黒い!甘い!復活を遂げた名店の味「長岡黒いなり」。その立役者に聞く「地元の食を守ること」
最盛期は1カ所から6800折の注文が!
伝説の名店に油揚げを納めていた縁
かつては各町内に一つはあったと言われるほど多かった、手作りの豆腐店。ですが、今ではすっかり数が少なくなり、旧長岡市地域でも、今ではほんの数軒を数えるのみとなりました。長岡市川崎にある吉田屋は、そんな今や貴重な手作り豆腐のお店です。お話を聞かせてくださったのは、4代目当主の佐藤剛純さん(46歳)。吉田屋なのに、当主の名字が佐藤さんとは、これいかに?まずは店名の由来からお聞きしてみましょう。
「吉田屋の初代は吉田善吉さんという方で、1940年頃から長岡で豆腐屋を始めていたそうです。その方に祖父・佐藤忠二の兄が弟子入りし、続いて祖父も兄に引き込まれて働くことになりました。その後、祖父は戦争に行き、シベリアから帰ってきたあと、再び吉田屋に戻って働き、初代から店を引き継ぐことになったそうです。屋号を変える話も一時は出たのですが、結局、吉田屋のまま続けています」
今は川崎にある吉田屋ですが、かつては長岡駅からほど近い、旭町のガード付近に店を構えていました。その頃、大口の取引先だったのが精進寿司の名店、山澤屋です。
山澤屋は明治43年、屋台のいなりずしの専門店として創業しました。その後、精進寿司の宅配専門店として、平潟神社近くの長岡市柳原に店舗を構えます。山澤屋の名物だったのが、他では見られないほど黒っぽく濃い色の甘じょっぱいいなりずしと、ヒジキやクルミがたっぷり入って玉子と海苔で巻かれた特大の太巻き寿司。これらを詰め合わせた精進寿司セットは、長岡市内では、冠婚葬祭で出される折り詰めの大定番でした。その山澤屋のいなりずし用の油揚げを製造していたのが、吉田屋だったのです。
「昔の山澤屋の折り詰めの売れ行きは相当なものだったようで、最多注文は1件で6800折という記録があったといいます。とりわけ、花火大会が開催される長岡まつりともなれば、あまりの売れ行きに、お米を納品していた米屋さんの在庫がなくなったという逸話も聞かされました。吉田屋でも長岡まつりに合わせて6000枚の油揚げの注文を受けていた時期があったそうで、夜通し製造しないと間に合わず、作った油揚げが1階の工場では収まりきらず、2階の住居部分まで埋まるほどだったそうです」
佐藤さんも、子どもの頃、花火の日は旭町の自宅から山澤屋に寄って、折り詰めを持って、そのまま河原に行って場所取りをしていたそうです。筆者も、お盆や法事で親戚が集まるとなれば山澤屋の精進寿司が出されたもので、子どもにとっては特大の巻き寿司が楽しみだったことが思い出されます。
それほど市民に愛された山澤屋ですが、店主が高齢となり、店の後継者もいなかったことから、多くの人に惜しまれつつ、2007年に閉店しました。
「山澤屋の店主だった山沢春男さんと私の父・佐藤茂は、仕事の付き合いというだけでなく、ふたりでよくスキーに行くなど一緒に遊びに行くほどの親しい仲でした。そうした縁もあって、山澤屋が店を閉めるとなったときに、いくつかの寿司屋さんからこの味を引き継ぎたいという声もあったそうなのですが、結局、油揚げを納品していたうちに、いなりの製法を引き継いでもらえないかとお話をいただいたんです。それで工場を改装し、鍋などの道具一式を譲っていただき、春男さんから製法の教えを受けました。何度も試作をして、『これならよし』の御墨付きを得て、名前も『長岡黒いなり』として商標登録して販売に至ったわけです」
吉田屋の「長岡黒いなり」はこうして一般販売されるようになり、そのおかげで伝統の味をいつでも楽しむことができるようになりました。黒いなりは、吉田屋の店舗や、長岡市内のスーパー、道の駅などに並ぶほか、通信販売でも購入できます。また、長岡市のふるさと納税でも入手でき、県外在住の長岡出身者が懐かしさから注文することもあるそうです。
[ふるさと納税]
N2-01長岡黒いなり – 新潟県長岡市|ふるさとチョイス – ふるさと納税サイト
40代にして豆腐作り歴35年!?
吉田屋4代目の職人ヒストリー
吉田屋とうふ店は、黒いなりも有名ですが、そもそもお豆腐そのものがとてもおいしいお店です。昔ながらの手仕事で作られ、原料も、地産地消を目指す考えからすべて新潟県産大豆を使用。にがりも、伊豆大島の海水からとれたミネラル分の豊富なにがりを使用するなど、選び抜かれた材料で作られています。
佐藤さんは、小学5年生のときには、すでに家業の手伝いをしていました。その頃から数えれば、豆腐作り歴は35年になると笑います。高校時代の夏休みには移動販売の手伝いもしていたとか。高校を卒業してから本格的に家業に入りましたが、町の豆腐屋さんを取り巻く環境が年々厳しさを増していることは肌身に感じていたと言います。
「スーパーに行けば工場で作った豆腐が30円や40円で買えてしまう時代です。商売の大変さは親を見て感じていましたし、町の豆腐屋は年々減っていく一方で、このままでは手作りの豆腐を作る店がなくなってしまう、という危機感がありました」
手作りの本物の豆腐を残したい、その思いを強くした佐藤さん。
「ただ、いいものを作れば売れるってもんじゃないんですよね。売り先をどう確保するか、宣伝してどう伝えるのかも大事なんです。20代の頃は、豆腐の販売先を拡げようと一年に1000件近く飛び込み営業をしたり、売り方を学ぼうとビジネス書を何冊も読んだり、他の商売にも関心があったので大手通りでレンタルスペース事業をやってみたり撤退したりと試行錯誤の繰り返し。でも、別業種に挑戦してみたことで、実家の豆腐屋の、固定客が付いていることの価値の大きさに改めて気が付きました」
ものの売り方を学びながら、豆腐職人としての研鑽も続けた佐藤さん。目や舌、勘を磨き、豆腐作りの勘所をつかんできました。山澤屋のいなりずしの製法を引き継ぐことになったのは、そんな佐藤さんが30歳を過ぎた頃のこと。
「実は当初、私は、豆腐や油揚げを作るだけでも大変なのに、おいなりさんを作ることまで増やすのは大変すぎるのではないかと思っていました。結局、父や他の家族の意向もあって、引き受けることになったのですが」
山沢春男さん直々の指導もあって、無事に長岡黒いなりの味をマスター。豆腐作りとおいなりさん作り、両輪で仕事をする日々が始まりました。4代目としてお店を継いでからは、黒いなりの味を守りつつ、さらに美味しくするために調味料を見直したり、ホームページやInstagramを駆使して黒いなりの知名度アップにも取り組みました。その結果、当初はそこまで売れなかった黒いなりは、今では吉田屋の看板商品の一つに成長したのです。
「黒いなりのおかげで、販売網が広がりましたね。『懐かしい』と言ってくれる層より、新しいお客さんが多くなってきました。砂糖の甘さもあって、はまりやすい味なのかもしれません」
また、期間限定で「豆腐屋さんのスイーツ」として豆乳シロップのかき氷を商品化したりと、新たなチャレンジをする意欲もいまだ健在。外の世界で学んだ売り方のアイディアや経験と、豆腐職人として積み重ねた地力が、今の佐藤さんを支えています。
こだわりのおぼろ豆腐と
油揚げ作りの現場を見学
いよいよ、豆腐と油揚げ作りの現場を見せてもらいましょう。まずは豆腐作りの工程から。
前日から大豆を水に浸してふやかしたら、グラインダーにかけてどろどろのペースト状にします。加熱して火を通し、豆のうまみを引き出したら、袋に入れて濾します。
「大豆をペースト後に絞って豆乳だけ煮る方法もありますが、ペースト状のまま煮てから絞るようにしています」
三度にわたって大豆ペーストを濾して、豆乳とおからに分け、豆乳が80℃くらいの温かさのうちに、にがりやすまし粉などの凝固液を加えます。なお、おぼろ豆腐や木綿豆腐用の豆腐は、吉田屋では濃度11~12%の濃いめの豆乳で作っているそう。
にがりを入れて混ぜるうちに、豆乳はどろっとしてきます。力のいる作業で、この混ぜ加減も大事なのだそう。固まってきたら型箱に入れます。このふるふるの状態の豆腐をそのまますくいとったものが、おぼろ豆腐。豆の自然な甘みをほんのりとした苦味と塩気が引き立てていて、とてもおいしい豆腐です。
ここからは油揚げ作りを見ていきましょう。
「油揚げ用の豆腐も、普通の豆腐も同じ作り方をしている豆腐屋さんもあるのですが、うちでは、豆腐そのものを油揚げ用に別で作っているんです」と佐藤さん。
油揚げは、水分量が多めの豆乳で作ります。凝固剤を入れ、かたまってきたところを、水に空気を入れるように混ぜることで、揚げたときのふわっとした食感につながります。これを型箱に流し入れます。
重石を20分くらいかけると、厚さ2センチの油揚げ用豆腐になります。これを切り分け、1枚ずつ専用のケースに入れ、菜種油でこんがりと揚げます。ちなみに、3代目の時代に、300万円をかけて設備投資し、オートメーションのフライヤーを導入したこともあるのですが、どうにも納得のいく揚げ具合にならず、結局もとの機械に戻したというエピソードもあるそうです。もったいないような……ですが、味を守るために必要なことだったのですね。ビジネス的に言うならば、納得できる基準と、それに満たないと判断した時に「せっかくお金をかけたのに」とずるずる引き伸ばさずスパッと撤退判断ができるかは、ブランド成功の重要な要素なのです。
油揚げは、中までしっかり火を通すため、低温、中温、高温と油の温度を変えながら揚げて、出来上がり。一般的な油揚げより、やや厚めの仕上がりに見えますが、実は、この厚みが、あとのおいなりさん作りの工程で重要なのだそう。ちなみに、この油揚げの時点で、すでにとってもおいしいです。揚げたてにおしょうゆをつけていただきましたが、表面に張りがあって噛み応えと弾力が抜群でした!
手間暇かけてこその逸品!
「黒いなり」ができるまで
油揚げ作りだけでもなかなか工程が多いですが、ここから黒いなりになるまでは、さらに二日間煮るという工程が待っています。まず、油揚げは一晩おいて、しんなりしたものを用意。半分に切って、開いて袋にします。
続いて、油抜きの工程へ。大鍋でゆがいて湯切りし、手でよくもみ洗いをします。これを4回繰り返します。この作業がおいしさの秘訣のひとつ。しっかりと油を抜くことでボリュームが減り、やわらかさが出てタレがよくしみ込むようになると同時に、黒いなり独特の表面にしわのよった表情、厚みのある独特の食べ応えにもつながっています。また、薄い油揚げでは、何度ももみ洗いすると破れてしまうそう。この作業に耐える厚みが、黒いなり用の油揚げには必要だったんですね。
油抜きが終わったら、きび砂糖としょうゆで3~4時間弱煮ます。途中で前日のタレも投入。もともとはザラメ糖を使っていたそうですが、佐藤さんはより体によく、おいしくしたいと、種子島産のきび砂糖に変えました。しょうゆは化学調味料、合成保存料、合成着色料を使っていない新潟市の菱山六醤油の「かおり」を使用。調味料の変更については山澤屋の春男さんに味を見てもらって「これならOK」と許可をもらったそう。調味料を変えたことで、とても口当たりのいい甘さになったそうです。
ここで油揚げを一晩休ませ、翌日、もう一度火にかけます。二日かけて煮るのが、もう一つのおいしさの秘訣。しっかり味がしみるまで煮たら、煮汁をきって、再度煮詰めて、つやを見ながら仕上がりを見極めて火を止め、できあがり。春男さんからは「最後の照り艶が肝心」と教わったそうです。
豆腐は生活とともにあり。
地元の食文化に目を向けてほしい
豆腐作りの工程をじっくり見せていただいたあとで、佐藤さんに再度お話を伺いました。
——佐藤さんの目指す豆腐は、どんな豆腐なのでしょうか。
「あくまでも『主張しすぎない豆腐』がうちの味ですね。一口食べて飽きる味ではなく、ずっと食べ続けられる味がいい。例えば、豆乳を濃くして、にがりを入れて甘さを際立たせれば、プリンのような甘い豆腐も作れるのですが、そういうものは少し食べたら飽きてしまう。そうではなく、味に深みがあって、食べ飽きない豆腐がいいと思っているんです。
ここ3~4年の試みなのですが、夏に、栃尾で無肥料・無農薬で野菜作りをしている刈屋高志さんという方の育てた大豆で、限定品の特別な豆腐も作っています。初めてこの豆を紹介されたときは、お試しくらいの気持ちで作ってみたのですが、豆を煮たときの香りがすごく良くて、ほかと全然違っていたんです。これはおいしいでしょ……と豆腐にしてみたら、もう香りとか風味とか味の深みが全く違って、すごく上品なおいしさの豆腐になりました」
素材一つで、豆腐の味はいかようにも変わるものなのですね。さらに言えば、「毎日味が違うし、季節とか混ぜ加減でも豆腐は変わる。何十年やっていても、シビアだなあと思います」と佐藤さん。
「豆腐は繊細で、味がしないようで味がある食べ物です。最近気になるのは、小・中学校で豆腐作りの見学会や体験会などやると、豆腐が嫌いだっていう子どももいるんですよ。工場で作られた大量生産のお豆腐しか食べていなくて、豆の味を知らないんじゃないのかな……。食べ物が工業化しすぎて、地域の食の個性がなくなることに危機感を抱いています。うちの豆腐も食べてほしいけれど、もし住んでいる地域にお豆腐屋さんがあれば、ぜひそこの豆腐を食べてみてほしい。豆腐屋って100軒あったら、100軒とも味が違うんですよ。その違いがわかってくると、たぶん、おもしろいんだけどな」
伝統のいなりずしの味を受け継ぎつつ、手作りの豆腐のおいしさ、その価値を伝え続ける佐藤さん。自分のお店のことだけでなく、「地元の食を大事にしてほしい」という普遍的な視線にも感銘を受けました。吉田屋さんの「黒いなり」に唸ったら、お次はお近くの「まちの豆腐店」を探して、手作り豆腐の味をぜひ楽しんでみてください。
Text:河内千春 / Photo:池戸煕邦
有限会社 吉田屋
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