地方だからこそ、0を1に変えられる。BMX世界トップ選手・片桐亮さんが長岡にこだわる理由
小さなタイヤの自転車を自由自在に乗りこなす競技、BMX(バイシクル・モトクロス)。近年はオリンピック競技などで目にした人も多いかもしれません。国際競技としてのBMXにはいくつかの種目がありますが、そのひとつ「フラットランド・フリースタイル」の世界トップ選手が、実は長岡に住んでいて、活動していることをご存じでしょうか。
長岡に2000年に生まれた片桐亮さんは4歳のときに父親の影響でBMXレースに出会い、12歳でフラットランド・フリースタイルを始め、18歳で世界大会に優勝。押しも押されぬ若きスター選手となりましたが、今も長岡を活動の拠点としています。
片桐さんは長岡でどのようにBMXの腕を磨いていったのでしょう?そして、世界で活躍するようになっても長岡で活動し続けるのはなぜ? お話を聞きました。
かっこいい大人たちから
「遊び」感覚でトリックを学ぶ
ガチャガチャ、カンカン、ギーッ。取材当日、片桐さんにお話を聞いた場所は、長岡市内川西にあるバイシクルショップ「GLOW」。専門的な自転車修理を行い、スポーツバイクを扱うお店です。この日も、店内では修理の音が鳴り響いていました。

片桐さんのお父さんが創業したこのお店は、全国のBMX愛好家が集まる場所になっていて、自転車をカスタマイズするために県外の人も訪れます。「たぶん(父の技術が)信頼されているんでしょうね。選手の僕としても、やっぱり一番信頼できるのはここなので」と片桐さんは言います。

片桐さんのお父さんによると、長岡でフラットランドを含むBMXのフリースタイルが流行り始めたのは1995年頃。「10人もいないくらいのメンバーが夜な夜な集まって公園で乗っていたのが始まり」で、お父さん自身もBMXにハマって、自転車店で働いていたそうです。
そして、片桐さんが生まれた次の日に「俺、辞めて独立します」と宣言して、年を越した冬にGLOWを開業。「けっこうクレイジーだと思いませんか? (子どもが生まれたら)ふつう安定を求めるのに、逆ですよね」と笑う片桐さんは、この場所とともに成長していきました。

「子どもの頃、お店にくるお客さんでかっこよくトリックをしている人たちがたくさんいて。それに影響を受けて6歳頃にフラットランドを始めたんですど、競技として始めるというよりは、遊びでなんとなく始めたっていう記憶なんですよね。小さい頃なので、あんまり覚えてないですけど、たぶん真似したかったんじゃないかな」(片桐さん)
もともとBMXは、1970年代初頭にアメリカ西海岸ではじまり、大人が乗る「モトクロス(バイク)」に憧れた子どもたちが自転車を乗り回すようになったことが原点とされています。BMXフリースタイルはBMXレースの待ち時間など合間にトリックをして遊ぶ人が出現してできたという説も。「スポーツ」や「競技」ではなく、「遊び」や「模倣」のなかで発展したストリートカルチャーであるというところが重要なのかもしれません。片桐さんもまた遊びと模倣のなかで、BMXを習得していきました。



「(店に来ていたお客さんたちは)一人ひとり得意な技が違ったんですよ。片輪を上げるにも、前輪が得意な人もいれば後輪が得意な人もいるし、ぐるぐるとスピンするのが得意な人もいればバランスをとりながら大きく走るのが得意な人もいる。たとえばフィギュアスケートでも、選手によって得意な技が違うじゃないですか。だから、得意な人に教えてもらって、それぞれの技を吸収していきました。『一人ひとり倒していった感』があります(笑)」(片桐さん)
同世代ライバルはいないから
下の世代を盛り上げていきたい
中学生のときから大会に出始めて、めきめきと腕をあげていった片桐さんが「手応えを感じ始めた」というのは高校二年生の頃(2017年)。C3 JAMという石川県で開催されたコンテストで優勝して、なんと日本トップの選手に「勝っちゃった」のだそうです。感覚をつかんだ片桐さんは、その2年後の2019年に「UCI BMX Freestyle Flatland World Cup」という世界大会で優勝を果たします。 高校を卒業してまもなくのことで最年少優勝、しかも予選最下位8位からの優勝で、上の世代のライダーたちを驚かせました。
今でこそさまざまな世代の人に親しまれているBMXですが、当時、片桐さんの同世代にライダーはあまりいませんでした。というのも、BMX人口は最初に流行った世代とその子ども世代に多いのですが「子ども世代」にドンピシャなのは片桐さんより少しだけ年少である、弟の片桐悠さんの世代。その兄である亮さんはふたつの世代に挟まれた、いわば狭間の世代なのだそうです。

「大会に行っても、同世代がいないんですよ。だからいつも大人たちと一緒にいて。でも、だんだんその世代も年齢が上がっていくわけですよね。家庭をもってやめる人もいて。上の世代も減って同世代もいなくて、ガツガツ一緒に競技できる仲間がいないな、と思ったときに、下の世代を育てるしかないと思って。だから僕が練習してきて、いろいろと遠回りしてきたことを最短ルートで教えているという感じですかね。いまは下の世代やキッズ世代がどんどん盛り上がっている時代です」(片桐さん)
弟の悠さん(2005年生まれ)は2025年にBMX世界最高峰の大会である「アーバンサイクリング世界選手権」に日本チャンピオンとして臨み、見事優勝して世界の頂点に立ちました。悠さんの活躍について「バトルで対戦したり、順位争いでライバルになるのは僕としては複雑な気持ちですけど(笑)」と前置きして、片桐さんはこう続けます。

「昔は僕が教える立場でしたが、いまとなっては戦友のような存在ですね。近い関係なので、お互いに色々と話して情報なり、技術なりを補い合える部分はあるんじゃないかと思っています。ライバルであり、仲間でもある、みたいな感じです」(片桐さん)
現在、悠さんは関東在住で、片桐さんは長岡在住。「やっぱりその場所にいないと知り得ないこと、できないことがあるので、いい感じに役割分担できてるかな」と片桐さん。新潟でイベントがあるときは片桐さんが悠さんを呼び、東京でショーがあるときは悠さんが片桐さんを呼ぶ。片桐さんは長岡で生徒を教え、悠さんは関東で経験したことを共有する。そんなふうにそれぞれのやり方で、日本のBMX界を盛り上げています。

「空白の4か月」を克服した長岡が
新たな才能の発信地になる?
実は、BMXの世界で新潟の知名度が上がってきているのだと片桐さんは言います。
「最近びっくりしたことが、外国人BMX選手の口から『新潟』という言葉が普通に出てきたことです。BMXって競技に出るときに出身地を言われるんですよ。それで、海外のライダーが認知するようになったんだと思います」(片桐さん)
東京や大阪、福岡など規模の大きい都市のほうがやはりBMX人口も多いそうですが、片桐兄弟や片桐さんとほぼ同世代の早川起生さんなど、若手選手の活躍が目覚ましい新潟も一目置かれるようになっているようです。

すかさず、片桐さんのお父さんが「いい選手が出てくるようになったのは、『空白の4か月』がなくなってからだけどね」と補足してくれました。冬は厳しく、雪が降り積もる長岡。以前は11月中頃から3月にかけては練習できる場所がほとんどなく、唯一の場所が滝谷にある地下道だったそうです。人や車が少ない夜遅くに訪れ、寒いなか手袋をして練習していました。でも、路面はゴツゴツしていて決して十分な環境ではありませんでした。
そんな片桐さんが高校に上がるくらいのときに力を貸してくれたのが、お父さんの友人で、BMX経験者でもあるオートバイ店の店主でした。フロアを貸してくれて、室内でBMXに乗れるようになり、年間を通して練習できるようになりました。その頃から、腕の立つ選手が増えてきたそうです。その後、GLOWも店舗のフロア部分を広げて、店で練習ができるようになり、片桐さん自身もここで練習し、ここでスクールを開いて、下の世代に教えています。


GLOWはショップ兼スクールで、片桐さんとお父さんによって運営されています。BMXの世界では、ショップを起点にカルチャーができあがっていくことが多いのだとか。
「今では日本各地に専用の施設がありますが、昔は外で乗るのが当たり前で、雪の降らない関東などでは通年乗れる環境がありましたが、新潟では冬に乗れませんでした。ちゃんと平らな路面で、時間や天候に縛られることなく練習できる環境は選手にとってアドバンテージになりますよね。もしかして、新潟は冬に練習できなかったからこそ、室内練習場ができるのが全国的に早かったのかも。それが結果的によかったのかもしれないです」(片桐さん)
キッズ世代である片桐さんの生徒も、年間を通した練習で腕をあげています。県外の大会に行っても「新潟出身というだけでちょっと注目されるような風潮がある」と片桐さんは言いますが、それはあくまで限定的な現象にすぎないという自覚も忘れてはいません。

「確かに新潟や長岡はBMX界でよく知られるようになっていると思いますが、だからといって自分が何かできているわけではないんですよね。たとえば、日本全国からライダーが集まったり、有名な海外ライダーが新潟に来たりするようなきっかけを僕はまだつくれていないんです。やっぱり、場所や大会が必要ですよね。関東よりはアクセスが悪くて、冬はスノータイヤをはかなくてはいけないですけど、長岡がわざわざ行くべき環境になれたらと思っています」(片桐さん)
長岡だからできる、
0を1に変えるおもしろさ
片桐さんがGLOWで開催しているスクールには、5歳から中高生までの約40人の生徒が通っています。長岡市内だけでなく、遠いところでは阿賀野や魚沼からも。新潟県全域から生徒は増え続けていて、やめる人は少なく、「コツコツと努力する人」が多いとのことです。全国大会で優勝するような生徒も育っています。
「おそらくストリートスポーツ全般のことだと思うんですけど、BMXって、楽しめるようになるまでが長いんです。技ができる・できないがはっきりしているので、挫折する人も多い。でも、その分達成感は大きいですし、日々成長を感じられるというメリットもあって。やっぱり継続が鍵になってきます。僕はそこが教育的にもすごくいいと思っていて。BMXを通して、何かを継続できる子になってほしいんです」(片桐さん)

「子どもが成長するうえで、スポーツを通して学ぶというのが大事だと思っています。みんながプロになるわけではないと思いますが、大人になったときにBMXをやっていてよかったなと思ってくれたら。人前に出る度胸とか、挑戦する姿勢とか。BMXで学んだことはきっとほかのことにも生かせると思います」(片桐さん)
スクールの生徒数が増え、GLOWのフロアではスペース的に入りきらなくなってきたため、今後は新しい場所を作る計画もあるそうです。新潟県でフラットランドのスクールを運営しているのは片桐さんのみ。しかも、同じ場所ににバイクのフレームやパーツが揃い、腕利きのリペアマンもいるショップがあるという最高の環境が整っています。


ショップには国内外から取り寄せた選りすぐりのBMXパーツが並びます。
さらに、イベントに出演したり、大会を企画したりと競技だけではない多面的な活動を行っている片桐さん。2026年1月に行われた「長岡アーバンスポーツフェス」でスケボーなどほかのスポーツと同じ会場で体験イベントを行い、BMXをアピールしてきました。「関東だとすでにたくさんの機会があるかもしれませんが、新潟はまだまだ環境が整っていないからこそ、0を1に変えるのがおもしろいんです」と片桐さんは楽しそうに話します。

「BMXって、ほかの人と同じ技をやっていても評価されないんです。いまプロとして世界で戦っているひとたちは、誰もやってないオリジナルのトリックをたくさんもっている。どれだけ自分だけのスタイルや個性をもつかが評価される、そういう世界なんです。常に新しいものを生み出していこうとする姿勢がある。なんだか、いま僕が長岡でやっていること自体がそれに似ているというか、まだ誰もやっていないことをやろうとしているのかもしれないです」(片桐さん)
BMXやスケートボードといったストリートカルチャーは、都市のなかで隙間を縫うようにして、禁止されたり、迷惑がられたりしながら非公式に発展してきたものでもあります。そういう来歴からいいイメージを持っていなかったけれど、オリンピックなどで選手や解説者が見せる、技術や勝利だけを追い求めることなく互いにリスペクトを忘れない姿勢にイメージが変わったという人も多いでしょう。そのスピリットの根っこは、互いにそれぞれの場所で「まだ誰もやっていないことをやろうと」してきた仲間であるという意識から来ているのかもしれません。
ストリートで生まれたBMXもいつしか「アーバンスポーツ」と呼ばれるようになり、競技人口も増えてその文化自体が変容しつつあります。でも、その変化に合わせて、また新しい楽しみかたをつくっていくのもストリート的な文化なのかもしれません。「子どもたちが怒られることなく、安心してBMXに乗って楽しめるよう、僕らが環境を整えていきたい」と語る片桐さんの眼差しには、この長岡から新しいBMX文化をつくっていこうとする意志がありました。

Text & Photo: 橋本安奈







