「子どもが生きやすいまち」とは何か? 親子で、地域で、互いを守り合う場づくりの実践者に聞いた
春の予感を感じる3月下旬、春休み期間に「な!ナガオカ」主催で久々のトークイベントを行いました。テーマは『「子どもが生きやすいまち」ってなんだろう?』。
ここ数年で、地方への引っ越しや広い家への住み替えなど、ライフスタイルを変えた人もいるかと思います。新型コロナウイルスの影響で働き方を中心に生活自体に変化があり、「暮らしやすさ」の主軸が、勤務先や駅に近いといった「便利さ」から多種多様なそれぞれの優先度へ変わっていった実感がある人もいるでしょう。暮らしそのものを見つめ直したとき、自分やまわりの人が生きやすいまちとは、そしてこの先社会に羽ばたいていく子どもたちが生きやすいまちであるにはどういったマインドを持っていればよいでしょうか?
トークの会場となったのは、長岡市役所からすぐの「子育ての駅 ちびっこひろば」3階の「まちなか絵本館」。お話しいただいたのは、長らくNPO法人「多世代交流館 になニーナ」に参画し、この春からアーティストの息子さんとともにフリーで活動されている馬場裕子さんと、寺泊地区で自然と一緒に子どもたちを育てていく保育園「かいじゃり」を運営している太田真さん。子どもたちと触れ合うことが生活のメインであるお二方から見た、「子どもが生きやすいまち」とは。
お二方の活動は以前に「な!ナガオカ」でそれぞれたっぷり取材しておりますので、そちらもぜひご覧ください。
郷土料理を通じた多世代交流を。NPO法人「になニーナ」がめざす「誰も一人にしないまち」 | な!ナガオカ
豊かな自然の中、地域の未来をつなぐ子育てを。海辺の保育所「かいじゃり」の日々 | な!ナガオカ
自分自身の生活を語ることで
居場所がつくられていく感覚
ーー今日はどうぞよろしくお願いします。まず、おふたりそれぞれの活動について教えていただけますか?
馬場:2004年に起きた新潟県中越地震の後、デイサービスセンターとして使われていた大きなプレハブを活用して何かしませんかとお声がけいただいたのをきっかけに、2007年に「多世代交流館 になニーナ」の活動をスタートさせました。私は当初は副代表として、2019年からは代表として活動しました。
「になニーナ」の名前の由来は、新潟県・中越地区を中心とした郷土料理である煮菜。煮菜とは塩漬けにした菜っ葉を煮た料理で、面白いほどそれぞれの家庭で味が違うんです。でも「違うこと」は何も悪くないし、そもそも煮菜には正解もない。それぞれを大事にしたい思いから、煮菜を名前に据えました。毎年2月7日は煮菜の日として、地元のお母さんたちに煮菜の作り方を教えてもらい、集まった人たちでそれぞれの煮菜を食べるイベントも行うなど、食や農業体験を通して、子育て支援を軸にした多世代交流を行ってきました。
「になニーナ」以外の活動として、発達障害の診断を受けている長男のこだわりを生かした『数式アパレルプロジェクト』も立ち上げました。彼は数式が大好きで、とても美しい数式を書きます。その数式をテキスタイルデザインにおこし、ファッションアイテムを制作しています。また、私個人としても子育てを支援し、される立場である中で、今度はみなさんの気持ちを大事にできる活動をしたいなと、人生をまさにシフトしている最中です。今日はよろしくお願いします。 太田:海辺の保育園「かいじゃり」の太田と申します。寺泊で、自宅を開放するかたちでの認可外保育所を運営しています。自然と地域との関わりを主とした保育をモットーに、日々子どもたちと生活を重ねていて、ちょうど昨日が3年目の卒園式でした。園名の「かいじゃり」には、いろんな子ども、いろんな家族があっていいという思いを込めました。海砂利=海の石にはいろんなかたちがありますが、どんなかたちでもそれを認めながら育っていれば、生きやすさに繋がっていくのではないかと思います。
ーー「な!ナガオカ」はまちの今を伝えていくのと同時に、サブテーマとして「生きやすいまち」についても考えています。「かいじゃり」は自然や地域に対してひらいていくスタイルが面白いですが、このようなかたちにしたのはどういう想いからですか。太田:「かいじゃり」は、子どもたちに自然体験の機会を積極的に提供する「森のようちえん」タイプの園になります。大学4年生の時に初めて「森のようちえん」の保育に出会って衝撃を受け、大学卒業後は長野県安曇野市の「野外保育 森の子」で働きながら経験を積みました。その中で、園内の遊具で遊んでみんなで同じ時間を過ごすという画一的な保育のかたちでなくても子どもは立派に育つということを目の当たりにしました。また、それを大事にしている方がたくさんいることに勇気をもらい、自分のライフワークとして開園しました。
小学生の頃は長岡市の中心部に住んでいましたが、家族の趣味が釣りだったこともあり、寺泊に行く機会は多かったんです。そのときの磯遊びの時間の感覚が大人になっても残っていて、先ずは自身が住む場所として、それから保育園をつくる場所として寺泊を選びました。ーーご自身がいいと思っている場所でやりたい気持ちが働いたんですね。馬場さんにお伺いしますが、煮菜の日をはじめ、地域にそれぞれ古くから伝わってきた食べ方をみんなでシェアする「になニーナ」の活動はどのようにつくられていったんでしょう。
馬場:「になニーナ」オープンから1ヶ月も経たない2月7日に、語呂合わせで「煮菜の日」をやろうと、思いつきから一気に動きました。みんなで持ち寄って煮菜をシェアしたとき、一口に煮菜と言ってもそれぞれの家庭で違うことに、好奇心が沸き立ったんです。どれも甲乙つけられなくて、それぞれのアイデンティティを感じました。翌年は地域のお母さんたちから「みんなで作って食べよう」と提案があって、煮菜の日がどんどん広がりました。
ーーみんなとシェアしてみたら、新しい発見があったんですね。以前「な!ナガオカ」でも取材させていただきましたが、煮菜を軸に、みんながお互いそこでしか話せないような……愚痴や日々の話、不安や孤独感だったりを持ち合ってちょっとずつ薄めていく場所として機能していると感じました。
馬場:「初めまして」でいきなり語りあうのはなかなか難しいですが、煮菜を介して、その人が大切にしていることや人柄が見えるんです。煮菜は食卓の副菜みたいなポジションですが、長岡では長く食べられてきています。参加者の方にどんな煮菜を食べているか聞くと、「うちはこうだよ」とどんどん喋ってくださるんです。みんな、自分がこれまで大事にしてきたものを美味しいと褒めてもらえることが嬉しいと思います。生活の話の中から、その人の価値観も見えてきますね。
地域に場をひらきながら
まわりをもっと頼ること
ーーおふたりの活動には、誰もひとりにしないという想いがにじみ出ているように感じます。コミュニティの内実がどんどんバラバラになっていくいまの時代、コミュニティをどう繋ぎ直すのか考えることも必要です。子どもに関しても、これまでのように親や家族だけで子どもを育てるのが当たり前という価値観に、少し無理が生じつつあると感じます。親だけが大変な思いをするのではなく、親も一緒にコミュニティにどのように包摂していくかということも大事ですね。
太田:「かいじゃり」を応援してくださっている地域の方の自宅の庭に遊びに行くと、いつも笑顔で迎えてくださるんです。そんなシーンを見ると自分もすごく嬉しいし、子どもたちも地域の方も喜びを得られているのではと感じます。全国的に子どもの人数が減ることで地域のお祭りや行事がなくなっていくという実態もあって、続いてきたことがなくなるのはもったいないですし、そういう部分を保育園も担えればいいなと思いますね。
ーー外から来た人や子どもたちがハブになるのも、これからのコミュニティの繋ぎ方のひとつかもしれません。その中にあっては、外から来た人、中にいる人、お互いがいかに自分たちからひらいていくかが重要だと思います。おふたりは、自分の場所をどのようにまわりにひらいていきましたか?
馬場:活動をスタートしたと言っても、何をどうしたらいいか分からず、すべてが手探りでした。0〜2歳くらいの子をもつスタッフが中心だったので、何よりも自分たちが心地いい場所をつくっていったんでしょうね。
子どもを連れて遊びに行く場はあるし、友達の家に行くこともできる。でも外に行ったらちょっと頑張らなきゃいけなかったり、守らなきゃいけなかったり、いいお母さんでいないといけなかったりします。でも「になニーナ」には、掃除をするとか、企画を考えるといった「自分」としての役割がある。だからお互いに「子ども見ておくよ」と言い合える空気が自然に出来上がったんです。
中越地震のあと、笹だんごづくりを山古志のお母さんたちに教わる機会があったんです。伝統的な食文化が身近でなくなってきた中で、お母さんたちのやることがキラキラしていて魅力的でした。逆にお母さんたちからしたら、自分たちのやってきたことに光が当たった感覚で、お互いの当たり前がお互いの魅力になって支え合える体験が自然とコミュニティ化していった。ここに来たら「こういう私じゃなきゃいけない」がない、ゆるい感じ。親が安心すると結果的に子どもも安心してのびやかにしている、親はそれを見て安心する循環ができたような気がします。
ーー親と離れて友達や先生と過ごす時間を、保育園で初めて体験するという子どももいそうです。保育園での子どもと、親と一緒にいる子どもの様子に違いはありますか?太田:園ではしっかり者で、正義感も強くていろんなこともできる子が、家での姿はすごく甘えん坊で、お兄ちゃんにもよく甘えているという話をお母さんから聞くことがあるんです。甘える部分が家庭で保証されているからこそ、そうじゃない方向がある。園と家庭との行き来の中でバランスを取りながら、子どもは1日を過ごしているのではと感じますね。
ーー親にも、そんな時間があるのかもしれませんね。仕事中の自分は家にいる自分とは違うこともあるかもしれないし、お互い親子という役割から自由になる瞬間があると、普段の子育てにも変化がありそうです。おふたりともご自身が親であることも踏まえて、窮屈なときはなかったですか?
馬場:めちゃくちゃありましたね。当時は実母との確執もあり、実家は甘えられる場所ではありませんでした。私はいまシングルマザーですが、理解し合うことは難しく、心の孤立がありました。
自分でも保育士として12年働いていた経験があったので、ある程度子育てに関する基礎知識や子どもとの関わりがあったがゆえに、周りを素直に頼れなかった面もあります。保育士だったことで、頼りたくても垣根ができてしまう。私自身も「かいじゃり」のような保育がしたくて保育士を目指しましたが、子育てに対しての価値観を共有できる人も少なく、自分自身ががんじがらめな状態でした。結果的に子どもに対して強く言いすぎてしまうなど、ジレンマを抱えていました。
それが「になニーナ」でゆるやかな関係の中に身を置くことで心がほどけてくると、子どもに対しても寛容になっていったんです。世の中の子育てのしづらさって、子どもや親に問題があると一概には言えないのだと、自分自身が体験しました。
ーー親と子はどうしても縦のパワーバランスを背景に、ああしなさい・こうしなさいと言いがちになる。そういうときに、別の角度から教えてもらう場所が必要だろうと思うんです。それが「になニーナ」やかいじゃりの周りにいる人たちかもしれません。そのためにはその場全体に適度なゆるさが大事そうですが、それをどう担保しているのでしょうか?
馬場:ゆるさをつくろうという意識は1ミリもありませんでした。当時、中越復興基金でなんとかギリギリで運営していたのですが、「仕事として責任を果たそう」という意識が働いてしまっていたら「事業の柱を沢山たてないと危ない」と方向転換していたかもしれません。でも、「になニーナ」は自分たちの居場所だと、なんとなくみんなが思っていたからでしょうか。責任を大きく果たすことよりも、ゆるやかな居場所をつくりたいという方向になっていった気がしますね。
太田:保育園の裏に山があるんですけど、その山の持ち主であるお隣さんが「好きなように使っていいよ」と言ってくれていて、いま子どもたちが藪の中に数カ所秘密基地をつくっています。その方の大らかな応援のおかげで、想定をずっと大きく超えられて、いい雰囲気が生まれていますね。
「いるだけでいい」と伝え合い
お互いの尊厳を守れる社会に
ーー園が広がっていく一方で、そこに周りの地域の方の居場所もできているんですね。交流がなかったら、お互いがお互いを自分の居場所だと思えることもなかったかもしれない。日常の中の大変な思いもフワッと軽くなる楽な場所は、お互いの尊厳を守り合える場所なのではないかという感じがします。子どもと自分の尊厳を守るために、親ができることはありますか?
馬場:「になニーナ」初期の頃、地震で大きな被害を受けた集落に、子どもたちと一緒にお邪魔しました。おじいちゃんおばあちゃんに地域の料理を食べさせてもらい、ゆるやかな交流を通して場を共にした。それがとてもいい時間だったんですよね。
当日はテレビ取材も入っていたのですが、後日の放送で、おじいちゃんおばあちゃんが「今日は子どもが来るから」と笑顔で語っている、私たちが到着する前の場面が映っていたんです。帰り際も「子どもがいるだけでこんなに幸せ。ひとりの家に帰りたくないくらい。本当に今日は幸せだった!」とおっしゃっていて、こんないい笑顔でここまでのことを言わせてしまう子どもの存在ってすごいな、と思ったんですね。
「いるだけでいい」って、すごく大きなことです。何か出来なきゃいけないとか、失敗しちゃ駄目だとかではなく、ただ、ここに生きている。存在そのものが尊厳であることをそのときに感じました。私自身も、子どもを通して常に自分自身の評価をされているような意識がずっと拭えずにいました、「この子はいるだけで周りを幸せにすることができるんだ」という、大きな意識変化がありました。
当時は、小学生の長男がパニックを起こすことが度々あったんです。そんなとき、決して彼を悪者にしたいわけではないのに、彼の未来のために「できた方がいい」とこちらが思っていることが伝わらない。また、学校の対応にも納得いかないことが続いていて、ジレンマを抱えていました。でも多世代交流の体験を通して、「いま、彼がここに生きてるだけでいい」と私も感じられるようになっていきました。できないことを頑張らせるよりも、まず彼が「いま幸せである」と感じてほしいと思えたんですよね。
ーー他者を自分の基準でジャッジすることで、自分が楽をしている部分があると言えるかもしれませんね。「この人はこういう人」と決めてしまえばそれ以外の可能性を考えなくていい世の中になっているし、居場所を作ってあげるはずの大人たちがそれをやってしまっている部分もある。教育の現場でもそういうことはあると思うんですけど、太田さんはどのようにお考えですか。
太田:それぞれの大人のいろんな判断を見てもらうことも大事にしていきたいと思っていて、「保育士はこう言った」とか「隣のおじさんがこう言った」とか、その人がそれまで歩んできた中で導き出される判断そのものを子どもたちに見てもらう。そういう判断に多く触れることによって、子どもの基準や判断の仕方は、もっと広がりのあるものになっていくのではと思います。
ーー何か行動するにあたって、「この人はこう考えたんだな」という過程についてちゃんと思いを致せるかどうかは大事なことですよね。行動のアウトプットはその結果だけで存在してるわけでなく、その前に何を考えたかとか、誰に何を言われたとか、いろんなことによって、いま目の前に現れているものがある。でも親も日々忙しいし、常にそれを考えてあげるのは大変な気もします。そういうときに、周りの人が少し手を貸してあげられるといいのですが、これもなかなか難しいですよね。どうしていくのがよいでしょうか。
馬場:私、おせっかいなんです。スーパーで子どもが駄々をこねて泣いていて、お母さんも感情が抑えきれなくなっている場面に出くわすと、保育士であることを口実に使って、親と子どもそれぞれに声をかけるんです。子どもに泣いている理由を聞くと1トーン落ち着くこともありますし、私が子どもを見守っている間にお母さんは用事を済ますこともできる。
なかなか誰もができることではないとは思いますが、これは私自身がして欲しかったことでもあるんです。声かけが難しくても、周囲が優しい気持ちで見守る雰囲気を作れたら、親子はきっと楽になるはずです。起きた出来事には必ず理由がある。そこに思いを馳せることが少しずつ広がればと思っています。
話は1時間半途切れることなく、「いるだけでいい、飾らなくていい」と思える場所の大切さについて、参加者も交えて考える時間となりました。子育てが一段落したという、ある参加者からは「もっといろんな場所でいろんな人がほっとできる場所があってほしい。私が子育てしていた時代よりも今すごく子育てしにくそうに見えるので、もっと失敗したっていいし、間違っちゃっていいんだと思いました」といったコメントもいただきました。完璧な人なんていないし、完璧を求め続けるのはお互い疲れてしまう。許容しあえる余白のあるまちにしていくために、それぞれどんなマインドを持っているべきでしょうか。「子どもが生きやすいまち」は、そのまちで暮らす人・関係する人みんなでつくりあげていくもの。馬場さん、太田さんの話を通じて、なにか考えるきっかけになれば「な!ナガオカ」編集部としても嬉しく思います。
最後に、馬場さんの長男のアーティスト Hyuugaさんの活動のご紹介です。自分らしく生きるために、高校卒業後の進路として決めたアーティストの道。昔から好きだった数式をテキスタイルとしてバッグや服、アクセサリーなどさまざまなアイテムへ展開しています。いま一番の大仕事として取り組んでいるファッションショーもぜひ、ご注目ください。
Artist Hyuugaの今後の活動:フレームレスファッションショー
7月16日(土)
会場:魚沼整染倉庫
フレームレスファションショー(数式デザイン含む)を中心に、展示販売やトークライブなど盛り沢山な一日。
詳しくは、ファッションショーに向けて募集していたクラウドファンディングのサイト(6月26日に見事達成!)よりご覧ください。
Text / Photo: な!ナガオカ編集部