動に参加してきました。「代々、親が商工会に入っていると、息子が青年部に入る、というのが習わしでした。今は後継ぎが少なくなって、我々の代で終わり、という個人商店も多いんです」中越地震以来、川口の人口は1000人近く減少し、高齢化も進んでいます。地域を活性化していくためにも大きな期待が寄せられている「えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭」。その実行委員長として、小宮山さんには強い想いがあります。「毎年、楽しみにして下さる方がたくさんいるんです。祭りの火は決して絶やしてはいけない。これからも地域を一層盛り上げていきたいと思っています」。
えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭の志
明るく楽しく住みやすい地域
長岡市と一口にいっても、その範囲はとても広く、いろんな地域があります。他の地域のいいところはどんどん見習って、長岡全体で何事にも協力し合える場作りをしていきたい。そして、私の愛する川口エリア全体が威勢のいい地域になるといいなと思っています。
(「えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭」実行委員長 小宮山 正久)