微生物の個性を見極め、日本の発酵を下支え。世にも希少な「酵母の会社」中越酵母の仕事とは?

醤油やお酒などの醸造蔵が集積する長岡市・摂田屋地区。このエリアに、長岡はおろか全国的に見ても珍しい会社があります。製造しているのは、発酵において重要な役割をもつ、目に見えない微生物「酵母」。中越酵母工業株式会社(以下、中越酵母)は、パン酵母を主力に、ウイスキーや焼酎などお酒の酵母も製造している会社です。酵母に特化し、自社工場でパン酵母を製造する会社は、日本にたった4社しかありません。さらに中越酵母にはその来歴ならではの、国内では唯一無二の強みもあるのだとか。その仕事や知られざる酵母の世界について、皆さんに教えてもらいました。
日本酒の酒母からパン酵母へ。
国産の「生イースト」をつくる会社
発酵食品をつくるのに不可欠な存在が「酵母」。ふだん私たちが口にしているパンやお酒は、酵母がおいしくしているといっても過言ではありません。中越酵母は簡単に言うと、酵母を育て、増やしている会社です。主力はパン酵母(イースト)で、さまざまな製品を含めると毎日約15トン(!)の酵母を出荷しています。
いまはパン酵母がメインですが、中越酵母のルーツは日本酒の「酒母(しゅぼ、酛(もと)とも言う)」にあります。もともと中越酵母は酒蔵「吉乃川」の一部門として始まりました。酒造りには酵母を増やして発酵の元となる「酒母」をつくる工程があります。吉乃川は、お酒をつくるなかで長年酵母を扱ってきたことから、1946年にパン酵母の製造を始めることになりました。
戦後間もない当時は食糧不足で、アメリカが援助物資として大量の小麦を日本に供給し、大規模なパンメーカーが誕生するなどしてパン食が一気に広まった時代でした。パン製造の拡大に合わせてパン酵母を国内生産する必要性が高まり、その流れで中越酵母は翌年の1947年に吉乃川から独立してひとつの会社として設立されます。つまり、酵母を増やす部門が大きくなって、会社になったのです。

そもそも酵母とは何なのでしょう?調べてみると、「糖分を炭酸ガスとアルコールに分解する微生物」とありましたが、食べ物にどんな影響を与えるのでしょうか。中越酵母の取締役技術・品質管理部長の木戸隆さんに、酵母の働きについてお聞きしました。
「発酵食品全般にいえることですが、酵母などの微生物が食べ物の糖類を分解する過程で、アミノ酸類や香気成分が生み出されます。焼きたてのパンからは何ともいえない芳ばしい香りがしますよね。微生物が複雑な働きをすることで、発酵ならではの香りや風味、旨みがつくられるのです」(木戸さん)

パン酵母が糖を分解する途中で、炭酸ガスはパン生地をふっくらと膨らませ、アルコールはパンに旨みやコク、香りや風味などをもたらすということなのでしょう。
さて、中越酵母はどのように主力製品のパン酵母をつくっているのでしょうか。ひとすくいの種菌(酵母)を数トンになるまで育てていくのですが、「つくる」というより「培養する」という言葉のほうがしっくりくるかもしれません。
培養液となるのは、サトウキビからとれる糖蜜。こちらは砂糖メーカーが砂糖をつくるときに残ってしまうシロップを使っています。糖分以外にミネラルなども含まれ、酵母にとっては格好のご飯になるのだそうです。糖蜜に加水して、酵母の働きをよくするために濃度を調整したら、培養がスタート。10数時間で種菌は10倍以上に増殖します。
そこから遠心分離機で酵母を培養液から分離し、何度も水洗いをして、不純物を含まないクリーム状の酵母にしていきます。そして、脱水して成型し、包装したら出荷する、という工程です。



スーパーなどでよく見かけるのは「ドライイースト」ですが、中越酵母がつくるのは「生酵母」といわれるものです。生酵母は、ドライイーストと比べると、賞味期限が短いですが、発酵食品らしい風味を食品にもたらすのが特徴です。ドライイーストは生酵母を適度に乾燥させ、長期保管できるようにした酵母です。「酵母は生き物です。生酵母の賞味期限は1ヶ月以内。最適な冷蔵保管でも生き物なのでどんどん弱くなっていきます。だから、お客さまにはできるだけ早く使い切っていただきたいです」と木戸さんは言います。

生酵母を海外から取り寄せることもできますが、「リードタイム」といわれる、発注してから届くまでの日数がどうしてもかかってしまいます。そのため、日本国内で生イーストを生産し、新鮮なものを流通させるということが大切なのです。しかも、自社工場でパン酵母を製造するメーカーは、日本で4社だけ。長岡でつくられた酵母が、全国のパン作りや日本中の食卓にのぼるパンを支えています。
「宝くじのような確率」で出会った酵母が
パンやお酒の長い歴史をつくってきた
酵母は、自然界のいたるところに生息しています。土や水のなか、植物の表面、動物の皮膚や消化管など、さまざまな場所に実はいるのですが、パンやお酒などに使われている酵母は、人が長い間研究して「選び抜かれた」酵母なのです。パンにはパンの酵母、そしてお酒にはお酒に向いた酵母というものが存在します。
「さらにパン酵母のなかでも食パンに向いているものやデニッシュに向いているものなど、いろんな特性の酵母がいるんですよ。デニッシュのように砂糖や油が多いパン生地でも活発に働いてくれる酵母とか。そういった酵母の向き不向きをチェックして選んできたという経緯があります」(木戸さん)


自然界のどこにでもいる酵母ですが、特定の発酵食品に合った働きをしてくれる酵母というのはなかなか存在せず、それを自然のなかで見つけて採集するのは「宝くじのような確率」だと木戸さんは言います。
「どこに行けば必ずいい酵母がいるというわけでもないんです。とにかく数を打たなくてはいけません。最近採取したウイスキー用の酵母ですと、最寄りの公園の花から。蜜のあるところは、虫なり鳥なりが動いたりするので、どこかから運んできたのか、たまたま風が運んできたのか。根気よく偶然に任せるしかありません」(木戸さん)
いい酵母を選び抜く工程は「育種」とも呼ばれます。これはおいしくなる、早く膨らむなど、それぞれ特性のある酵母を並べて、選抜し、掛け合わせる工程。育種と聞くと、遺伝子組み換えのようなものを想像するかもしれませんが、これはまったく別のものです。技術・品質管理部の亀山実里さんがわかりやすく説明してくれました。
「イメージとしては、農業と同じように考えていただくのがよいかと思います。たとえばコシヒカリはおいしくて、広く食べられるようになりましたが、それは病気に強い、おいしくて収量が多いなど、異なる性質をもつ品種の掛け合わせにより、両方の長所を併せ持った品種が生まれたから。酵母もそれに近く、さまざまな性質をもつ酵母のなかから、特定のものをつくるのに適した酵母が長い歴史のなかで選ばれ、掛け合わされてきたということなんです」(亀山さん)


たとえばパンの起源があるといわれるメソポタミア文明では、膨らんでいない平焼きのパンを焼いていたとされています。発酵パンは焼き忘れて放置していたパン生地が膨らんで、焼いていてみたら美味しかった、というような偶然から生まれたと推測されています。その後、古代エジプトでは、パンを水に浸してビールを作り、そのビールをパン生地に混ぜて発酵させるようになりました。
長い歴史を経て、発酵のメカニズムが解明されはじめ、酵母を安定して供給する技術が育まれてきました。その先に、さらなるおいしさを求めて研鑽を重ねているのが中越酵母なのです。

酵母の個性を見極める培養で
日本のクラフトウイスキーを下支え
2023年に自社ウェブサイトをリニューアルしてから依頼が増えているのは、ウイスキー酵母の製造です。パン酵母をつくる4社のなかで、醸造用酵母も製造している会社は、実は中越酵母だけ。酒蔵直伝の技術をいかして、お客さんの酵母を預かり、増やして返すというサービスを行っています。
「ウイスキー酵母の注文が近年増えている背景として、『クラフトウイスキー』のブームがあると感じています。日本のウイスキーが世界的に評価され始め、日本各地でウイスキー作りにチャレンジする人が増えた印象です」(亀山さん)

2010年に国内蒸留所は5カ所ほどでしたが、2024年には92カ所が確認されています。亀山さんによると、ウイスキーはビールなどに比べて、初期発酵に酵母をたくさん必要とするそうです。3〜5日間という短い発酵期間で酵母を「どかっと」入れて発酵させるのだとか。「お客様が持っている『お気に入り』のウイスキー酵母というものがありまして、それを我々がお預かりして、増やしてお返しするのです」と木戸さんは言います。

酵母を増やす過程で、まず最初に行うのは「酵母の個性を見極めること」(木戸さん)。この工程を担当しているのは、技術・品質管理部係長の坂井航さん。坂井さんは新潟大学農学部で微生物を研究していました。「酵母を増やすコツはありますか?」と聞いてみたらこんな答えが返ってきました。
「酵母を増やすには、テンプレートがあるんです。例えば、糖由来の栄養を足してあげれば割と素直に増える傾向があります。それでも増えなかったら、違うテンプレートを試します。でも、たまにテンプレートでは育たない変わった酵母がいて。そのときは、どの段階で増えないのか総合的に見て、何が足りないのかを考えます。酵母が何を求めているのか、態度を見るんです。そこがおもしろいというか、面倒なところと言いますか……」(坂井さん)

型にはまらない酵母が相手でも、きちんと向き合いながら増やしてみせるのが中越酵母のすごいところ。さすが酵母一筋75年の会社です。様々な依頼のおかげでウイスキー酵母の知見も蓄積しており、パン酵母だけでなく、いずれはウイスキー酵母も自社ブランドとして持ちたいと考えているそうです。また、近年多方面で研究が進んでいる、パンやお酒以外のさまざまな酵母の応用にも挑戦中とか。豊富な経験と高い技術力で、これからも日本の発酵産業を支え、酵母の可能性を広げていってくれるはずです。
Text&Photo: 橋本安奈
中越酵母工業株式会社

住 所
新潟県長岡市摂田屋4丁目8番12号