愛好家が語り倒す!レトロさだけじゃない「農業用発動機」の奥深〜い魅力
ポッポッポ、コトコトコト…。
特徴的な機械音とともに、ピストンが動き出し、車輪が回る。
1900年代から1950年代頃まで日本国内各地で活躍していた「農業用発動機」。おもに石油や灯油を動力源とする、農家の「脱穀」や「籾摺り」といった農作業の動力源として使われた機械である。
(※)籾摺り(もみすり)…籾から籾殻を除去して玄米にする作業。機械化前は、臼をひいて作業していた。
60代以上の方の中には目にしたことがある、あるいは、自宅にあった覚えがあるという方もいるのではないだろうか。
いまではすっかり見かけなくなってしまったこの農業用発動機を収集・修理し、普及させる活動を行なっている人が、新潟県長岡市にいる。
NPO法人・新潟県発動機研究所の会長をつとめる白井俊一さんだ。なんと、白井さんは好きが高じて、自宅に発動機の私設博物館をつくっているという。
深遠なる発動機の世界。それを愛する男たちの姿を追った。
愛好家が集結「発動機試運転会」へ
農業用発動機愛好家が集うイベント「発動機試運転会」が、長岡市で開催された。新潟県内では、上越市安塚区などで定期的に開催されている。
この日は約20名の愛好家が参加。愛好家たちの輪の中心にいるのが会長の白井さんだ。
広場には、発動機の列が各10機ほど、2列に分かれて並んでいる。あたりには、石油や機械オイルの匂いがほのかに漂い、各愛好家たちが持ち込んだ愛機が並ぶ。
こちらは、白井さんが所有する発動機のひとつだ。正田工業所が昭和24年頃に製造していた発動機で、白井さんの手に渡る前は、富山県の醤油生産工場でコンプレッサー(圧縮作業を行う機械)として使用されていたという。
白井さんは、いかにも慣れた手つきで、流れるように機会を操作していく。発動機の前後左右、様々な場所にあるレバーやツマミを手際良く動かすと、ゴトゴトと音を立てながら、発動機が動き出す。
発動機は、いわゆる「レシプロエンジン」と呼ばれる内燃機関のひとつ。キャブレターと呼ばれる機器を用いて石油などの燃料と空気とを混ぜ合わせ、ピストン(往復)運動させる仕組みだ。
なにしろ、製造年は昭和24年。つまり1950年代、今から70年近く前につくられたことになる。現代の機械のように、スイッチを押せば自動的に起動するというわけにはいかないのだ。
若い愛好家に操作方法と、そのひとつひとつの意味をレクチャーしながら、愛機を操っていく。
動力源もさまざま!
レトロ発動機コレクション
「石油や灯油で動く、と説明しましたが、今日は面白い発動機を持ってきている方がいますよ」
新潟県内外から集まった発動機たち。白井さんに解説をしていただきながら、いくつか見させてもらった。
こちらは、通称「焼玉式」と呼ばれる発動機だ。
かつては「ポンポン船」など小型船の動力としても使われていた。
こちらは、埼玉県から参加した「鶴ヶ島発動機愛好会」所属の参加者が持ち込んだディーゼル発動機だ。
燃焼効率のよい動力機関として登場したディーゼルエンジンは、航空機や船舶などの動力として活躍した。1950年代から、発動機の世界にもこのディーゼルエンジンの波が到来したという。この発動機は、そのうちのひとつだ。
農業用発動機は、ありとあらゆる「当時の最先端」を詰め込み、機械としての限界を追求したロマンあふれるマシンなのだ。
何が彼らを熱くさせるのだろうか。そのヒントは、白井さんの自宅にあった。
その数に仰天!
発動機の博物館「新潟石油発動機研究所」
農地と住宅が立ち並ぶ長岡市越路地区丘陵地の一角に、白井さん宅はあった。
外から伺うと、一見ふつうの住宅だ。住居の隣には、雪国でよく見られる、かまぼこ型の倉庫が併設されていた。
倉庫の重厚なシャッターを上げ、中に足を踏み入れると、仰天の光景が目に飛び込んできた。
倉庫の隅々にまで、ぎっしりと発動機が置かれている。むしろ、詰めこまれているといったほうがいいかもしれない。
その数、なんと200台以上。これらの発動機は、どのように白井さんのもとへとやってきたのだろうか。
「私が私費で買い取ったものもあれば、たとえば、農家の方が代替わりする際、引退するおじいさんから息子、孫へと渡ってから譲られたりと、ここにやってきた経緯は様々ですね」と白井さん。
こちらの発動機は、新潟県内のある農家さんから譲り受けたものだという。長い間、地中に埋まっていたものを掘り出し、白井さんが丁寧に補修を施した。
日本屈指の所有数とのことだが、白井さんがこだわるのは台数ではなく、状態の良さ。とはいえ、長年ハードに使われていた農業用具だけに、そうそう最初から良好な状態で保存されているものは少ない。そんな時は、サビを落とし、パーツを交換するなどして、可能な限り稼働していた頃の姿を取り戻す。ときには、自ら部品を製造してまで補修を行うこともあるという。
一目見て、ときめいた。
「機械バカ」と発動機の出会い
越路地区の農家に生まれた白井さんは、小さい頃から農業用発動機に触れ合う機会が多かった。「地元では小さい頃から『機械バカ』として名知られていました」と笑う白井さん。長じてはバイクなど機械全般に興味を持ち、独学で機械制作を行うようになったという。
「発動機は、登場当時は大変高価で、家が一軒建つほどの値段でした。とても個人では所有できなかった。だから、村などの自治体単位で共同保有し、各農家を巡回する、といったことを各地でやっていたんです」
あるとき、白井さんが住む地域にも発動機が巡回してきた。
「一年に一度、籾摺りと呼ばれる農作業をする時期に、順繰りで発動機が回ってくるんです。そこで初めて見た発動機に、すっかりときめいてしまったんです」
知れば知るほど、機械としての純粋な魅力に惹かれ、やがて発動機を収集しはじめるようになったそうだ。
発動機は「温故知新」。農業用発動機に
向き合うことで見えてくるもの
「残された数少ない資料をもとに調べることで、これからの農業を考えるきっかけのひとつになるかもしれない」と白井さんは話す。
発動機本体と同時に、資料の収集も行うようになっていった白井さん。その中で、新潟県内の農業発動機の歴史を知ることになる。
新潟県は、全国屈指の農業県として知られる。さぞや農業用発動機が盛んに生産され、使われていたのだろう、などと安易な予測をすると、白井さんの口からは、予想外の答えが返ってきた。
「新潟県内には、発動機の製造企業が7社しかありませんでした。ということは、そこまで大きな需要がなかったと言えるのではないかと思うんです」
白井さんの研究によれば、発動機生産の最盛期には日本国内に約600社もの製造企業が存在していた。その中で、わずか7社というのは、たしかに少ない。
「農業用発動機が盛んな土地というのは、大きく分けてふたつの理由があります。ひとつめは、『農地の環境を改善させる必要性があること』、ふたつめは、『優れた鋳物の産地であること』。とくに長岡は古くから鋳物の製造が盛んであったにも関わらず、製造企業が意外と少なかったんです」と白井さん。
裏を返せば、新潟県はそれだけ農地として豊かな土地だったということ。新潟県の農業の歴史についても、発動機の研究から再確認することができたのだという。
「格好よさ」の奥にあるもの
長年、地元の食品関係企業で勤務してきた白井さんは、何事にも「商品としての格好のよさ」を重視するようになったそうだ。
「商品として売り出す以上、格好のよさというのも大事なのだと学びました。食品をパックして商品化するにしても、どういう方法で包んだら最も美味しく見えるのか、など」と白井さん。そうした学びを経て、発動機にしても同じ視点で見るようになった。
「格好が大事というのは単純な『見た目のよさ』だけでなく、パーツの形状にはどのような意味があるのか、なぜこのような形をしているのだろう、ということも含まれると思うんです」(白井さん)
たとえば、オイラーが設置されている箇所は、発動機によって微妙に異なる。最適な場所に取り付けることで、機械として最大限の性能を発揮させることを目指したものだが、不思議と「格好よさ」を醸し出しているように思われた。
語り、楽しむことで
発動機の文化を守りたい
白井さんを動かす原動力となっているのは、発動機への愛情だ。
「農家の代替わりで発動機が子や孫に受け継がれる…という話をしましたが、そうした例の方が少ないのかもしれません。古臭いし、場所を取ってしまうし、そもそも動かし方もわからない。捨てられてしまうことも多々あります」
発動機を知らない人にも親しんでもらおうと、「発動機で作ったゆで卵」の振る舞いというユニークな試みを行なっている。
「年寄りばかりが集まって、自慢しあっているんだよね」と笑いながら会員の皆さんを紹介してくれた白井さん。
「単純に『古いから価値がある』のではなくて、自分たちが若い頃、お金がなかったりでなかなか手が出なかったモノだから、というのもあります。それだけに、思い入れは大きい。そして、自慢しあえる仲間に存分に自慢すること。これが大事ですね」
発動機のことを語り合い、まだその魅力に出会っていない人にもそれを伝えることが、発動機の文化を守ることにつながる。あくまでも、まずは自分たちが存分に楽しむことを前提にして。
そう信じて、白井さんは今日も発動機に情熱を注ぐ。
Text and Photos: Junpei Takeya
新潟県発動機愛好会
[所在地]新潟県長岡市岩田1555(新潟石油発動機研究所)
[問い合わせ]0258-92-4418(白井俊一)※すべての問い合わせに対応できるとは限りません。