受け継がれてきたものが消える前に。山古志を舞台にした映画「ReDiscovering.jp」とは
日本各地の風景や暮らしを収めたショートムービーが、国内だけでなく海外からも高い評価を受けている映像制作会社「augment5 Inc.(オーギュメントファイブ)」。代表作のひとつである、秋田県を舞台とした映像作品「True North, Akita.」は、なんと世界150カ国以上で視聴されました。印象的なテーマ曲とともに、秋田の風景と、自然の中で遊ぶ子どもたち、そこで暮らす人、過ごす時間を丹念に切り取った映像には、シンプルなのに心を強く揺さぶられるものがあります。
「True North, Akita. #1」
True North, Akita. #1 from augment5 Inc. on Vimeo.
そんなaugment5 Inc.が手がける初の長編映画「ReDiscovering.jp(リディスカバリング・ドット・ジェーピー)」が、約4年間の製作期間を経て完成。「日本再発見」を意味し、日本の原風景を世界に発信しようという作品は、カンヌ国際映画祭などの海外映画祭に出品される予定です。そして、この映画の舞台に、高知県四万十市、秋田県横手市、東京都新宿区神楽坂と並び、長岡市山古志地域が映像に収められ、伝統行事「牛の角突き」と山古志闘牛会の会長として伝統行事の復活と震災後の山古志の復興に力を尽くした故・松井治二さんと息子の富栄さん親子が登場しています。
なぜ、山古志を舞台に映画を撮ろうと思ったのか? 山古志の魅力とは何なのか? 映画の撮影地・山古志で上映イベント「ReDiscovering.jp #Yamakoshi_Village 角突き観戦&映画鑑賞」が開催された2017年9月23日。augment5 Inc.の代表で本作のプロデューサーでもある井野英隆さんに、山古志闘牛場でお話をお聞きしました。
井野 英隆さんに聞く
「山古志」を映像化した理由
――まず、山古志に巡り合ったご縁は何だったのでしょうか? 井野さんは、過去のインタビューなどで「民俗学者・宮本常一※や松尾芭蕉などの足跡をたどって映像を作っている」とおっしゃっていました。山古志も宮本常一さんが来られたこともありますが、何か関係はあるのでしょうか。
※宮本常一(みやもと・つねいち):宮本常一(1907~1981)民俗学者。生涯にわたって日本各地の地方を訪ね歩き、生活・文化に関する膨大な記録を残した。その独自の民俗学は柳田國男の「柳田民俗学」に対比され、「宮本民俗学」と呼ばれる。主著に「忘れられた日本人」「塩の道」ほか多数。
もともと「日本の原風景や、あるべき暮らしといったものを、自分があまりにも知らない」という思いがあったので、それをどうにか知りたいと思っていたんです。大学の頃からインターネット関係の事業で起業して、海外と仕事をすることが多く、日本人としてビジネスの場に立つのですが、日本のことを何も言えない。韓国人?香港人?と聞かれることもあり、「いや日本人だよ」と言っても、その後に日本のことを説明する言葉を持っていなかった。心の中で「あれ?俺って日本人でいいんだよな……」みたいな。海外のIT企業の経営者に友達ができて話すことが多くなり、彼らがしきりに自分に向かって「日本のアニメが好きとか、ラーメンが好き」とか言うけれど、それはそれで、自分にとって当たり前の存在すぎて背景も何も知らない。結局、歴史的なことも現代のことも、自国の文化でありながら自分はそれらについて何も語れないことに気がつきました。インターネットを使えば、誰かがまとめた日本のいいところ、美味しいもの、行ったほうがいい場所などはいくらでも探せます。けれど、それでは伝わらない大切なことがこの国にはたくさんあるのだろうと思います。
検索可能な情報はたくさんあるけれど、ネットの仕事をしていた分、その限界もわかっていました。だからこそ、今までネットだけでは絶対出来なかったものを、ネットを使ってやりたいと。その時に、ヒントにしたのが民俗学者の宮本常一さんたちがやってきた仕事でした。彼らは、日本の各地を訪れ、その土地の営みを膨大な文章やスケッチ、写真で残してくれた。その仕事を、現代版でやるとしたら? 今ならば旅した時間をそのままを映像に記録して、すぐに海外に発信することができます。そういったツールが有る時代なのだから、それをしてみようと。
――デジタルコンテンツやメディア事業コンサルティングを手がけていた井野さんは、東日本大震災がきっかけに、現在のような日本の地域を撮る活動に舵を切ったとお聞きしました。
震災だけが理由の全てではないです。制作会社としての仕事は、大きな会社から依頼があると、それが実績となり、また大きな会社から大きな仕事が来る。そのためにはコンペに勝たなければいけなくて、そこを目指す会社が世界中にいっぱいあります。広告業界の賞なども多いのですが、受賞したとしても一般の人には知られない。そういう仕事は自分ではなくても、やりたい人がやればいい。自分がそれに10年20年かけるのは難しいかなと思ったんです。そういうマーケットを意識した仕事は、日本人でなくてもできます。もっと安くやってくれる人がいれば、その人に流れてしまう。極論をいうなら、AI(人工知能)がやっても良くなってしまう。そうなると、いったい何のために若さや多くの才能をつぎ込んで名前以外何も知らない会社の仕事をしているのかわからなくなってしまって。もちろん、社員もいたので、会社を回していくためには委託制作の仕事もしないといけないんですが。
そんなことを考えながら、震災前から、一眼レフカメラを持って一日どこか旅行に行って、撮影して、それを編集した映像にオリジナルの楽曲をつけてネットで公開する活動を始めていたんです。その映像がバイラル(SNSなどで話題になり拡散されること)した。それを見て、政府の予算や、大企業が束になって政策的な動きをするよりも、「日本の良さを伝えるには、純粋にこれを続けていけばいいんじゃないか?」と思いました。
「Kusatsu Oct 26 , 2011」
Kusatsu Oct 26 , 2011 from augment5 Inc. on Vimeo.
これから、日本は人口も減るし、これから伸びる産業が国内にあるのかというと、正直なところ難しいと思います。けれど、日本の文化には、絶対に侵食できないレベルのものもあります。それは、伊勢神宮は1400年、高野山は1200年、そして山古志の角突きは1000年くらいというように、起源がよくわからないくらい古いもの。たくさんのものが受け継がれてきた国にいるのに、そのことを学校でも教わらないし、親に聞いてもわからない。本を開いても実感がないというか。それならば、もう見に行くしかないと思って地方に足を運ぶようになりました。
そうしたら、受け継いで今もやっている人たちが「いた!」って(笑)。
――そうして、山古志で角突きと、山古志闘牛会の松井治二さん、富栄さん親子に出会ってしまった?
そうです。角突きを見に来て、「カタチは変わっていると思うけれど、牛も真剣で、人も真剣で、それを週末に集まって皆が見ているというのは、東京にいたら考えられない。これを見てしまったら、オシャレなカフェで写真を撮ってアップしている場合じゃない!」って思って(笑)。
もともと、自分は「Out of display」ということをいつも意識してあらゆることに取組んできたつもりでした。基本的に仕事ではスマートフォンやパソコンなどの中で情報設計をしているのですが、本当は「このサービスに触れたら、もしくは作品を見たら、いてもたってもいられなくなる」ようなことを常に提供したい。その外側、向こう側にあるもっとワクワクした世界があるんだぞ、ということを伝えたいんです。仕事を始めた頃から、ずっとそれを意識して、そういうのを求めて、未だに実験をしているところです。今は時代の流れもあって海外からの観光客が増え続けているので、その人達にどう予想外のものをぶつけられるか、そしてどうすれば行動に転化してもらえるかを考えています。
京都のお寺とか、六本木の夜とか、もちろん楽しいけれど、「じゃあまた行こうよ」と言っても、観光客としては「もうあそこはいいんじゃない?」となりがち。でも、ここ(山古志の角突き)は、人と牛との深い繋がりや熱意に触れて、色んな人がまた行きたいと思うんじゃないかな。
僕は、この牛を引っ張ってる人達(勢子)って普段何しているんだろう?ってことが気になるんです。聞いてみたら鯉を育てていたり、大工やっています、とか。そういうのが面白い。僕は面白いと思うんですけれど、それがどうしたら伝わるんだろうかを考えています。
ここ(山古志闘牛場)に来る観光客の中には、旅行会社のツアーバスで来て、1時間ちょっとくらい見たら、さっさと帰ってしまう人もたくさんいます。でも、角突きに関わっている人たちの、もっと個人的なことに興味をもてば、それも変わるんじゃないかなと。「なんで牛にそこまでするの?」週末をかけて、家族もいるだろうに「家族よりも牛なのかな?」って最初は思う。でも、実際その人たちが牛と接する姿や普段の暮らしを知ると、ほんとうに家族のように牛と暮らし、関係を築いてきたことを少しずつだけど分かってくる。そういう生き方をしている人たちに興味を持って、映画にしようと思ったんです。
自分も、どうしても角突きを近くで体験したくて、実は、何回か柵の中に入ったともあるんです。もちろん、勢子さんの許可を貰ってですけれど。観客席と場内を隔てるこの柵の向こうは、また別世界なんですよ。もう何もしなくてもアドレナリンが全開。「死んでも知らないよ」っていう。そういうものを体験して、自分なりに手段を選んで伝えられればと思っていました。
日本には視覚的に残すべきだと
思うことがいっぱいある
――そういった視点は、どのようにして得たのでしょうか。
2015年から毎年カンヌ国際映画祭に行っているのですが、そこで話されている日本の話題は、日本のメディアが取り上げているような、ラーメンやコスプレの話ではないんですね。実は、こういう角突きのような日本独特の文化に興味があって、もっと日本のことを深く知ろうとしている人がたくさんいることを知りました。谷崎潤一郎や小津安二郎は実はフランス人にとっては教養の初歩です。それを知らない日本人では議論もできない。本当に日本のことを伝えたかったら、当然この人たちよりも興味を持って、真剣に自分の国のことを知ろうとしなければ、伝えられないと肌で感じました。ネットで検索して出てきた情報で、日本のいいところがすべて理解できるとは思えません。
自分は貿易をしているような感覚なんです。「コンテンツ貿易」と言っているんですけど、質の高い映像にすることで、日本の文化コンテンツを輸出可能な国際的な基準に持っていける。文化を背負ったコンテンツを輸出していくという意味では、日本はまだまだ、やるべきことはいっぱいあると思います。例えば、日本のアニメは今海外で違法に流通していて損失は毎年数千億円と言われるほどなのですが、日本人が一番それに気がついていない。日本料理のお店をヨーロッパでやっているのは、ほとんど日本人ではなかったりする。せっかく外国人から興味を持ってもらえている日本の文化輸出に、日本人がどれだけ真剣に関わっているでしょうか? 断片的な“本物”に触れられるのも、ごく一部のホテルとか、星付きの店など、限られた場所だけ。
でも一番いいのは、こういう場所(闘牛場)に来てもらって、書籍やネットには載っていない、いま起こっている現実に興味を持ってもらえることです。本当は、とれたての新米に、おばあちゃんが手作りの味噌をつけて食べるのが一番おいしい。決して上品ではないかもしれないけれど、それが本物だと思うし、その方が自分はいいと思う。この暮らしとか風景の中で「この暮らしの中でとれた新米ですよ」っておにぎりを出せばその価値はものすごいと思う。けれど、ただ「新潟県産コシヒカリですよ」と、県名と品種という情報だけで駅前やコンビニでおにぎりを売っても「150円でも高い」と言われてしまう。今は、すごくみんなが「価格」という情報に洗脳されているけれど、マーケットに対して、その裏側を想像できなくなっているんじゃないかと思う。卵の安売り競争や、もやしは1円でいいとか、そういうのは、やっぱりおかしいと思う。
とても難しいことだけど、やっぱりこの場に実際に来てもらいたい。じゃあ、ここに来てもらうためには?それを伝えるためには?どういう工夫が必要なのかを考えています。
――その工夫が、「映画」という手段だったということでしょうか?
宮本常一さんが、もし今生きていたらWEBとデジカメをどう使うか? iPhoneをどう使うか? と考えると、やりたいというよりも、僕は「やらなきゃいけない」ような気がしているんです。映像にこだわっているのは、僕が映画のことをすごく好きだからとかそういうわけではなく、視覚的に残すべきだと思うことがいっぱいあると感じるからです。世界に誇れる資産と言えるような魅力的なものをもっているのに、伝わっていない。それは文字とか、データとかよりも、本当にやっているまま見てもらったほうが、一番説得力があると思います。
例えばいま、自分よりも若い人たちに知って欲しいことがあって、「この本いいよ」と言って宮本常一さんの著書を渡しても、なかなか読んでもらえないですよね。でも、映画を作って、チラシを作って、ぱらぱら見せて。「よかったら角突き見た後に映画見ませんか?」と声かければ動くかもしれない。今回も、東京から来た20名はそうやってお金と時間を使って来てくれています。(この日の闘牛見学&上映会イベントに、東京からツアー客が約20名ほど参加していた)
その土地で受け継がれてきたコンテンツそのものは変えなくていい。けれど、伝え方の工夫や、仕組みのアップデートは時代に応じた形を考えなきゃいけないと思います。本質的には、松尾芭蕉の「ここで一句」でも、とにかく良さが正しく伝わればいいと思う。でも、単純に俳句よりも1時間の映像の中で伝えられることの方が情報量としては多いので。ただ、1時間も映像を観てもらうためには、工夫が必要です。そんな映画を今の人たちにどうやって観てもらえるか真剣に考えて、映像を作りました。制作には4年かかってしまったけれど、今の時代に4年かけて作るようなコンテンツはなかなかないと思います。
映画を観た人が、実際にその土地に
足を運びたくなってくれればいい
――高知、秋田、東京、そして山古志の4か所を選んだ理由は何だったのでしょうか。
映画を撮り始める時には、撮影地や対象は、全く決めていなかったんです。宮本常一さんが歩いた「塩の道」や、北前船の航路などを参考に場所を探していました。明治以降に道路や鉄道の発達で、日本人の移動の仕方はすごく変わりました。つまり、今の暮らしってたかだか100年程度の歴史しかない、すごく最近のこと。じゃあその前はどうなっていたんだろう?と調べてみると、僕たちの社会は海、山、川など、全てひとつの水系でつながっていた。そして、その地形に応じてすごく理にかなった職業分担、住み分け、暮らし方をしていました。今のコンビニ、高速道路、電車がといったものがなかった時代が、歴史的にはつい最近まであったんです。そんな、近代化の前の時代にあったことが、目の前からはかき消されている。それは、物理的にも記憶の中でも、すごく簡単に消えていってしまう。
だから、フランスなど海外では執拗と言っていいほどその形や、街の形を残すことにこだわっているのかなと。日本は良くも悪くも、和洋折衷建築のように変化を受け入れてしまう。そういう意味では器用なんだけれども、起源がわからなくなるくらいアレンジして取り込んでしまう。何と何をミックスしたのか?わからなくなっちゃうくらい。であれば、現代において日本が誇るものだけを掛けあわせて自分なりに世界に出してみようと思ったんです。
この映画では、日本が世界に誇る光学機器であるデジカメと1000年続く角突き文化をミックスしたプロセスというか、なぜこれを今やっているのかということを感じてほしいなと思います。
――映画の見どころや、工夫したところなどを教えてください。
「ReDiscovering.jp」という映画のタイトルもネットのURLというシンプルな形式だし、映画を見てもらえばわかるのですが、ほとんど情報が出てこないんです。ナレーションとか、テロップがほぼない。でも、気になることがあって映画に言及するとリンクが貼られます。タイトルがURLなんで。
それから、本編中にハッシュタグ(ハッシュマーク(#)が付いたキーワードのこと。SNS上でのコミュニケーションに使われる)だけがでてくるんですよ。だから、「よくわらないけど、調べたら最初は情報がないから、もう行くしかない」という風になってほしい。そうして行った人がハッシュタグをつけて「これってこういう話らしい」という自分の感想や解釈をネットに投稿してくれればいい。映画の中で「山古志村とは…」と出してしまうと、それが説明になってしまい、「いや違うよ」という人も出て来る。でも、説明がなければ自分で探したり、考えるしかなくなりますよね。
スクリーンにハッシュタグが入っているのは、映画史にとっては革命的なことだとも思っています。「タグはあるけど、他の説明がぜんぜんないぞ!」「何だったんだあのタグ?地名でしょ?」って、観た人がもやもやしてもう一回見てくれたり、実際に映画に出た場所に行ってみたりしてくれればと思います。
これは映画の中だけでなくて、SNSのハッシュタグも、もしかしたらその裏に何かあるのかもしれない。このタグを押したらその先になにかあるんじゃないか? 山古志というタグをクリックしたら、裏になにかすごいものが広がっているかもしれない——というワクワク感というか、そういう想像力も、角突きなどの伝統だけではない、現代的な日本らしさの魅力のようなものだと思います。
「映画を見て良かった!」と言ってもらえるのは嬉しいですが、それだけでなく、映画を見てその地域の人や家族と過ごすもっと先の時間が良いものになったな、と思ってもらうのが自分のゴールです。そうならないと、山古志から学んだ本質的なことを伝えたことにはならないと思っています。
山古志には、宮本常一さんと過ごしたことがある人もまだいる。そういう人たちから聞く話とかすごくおもしろいです。道路が舗装されておらず、普通に牛が動力だった頃の話。昔、牛がいたところに、今は軽トラが止まっていて、その軽トラに安全祈願のためお神酒をあげる話とか。
何か用意されたものを消費するだけではなく、地域のひとりひとりと向き合って関係を残したい。ここでしか聞くことができない話や本物の出会いを求めて山古志に来てくれたらなぁと思います。
山古志でのお披露目上映会で
130人が映画を鑑賞
角突き終了後の19:00から、木籠(こごも)集落の郷見庵(さとみあん)に会場を移し、映画の上映会が開催され、地域内外から130人ほどが集まりました。
監督の印藤麻記さんから、「この映画は、日本の何か大切なものが残っている、その何かを探しに行くような映画を作りたいと、全国を訪ね歩いてできた映画です。いろんなところへ行き、いろんな人と出会い、その中で残したいと思った言葉、残したいと思った場面を、60分にまとめました。強いエンターテインメント性やストーリーがある映画ではないです。説明もわざと少なかったりするのですが、国籍、人種、文化、年齢を問わず、それぞれに何かを感じて持ち帰ってもらえればと思います」との挨拶が。その言葉通り、映画の中では、制作者のメッセージはなく、映し出される映像と、その人の語りから、「答えのないような世界」を感じることができました。
山古志をはじめ、私たちの社会でずっと受け継がれ営まれてきた暮らしを、世界に、日本に、再発見させてくれる映画が、多くの人の目に触れることを願っています。
Text&Photos:Yorimitsu Karasawa