昔ながらの味噌造りに挑む“元エンジニア”——味噌星六の「発酵哲学」とは?
理科が好き、ひとりが好きな子供時代
酒、味噌、醤油の6社が集い、麹が香る醸造の町、摂田屋。明治30年代に同じ町内の星野本店から分家した初代の星野六郎さんが定めた屋号が「星六」で、これを掲げて星野正夫さんが始めた「味噌星六」は6社の中では最も新しく、1975年創業です。
作務衣を着ると職人や芸術家にしか見えない星野さんですが、前職はエンジニア。長岡の高校から東京電機大学工学部に進学し、卒業後は電子部品メーカーでサラリーマン生活を送りました。若いころは「早くこの町を出たい」という気持ちが強かったそうです。
「祖父と父が働いていた星野本店では醤油を造っていて、祖父の代のころから味噌も始めたのではないかと思いますが、私は特に関心がなくて。兄は関東の醤油メーカーに就職し、ほかは女きょうだいなので私が戻ることになりました。若いころの自分は因習に縛られた町の空気が重いと感じていて、『こんなところに誰が帰ってくるか』と出て行きましたが、『継ぐ人がいないのなら仕方ない。この家を人手に渡すのはおもしろくないな』と思ったんです」(星野さん)
摂田屋でどんな幼少期を過ごされたのでしょう。
「人に合わせるのが苦手でチームスポーツはまったくダメ。スキーとか水泳のような自分のペースでやれるものは好きです。勉強は理数系が得意でした。小学校も中学校も理科クラブでラジオを組み立てたり、モーターを作ったり。クラス担任だった理科の先生が指導してくれて、物をつくる楽しさを知ったのはその影響が大きいですね。高校で進路を考えるときに工学を選んだのはたぶん、目に見えない電子の世界の摩訶不思議さに夢を描いたのではないかな」(星野さん)
不器用さが星六味噌を造らせる
東京で就職した星野さんでしたが、どうもサラリーマンには向いていなかったようです。
「東京本社から宮城県の工場に配属になり、電気製品の設計を担当する部署で仕様書を書く仕事をしていました。次々に仕事がきて、どんどん溜まり、現場からは『どうなってるんだ』と叱られてばかり。ほかの人は適当に言い返すのですが、私は『そうですか、調べておきます』と手に取って納得のいくまでじっくり見てしまう。上司に『君はいつも残業してるようだけど何をしてるんかね』と。そう言われても『はぁ』としか言えない。
要領が悪く、しゃべれない。私は職人気質だったんですね。最近『不器用という才能、器用というハンディ』というテーマで講演をしますが、この不器用さが星六味噌を作らせる。自分のペースで黙々と仕事をする、そんな気質だったんだなと、味噌屋になって初めてわかりました」(星野さん)
星六の特徴として、製法と共に重要なのが素材選び。徹底的に有機にこだわる星野さんですが、きっかけは何だったのでしょう。
「高校時代、母に頼まれて畑に除草剤を撒き、茶色く枯れる草を見てなんだか嫌な気がした。土の中に残ったものはどうなるのか、取り返しがつかないことになるのではないかと思いました。その後、エンジニアになり、有吉佐和子の小説『複合汚染』に衝撃を受けて。母に『除草剤はやめなよ』と電話しました。会社の寮の庭を月夜に耕してトマトやジャガイモなどを無農薬で作っていたのですが、自立した暮らし、自然と共に生き、地球の未来を考えたときに、まっとうな農業が必要だと思ったんです。
有機農業で作った材料で味噌を造りたいと思いました。長岡に戻って味噌屋をやろう、有機素材での味噌造りを誰もやらないなら自分がやるしかないと。そして4年間勤めた会社を辞め、親父が声を掛けてくれた上越の味噌屋で1ヶ月半と加茂市の味噌研究所で2ヶ月間、味噌造りの基礎を学びました。26歳のころです」
ゼロからスタートした味噌造り
そして、いよいよ長岡に戻って味噌造りを始めた星野さん。最初から順調だったのでしょうか。
「最初は何にもわかりませんでしたが、元麹屋で味噌も造っていた隣人から習ったことが大きいですね。室と釜、道具もお隣で借りて。困ったことがあれば親父にも聞いたので経験ゼロでも大失敗はなかったんです」(星野さん)
「売るまでには3年くらいかかりました。親戚がどんと注文をもらってくれたけれど、そんなにたくさんは造れない。余りゃ大変、ちょっと売れりゃ足りない、そういう状況です。最初に造ったのは、この辺りの家でも造られている米味噌で材料はもちろん無農薬。材料費はけっこうかかりましたが、それを買って食べてくれる人を求めて働きかけていったんです。
1970年代は無農薬とかオーガニックなものがまだ珍しい時代でしたが、やがて東京で無農薬野菜をリヤカーで引き売りする人がポツポツと現れて。そんな人たちのひとりに『麦味噌を造ってもらえませんか』と言われました。当時は麦で味噌を造ってる人は新潟にはいなかった。米どころだから。だけど、ほしい人がいるならやってみよう。そんな調子でやってきました」(星野さん)
私たちは「目に見えないもの」に
生かされている
試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ思い描いていた味噌が造れるようになりました。味噌造りは精神と物理の世界だと星野さんは語ります。
「麹菌1グラムに1億個の胞子がいて、1回に30グラム使うから30億個。週に2回麹室に泊まりますが、その30億個と一緒に過ごすわけです。すごい世界なんだろうなと思います。無機質ではなく、意識があり、文字や言葉はありませんが波動を感じます。
昨年6月、瞑想で世界的に有名なお坊さんが『発展途上国の人たち向けに麹づくりを教えてほしい』とカナダからやってきて。麹が出来上がるところを一緒に見たら『青い光を放ってる』と言っていました。胞子が芽を出して根を生やし、米の周りを覆って自分で熱を出す。外から加えるんじゃないんです。どんどん熱が出て冷ますのに苦労するくらいです。麹菌にはそんな力があります」(星野さん)
「味噌の中には色々な菌がいて、星六ならではの独特なやつもいます。たとえば、ちょっと乗り遅れているやつ。8月のいちばん暑く、いちばん発酵するときにノリが悪い。みんな動いてるのに休んでいて、残暑も過ぎたころにやっと動く、私みたいなやつね(笑)。みんな休んでいる中で『いいね〜。やるぞ〜!』って動き回っている。『後熟酵母』という、昔の風味を出すとか田舎くさいとか、そんなことも感じさせる酵母です。それがうちの味噌の中にいるんです。そんな摩訶不思議な微生物が、床にも空気中にも無数にいる。私たちは、目に見えない世界に生かされているんです」(星野さん)
いざ試食。
9年もののヴィンテージ味噌も!
星野さんが丹精込めて造る星六のラインナップは「こだわり味噌」「昔造り味噌」「米味噌」「麦味噌」「米・麦合せ味噌」。それぞれに1年もの、2年もの、3年ものがあります。解説を聞きながら食べ比べてみました。
「1年ものは甘みもしょっぱさも立っていて、まだ粗い生意気盛りの10代。2年ものは20代後半から30代。社会で揉まれて調和を必要としてくる。しょっぱさ、甘み、旨みのバランスがね。3年ものは、これから悠々自適で人生楽しもうかなという60代。旨みが出て、クセも出てくる。個性があり、酸味もだんだん出てきます。長期熟成の9年ものは『もういつお迎えが来てもいいわ。楽しいこといっぱいあったし』って。うちの103歳の母くらい(笑)。糖は発酵に使われ、アルコールも飛んで、それ以外の残ったもの。星六味噌は辛さが特徴で、塩分が少ないと9年まで持ちません」(星野さん)
103歳のおばあちゃんの味噌レシピ紹介
星六のおばあちゃんが作る、おすすめレシピも聞いてきました。温かいごはんに、冷奴やお酒のアテにもぴったり。どれも簡単なので、ぜひお試しください。
<ねぎ味噌>
1. ねぎを細かく切る。
2. 油で炒めて味噌と酒を加えて炒め、しっとりしたら出来上がり。
<しそ味噌>
1. しそを茹でて細かく刻む。青しそでも赤しそでもOK。
2. 油で炒めて味噌、酒、みりんを加えて出来上がり。
<ごま味噌>
1. ごまをよくする。
2. 味噌を加えてさらによくすり、お皿に塗って火にかざして焦がす。
<山椒味噌>
1. 青くて柔らかい山椒の実を1粒ずつ外す。
2. さっと茹でて、すり鉢でよくつぶす。
3. フライパンに油を少しひいて、よく炒める。
4. 白っぽくなってきたら、味噌、酒、みりんを入れてさらに炒める。甘口が好きな人は砂糖を少し加える。
<青南蛮味噌>
1. 青南蛮を細かく刻み、種を取り除く。
2. 油で炒めて、味噌、酒、みりんで味付け。
「具が多めの豚汁などは1年もの、豆腐とネギのような具があっさりした味噌汁には3年ものを。ダシは調味料や糖類が入っていない無添加のものがおすすめです。ふろふき大根や焼きおにぎりにも3年ものがいいかな。大根には、味噌、醤油、砂糖、みりんを混ぜ合わせて加熱し、水溶き片栗粉を加えてとろみをつけた味噌あんをかけて。焼きおにぎりには味噌は焼かずに塗って、そのものの味を楽しんでいただければ」と星野さん。
おばあちゃんが若いころには今ほど流通も発達しておらず、冬になると豪雪に閉ざされる越後では、食材の確保もひと苦労。そこで、味噌以外にも様々な発酵文化が育ちました。漬物もそのひとつ。
「母は『イゼコミナ』というものを食べていたそうです。『茹で』がなまって『イゼ』になったんですが、大根の葉を茹でて、塩は入れずにきつく重石をして漬け込んだもので、ちょうどいまごろ、菜っ葉が凍るくらいの温度になると乳酸菌で発酵する。酸味が出て酸っぱくなるんです。『雑炊に入れて食べてたね』と言っていました。青ものが無くなる冬場のビタミン源で、雪国の越冬の知恵です。山菜が採れる春まで、それで乗り切る。越後には、そういう知恵が伝えられてきたんです」(星野さん)
そして、味噌もちょうどその冬から春にかけての間で仕込んでいたもの。星野さんもそれに従って冬から春に仕込み、秋までじっくり寝かせて仕上がりを待ちます。
「長岡の夏の蒸し暑さは、中越地区の色の濃い味噌に向いています。いまは科学技術で何でもできてしまいますが、天然醸造の味噌・醤油造りの発酵には夏の暑さが必要。毎年、同じ材料で仕込んでも同じ味噌にはなりません。こうすればこうなるんですよ……と言えないものがいっぱいありすぎて、それが味噌造りのおもしろいところです」(星野さん)
雪国の越冬の知恵が発酵食品を生み、夏の暑さが醸造文化を育みました。その年の味噌が出来上がる秋は、期待と不安でドキドキすると星野さんは言います。「『今年の味噌はどうだろう、ちゃんと可愛がってもらえるだろうか』って」。麹菌や味噌をまるで我が子のように大切に思う、その星野さんの気持ちが発酵を促し、旨味のある星六味噌となるのかもしれません。
Text: Akiko Matsumaru
Photos: Hirokuni Iketo
味噌星六
[住所]長岡市摂田屋4-5-11
[電話]0258-32-6206
[営業時間]9:00~18:00
[定休日]日曜
[HP]http://hoshi6.com
味噌星六については、こちらの記事もどうぞ
→越後長岡の風情と芳香に浸る、醸造の町・摂田屋巡り【3】味噌星六~グルメ編