“帰って来たいまち”であるために。越路の祭り文化と郷土芸能を守る、若きリーダーに聞く
少子高齢化が加速する日本。とりわけ地方では人口流出で過疎化が進み、地域の活力低下が深刻です。例えば祭りなど、長きにわたり行われてきた年中行事も、ずっと音頭を取ってきた人たちが高齢になったり、お神輿をかつぐ人や山車を引く人が少なくなったり、若い世代へのバトンタッチが叶わず、やむなく廃止の決断に至ったという話をよく耳にします。
同様の課題を抱える新潟県長岡市ですが、越路(こしじ)地域には多くの地区で昔と変わらず賑わう祭りがあり、古くからの手踊りや文化財である巫女爺(みこじい)、また“シャギリ”と呼ばれる伝統芸能のお囃子を奉納するために子どもたちが笛や太鼓の練習に明け暮れるなど、多世代の地域住民が主体的に携わっています。その中の来迎寺地区で毎年8月に開催される「白山神社秋季大祭」で活躍する若きリーダー、本条白山若翔会(ほんじょうはくさんわかとかい)の桑原舜人(くわばらしゅんと)さんに、地域の文化を次世代につなぐことへの思いを伺いました。
神社に集う人、練り歩く「シャギリ」
越路・来迎寺の一年でいちばん熱い日
2005年に長岡市と合併し、20年が経過した越路。JR長岡駅から西南方向に位置し、車で約20分、電車なら信越本線に乗り、3つ目が越路支所の最寄りの来迎寺駅です。そこから徒歩10分足らずの住宅街に佇む来迎寺白山神社は、長らく地元の人々に親しまれ、生活の風景となってきた神社。8月の「白山神社秋季大祭」には地区内外からたくさんの人が集まり、熱気あふれるダイナミックな風景が見られます。祭りは2日にわたり開催されますが、その初日、宵宮(よいみや)祭に出かけました。


19時をまわり、暗くなるにつれて少しずつ人が増えてきました。祭りのメインイベントの一つであるシャギリの奉納は、5つの町内会がそれぞれの屋台(山車)を引いて町内を巡った後、参道の先にある境内で祭り屋台を奉納し、行います。

しばらくして、笛や太鼓のリズミカルな音曲と「そーれ!」という掛け声とともに、華やかな屋台が到着。ごった返す参道を抜け、続々と境内に入ってきました。大人も子どももお揃いの法被(はっぴ)着用で屋台を引き、その後ろでシャギリの演奏をしています。
シャギリは日本各地に残る伝統芸能で、祭礼の行列や山車の奉納の際に周辺で演奏される賑やかでリズミカルな音曲のこと。「ピーヒャラピーヒャラ」という擬音語で表されることがありますが、土地によって無数の楽曲があるようです。

昨年の動画ですが、神社に入ってくる屋台の様子が本条白山若翔会のYouTubeチャンネルで公開されています。ぜひご覧ください。


リズミカルな楽曲で活気あふれるシャギリの奉納。町内それぞれの曲があり、5台の屋台の装飾も趣向が異なり、さながらシャギリの競演のよう。上空では奉納の花火も打ち上げられていましたが、訪れた人たちは花火よりシャギリに夢中で、屋台に群がり、軽やかな音色に耳を傾けていました。5つの町内が順番に奉納した後、子どもたちや若翔会、また有志による演芸奉納もあり、屋台は21時過ぎにそれぞれの町内に向けて出発。大祭である翌日はまた町内を巡り、午後に再び白山神社でシャギリなどの奉納を行うというハードスケジュールをこなします。
このシャギリの指導のほか、祭りの準備全般にエネルギーを注いできたのが、今回お話を伺った桑原舜人さん。当日は大忙しなので、日を改めて再び白山神社を訪ねました。
家族みんなで参加するお祭りは
当たり前の日常そのもの
2000年生まれの桑原さんは現在25歳。長岡市と合併する前の旧越路町で生まれ、仕事の都合で新潟市や柏崎市で暮らしたこともありますが、現在は越路で暮らしています。
「両親ともに越路の出⾝です。幼いころから両⽅の家を⾏ったり来たりしていましたが、⽗⽅の浦の祖⽗も叔父もみんな歌ったり踊ったり、祭りに関わっていて、それをずっと見て育ちました。僕は来迎寺の母方のひいばあちゃん子で、岩塚から出てきた家だったので、巫女爺など岩塚の文化も地域のイベントなどで一緒に見ていました。秋になると地元である来迎寺の祭り、その数日後に浦の祭りに行って、民謡とか踊りとか両方の芸能を見て、どっちも好きだなぁと感じていました。大人の真似をして踊ったり、鐘を叩いたりしてみんなに喜ばれたことを覚えています」

生活の中にお祭りがあり、その運営に関わることが家族の日常という環境で生まれ育った桑原さん。そういった流れの中で、子どものころからコミュニティにおいて自分自身が貢献できることを模索していたそうです。
「やはりここが、越路が好きなんですよ。伝統芸能というと堅苦しいけど、それが祭りを楽しむ1つのツールになっていて、それは越路のどこの地区も同じです。中学生のとき、地域の活性化のためになにかやれることはないかと考え、仲間と一緒に若翔会の前身となる会を立ち上げました。人数が増え、町内でも次第に認められるようになって、若翔会として活動を始めたのが9年前、高校生のころでした。高校は新潟市にあり、通学に片道2時間くらいかかりましたが、電車の中で芸能や地域について調べ、若翔会の計画や祭りの準備などをしていました。“祭りバカ”って言われます(笑)」

「越路の芸能のルーツは3つあり、小千谷の片貝と長岡の神田。信濃川の水運で長岡と行き来をしていた時代があり、越路の浦は江戸時代に長岡から屋台をもらっているんですよ。3つめは越路杜氏たち。昔は農家が、冬場に杜⽒としていろいろな⼟地に出稼ぎに⾏き、各地の芸能を持ち帰ってくるという歴史があって、それで盛んになったそうです。この来迎寺地区を含む20地区以上の越路地域の祭りは、それぞれに個性豊かな芸能があり、当⽇だけ参加するものではなく、その前にとにかく練習、練習。祭りの前の1ヶ月から2ヶ月の準備期間がとても⼤事で、それを含めて祭りなのだと思います。その準備や練習から、地域コミュニティが強い地域だなと感じるんです」
先達から受けたバトンを子どもたちへ
夏休み返上で挑むシャギリの特訓
さて、その大事な準備の期間ですが、毎年いつ頃スタートするのでしょう。
「地区、町内によって違いますが、僕の本条白山町内はコロナ明けから6月には子どもたちに集まってもらって。笛はそれぞれ買って、自分の笛を用意してもらいます。『1ヶ月で覚えて、ちゃんと音を出せるようにしてね』って、自作の指導用DVDを渡して事前指導をします。家で練習してくる子、しない子の差がけっこう出ますね。夏休みが始まると平日・土曜の夜、毎日の練習も始まり、最初は不協和音ですが、だんだんとうまくなり、祭りが近づくにつれてほかの町内の練習も上手になっている音が聞こえてくると、少しずつ緊張感から殺気立ってきて、お盆が明けるころにはみんなちょっとイライラしてきて(笑)。ほかの町内の人にも見てもらうから、きちんと仕上げたいという気持ちが強くて、けっこう厳しく指導してしまいます」
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数年前、屋台を引く5つの町内で立ち上げた「来迎寺シャギリ連絡会」。年1回、みんなで集まって情報交換をすることで⾒えてくるものがありました。
「『うちは1曲5分です』とか『うちは休憩を入れて30分やりますよ』とか、その町内のやり方や課題がわかっておもしろい。少子化は大変なことではありますが、うちはまだ世帯数が多いので希望者だけ。数が少ないから全員参加という町内もあります。昔は男の子がシャギリ、女の子が踊りと決まっていましたが、そういう区別も今どきどうなのかと議論にもなり。男女関係なく、やりたいほうをやればいいということで、みんなシャギリをやることになって踊りをやめた町内もあります。同じ来迎寺の中でもいろいろと違うんです。いままで、ほかの町内とのつながりがあまりなかったため、今後、このような情報交換の場を若手を含めた交流の輪にしていきたいです」
「うちの町内は、夏休み前に境内に仮設の⼩屋をつくって、そこに⼩学⽣が25⼈くらい。夏休みになると毎⽇、神社に集まって練習します。僕たちのときは30 ⼈から40 ⼈くらいいて、師匠から教わりましたが、それをいま僕らが教えているわけです。うちの町内は⼦どもたちに5 曲のシャギリを覚えてもらうのですが、ちゃんと吹けるかどうか、5年⽣になるとテストをして、笛がうまい⼦が太⿎を叩くことになっています。練習はけっこうハードで、⼦どもたち、すごく忙しいですよ(笑)。屋台の曳き回し時のシャギリはもちろんですが、神社で奉納をするシャギリは各屋台5分間なので、うちの町内らしい曲を⼊れて構成を考えます。実は、子どもたちで行うシャギリ奉納はうちの屋台だけで、ほかの屋台は年代関わらず総出で奉納しています。練習してきた分大勢の方に見てもらい、ほかの屋台からも一目置いてもらいたいとも思いますし、子どもたちも思い出に残ると思います。ただ、子供会の子たちの3年のための晴れ舞台というより、若翔会にあたる中高生もそうですが、町内の若手としてシャギリに携わる期間も長いので、町内としてどのような奉納の形がよいのかを模索していきたいです」
若翔会では、練習の成果を披露する秋季⼤祭に向け、楽器・演芸の練習を重ねるほか、神社のしめ縄も藁の準備から先輩に習って、神社委員の人たちと祭り前に作り、祭礼当日も朝早くから神社の飾りつけなどを行います。

「屋台は、昔は毎年新しく作っていたのですが、いまは一部を変えるくらいですね。その年に話題になったもの、たとえば上野動物園でパンダが生まれたらパンダとか。各町内に人形部があって、それぞれ作るので、アンパンマンがほかの町内とかぶったことも(笑)」

「越路地域には飴屋踊りを保存する地区が4地区あって、昔はほかの地区でも踊られていたようです。10年ほど前に浦上芸能研究会から『飴やさん』という⼿踊りを教えてもらいました。舞台で披露したとき、来迎寺の⼤先輩⽅が『よかったよ、懐かしかった。昔は俺たちも(⼿踊り)やってたから』と⾔ってくれました。そこから若翔会として、来迎寺の⼿踊り芸の復興に⼒を⼊れようとしています。主に曲目は越路地域で多く踊られている曲を研究し、シャギリのほかに⼿踊りが4 曲まで保存するようになりました。⼦どもたちの夏休みのシャギリの練習は19時半から20時45分まで。さらに30分くらい⼿踊りの練習をしています。休みは⽇曜と⻑岡の花⽕⼤会(8/2・3)とお盆休みで、ちょっと前まで⽇曜⽇もやっていたんですよ。⼤変だけど、それが当たり前でしたから」
2025年の秋季大祭での手踊りの様子がこちらで公開されています。頭上に飴を乗せて踊り、終わったら飴を配るという、ユニークな「飴屋踊り」です。
「6 年くらい前から若翔会の祭礼活動として、町内の奉納屋台が出発する前に『町内興⾏』というものを⾏っています。これは、町内の屋台曳き回しではどうしても子どもたちのサポートになってしまう中高生・若手の活躍の場を作るとともに、地域に古く残されてきた“⾨付け(かどづけ)”の⽂化を保存・継承するため、リヤカーを飾り付け、太⿎をのせ、初⽇は11 時ごろからスタートして3、4時間かけ、会がお世話になっている⼈の前で⼿踊りなどの芸を披露して廻ります。翌朝もまた8時半から11時半くらいまで。芸を披露してご祝儀をもらうということを2⽇間やるんです。たくさんの方が、心待ちにして喜んでくれ応援を頂きありがたいです。最近の町内の屋台運⾏は簡略化されて、屋台を引いて30分に1回くらい⽌まって踊りを披露していますが、本来はこういうものだと思い、⽂化を残していきたいです。越路の他地区は3、4軒ごとに⽌まって披露する地区もあり、早朝から深夜まで⾨付けをする⻘年会もあります」
「祭りの前は技術向上というか、演⽬に特化して会員である⼦どもたちは練習しないといけないので、オフシーズンは可能性を広げられるようなことをやっています。⼩太⿎を練習してきた⼦が⼤太⿎を練習してみたり、ほかの地域から1曲もらって演奏したり、もちろん手踊りの練習も夏の期間だけでは足りないので、この期間に練習を重ねます。目標もある方がいいので、保育園や⾼齢者の施設、地域イベントでの発表を積極的に行っています。最近では、リリックホール(市内の⾳楽ホール)で発表したこともあり、2026 年の春には新潟市での発表も予定されています。みんな喜んでくれますよ。保育園の子たちには地元の芸能を見て『かっこいい。自分もやっていきたい』と感じてもらいたいですし。お年寄りには、懐かしい感動や活力になってもらいたいと感じています。涙を流してくださる方もいて、会員はこういった発表で達成感を感じています。郷⼟芸能というのはそういう⽂化ですよね。また、『さいのかみ』などの協力も含め地域のつながりやコミュニティを、年齢層を広くもつこの会で築きたいという狙いです」
祭りの準備期間だけでなく
一年中通した活動で育む地域愛
桑原さんがこの活動を通じて大切にしていること。それは伝統芸能の技術の伝承だけではありません。
「最近は僕が子どもたちに口伝しているのですが、若翔会には顧問が2人いて、去年まで神社委員長をやっていた方が地域のことや神社の歴史について教えてくれました。その方々に支えられ、町内会からも理解を得ることができたんです。僕が高校生のころから若翔会のメンバーで神社のしめ縄づくりに参加していて、いまではシャギリ連絡会のメンバーにも参加してもらい、文化の継承に取り組んでいます。まず、藁を叩くところから。今年は僕が叩きすぎてしまい、『これ、柔らかくて使えないな』って久々に怒られました(笑)」

「合併で行政的には『越路』という地名はなくなりましたが、だからこそシャギリやお祭りを通して、子どもたちには生まれた地域に誇りを持ってもらいたい。大人になって、ここを出て行ったとしても、祭りが帰ってくる理由になってほしいなと思っています。長岡の花火大会と同じで、これまでは日程を固定して平日開催のこともあったのですが、今年から日程が金曜と土曜に変わりました。日付が変わっても、毎年、東京からわざわざ帰ってくる先輩や同級生がいて、『おー、久しぶり!元気?』と声をかけられたりするし、なんだかんだみんな集まってくるんです。神社がコミュニケーションの場になっていて、少子高齢化とはいえ、祭りのときはそんなことまったく感じません」

子どもたちだけでなく、上の世代からも信頼されている桑原さん。あちこちからお声がかかるようです。
「『越路歴史文化の会』という団体が数年前に設立され、さまざまな勉強会や文化団体が参加していているのですが、『桑原くんも来てくれ』と誘われて加わりました。会の目指すところが曖昧になったとき『なにか話してくれないか』と言われて、若手世代の継承や地域への課題を若翔会の活動を通して、思っていることなどを話したら『うん、そうだよね。桑原くん』ってみんなが納得してくれます(笑)。それから、越路の祭りの予定が書いてある『祭礼暦』を作り、今年はA3サイズにした縮小版を各戸に配布したんです。越路の人でも他地区の祭りを知らないことがもったいないと感じ、みなさんに協力していただきました」

「祭りの朝6時に花⽕が上がると、このカレンダーを⾒て『今⽇はここね』とか、『来週はあそこの祭りだな』とかね。シャギリの練習が休みのときは若翔会の⼦どもたちを連れて、ほかの地区の祭りを⾒に⾏きます。そこで、その地区の友達なんかに会ったりして一緒に祭りを楽しんでいたり。やはり、越路のコミュニティの共通言語は祭りなんだなと感じる場面を実感します」
最後に、今後の課題について聞いてみました。
「この取材を受けても感じるんですが、最近思うんです。よく僕は祭りの人みたいに思われているなって(笑)。でも、そこでなくて、それ以上に越路が好きなんです。歴史を知ることも好きですし、みんなが町を好きなんだと思います。それぞれの祭りはそのコミュニティの総結集。
ただ、越路全体を見ている人って少ないんです。自分の地区のプライドが高いから。コロナがあって越路各地の芸能や祭りが窮地に陥りました。うちの町内もコロナ明けから町内の運動会は見送っています。このようなコミュニティがなくなるというのは、都会化すると思うんです。子どもたちもどこに住んでいたって同じになっていく。それが僕は問題だと思いますし、そうなってはいけないと思います。だから、僕は少しでも越路、自分が住んでいるところを大人も子どもも含め知ってもらいたいし、誇りに感じてほしい」

「越路まちづくり協議会の会員としては、今年で3年目となる『こしじ春の村祭り 伝-den-』というイベントをまとめさせていただいています。地区の垣根を超え、来迎寺駅前で各地の祭りを感じてもらおうというイベントです。普段別々の祭りで一緒にならない地区が一緒のステージに立ったりもするので、お互いに刺激を受けたり、見ている人も刺激を感じ、誇りの醸成につながっていると思います。今年は祭り文化の象徴である祭り屋台曳き回しを行います。また、自分の地区だけでは今までやっていたような祭りができなくなる地区もそう近くない将来生まれるのかな、なんて思います。各地の連携はできてきましたが、今後は、青年会レベルや中高生を含め若手同士の交流を深め、お互いの祭りを行き来し盛り立てあうような関係性を築いていく目標が僕にはあります。そうすることで、少しでも各地での祭りを、その誇りを残していくことができればと感じます。
最後に、郷⼟芸能や祭りは楽しむツールであって、それがしきたりじみたものになってしまうと衰退していくんですよね。芸能はただ伝承するものではなく、その時代に合ったスピードがあるというか、だんだんとつないでいくものだと思っています」

この春、26歳になる桑原さん。そろそろほかの地区では青年会の定年の年齢でもあり、若翔会からの引退も仄めかしていました。しかし祭りは桑原さんにとって生活の一部であり、人生の醍醐味。どんな形であれ、これからも祭りに関わり、自分自身が存分に楽しんで発信することで、越路のユニークな魅力を広く伝えていくことでしょう。

Text: 松丸亜希子 / Photo: 池戸煕邦、松丸亜希子






