【長岡蔵人めぐり 第11回】地元の暮らしとともに三百年。名水と少数精鋭の情熱で醸し続ける関原酒造
国内屈指の酒どころ、新潟長岡市の酒蔵16軒を巡る本企画。そこで働く蔵人の魅力と美味しいお酒の秘密に迫ります。今回訪れたのは、JR長岡駅から車で約20分、関原地域にある「関原酒造」です。蔵人はわずか3名と少数精鋭ながら、生産効率を高めることで、お手頃でおいしい優れたお酒を生み出しています。いったいどんな酒造りをしているのでしょうか?
関原地域は、かつて三国街道と北国街道を結ぶ「長岡街道」が通じていた宿場町。江戸時代には、佐渡で採掘された金を江戸へと運ぶべく、多くの人や馬が往来するにぎやかな町でした。現在のまちなみもその面影を残しており、どこかノスタルジックな雰囲気が漂っています。1716(享保元)年創業の関原酒造は、街道筋に居をかまえる庄屋が、年貢米を材料にお酒造りをしたことが始まりだと伝えられています。
300年余受け継がれる
看板銘酒「群亀(ぐんき)」
創業時から変わらず醸し続けている看板銘柄が「群亀(ぐんき)」。長寿の象徴である亀を群れにすることで、縁起の良さがさらに増すネーミングです。その名が記す通り、300年以上の年月を経た現在もなおたくさんの人に愛されるベストセラーとして関原酒造を支えているご長寿銘柄の味わいは、すっきりとした辛口。キレとコク、旨みのバランスがちょうど良く、どんな料理ともうまくマッチするオールマイティなお酒です。
現在、「群亀」のラインナップは、普通酒、純米酒、純米吟醸酒の3種類です。なかでも需要が多いのが普通酒で、全国に約1000店舗をもつ「業務スーパー」でも販売されています。驚くべきはその価格で、720mlの四合瓶がなんと400円以下!もちろん「安かろう悪かろう」ではなく、毎日飲みたくなるクオリティをキープしているのだから頭が下がります。
しかし、なぜこれほど低価格のお酒を作りながらしっかり経営することができるのでしょうか?
「実は20年前、酒蔵の貯蔵庫が火事になったんです。そこから大きく酒造りの方向性が変わりました」こう語ってくれたのは、販売管理部長の外川昌樹さん。蔵人として酒造りをするほか、営業担当として卸店や小売店との商談、催事出展など、日々忙しくマルチな業務をこなす方です。
「お酒の製造機械が燃えずに残ったことは、不幸中の幸いでした。ですが、貯蔵庫を失ったことで、大吟醸のような熟成させるタイプのお酒を保管するにはスペースが足りなくなってしまったんです。それならばと、熟成不要のフレッシュな普通酒をメインに据えることにしたことが、現在の製造スタイルにつながっています」(外川さん)
現在、関原酒造が手がけるのは、熟成せずに出荷する普通酒をメインとした10種類ほど。「大吟醸」というといかにも高級そうなイメージがありますが、実際に価格もやや高くなり、飲食店需要やお土産に喜ばれはするものの、地元の人たちの日々の生活や労働とともにある酒というところからは少し離れてしまいます。不幸な事故の産物ではあるものの、普通酒メインに舵を切ったことでこれまで出会うことのなかった顧客にも支持されるようになり、低価格でも安定した経営が成り立っているのでしょう。
機械も使うが要所は手作業
少数精鋭チームでの酒造り
製造スタイルが変わったことで、人員構成も変化。以前は冬季限定で杜氏や蔵人を雇っていましたが、普通酒をメインに据えて年間を通した製造となったことで、スタッフは通年雇用の正社員のみとなりました。そんな経緯もあって、関原酒造では現在、少数精鋭の蔵人で酒造りを行っています。全スタッフ8名のうち、蔵人は3名のみ。この少ない人数で、年間20万リットル(一升瓶換算だと約10万本)のお酒を醸しています。
「たった3名の蔵人で酒造りをするためには、機械の力を借りて自動化することが必須です。でも、すべてを機械化するわけじゃないんですよ。たとえば、麹づくりは半自動化方式を採用しています。蒸したお米を製麹機へ移す作業は、衛生面と手間を考慮して機械に任せるのが最適です。でも、繊細な温度管理は人の手で行います。もちろん全て機械化もできますが、めざす味に仕上げるためには手作業も大切なんです」(外川さん)小泉元首相の演説がきっかけで
銘酒「越後長岡藩」誕生
関原酒造といえば、300年以上続く伝統銘柄「群亀」が定番ですが、2002年にはこれと並ぶ新たな人気銘柄が誕生しました。その名も「越後長岡藩」。地名が入った日本酒は地元らしいお酒として注目を集め、今では「群亀」を超える人気を誇っています。
「2001年に小泉純一郎内閣が発足した当時、首相が所信表明演説のむすびで引用したのが『米百俵の精神』の故事の引用でした。『今の痛みに耐えて明日を良くしよう』という熱いメッセージは、当時の日本に希望をもたらしてくれました。その言葉にあやかって、新銘柄『越後長岡藩』を世に出そうと決めたんです」(外川さん)「米百俵の精神」とは、幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士・小林虎三郎による教育にまつわる故事です。「百俵のお米は食べればすぐになくなるが、教育に充てれば、将来の千俵、万俵となる」との教えは、長岡の人々に脈々と受け継がれ、現在だけを見るのではなく、未来を担う人を育てることこそが豊かな社会をつくるのだという精神が育まれています。
銘酒「越後長岡藩」は、長岡人の心をとらえた“故郷のお酒”といえるかもしれません。「群亀」と同じく辛口ではありますが、なめらかな舌触りで芳醇な味わいがあるのが特徴。日常的に飲めるお酒として、また、長岡を訪れた観光客がご当地気分を愉しむ地酒として、根強い人気を得ています。
「よい水がよい酒をつくる」
縄文から続く名水へのこだわり
関原酒造が300年以上の伝統を受け継いでくることができた理由、それは銘柄の味を守り続けてきたことに尽きます。時代が変わって造り手が変わっても、先代たちが築き上げた伝統は壊さないように。毎年気候も異なり、原料の出来も異なるのですから、蔵人たちのプレッシャーは相当なものなのでしょう。
さまざまな要素が味を左右する酒造り。そのなかでも、取締役の松原正人さんは「酒造りは水が命です」と断言します。
「関原酒造の酒は、敷地内の井戸水を使用しています。ミネラル分が少ない軟水なので、すっきりとした味わいに仕上がるんです。実は、昭和50年代にトラブルで井戸水が使用できず、水道水で仕込んだ時期がありました。例年と同じように仕込んだのに、出来上がりの酒質はまったく違うものになったそうで……。つまり、よい水がよい酒を造るということです」(松原さん)関原酒造がある関原地域は、昔から水のきれいな場所として定評があります。縄文時代の遺産として名高い「火焔土器」が採掘された馬高遺跡も関原地域にあり、5000年以上も昔からこの地で人々の営みがあったことが証されています。はるか昔から人々の生活を支えていた豊かな水が、現代まで芳しい酒の原料として重宝されている……。そんな想像を巡らせながらこの地の酒をいただけば、悠久の時を超えてロマンティックな思いに駆られそうです。
「酒造りは難しいもので、毎年同じように仕込んでも、微妙に味が異なるんですよね。酵母や乳酸菌といった生き物の力を借りていますし、狙い通りにはいかないんです。毎回が挑戦ですよ。それでも、いい水を使っているからこそ、めざす酒質に近づけることができます」(松原さん)
期待の若手蔵人と共に
未来へ伝統をつなげる
現在、関原酒造のスタッフは全8名。そのほとんどが50代以上ですが、数年前に若手のスタッフが入社しました。現在、蔵人として活躍する石橋匠(たくみ)さん(28歳)です。
酒造りを担当するのはわずか3名のため、石橋さんの仕事は多岐に渡ります。取材中に石橋さんの動きに注目していたところ、蒸米機の機械部品にくっついた蒸米をほぐしたり、仕込みタンクに追加した蒸米を櫂棒(かいぼう)で攪拌したり、道具や機械を洗ったり……。休む暇なく、無駄のない動きでテキパキと作業をこなしていました。外川さんは「彼は体力がありますし、僕の6倍働きますよ!」と、その仕事ぶりに太鼓判を押します。人数が少ない環境だからこそ、一人ひとりが作業に責任を持ち、すべての工程をまんべんなくできるようにしているそうです。
「今年は4年ぶりに、県内の大型酒イベント『にいがた酒の陣』が復活します。今から準備で忙しくなりそうです。彼にも頑張ってもらわなくちゃね」と外川さん。その表情には、若手蔵人に対する厚い信頼がにじみ出ていました。時代を経て形を変えながらも、先人の技を守り続けてきた関原酒造。連綿と受け継がれてきた伝統の酒を未来へつなげるため、これからも走り続けます。
Text&Photo:渡辺まりこ
Information
関原酒造
[住所]新潟県長岡市関原町1-1029-1
[電話]0258-46-2010
[URL]http://www.sake-sekihara.co.jp/