長岡の風土を織り込んだ”縄文ボードゲーム”『UMATAKA』誕生!せっかくなので馬高縄文館でプレイした

2023年末、あるクラウドファンディングのプロジェクトが話題を呼んだ。

その名も「新潟の縄文時代をテーマにしたボードゲーム『UMATAKA』制作プロジェクト」。その名は「馬高・三十稲場遺跡」から取られたものだろう。これは現在の新潟県長岡市関原にある、馬高と三十稲場という、生活時期の少し異なるふたつの集落跡が近接した縄文遺跡で、長岡市の誇る火焔型土器・王冠型土器といった縄文土器から装身具や土偶など、貴重な出土品が発見された場所だ。

その名を冠したボードゲームとあって縄文ファンからの熱い注目を浴び、プロジェクトは早々に達成。そればかりか、目標とした制作費用の486%である3,893,750円もの資金を集め、大成功を収めた。

実はボードゲーム好きの多い「な!ナガオカ」編集部。地元を舞台にした『UMATAKA』をいち早く遊んでみない手はない!ということで、ゲームを制作した新潟のサークル「銅鐸舎」に接触。せっかくなので、馬高・三十稲場遺跡のほど近くに建つ馬高縄文館で実際にプレイさせていただけることとなった。そして、さらにせっかくなのでプレイヤー兼ゲストライターにお越しいただいたのは、縄文ファンの絶大な信頼を集めるリトルプレス「縄文ZINE」の編集長・望月昭秀さん。ここからは望月さんの筆で、ゲームの制作背景とその魅力に迫る。

 

縄文ボードゲーム
『UMATAKA』とは?

「ついに念願の火焔土器を作りますよ!」
「じゃあ僕はカモシカを獲ろうかな」
「ここで竪穴住居をアップグレードします」

カモシカ、野うさぎ、ドングリ、薪、竪穴式住居、人、イヌ、そして土器……。さまざまなコマやカードが登場する

そんな声が資料館のロビーに響く。これはもちろん現代の話だ。

場所は新潟県長岡市の馬高縄文館。ここは火焔土器の発見地として有名な、史跡「馬高・三十稲場遺跡」にかかわる資料を紹介する資料館で、展示する土器は火焔土器をはじめとする重要文化財「馬高遺跡出土品」が中心になっており、さらには発掘調査や史跡整備のあゆみなども解説されている。

展示室の入り口には大きな火焔土器と対になる王冠型土器、そして「なんだ、これは!」ポーズの岡本太郎さんと、俳優の片桐仁さんの写真が入館者を誘う。

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火焔土器は、歴史の教科書や時に美術の教科書にも登場するおよそ日本で一番有名な縄文土器で、新潟県、それも信濃川流域に多く見つかっている。何を隠そう、実はここ馬高遺跡で見つかった火焔土器がその発見第一号とされている。

1936(昭和11)年に地主だった近藤篤三郎氏によって見つけられ、「馬高A式1号」と命名されたこの土器は、その燃え盛る炎のような形状から誰からともなく「火焔土器」と呼ばれはじめ、「火焔型土器」という土器の種類の標識(基準)となった。実は火焔土器と名乗れる土器は、ここ馬高遺跡のこの土器だけで、あとはすべて「火焔型」と「型」が付いている。

厳密に言えば火焔型土器の型式名(土器の型式名には遺跡の名前が付けれらる(※1))は「馬高式土器」。もちろん馬高遺跡から付けられている。

取材が行われたのは長岡らしい大雪の日。縄文館の前庭も雪に覆われ、かつて縄文人たちが見たであろう雪原が広がるような錯覚をおぼえる

縄文館に並ぶ、錚々たる火焔土器・火炎型土器の数々

※1 土器型式:形や文様などが共通する土器の年代的単位のこと。土器型式を新旧で並べたものを土器編年と言い、出土の層位の違いと組み合わせ、時代の物差しになっている。

冒頭の声、何をやっているのかと言えば、今年新しく発売される、その名も『UMATAKA』という縄文時代を舞台としたボードゲームで遊んでいる風景だ。馬高縄文館のロビーに集まった四人のプレイヤーは個々に色のついた縄文人のコマを使い、資源(リソース)を手にいれ、仲間であるイヌと協力して獲物を獲り、たまった資源を使って土器を作り、よりよい縄文生活を目指すゲームである。

「縄文っぽければいい」ではなく
専門家の監修を入れることの重要性

左から銅鐸舎の奥村康紀さん、向功さん

このゲームを作ったのは、新潟県在住の奥村康紀さんと向功さんから成る「銅鐸舎」というボードゲームサークル。かねてからボードゲームをプレイする仲間だった二人は「生まれ育った地元である新潟の歴史をテーマにしたゲームを作りたいよね」という話になり、元々モチーフとして好きだった火焔型土器のゲームの構想を立て始めた。

ゲームのアイデアは、これまでプレイした多くのボードゲームの経験を活かしながら、あれこれ試行錯誤しつつ考えた。例えばボードゲーム先進国であるドイツの『STONE AGE』(その名も石器時代)というボードゲームなどをオマージュしながら、縄文時代の要素を盛り込みながら大人でも楽しめるゲームバランスを心がけたという。

しかし、アイデアが固まってくるにつれ、二人はいかんせん自分たちには縄文の知識が乏しいことに気付く。どうせ作るならそういった点でもちゃんとしたものにしたいよね、縄文時代が好きな人にも遊んでほしいよね、という考えから、新潟県立歴史博物館に問い合わせて、学芸員の宮尾享さんに相談することとなった。

新潟県歴史博物館・宮尾亨さん

宮尾さんは優しく、そして容赦なく、考古学的なアドバイスを送る。「この絵のこの植生はおかしくないかい。この植物が生えていたらこの植物は育たないはず」、「舞台となる新潟ではニホンジカじゃなくてカモシカが良いですね」、「実は新潟ではイノシシが生息していた証拠がないんですよ」。などなど、基礎的だけど研究者ならではの目線でアドバイスしてくれた。

ゲームに登場する土器も宮尾さんがいくつか候補を出し、二人で選んだとのことだけど、結果ちょっとマニアックなラインナップ(後で紹介するが全然ちょっとではない、ちゃんとマニアックな土器)になっている。
ゲームの名前も当初は『ドキドキ火焔土器』という、あんまり考えずに付けた名前だったとらしいが、より地元感の強い『UMATAKA』に変えた。海外のボードゲームが都市の名前や地域の名前をタイトルにすることが多いこともあり、より「らしく」なった。

ネーミングが極地的すぎると広い範囲で売りづらくなってしまう可能性もあるのだが、それは今後の展開次第と割り切った。

単純に紙に印刷するだけでなく、素材の違うコマをいくつも作ったり、手触りも本格的なボードゲームにするため、『UMATAKA』の制作資金はクラウドファンディングで支援を募ることにした。「縄文」という必ずしも一般的でなく、前例もなく、かつ地元色がこんなにも強いボードゲームが、どんなふうに受け入れられるのだろうかと心配でなかったとしたら嘘になる。しかしその不安はあっさりと解消された。

最初の目標金額の80万円はクラウドファンディング開始半日であっという間にクリアしてしまい、200%、300%のネクストゴールも楽々とクリア、最終的にはなんと486%の達成率。約一ヶ月の募集で400人を超える支援を受けることができた。これは他のボードゲームのラウドファンディングと比べてもかなり上手く行った例だという。

クラウドファンディングのプロジェクト画面。「狩猟!採集!土器!」というコピーの謎の勢いもあってか、416人もの支援者が集まった

ゲームは現在すでに生産に入っており、今年4月の東京ゲームマーケットで先行発売、5月から一般発売とスケジュールされている。一般発売は、公式オンライン販売やボードゲーム専門店などへの卸を想定しているとのこと。

そんな発売前の『UMATAKA』を早くもプレイすることができると聞き、縄文ファンである、私、縄文ZINE編集長の望月は喜び勇んで長岡に飛んだのだった。

 

自然と上手く付き合いながら
狩猟・採集をし、土器を作る

ついにご開帳した『UMATAKA』。開いた瞬間は「なんだか難しそう……」と思っても、プレイすればすぐにわかるのがボードゲームだ

実際にはどんなゲームなのだろうか、縄文のことであれば多少は知らない訳ではないが、ボードゲームはかなり久しぶりだ。まずは銅鐸舎の二人から簡単にゲームのルール説明を受けたが、それほどシンプルなものではない。不安ではあったけど、まあとにかくやってみましょうと四人のプレイヤーがボードを囲む。

左から望月さん、編集部・髙橋、テーブルを向かい合わせて宮尾さん、編集長・安東。奥村さんがルール説明と司会進行を務めてくれた

プレイヤーは縄文ZINEの望月。『な!ナガオカ』編集長の安東嵩史さん、編集部員でもある長岡市の職員・髙橋千春さん。そして、このゲームの考古学的な相談を受けた宮尾さん。オブザーバー的に「銅鐸舎」のお二人にルールについてのアドバイスをもらいながら進める。

複雑に思えたルールは、それほど心配はなかった。やっていくうちに大体理解でき(ちゃんとマニュアルを読む必要はあるけど)、ちょうど良い歯応えと、ほどよく迷う選択肢がたくさんあって、悩みながらも手を進める。

プレイヤーは信濃川沿いにある縄文時代の集落の長(おさ)。手持ちのコマは自身の家族(縄文人)5体とイヌ2体のみ。サイコロなどはなく、この計7体のコマをいわば労力として消費しながら資源を探索したり狩りをしたりして手持ちのアイテム(薪や粘土などの資源と、鮭やカモシカといった獲物)を増やし、同時にメインのコマに集落のまわりを歩かせる。春夏秋冬の四季でターンが変わり手持ちの資源やコマが増えるにつれ、できることが広がる。自然とどれだけ上手く付き合えるかがポイントになるような気がした。

プレイヤーたちは春夏秋冬、いつでも集落のまわりをぐるぐると歩き回っている。かつての人々にとっては集落の周辺だけが世界だった

狩猟によって得られる獲物はクマ、キジ、野うさぎ、カモシカ、タヌキ、そして鮭。最初はイノシシもいたが「新潟にはイノシシがいた証拠がない」という宮尾さんの監修によって消えた

『UMATAKA』を進める上で一番の嬉しいポイントは、やはり土器作りだろう。コマが進み、所定の場所を過ぎると土器づくりの権利が手に入るのだが、土器を作るための材料を持っていないと作れない。土器をこねる粘土と火を起こすための薪となる木材、それから「霊感」という、炎の形をしたアイテムが必要になる。「霊感」はなかなかの貴重品で手に入る機会の少ないアイテムだけど、最も獲得ポイントの高い火焔土器を作るには、この霊感が3つも必要になる。

採集物のコマも楽しい。左からドングリ、粘土・木材・そして「霊感」、右端は新潟で算出されるヒスイ

宮尾さんは「この霊感というのがいいんですよ。やっぱり、土器はただ作るだけじゃないんです」と、ニコニコ嬉しそう。縄文時代の土器づくりは単純に道具を作るといった行為を超えて何かの祈りや願いが込められていたのではないかと考えられている。そこをゲーム上で再現したのが「霊感」と言うことか。

土器は火焔土器だけではなく、全部で6種類作ることができる。すべて新潟の土器で、縄文時代草創期(約15600年~11400年前)からは干溝遺跡の隆起線文土器という、いわば始まりの土器。次の縄文時代早期(約11400年~7100年前)は室谷洞窟の貝殻沈線文系土器(田戸下層式)。縄文時代前期(約7100年~5500年前)は縄文や撚糸文や刺突、コンパス文など文様が多彩な新谷遺跡の布目式(新谷式)土器。縄文時代中期初頭(約5500年前)は山下遺跡の千石原式土器。中期後葉(約5000年前)は馬高遺跡の栃倉式土器。そしてもちろん中期中葉の、馬高遺跡の火焔土器……。

左から年代順に干溝遺跡の隆起線文土器、室谷洞窟の貝殻沈線文系土器、布目式(新谷式)土器(の予定だが、このサンプルではミスプリントで隆起線文土器になっている)、山下遺跡の千石原式土器、馬高遺跡の栃倉式土器、馬高遺跡の火焔土器。ゲームの都合上火焔土器のポイントが最も高いが、「貴重さを考えると古いもののほうが高ポイントでは?」など、愛好家ならではの話が飛び交う

みなさん、隆起線文土器はともかく、布目式や千石原式土器という名前を聞いたことがあるだろうか。ほとんどの人が「?」に違いない。いや、隆起線文土器だって栃倉式土器だって知ってる人がどれだけいるだろうか。

と言っても、みなさんは悪くない。これは知らなくて当たり前の言葉なのだ。ほとんどの人が土器型式を知らないし、その中でもこれらはとびきり有名なものというわけでもない。一言で言えば、とにかく一般的じゃない、マニアックすぎるのだ(どこからどこまでが一般的なのか、もはや僕自身定かではないけれど)。

こういうゲームは知っている・知らないではなくて、少しぐらいマニアックな方が盛り上がるんじゃないかとも思うが、それを考慮に入れたとしても、なかなかのラインナップだと思う。土器のセレクトに協力した宮尾さんの趣味が入っているんじゃないかとの疑いもある。

それにしても栃倉式土器にはもっと派手な造形の優品があるはずなのに、なんでゲームに採用された写真がこれなんだろう……。例えば十日町市の笹山遺跡のほうの栃倉式土器だったら、全く火焔土器に負けない派手さと格好良さがある。疑問に思い、宮尾さんに聞く。

「これは考古学者の八幡一郎(※2)が初めて全国的に紹介した栃倉式土器なんですよ。良い土器じゃないですか! 1949年に国立博物館の『日本美術史総合展』にも展示されています」。学史的にも重要な土器とのことだけど、やっぱり趣味が少しは入っているんじゃないかと思う。

『UMATAKA』のマニュアルには宮尾さんによるコラムや土器の解説なども収録されている。こちらも縄文ファンには嬉しい特典と言えるだろう

もし僕が選ぶとしたら縄文早期は卯ノ木遺跡の楕円と山形の押型文(※3)が楽しい卯ノ木式と縄文後期の三十稲場式(※4)は絶対入れたいな、と、こちらも趣味丸出しで妄想する。妄想ついでに言えば、『UMATAKA』は新潟が舞台だけど、別の地域でもこのゲームが作れるなとも考える。土器を地域にあわせて、生業にちょっと手を入れれば、世界遺産にもなった北海道・北東北を舞台にしてもできるし、お隣の長野・山梨の八ヶ岳山麓を舞台にしてもいいんじゃないか、その場合は黒曜石をキーアイテムに設定し直して……なんて妄想が捗る。

ちなみに、多くのカードゲームでそうであるように、このゲームでも土器の拡張キット(作れる土器の種類がもっと多いカードのセット)も用意される予定らしい。ぜひ卯ノ木式を入れてくれ〜。

『UMATAKA』ではゲーム中にドングリを手に入れることができ、嬉しいことに土器の中にドングリを入れて調理してもポイントを得られる。そう、土器は鍋なのだ。

※2 八幡一郎:1902年生まれ日本の考古学者、山内清男、甲野勇とともに編年三羽烏と呼ばれ考古学の黎明期を牽引した。また新潟県の縄文土器編年を指導する立場でもあった。

※3 押型文:幾何学型の文様を彫刻した丸い棒を土器表面を転がして模様を付ける縄文時代早期に使われたテクニック。

※4 三十稲場式:縄文後期前葉に新潟県を中心に流行した土器型式。三十稲場遺跡は沢を隔てて馬高遺跡と隣接した遺跡で、馬高縄文館では三十稲場遺跡の資料も展示されている。

ゲームの核となる、労力としての人とイヌ。イヌは人と一緒でなければ一人前の労力にならないという設定だが、ある条件を満たせばどんどん増やすこともできる

縄文時代には人とイヌは良いパートナーシップで結ばれ、互いの生活を支え合っていた。それは人と同じようにイヌも埋葬されていたことからも窺い知る事ができる。

そのため『UMATAKA』でもイヌは大活躍する。イヌを上手に使い活躍させることがゲーム攻略のために重要なポイントと考えてもいいのかもしれない。人とイヌは一緒に行動し、狩りだけではなく、資材を探す時にも役にたつ。スキルを磨くことによってイヌを増やすなど、有利に使えるようになる要素もあり、「イヌ使いの縄文人」としてゲームを戦う作戦もあるだろう。

いずれにせよ、イヌを重要視しているところも、縄文好きとしては好感触だ。

 

ゲームは白熱のデッドヒートに!
縄文人たちの魂も燃え上がる

ゲームは春から冬まで4ラウンド・一年を単位に進む。春から夏、秋くらいになると今までの積み重ねに加えて、ゲームの進行の中でもやれることが増えてくる。竪穴住居をアップグレードして家族を増やしたり、土器づくりを有利に進めることもできる。

その頃にはプレイヤーは自身が縄文時代の集落の長であることに慣れて、すっかりその気になっている。目を閉じれば信濃川の流れる音が聞こえてくる。イヌが吠えてムラの中を駆け回り、近くの集落からは助っ人も訪れる(ゲーム中、家族ではない期間限定の助っ人を手に入れることができる)。

手持ちの資材や獲物や土器、これらは最終的に得点になるが、もうひとつ、新潟県の糸魚川周辺でしか採れないヒスイも重要になってくる。ヒスイは縄文時代の威信財として全国的に貴重だった緑色の石材だけど、さすが新潟が舞台なので、このゲームの中では割に豊富に手に入るアイテムとなっている。このヒスイには一つずつ異なるポイントが割り振られており、プレイヤーはヒスイを手に入れても、ゲームが終わり総得点を合算するときまでそれが何点かを見ることはできない。つまり、偶然ポイントの高いヒスイを多く持っていれば、最後の最後に大どんでん返しもありうるのだ。

他のプレイヤーを出し抜く要素はそれほど強くなく、平和裡にそれぞれの家庭を充実させていくのが目的というのも縄文らしい。ただし、宮尾さんの目はすっかり狩人のそれ

狩人の目をしたまま、誰よりもゲームを楽しむ宮尾さん

後半に行くに従ってゲームは白熱していく。ここまでくるとプレイヤーのスタイルにも特色が出て、各自違うやり方(縄文生活)でゲームを進めていく。獲物を全種類集めようとするプレイヤー(全種類集めると最後にポイントが高くなる)、戦略的にイヌを増やし、「イヌ使い」として戦うプレイヤー。とにかく土器をたくさん作ろうとする土器プレイヤー。

「あっ、そこ私が置きたかったコマなのに」
「シャケと木材と粘土を交換します」
各プレイヤーからはそんな声が上がる。

春夏秋冬、それぞれの季節によって集落のまわりで得られる産物が変わってくるのもリアリティがある

様々な作戦があり、それでもゲームはかなりの接戦で最後に誰が勝つのかわからない。

冬が終わり、一年が終わる。そこでゲームは終わる。手持ちの点数を数え、順位を確定させる。私、縄文ZINE望月は狩りですべての種類の獲物を獲得し、すでに自信満々(すべての種類の獲物を持っていると最終的に高得点になる)。しかし、ヒスイをほとんど手に入れられず、ヒスイポイントが少なかったことが響いて残念ながら2位に。1位は長岡市の職員である髙橋さん、その差は実に1ポイントのみ。結局のところなかなか拮抗した良い試合だったなと思う。

ゲーム盤の外周にある、数字が書かれたマスが獲得ポイント。1位は編集部・髙橋(黄)の107点、わずか1点差の2位は、なんと同率で望月氏(緑)と宮尾氏(青)。編集部・安東(赤)はイヌを増やすのに夢中になっているうちに一人ダントツの最下位に

ゲーム時間は1時間から1時間半くらい。今回は4人でプレイしたけれど、2人から遊べるとのことだ。1度遊んだだけではわからないが、どうやら複数の攻略法がありそうで、かつ相手を邪魔したりもできて、少しだけ運の要素もある。これはなかなか奥の深いバランスになっているようだ。次に遊ぶときはこの作戦で行こうかな、なんて妄想もできる。
『UMATAKA』は縄文のことに詳しくても詳しくなくても楽しめるゲームだ(詳しくてもそれほど有利にはならないが……)。それでもプレイしているうちに何となく縄文時代のことをもっと知りたいと思えてくるゲームだと思う。

初めて作った土器には愛着もひとしお。ボードゲームファンも、そして縄文ファンも、期待する価値のある作品に仕上がっている

ゲームをプレイした後に資料館を訪れても、プレイする前に訪れても良い。新潟ならもちろん長岡に馬高縄文館、新潟県立歴史博物館、近くの町にも十日町市博物館、津南町の「なじょもん」など、火焔型土器が見られる場所は他にもたくさんある。「これが自分が作った土器か……」なんて見方をするのも良い。この『UMATAKA 』を通じて縄文生活に浸ってみると、さらに縄文時代が味わい深く楽しめ、土地土地で異なる歴史や風土に思いを馳せるきっかけにもなるはずだ。

 

銅鐸舎

[note] https://note.com/dotakusha/

馬高縄文館

[住所]新潟県長岡市関原町1-3060-1
[開館時間]火曜〜日曜 9:30〜17:00、月曜休
[電話番号] 0258-46-0601
[URL] https://www.museum.city.nagaoka.niigata.jp/umataka/

新潟県歴史博物館

[住所]新潟県長岡市関原町1-2247-2
[開館時間]火曜〜日曜 9:30〜17:00、月曜休
[電話番号]0258-47-6130
[URL] http://nbz.or.jp/

縄文ZINE
http://jomonzine.com/index.html

 

Text:望月昭秀(縄文ZINE)/Photo:池戸熙邦

 

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