女性も土俵へ!1000年の伝統を守り時代を見つめる、山古志「牛の角突き」の現在地
一説では1000年以上の歴史を持つとされる長岡市山古志地域の「牛の角突き」。これまで「土俵での女人禁制」を厳しく守ってきたこの角突きだが、今シーズン初場所となる5月4日にそれが撤廃され、女性が初めて山古志闘牛場の土俵に立った。伝統を遵守してきた世界に一石を投じたのは、2016年に続けて現れた“牛持ち(オーナー)”の女性たち、そして牛を愛する地元のおばあちゃんだった。新しい風が吹く山古志を訪ね、ともに牛持ちで「山古志角突き女子部」部長の森山明子さんと部員の荒木有希さん、山古志闘牛会会長の松井富栄さんに話を聞いた。
会長の心を動かした
おばあちゃんの言葉
江戸時代後期に滝沢馬琴が著した『南総里見八犬伝』に「実に是、北国中の無比名物、宇内(みくにのうち)の一大奇観なり」と記されている牛の角突き。かつては五穀豊穣を願う神事であり、棚田での農作業用に飼育されていた牛同士のぶつかり合いが村人たちの娯楽となり、牛と人は長きにわたり親密な関係を築いてきた。
人と牛が死闘を繰り広げるスペインの闘牛と異なり、大事な働き手で家族でもある牛たちにダメージを負わせないよう、タイミングを見計らって“勢子(せこ)”と呼ばれる男たちが牛を引き離し「引き分け」で収める。人と牛と同様、人と人も手を取り合い、苦楽を分かち合って生きてきた、山古志らしい習俗なのだ。
ユニークな勢子が語る角突きの見どころは、こちらの記事を参照してほしい。
山古志「牛の角突き」名物男が教えてくれた“MC勢子”誕生の経緯と観戦のツボ
日本の多くの神事がそうであるように、牛の角突きもまた、長らく女人禁制を貫いてきた。大相撲春巡業で女性が土俵に上がり、議論となったのが今年4月だが、山古志闘牛会会長の松井富栄さんは、以前からこの問題について考えてきたという。危険が伴う勢子は男性の仕事だとしても、自分の牛の取り組みの後に土俵に入り、牛の綱を持って場内を歩く「引き回し」は女性がやってもいいのではないだろうか——と。
「17年前の2001年、山古志の種苧原地区にある闘牛場で毎年9月に開催されている祭りの闘⽜で、⼥性の町議が引き回しをしたという記録があります。そのときに⼥⼈禁制を解いたようですが、その詳細を知っている人がいないんです。闘牛会の会員全員による決定ではなかったのか、会員に周知がされていなかったのかもしれません。当時まだ学⽣だった私もこのときのことはよくわからず、あくまで推測ですが。公式には今年5月に撤廃ということです」と松井会⻑。
2004年10月の中越地震で山古志は全村避難となり、角突きは存続の危機にさらされた。翌年に仮設の闘牛場で再開し、地域復興のシンボルとなるべく尽力してきた先代の会長、松井治二さんが2015年の夏に他界、息子の富栄さんが職を引き継いで3年目となる。
「山古志で牛を飼っている青木さんという家族がいます。同時期に7頭いたこともあり、牛を可愛がっていて。闘牛にも出しているのですが、5、6年前くらいだったか、その家のおばあちゃん、マツヱさんが『死ぬまでに一度でいいから引き回してみたい』と言ったんです。現在83歳になる小柄なマツヱさんが闘牛場の脇の池にいつも牛を引っ張ってきて水を飲ませて、闘牛のときも引っ張って闘牛場まで来る。でも、その先は自分ではやれないわけです。マツヱさんの言葉がずっと頭の中にあり、どうにかしてあげたいという気持ちになりました」(松井会長)
そして、2016年1月に神戸の荒木有希さんが、4月に長岡の森山明子さんが牛持ちとして加わったことで、少しずつ状況は変わり始める。2017年の夏には森山さんが部長となって「山古志角突き女子部」を立ち上げ、グッズを製作販売したり、SNS等を通じて情報発信をしたり、独自の目線で角突きのPRを始めた。
森山さんと角突きとの出会い、愛牛「小豆丸」のオーナーになった経緯は下記の記事に詳しく綴られている。
山古志史上3人目の女性闘牛主が語る「私が牛主になったワケ」
森山さんには、土俵で牛を引きたいという強い思いがあったのだろうか。
「引き回しができないことを了解してオーナーになりましたが、次第に欲張りになってきたというか(笑)。それができないと、自分の牛なのに何か隔たりがあるような気がして。やってみたいという気持ちが募り、昨年末に会長に『私も牛を引いてみたい』って言ったんです。改まった話ではなく、世間話として。すべての女性がやりたいと思うわけではないでしょうが、もし引きたい人がいるなら、やらせてもらえないかと。いまの自分たちのことだけでなく、この先のことも考えていました」(森山さん)
「森山さんにそう言われて、おばあちゃんのこともあったし、ずっと自分の頭の中で考えました。どうしたもんかなと。今年の春になり、マツヱさんの90歳近いご主人が牛舎にやってきて『ばあに引っ張らせてやってくれねえかな』と。それで、『もう今年やらんばだな』と役員たちに話しました」(松井会長)
2001年に一度は解禁され、女性の参加がなく自ずと元に戻ったという経緯があったが、今回の協議はすんなり進んだわけではなかった。「いいけど、いますぐはなぁ」と難色を示す人もいたが、それぞれの立場で角突きへの思いを語り、これからも続けていくためにどうあるべきかと話し合いを重ね、次第に全員の気持ちがひとつになっていった。
そして迎えた5月4日、初場所の朝。「女性の引き回しを認めたいと思うが、みなさん、どうでしょうか」という会長の問いかけに応え、満場一致で会員たちが拍手。改めて女人禁制が正式に撤廃された。森山さんは「勇気と覚悟のある決断をうれしく思います。みなさんと一緒に、牛たちと一緒に、角突きを盛り上げていきたい」と涙ながらに語った。
車を買い替えるつもりが
なぜか「牛持ち」に
初場所で最初に土俵に入った女性は「山王(さんのう)」のオーナー、荒木有希さんだった。兵庫県で旅行業に携わる彼女が、なぜ山古志で牛持ちになろうと思ったのだろう。6月17日の場所に合わせて山古志にやってきた荒木さんに聞いてみた。
「お年寄り向けの旅行を企画運営する中で、全国各地を巡る機会があるんです。最初の興味は花火、それも長岡ではなく隣の小千谷市の、片貝の花火でした。それを一度ツアーにしたいと思って下見で来るようになって。泊まったホテルに牛の角突きのポスターが貼ってあり、『あら、明日やるんだ』ということで初めて山古志に来ました」(荒木さん)
「全国のいい景色をたくさん見てきましたが、それにしてもここはキレイだなぁ、いいところだなぁと思って。旅行業をしながら『書く仕事』をしたい、ここにしばらく滞在したら、なにかいいものが書けるかなと思いました。2015年の秋、9月から11月にかけて週末ごとに通い、牛舎を覗かせてもらうようになって。会長になられたばかりの松井さんと出会い、『やっぱり冬の山古志を見ておかないと』と言われて翌年1月にまた来ました。そして『そんなに山古志が好きなら牛を持ちませんか』と言われたんです」(荒木さん)
ちょうどそのころ、あまりにも古くなった車を買い替えようとしていた荒木さん。もともと大きな買い物をするつもりでいたところへの誘いに、「車を買うより、牛を飼うほうが楽しいかな」と思ったのだそう。しかし、紹介された「山王」は、印象に残っていた牛ではなかったと明かす。
「『そろそろ引退を考えている牛』として紹介されました。たくさん通う中でお気に入りの子もいましたが、山王のことはまったく眼中になく『あなた誰?』という感じ(笑)。でも、そういうのってご縁じゃないですか。最初はピンとこなかったけど、ひと晩考えて決めました。まさか牛持ちになるなんて思ってなかったけれど、私がならなければお肉になる運命だったかもしれないということもあり。車はまぁ、後でいいかと(笑)」
「うちの子」の活躍を見守る母のように
闘牛場で山王が闘う姿を、どんな気持ちで見ているのだろう。
「すごくハラハラします。無関係なときはリラックスして見てましたが、自分の牛が出るとなると、出番まですごく緊張して、終わったら、はぁ〜って放心状態(笑)」(荒木さん)
「うちの子は闘志をむき出しにしないタイプ。引き分けにするときに勢子さんが脚に綱をかけますが、あれが嫌いで、気配を察知すると引いてしまうんです。ちゃんと向き合ってやってくれるかなと、いつも心配。そうでないと引退が近づいてしまうから。『ほら、あなた、本番よ。がんばって!』と、運動会を応援するお母さんみたい(笑)」(荒木さん)
牛たちの性格は様々で、なかなか個性が豊かなようだ。森山さんの小豆丸はどうだろう?
「以前は様子見をして相手の出方を伺っていましたが、今年はやけに自分からガーッと行くんですよ。それはそれで心配で、『もういいのよ、あずきちゃん』って止めたくなります(笑)」(森山さん)
ところで、荒木さんは、引き回しができないことについてどう考えていたのだろうか。
「私は神戸の人間で、山王の取組があるときに来るだけなので、山古志の人たちの伝統に口出しするような立場ではないと思っていて。牛もオスだし、危険と隣り合わせの闘牛はやはり男の世界。そこに理不尽さを感じたことはなくて。でも、地元で長く牛を可愛がっているおばあちゃんがいて、女人禁制撤廃がそこから始まる話であれば、よく理解できますね」(荒木さん)
自然な流れの中で行われた
女性初の「引き回し」
初場所には森山さんの小豆丸の取組はなく、熱望していたわけではなかった荒木さんが、女性として最初に引き回しをすることになった。
「山王の取組が青木マツヱさんの牛よりも前だったのですが、やはり最初の引き回しはマツヱさんにと思って、私はこの場所では遠慮して次回以降やらせてもらえればと思っていたんです。ところが山王がいつになくすごいファイトを見せてくれて、みんなが『おお〜!』となって。それで私もポンと土俵に押し出され、引き回しをすることになったんです」(荒木さん)
引き回しでは、いい取組を見せてくれた牛への賞賛とねぎらいとして観客が惜しみない拍手を送る。「女性が解禁になったから」ということでなく、牛持ちが男だろうと女だろうと取組の良し悪し次第。まるで山王が荒木さんを土俵に押し出したかのようだ。
「本当にそう。そんな自然な流れで土俵に出してもらえたのが、とてもうれしかった」と荒木さん。
さて、その後、マツヱさんは待望の引き回しをしたのだろうか。それについては松井会長が教えてくれた。
「実はあの日、マツヱさんの牛の取組で勢子にケガ人が出て、そういう場合は引き回しで牛を見せて拍手を受けることを双方が自粛します。『お互いっこ』という山古志の言葉があって、マツヱさんも『今日はいいって』とのことで。タイミングが重要ですね」(松井会長)
100年、200年先を見据える
「女子部」の活動
初場所の翌日、5月5日の大会で森山さんも小豆丸を引き回すことが叶い、万感の思いがこみ上げてまた涙があふれた。牛を愛してやまない森山さんと荒木さんを軸に、勢子の妻など角突きに携わる女性たちが2017年8月に始動した「山古志角突き女子部」にも触れておきたい。
「最近は家族連れとか、女性の観客が闘牛場に増えてきたこともあって、もっともっと幅広くアピールしてファン層を広げていきたいという思いで立ちげました。伝統ある角突きがさらに100年、200年と続いていくための種まきとしての活動です」(森山さん)
松井会長によれば、先代の会長も新しいことや楽しいことを積極的に取り入れていく人だったのだとか。先代との出会いでこの世界に入った森山さんの活動をきっと応援してくれていることだろう。現在、女子部の部員は県内外に50人弱いるそうだ。
「震災後の支援もあり、男女・世代問わず楽しむ雰囲気が生まれました。女子部の活躍でファンの輪が広がるといいですね。ここで角突きを楽しんでくれる人は、山古志を支えてくれる人。地元とよそ者という区別もなく、牛持ちはみんな一緒、お客さんもみんな一緒です。大事にしたいのは伝統だけではないんです」(松井会長)
今シーズンの闘牛大会は11月3日(土・祝)まで続く。牛たちは1シーズンに4、5回出場するそうだが、マツヱさんの愛牛「平畑」の引き回しはいつ見られるだろうか。取組は10日前に決定され、山古志闘牛会のブログで発表となる。まだ角突きを見たことがない人は、ぜひブログをチェックして出かけてみてほしい。天空の闘牛場で繰り広げられる牛たちのひたむきな姿と牛を愛する人たちの情熱に心が揺さぶられる体験は、きっと特別なものになるはずだ。
Text: Akiko Matsumaru
Photos: Hirokuni Iketo
山古志 牛の角突き
[今後の開催日]8月3日(金)・12日(日)、9月16日(日)・23日(日)、10月8日(月・祝)・21日(日)、11月3日(土・祝)※いずれも13:00取組開始(開場は10:00)
[会場]山古志闘牛場(長岡市山古志南平乙986)
[料金]高校生以上2000円
[Web]http://tsunotsuki.main.jp