私たちが口にする肉は、誰がどう繋いでいるのか? 長岡食肉センターが守り抜く職人技と「命」の循環
日常的にスーパーの棚に並び、私たちの食卓を彩っているお肉。新鮮で美味しいお肉を、当たり前のように手軽に食べられる背景に、どのような「場所」と「人」があるか、私たちは普段どれほど想像できているでしょうか。
長岡市新開町。ここにある「株式会社長岡食肉センター」は、「命」を私たちが口にするお肉へと日々変え、地域の食を支える最前線です。
もともとは長岡市営だったものが2019年に民営化し、さらに2030年度には新潟市の施設との統合という大きな変革期を控えている同センター。今回は、強烈な個性と熱い情熱を持つ代表の林 又一(はやし またいち)さんへのインタビューと、なかなか目にすることのない解体現場のリアルから、長岡の食肉加工の「いま」と「未来」を紐解いていきます。
※本記事には一部に、牛と豚の解体した肉塊の写真が出てきます。苦手な方はお気をつけください。
お役所仕事から長期的思考へ。
前倒しで踏み切った民営化の舞台裏
「昔はね、各市町村、例えば近隣の小千谷や堀之内、柏崎や三条だとか、そういうところがみんなそれぞれ食肉センターを持っていたんだよ。だけど、時代の動きについていけなくて、どんどん畜産農家がやめていってね。今はセンターも新潟県内に長岡、新潟、新発田の3か所しか残っていないんです」
そう語る林さん、通称「又さん」は、かつて長岡市の職員として畜産行政に深く関わってきた、言わば「元・お役人」の経歴を持つ人物です。

かつては長岡市も「市営」としてセンターを運営していましたが、時代の変化とともに経営の岐路に立たされました。長岡に限らず、多くの食肉センターが建設から40年余経っており、老朽化が進むなかで公費だけで維持することが難しくなることが予見でき、国内の畜産業は高齢化や飼料の高騰などさまざまな要因で農家数が減り、稼働率の低下もネックでした。2000年頃、当時の行政管理官が「食肉センターを市の職員がやっていくやり方はやめる」という方向性を決めた際、食肉センターの職員だった又さんも「時代が時代だから、いつまでも市営でやっている必要はないでしょう」と応じ、民間への移行を進めることになりました。
5年間の指定管理期間を経て、本来の計画よりも1年前倒しで完全民営化へと踏み切った長岡食肉センター。そこには、役所運営のベースとなる単年度決算の考え方では、本当の意味でのコスト計算や企業的な経営は絶対にできないという、又さんの確固たる経営視点がありました。
「役所の決算っていうのは簡単でいいんだけど、大きな修繕に5000万円かかったら、補助金などを差し引いた残りの4000万円は持ち出しになり、その年は一言『赤字です』と言われて終わってしまう。だけど民間の場合だったら、それを耐用年数で割り返して、1年あたりのコストを弾くのが当然でしょう。そういう考え方でお金を動かさないと、本当の経営判断はできないんですよ」
これまで慣れ親しんだ役所的な支出の考え方を改めてコスト計算を徹底した結果、指定管理の初年度には約5000万円の利益を弾き出しました。しかし、もともと市営だった土地や設備を民営化したことで、長岡市から年間3000万円という土地施設使用料を提示されてしまいます。又さんは、これに真っ向から抗議しました。
「償却が終わったような建物なのに、再建築価格をもとに計算なんておかしい! 市がやっていて儲からなかったものを、民間になったからってそんな額をそっくり払えるわけがないでしょう、おかしいじゃないですかって。私は役所にいた人間だから、市が資産価値を3000万円と計算してきた経緯も分かる。でも、そんな無理を吞んでいたら会社を続けることなんてできない。使用料を交渉して、なんとか今の黒字経営のベースを勝ち取ったんです」
行政の慣例に縛られることなく、民間企業としてのシビアな採算意識を持つこと。それこそが、センターを存続させるための第一歩でした。

50年の蓄積が可能にする
最新設備に負けない技術力
長岡食肉センターの強みは、最新の設備やテクノロジーではなく、現場の「内製化=積み重ねてきたメンテナンス力」にあります。
建物の築年数はすでに50年を超えており、新潟市の食肉センターなどと比べると使っている機械も古いため、性能は到底かないません。しかし、ここではラインを引っ張る鉄のチェーンの分解から、皮を剥ぐ機械の修理、日々の細かな調整まで、すべて自分たちの手で行っています。
「一番お金がかかって大変なのは、やっぱり機械のメンテナンスなんだよ。だから、民間でのやり方を模索し始めた段階で、募集をかける時に『溶接のプロ』や『設備屋さんで分解組み立てをやっていた人』など、ナイフを持った経験はなくても機械に強い人を中心に雇い入れたんです。専門職だからそれなりの技術に見合う評価をしてやらないとダメだと、市にも強く言って給与単価を上げてもらった経緯もある。その時に入ってくれた技術屋の人たちが、今も残って現場を支えてくれているんだよ」

現在、又さんはメンテナンスの担当者に年間1500万円の修繕予算を預けていますが、なんと毎年この予算が「余る」のだそうです。
「自分たちで直してしまうから、他の業者に取られるお金が少なくて済むんだよ。例えば、ライン作業の途中で機械が止まってしまっても、彼らは応急処置をしてなんとかその日の仕事を終わらせてしまう。部品が入ってくれば次の日の朝には、何事もなかったようにラインを動かして全体の仕事に影響がでないようにしている。ここの機械を50年間ずーっと見続けてくれているベテランもいて、『この症状が出たらあそこを直せばいい』というのが全部頭に入っている。自分たちのペースで好きに、かつ確実に直せる体制になっているから、経営的にも助かっているよ」
他のセンターであれば、専門のメンテナンス業者を呼び、莫大な費用とラインの停止時間を引き換えにしなければならないトラブルを、長岡の食肉センターでは自らの技術力だけで、その日のうちに解決してしまいます。「古いものを自分たちで維持し、さらに使いやすく改良していく」というスタンスが、食肉センターの当たり前なのです。

独自の加工とサービスで
健全な利益の生態系をつくる
お話を聞いたあと、私たちは実際に豚や牛が解体されていく現場へと案内していただきました。そこで目にしたのは、驚くほどのスピードと、一切の無駄がない職人たちの鮮やかな連携プレーです。
1日に最大で約500頭の豚を処理することもありますが、1時間に100頭をこなすハイペースのため、大半の作業は午前中のうちに終えてしまうとか。

本来、食肉センターで行う仕事は、法律に基づいてと畜を行い、皮を剥ぎ、脚を外し、内臓を出して綺麗に洗浄した「枝肉(えだにく)」と呼ばれる半分の状態にまで作り上げること。そこでセンターとしての仕事は終わり、あとは仲卸や肉屋に引き渡すのが一般的です。しかし、長岡食肉センターはそこからさらに一歩踏み込んだカットや加工までを行っています。

「他の食肉センターでは枝肉にするまでしかやらないけれど、うちはその先、枝肉から骨を抜きさらにロース、ヒレというパーツをきれいに切り出して、お肉屋さんに直接売る仕事もやっているんだよ。これはね、民営化になってから全体的に農家も減って、入ってくる頭数が落ちてきた時に、昔と同じことだけやっていたら会社が潰れてしまうという危機感から、ここ3年くらいで始めたことなんだ。相場が下がった時に、ただ待っているだけじゃなくて、自分たちで新しい売り先を見つけて、『3000円のと畜料金のほかに、2000円くらいもらえればカットもしてあげますよ』と提案する。そうすれば、うちの冷蔵庫で一時保管して安定供給ができるから、お肉屋さんも助かる。自分たちも稼ぎ出すために、できることは何でもやるんだよ」
さらに、お肉の味や日持ちに関わる解体の技術にも、長い歴史の中で築き上げたノウハウがあります。
「豚でも牛でも、命をいただく時に、ナイフでいきなり心臓を刺して止めちゃダメなんだよ。心臓が止まってしまうと、体の中から血が抜けなくなってしまう。魚の血抜きと同じでね、体の中に血液が残ると味がまずくなるし、お肉の傷みも早くなってしまう。だから、心臓の拍動を利用して、毛細血管の中の血液までも切り口から外へ押し出さなきゃいけない。長岡では、必ず脚をちゃんと立てている状態でナイフを入れる。寝かせたまま刺してしまうと、心臓の位置が定まらなくて血抜きが悪くなってしまうからね。この微妙な感覚や理屈は、長年培ったうちの職員の技術だからこそ分かるものなんだよ」

熟練の職人がラインの前の人の仕事に敬意を払いながら、次の人の作業を考えてナイフを入れる。この美しいリレーがあるからこそ、長岡のお肉は残血が少なく、非常に高い品質を保つことができます。

また、近年では他県や大手のセンターに流れてしまいがちな地元の農家を繋ぎ止めるため、センター自らがトラックを購入し、魚沼や三条などの生産者の元へ豚を直接「お迎え」に行く送迎サービスまで開始しました。待ちの姿勢を捨て、命を無駄にしないようにできることは何でもやるのが、長岡食肉センターのスタイルなのです。
カラス研究から鳩レースまで
あらゆる生き物と向き合う
又さんは柏崎農業高校(現・新潟県立柏崎総合高等学校)で畜産を専攻。その後、専修学校・新潟県農業講習所(現・新潟県農業大学校)に進み、農業改良普及員の資格を取得して長岡市役所に入庁。行政職としては異例とも言える「畜産係20年間、異動なし」というオンリーワンの道を歩んできました。
畜産農家の育成指導のなかで農業・農村のあり方をみつめ、当時農林部で管轄していた市営牧場と関連づけて、昭和56年に東山ファミリーランドに「動物ふれあい広場」を建設し、乳製品の製造体験や一日体験授業などのコンテンツを次々と仕掛けました。長岡市で育った子どもたちはここで動物と触れ合ったものですが、残念ながら平成29年に閉鎖となり、気軽に動物と触れ合える場所は無くなってしまいました。
30代後半の時には、農林水産省の新事業「農業構造改善モデル事業」の提案募集を見つけ、自ら応募して3億円の予算を獲得。農業体験施設の構想を実現し、それが現在の「農の駅 あぐらって長岡」となっています。そして40代前半に長岡市青果市場で4年間、50代前半で長岡市営食肉センターで5年間勤務し、民間事業手法を勉強することになります。
農政では、低農薬米の生産への方針転換したり、うまい米コンテストを農家と開催。中越大震災からの復旧等も手がけ、災害復旧としては異例の3年実施を見届けて、平成21年度に市役所を退職。第二の人生を自らかかわった「食肉センター完全民営化」と定め転職して現在に至ります。
「出世なんてのはほとんど考えてもいなかったし、我が強くて生意気だったからさ(笑)。当時の上層部と大激論!結果、青果市場へ4年間飛ばされたりもしたんだよ。でもね、その青果市場での4年間も本当に楽しかった。駐車場のエリアを区切る白線を自分達で引いたり、亀裂を直したりね。高速道路を使って来る八百屋の運転手へのアピールで屋上に電飾の広告塔が建っていたんだけど、劣化してトタンが車の上に飛んだら危ないし、雷が落ちたら電気系統が吹っ飛ぶから『こんな無駄なものやめようや』って言って撤去させたりした。周りからは『役所の中で一番民間に近いのはこいつだ』って言われたけれど、とにかく無駄なことはしたくなかったし、大風呂敷を広げてもそれだけの実績はちゃんと残してきた自負があるんだよ」

……と、役所時代の話を伺いつつも、たくさんのカラスが飛び交う窓の外の景色がずっと気にはなっていたのですが……なんと、又さんはこのカラスたちととても仲がいいんだというのです。
「カラスの生態やどうやって駆除するかを研究している研究施設に協力するために飼っているんだよ。捕獲檻に誘導して、年間で40羽くらい捕まえるかな。鉄砲で撃ち落とすような効率の悪い駆除をやるくらいなら、ここで捕まえた方が早い。県外の施設で役目を終えたカラスがはるばる飛んでここに帰ってくることもある。カラスたちも、ここに行けばちゃんと餌がもらえるって分かっているんだね(笑)」

さらに、1964年の東京オリンピックで8000羽ものレース鳩が放たれたことに感激した中学2年生の時から今も現役で続けているという鳩レースの趣味は、もはやプロの域。何十年も鳩を飛ばし続け、レース鳩の血統や管理について語る又さんの目は、少年のように輝いていました。どこまでも「生き物」に対して真摯であり、周囲の人と独自の信頼関係を築いてしまうその人間味こそが、多くの職人や農家を惹きつける又さんの最大の魅力なのです。
統合の流れの中でどうなる?
次世代への「命のバトンパス」
長岡食肉センターの入り口には、大きく「命のバトンパス」というメッセージが掲げられています。センターでは、お肉を提供する飲食店のお客さんや、市内外の学校の子どもたちが見学に訪れ、又さん自らが教壇に立つ「命の授業」が長年行われてきました。

「親御さんの中には『そんな残酷なものは子どもに見せないでほしい』と言う人もいるみたいですが、いざ授業が始まると、ほとんどの子どもたちは、生きた豚が電気で失神させられ、職人のナイフによって血が抜かれていくところまで、じっと真剣に見ているよ。私たちが日々食べているものが、どうやって命から肉へと変わって届くのか。今まで現場を見て失神した子なんて一人もいないし、むしろ興味のある子どもたちは、後からすごく深掘りした質問をたくさんしてくる。学校の先生からもね、この授業を受けてから、学校給食の『残食率』が目に見えて減ったって報告をもらいますよ。やっぱり、実際に自分の目で見て、血の匂いを嗅いで、鳴き声を聞くことで、子どもたちなりに『命をいただく』ということの本質を考えているんだね」

「かわいそう」という表面的な感情だけで終わらせるのではなく、私たちが生きるために命を分けてもらい、「いただきます」「ごちそうさま」を誰に言うべきなのかを心と体で知ること。これこそが、同センターが誇る究極の食育です。
食肉センターでは企業見学や職業講話も受け付けているそうなので、興味のある方はぜひご連絡を。
長岡教育情報プラットフォーム「こめぷら」 – 株式会社長岡食肉センター
しかし、こうした地域に深く根ざした食育の場や、長岡の職人たちが50年かけて蓄積してきた高い技術力がいま、大きな時代の波に飲み込まれようとしています。2030年度を目途に、新潟県内の食肉センターを一本化し、新センターを立ち上げるという構想が進んでいるからです。
又さんはこの動きに対して、強い危機感を抱いています。
「県の担当者は人事異動で3年ごとに変わってしまうから、これまでの歴史や現場の経験が繋がらない。ただ予算を出して新しい立派な建物をポコンと作ればすべてがうまくいく、輸出ができるようになるなんて、そんな甘いビジョンじゃ失敗するよ。国際競争力と言ったって、日本の和牛が海外で売れるのはロースやヒレといった高級な一部の部位だけで、残りの部位をどうするのかという現実的なコスト計算ができていない。もし長岡のセンターがなくなり、新潟に一本化してしまったら、中越や上越の農家は遠距離の運賃を余計にかけて家畜を運ばなきゃならなくなるし、家畜だって長距離をトラックで揺られれば、打ち身ができて品質が落ちてしまう。地域経済や農家、そしてここに通う利用者たちのことを考えていない再編は厳しいものがある。地域にどういう影響があるかを真剣に考えたビジョンを描かなければ、うちのセンターだけではなく、日本の畜産そのものが終わってしまうよ」

クリーンにパックされた
「食材」の背景にあるもの
見学の最後に、敷地内にある一般向けの直売所に立ち寄らせていただきました。地元のお客さんや近隣の飲食店の仕入れ担当者、さらにはアジア圏の方々も買い物に訪れるそうで、さまざまな言語の注文票が並んでいました。


ここで加工された新鮮なホルモンや、センター特製の売れ筋チャーシューをはじめとした自慢の加工食品たち。焼肉用の肉は要予約なので、予定が決まったらぜひ電話を。

「いただきます」と「ごちそうさま」。私たちが毎日、何気なく口にしているその言葉を可能にしているのは、生きた命をできる限り苦しませず、できる限りおいしい状態で次の誰かへと繋ごうとする、食肉センターの職人たちのプライドと、長年培われた手作業の技術なのです。
2030年度の統合という大きなフェーズを前に、長岡が守り抜いてきたこの「命のバトンパス」の場所をどう残し、未来の世代へ繋いでいくのか。戦争や疫病など、近い未来の食さえどうなるか不透明ないまを生きる私たちは、綺麗にスーパーのパックされたお肉の向こう側にある命の流れと人びとの努力に、もっと深く目を向けるべきなのでしょう。

Text&Photo/八木あゆみ(な!ナガオカ編集部)
株式会社長岡食肉センター

住 所
新潟県長岡市新開町3226-7
電話番号
0258-27-5921
FAX番号
0258-29-4220