ともに泳ぎ、ともに生きる。パラ水泳支援ボランティア「スイム・リーダー愛」の31年
2022.1.19
東京2020オリンピック・パラリンピックに沸いた2021年。選手たちのひたむきな姿に心を動かされ、勇気をもらったり、新しい競技に釘付けになったり、数々の名場面に触れて、私もなにかスポーツを始めたい!という衝動に駆られた人もいるかもしれません。新潟県では、阿賀野市の中学生でパラ競泳選手の山田美幸さんが背泳ぎの50mと100mで銀メダルを2個獲得し、14歳にして日本のパラリンピック史上最年少メダリストとなったニュースが話題になりました。
「共生社会ホストタウン」としてパラスポーツ普及に取り組み、多様性を認め合う共生社会を目指す新潟県長岡市には、長年にわたって障害のある人たちのために水泳教室を開催し、リハビリと体力づくりを支援してきた団体があります。その名も「スイム・リーダー愛」。ボランティアひと筋31年、80歳を迎えたばかりの代表・菊地湛(きよ)さんにお話を伺い、活動の様子を取材しました。
「長岡婦人水泳クラブ」に加わり
40代後半で泳ぐ楽しさを知る
「スイム・リーダー愛」が開催する障害者の水泳教室は毎週木曜日14時30分から16時までの90分間。JR長岡駅から車で10分ほどの場所にある、市民が“おやま”と親しむ悠久山公園内の「悠久山プール」で行われています。
「スイム・リーダー愛」代表で指導員でもある菊地湛さんは、1941年燕市生まれ。2021年の秋、めでたく傘寿を迎えました。水泳を通して長らく障害のある人たちと接してきた菊地さんは、事前合宿で長岡に滞在したパラリンピックのオーストラリア競泳チームと交流し、「東京2020パラリンピック長岡採火式」にも参加。どんな気持ちでパラリンピックをご覧になったのでしょう。「教室の生徒さんもボランティアさんも、特に競泳は熱心に見てましたね。(山田)美幸ちゃんはよかった!新潟市のプールで毎年記録会があって、小ちゃいころからずーっと見てきたから、つい美幸ちゃんって呼んじゃいますけど、障害があっても、なんでも自分でやるっていう根性のある子です。パラリンピックはいいきっかけになりましたね。こういうことがないと、なかなか障害者に目が向きませんから」(菊地さん)
悠久山プールの教室で指導員を務め、別のプールでご自身も水泳を楽しむ菊地さんですが、水泳人生のスタートは意外にも遅かったそうです。結婚後、夫の仕事に伴って長岡市に転居し、3人の子どもたちを育て上げた40代後半になってから「長岡婦人水泳クラブ」で初めて水泳を習ったのだとか。「それまで運動に縁がなく、まったく泳げなかったけど、次男と三男が水泳部で、よくプールに応援に行ってたんです。それで私も水の中に入った感覚になっていたのかな。婦人水泳クラブのことが新聞に載っていて、わぁ、すごいな、やってみたいなと思い、初心者教室に入って習い始めました。いまもクラブが私の本拠地で、スイム・リーダー愛の活動もあるから、週に何度もプールに入ってふやけてますよ(笑)」
先輩に誘われて指導員資格を取得
「スイム・リーダー愛」設立へ
水泳を始めて1年が過ぎ、ビート板を使って泳いでいた菊地さんは、クラブで出会った10才年上の大野一代さんに「一緒に研修に行かない?」と声を掛けられ、東京での研修に参加することに。それは障害のある人に水泳を教える指導員養成の研修でした。
「大野さんに『まだ泳げないのに、私でいいんですか?』って訊くと、『大丈夫!関係ないわよ』って言われて。誘ってもらえてうれしかったから、一緒に学んで障害者水泳指導員の資格を取りました」
1990年、大野さんが代表となり、長岡婦人水泳クラブから派生した「スイム・リーダー愛」を設立。菊地さんは大野さんのサポート役を務め、最初は身体障害のある子どもたちの教室、次に高齢者向けのリハビリや体力増進のための教室を開きました。
「当時、長岡市が障害者向けの水泳教室を夏だけ開催していたんです。私はそちらでも指導員をしていて、交通事故で障害を負った若い男の人を担当しました。ケン君という彼が、うちの次男を『菊やん』って呼ぶんですよ。以前水泳をやっていて、息子を知っていたんですって。そうか、息子と同い年のこんな若い人が不自由な思いをしてるんだなぁ……と。教室の最終日に、『ケン君、これで終わりだけど水泳を続けたくない?』って聞いたら、『続けたいけど行くところがないんだ』って。それで大野さんと相談して、障害者のための教室を立ち上げたんです」
ケン君の名前を取り、障害者の水泳教室は「サークルケン」と名付けられました。ほかに子ども教室「サークルエンジェル」、シニア教室「サークルグッピー」、さらに国体選手のために月1回の「選手コース」を開催しています。
毎週木曜日の午後はプールに集合!
共有する時間で育まれる信頼と親密さ
最初はケン君1人のための教室でしたが、次第に口コミで広がり、生徒が増えていきました。
「送迎はしていないから現地まで来てくれる人に限られますが、水中運動を通してのリハビリということで、脳梗塞などの後遺症で半身不随の人が多いですね。パーキンソン病の人もいます。自分で運転してやって来る人、付き添いの家族がプールにも一緒に入る人、いろいろです。水泳の効果は医学的にも認められていて、悠遊健康村病院の整形外科医、立川厚太郎先生も『水中運動はいいですね』と、患者さんを紹介してくれました。現在のサークルケンの生徒さんは15人、ボランティアさんが10人、家族の人たちも入れると30人くらいでワイワイやってます」
そろそろ開始時刻が近づいてきたので、プールに移動しましょう。車椅子の人、杖をついている人……、様々な障害を抱える人たちがプールサイドに集まってきました。
温かな日差しが降り注ぐプールで
ゆったり流れるピースフルな時間
参加者全員がプールに入ったら、菊地さんがご挨拶。その日の体調や都合により、途中でプールを出て帰宅してもいいことになっているため、今日お休みの人や今後の予定など、共有しておきたい連絡事項を先に伝えます。
水中で準備体操をして、一列に並んで歩いたり、ボランティアの人に支えられて泳いだり、それぞれのペースで楽しく運動するみなさん。水に入ってしまうと誰が生徒で、誰が付き添いの家族で、誰がボランティアのスタッフなのか、よく見分けもつきませんが、家族のような親密な雰囲気があふれ、平和で穏やかな時間が流れていました。菊地さんの背中を押し続けた原動力と
これからの「スイム・リーダー愛」のこと
スイム・リーダー愛の設立から13年後に菊地さんが2代目代表となり、それから18年という時間が流れました。長年の社会貢献活動が称えられ、スイム・リーダー愛は2015年に緑綬褒章を受賞。団体の代表として菊池さんが皇居に赴きました。
ここまで継続できた理由を菊地さんはこう語ります。
「表彰してもらうためでなく、無理なく気負わず、なんでも自分なりに受け入れて、ありのままでやってきました。この雰囲気で来てくれる人に楽しんでいただこうっていう、それだけです。でも、私1人じゃなにもできません。どこに行っても私は運がよくて出会いに恵まれているんです。周りの人たちにいつも助けてもらっているから。参加者のみなさんもいい人たちばっかりですよ。年齢は選手コースのいちばん若い人が43歳、最高齢は83歳、ボランティアさんは90歳の人がいまも来てくれています」
水泳の効果なのか、菊地さんもほかのボランティアの方々も若々しく元気で年齢を感じさせません。失礼ながら引退を考えたことはなかったのかと訊いてみると、こんな答えが返ってきました。
「辞めたいと思うことはありませんでしたね。3年前にちょっと体調を崩して、次の人にお願いしようかなっていうときもあったんだけど、お願いする前に体調が良くなってしまって(笑)。『元気なら続けてちょうだい』とみんなに言われました。もちろん年齢が年齢だから今日はどうしようっていう日もありますよ。でも、みんなが待ってると思うとがんばれる。みなさんのおかげですよ。後継者の目星はついてるから大丈夫。バトンタッチできる段階までがんばろうかなって。私は水泳そのものが好きだから」
2020年からのコロナ禍でこの2年間は活動がセーブされましたが、例年は家族ぐるみでバーベキューや1泊旅行をして楽しく過ごし、生徒さんが出場する水泳大会を応援しに行って親睦を深めているそうです。「積み立てのお金が貯まる一方だから、次は豪勢にできますよ(笑)。年齢も障害も関係なく楽しいことを共有し合える仲間で、まるで親戚みたいな間柄。スイム・リーダー愛がなければ出会わなかったかもしれない、この大切なつながりに感謝しています」と菊地さん。
この町にスイム・リーダー愛があり、菊地さんと菊地さんを支える仲間たちがいて、活動が未来へと受け継がれていく。心のバリアフリーや共生社会の実現は、大きな掛け声からでなく、こんな小さな仲間の輪が少しずつ広がっていくことから始まるのかもしれません。
Text: 松丸亜希子 / Photo: 池戸煕邦
●インフォメーション
サークルケン
活動日:毎週木曜日14:30~16:00
会場:ダイエープロビスフェニックスプール(長岡市長倉町1338)
年会費:28,000円
連絡先:スイム・リーダー愛 菊地湛(きよ)さん tel. 0258-36-7149