なぜここに? 謎の彫刻「まいまいひめ」から始まる、“彫刻の街”長岡を巡る旅
2019/8/26
あそこにも、ここにも、
街を歩けば彫刻に当たる?
「まいまいひめ」のほかにも、長岡市には彫刻作品がたくさん。新幹線で長岡にやってきた人なら、JR長岡駅改札付近に佇む「良寛さん」を見かけたことがあるかもしれません。74年の生涯の多くの時間を長岡市や出雲崎町で過ごした僧侶で歌人、良寛ゆかりの地を巡りたい人にとって長岡駅は玄関口ということで、上越新幹線開通記念として当時の駅長が発案し、1983年に長岡東ロータリークラブが寄贈したもの。制作者は地元の彫刻家で当時は長岡大手高校美術教諭でもあった元井達夫さんです。
そして、エスカレーターで1階に降りて大手口を出たところにもブロンズ像が。こちらは「良寛さん」よりも早くやってきた「芽ばえ」という作品です。
「まいまいひめ」に会うには、大手口から歩いて行くのがいちばん。駅から至る大手通にも彫刻が点在しています。さっそく歩いてみましょう。
駅前にある「アオーレ長岡」は市役所やアリーナが入った複合的な市民交流の拠点。アオーレに臨む中央分離帯に「火焔土器」を発見!
アオーレ付近の「縁側のベンチ」にはこんなオブジェも。2013年に設置されたこの踏み石は、ベンチをデザインした鈴木康広さんの作品。右から過去(草履)・現在(靴)・未来(素足)を表しているのだとか。
そして、大手通をのんびり歩くと、かわいらしいブロンズ像の数々に出会えます。
いずれも制作者は「良寛さん」を手がけた元井さんで、いろいろな「出会い」がテーマなのだとか。ひとつひとつ見ていくと、街歩きが楽しくなりそう!
さて、いよいよ「まいまい広場」にやってきました。
ひめが見守るのは街の平和?
しかしなぜカタツムリなのか
ブロンズ像を愛でながら駅から歩いて10分足らずで到着。高い台座の、カタツムリの上に鎮座するのが「まいまいひめ」です。
それにしても、なぜカタツムリ?「まいまい広場」に設置された解説には、こんな記述があります。
「長岡を含む中越地方にも『だいろ(かたつむりの呼び名)』という、かたつむりが主人公の民話が伝わっています。その内容は老夫婦が子供として授かったかたつむりが、やがて人間の娘を娶ったあと、人間の若者に変わり四人で幸せに暮らしたというものです。もしかしたら像のモデルなのかもしれません。」
なんとも幻想的ですが、わかったような、わからないような? それがなぜ彼女の像につながるのか、謎が深まるばかり。
そうしたところ、彫刻家の松本保忠さんが何か知っているかもしれないという情報を得て、お話を伺おうと「ギャラリー立体造形館」に向かいました。自身の作品を手がけながら教室での指導や展覧会の審査もする彫刻のエキスパートです。
「まいまいひめ」の作者、彫刻家の広井吉之助さんは1906年(明治39年)長岡市生まれ。東京芸術大学美術学部の前身である東京美術学校の彫塑科で学び、朝倉文夫、建畠大夢に師事。卒業後は東京を拠点に活動していたそうですが、松本さんとどのような関係にあるのでしょう。
「広井先生は長岡に疎開され、戦後しばらく長岡にお住まいでした。私自身は教えを受けていませんが、私の師匠である今井浩勝先生が昭和21年(1946年)から広井先生の指導を受けていたようです」
今井浩勝さんは駅にある「芽ばえ」の作者で、広井さんは松本さんの師匠の師匠、つまり松本さんは広井さんの孫弟子に当たるとのこと。1982年、広井さんが審査員を務めていた長岡市展で、彫塑部門に初めてエントリーした松本さんが奨励賞を受賞し、松本さんと縁が生まれました。
「初出品での受賞は私にとって大きな出来事でした。ライフワークとして彫刻に取り組むきっかけになり、とても感謝しています。孫弟子という関係はとてもうれしいことですね」
1958年7月、当時の新潟相互銀行が長岡市に寄贈した「まいまいひめ」。13年を遡る1945年8月1日、第二次世界大戦の長岡空襲で焼け野原となったこの界隈に置かれたのは、二度と再び戦争が起こらないようにという平和への祈りだといわれています。
当初は道路中央の緑地帯に設置され、交差点の工事に伴って2003年に現在の場所に移されたそうです。なぜカタツムリなのか、その由来は判明していませんが、「まいまいひめ」という愛らしい名称は市内の小学生が参加した公募で選ばれたものなのだとか。
制作者の広井さんは1986年に他界されましたが、長岡にはほかにも広井さんの作品が残されていると聞き、さっそく巡ってみました。「平和像」「三つの力」、そして再び「火焔土器」が登場です。
松本さんに見せてもらった広井さんに関する資料によると、「平和像」は昭和26年(1951年)に長岡駅前広場に設置(新潟県教職員組合)長岡市管理、「三つの力」は昭和39年(1964年)に長岡市厚生会館前庭噴水盤上に設置、北越銀行・イチムラデパート共同出資で長岡市に寄贈、火焔土器の像は「まいまいひめ」と同じ昭和33年(1958年)に土器の出土記念として白セメントで作成、長岡信用金庫より長岡市に寄贈、という記録が残っています。
松本さん作成の資料は実に詳しく、写真とテキストで綴られています。
「まいまいひめ」は今年61歳。街が変遷を遂げ、市の担当者も交代していく中で今日に至っていますが、都市開発や移動を経て、いまもパブリックな場所で見られるのはありがたいことです。
「ギャラリー立体造形館」でも広井さんの作品に出会えます。「これですよ」と松本さんが教えてくれたのが、女性の顔をモチーフにしたこちらの作品。
資料によれば、広井さんは1936年から1984年にかけて長岡市と新潟市で合計7回の個展を開催し(後半は妻・広井すまさんとの2人展)、その第7回で発表されたもの。出品作品の写真撮影を松本さんが担当したそう。
「広井先生の作品は『まいまいひめ』に代表されるように丸みを帯びて優しい雰囲気ですが、力強い作品もあります。晩年はデフォルメして小さくても味わいのある作風になっていますね。お人柄も優しい印象の方でした」と松本さんは思い出を語ります。
彫刻作品をフル活用し、
芸術と身近に触れ合える街に
長岡の彫刻について語ってくださった松本さんは1952年福島県生まれ。どのような経緯で、長岡で彫刻を手がけるようになったのでしょう。
「小さいころから図工が好きで、東京の小平にある職業訓練大学校(現在の職業能力開発総合大学校)に入って鋳造科で4年間学びました。美術鋳物に興味があって、卒業制作は自分の腕をモチーフにしたブロンズ像でした。休日は美術館巡りをして、彫刻作品が好きでよく見ていたんです」
長岡との縁は、卒業後に就いた職業訓練指導員の仕事がきっかけだったとか。
「最初の赴任地が金沢で、その後が長岡だったんです。1978年、25歳でしたから長岡はもう41年になります」
29歳で結婚し、長岡に根を下ろすことになった松本さん。そのころ新潟日報に掲載されていた「彫塑無料指導」の記事を見て今井浩勝さんの指導を受け、彫刻家としてのキャリアが本格的にスタートしました。同年、長岡市展初出品で奨励賞、2009年には新潟県展で県展賞(最高賞)など、数々の受賞歴を誇ります。
これまで数多くの作品を手がけてきましたが、屋外で見られるものが2つあります。まずは信濃川を渡った川西地区、千秋にあるコンベンション施設「ハイブ長岡」へ。1990年から91年にかけて、松本さんを含む長岡市美術協会彫刻部会員たちが中心となり、共同制作した「米百俵の群像」。チームのリーダーは「良寛さん」の元井達夫さんでした。
「山本有三の戯曲『米百俵』の名場面をモチーフに、ブロンズで制作しました。当時の長岡市長・日浦晴三郎さんの意向で、地元の作家に作ってもらいたいということでね。私はまだ40歳手前でしたが、仲間に入れてもらったんです」と笑う松本さん。最年少でチームに加わり、先輩たちから彫刻の技術を学んだり、人と人とのつながりを得たりと、すばらしい経験になったそうです。
「米百俵の群像」が評価され、新たなプロジェクトも動き出しました。それが、長岡駅東口から伸びる「長岡市シンボルロード」に点在する彫刻群。「米百俵の群像」と同じ7人のメンバーが、散歩道で出会える芸術として7つのブロンズ彫刻を手がけたプロジェクトです。松本さんが手がけたのはこちら。
長岡市出身の童画家・川上四郎さんの5つの作品「木の葉の旅」「カエルの船頭さん」「あひるさんと散歩」「笛を吹く少女」「春が来た」を選び、童画の世界を彫刻で表現したもの。1988年竣工、全長670mの散歩道ですが、さらに壮大な計画があったことを松本さんは教えてくれました。
「シンボルロードは長岡駅から中央図書館へと続く遊歩道ですが、東口は悠久山まで、そして大手口は元井先生の大手通のモニュメント群と広井先生の『まいまいひめ』、『米百俵の群像』へと続く彫刻の道のプロジェクトがあり、その一環として構想されたんです」
1973年までこの界隈を走っていた電車トッテツ(越後交通栃尾線)廃線敷を活用したシンボルロードは、1989年に建設省(現在の国土交通省)の「手づくり郷土(ふるさと)賞」を受賞しました。
シンボルロードの終点、中央図書館の駐車場にも不思議なモニュメントを発見。
松本さんはさらに、彫刻と芸術への熱意を語ります。
「彫刻は、鑑賞する人も作る人も絵画に比べて少ない。作るのに時間もかかるし、汚れたりもしますが、触感に訴えるので人間の本質に合うと思います。彫刻だけでなく芸術全般をもっと広めたいですね。なんの役にも立ちそうもないものも無駄ではなく、人間の生きる力につながります。心が病んでいる人も多い現代ですが、芸術には人間の感覚に訴えて癒やす力があります」
「他界された先生もいますが、作品が処分されてしまうのはもったいない。廃校の校舎を活用して展示をするなど、子どもたちにもっと見てもらえたらと思います。実用的なものにばかり予算が付き、美術教員が減っていますが、むしろ芸術文化に力を入れていかないと。心を豊かに、柔らかくしてくれる芸術はカウンセリングに代わるものになり得るでしょう。長岡造形大学もありますし、彫刻だけでなく絵画や工芸も、芸術があふれる街になったらいいですね。私も第二の人生、なんらかのお役に立てればと思っています」
立体造形館では、企業や学校、病院や店舗などに作品を安価に貸し出しているそうです。長岡の財産ともいえる彫刻たちが倉庫から街に飛び出し、さらに多くの場所で生かされていったら、街歩きがもっと楽しくなるかもしれません。
Text: Akiko Matsumaru
Photos: Hirokuni Iketo, Akiko Matsumaru
●Information
ギャラリー立体造形館
[展覧会]9月7日(土)〜15日(日)「松本保忠 彫刻小品展」
11月9日(土)〜17日(日)「造形教室と立体造形の仲間たち展II」
[開館時間]10:00〜17:00
[入館料]無料
[住所]新潟県長岡市東新町1-1-43
[電話番号]0258-32-1435
[URL]http://tyoukoku.sub.jp/sakuhin2/sa-e-sonota%20.html