長岡のロードサイドを彩る「松田ペット」の看板。中毒者続出の魅力と創業者に迫る
松田ペット看板愛好家が
語りつくすその魅力
2017年年末。長岡市のとある会場でファンミーティングが開かれた。その名も「松田学会」。松田ペットの看板愛好家たちの集いである。地元・長岡の在住者だけでなく、関東エリア、遠くはなんと和歌山から足を運んだ強者もいる。
さっそく始まった「松田学会」の発表。トップバッターは主催でもある新稲ずな(にいなずな)さん。数年前に東京から長岡に移住してきたという。
「松田ペットとの出会いは平凡なものでした。2015年3月。車で町を走っていたら、なんか、同じような看板がいくつもあるな……と。あるとき、東京から来た友達が『あの看板、マジでじわじわくるね。絵柄が一枚一枚微妙に違うんじゃないの?』 そのことに、言われてから初めて気が付いたんです」
一度気になりだしたら、見え方が一気に変わったという新稲ずなさん。
「松田ペットの看板は現代アートに近いと思うんです。よく見ると、一枚一枚絵柄が違う。それなのに、どれを見ても一目で松田ペットの看板だとわかる。個性と画一性があやういバランスでなりたっていて、その情報量のバランスがすごい。なかなかやろうと思ってやれることではありません」
言われてみれば、三色の背景、独特のタッチで手描きされた目力あふれる犬と猫。一度、この看板を認識すると、もうどんな遠くからでも、松田ペットだとわかってしまう。
松田ペットの看板ウォッチングの楽しみの一つとしては、意外な場所で出会う発見の喜びがあるという。確かに、大通りより、山や田畑につながるちょっとした道沿いの納屋などに貼られているのを見る確率が高い。三重県在住の会員は、「私は長岡に頻繁には来られないから、ストリートビューでずっと探しているんですよ」と驚きの発言。これまで知らなかった場所に看板を発見すると、その情報を仲間に送って、行ける人が現地調査に飛ぶのだという。新稲ずなさんも、「仏壇の広告のそばに、松田ペットの看板を見かけることがあるので、私はそれを『仏壇チャンス』って呼んでます」と独自の探し方を教えてくれた。
さらに、松田ウォッチングをやめられない理由のひとつが、一期一会のライブ感だという。新稲さんは語る。
「松田ペットの看板は、長年にわたって更新され続けていて、さらに、毎月10枚、追加したり新しいのにかけ変わったりしているらしいんです。確かに車で走っていると『あの看板、新しいのにかけ変わっちゃってる』と思うことがよくあります。いつ更新されるかわからない。今日見た松田ペットが明日には見られないかもしれない。そう考えると、一期一会なんです。私も120枚くらい見ていますが、まだ全部を見つけられたわけではありません。もはや長岡の原風景ともいえる松田ペットの看板を、Twitterやインスタグラムなどに#松田ペット で投稿して、今、存在する松田ペットを世界に広めてほしい。そうすると、みんなが長岡に注目して目が離せなくなる、地域振興になるのでは、と思っています」
新稲ずなさんの熱い発表に拍手する松田学会員。続いて、デザインパターンの考察、描かれている犬種の考察、各自のお気に入りの一枚への語りなど、学会員それぞれの聴きごたえある発表が続いた。レトロで味わい深い絵、秘境の一枚を探す楽しみ、その看板がいつ掛け変わるかわからないスリルと寂しさ、多角的に愛あるツッコミを入れる松田ペットの看板の愛好家たちの視点に、筆者も目を開かせられる思いのひとときだった。
看板の生みの親・松田社長に突撃!
唯一無二の看板を生み出し続けている松田ペット。その看板にかける思いをたずねるために、長岡市大島新町にある松田ペット本社をたずね、松田保夫社長にお話を伺った。
「うちの看板のことですか。この看板は30年続けています。全部で数百か所ありますね。看板をあげているのは、知名度をあげるためなんです。看板を見て松田ペットっていうペットショップがあるんだな、と思ってもらえれば、今すぐ犬を飼う予定はなくても何年かして『犬でも飼おうかな』というときに『そういえば松田ペットがあったな』と最初に思い出してもらえる。そのために看板を出しているんです」
長岡市内を中心に広範囲に広告を出しているのは、知名度を高めつつ、潜在的な顧客にその存在を印象づけるための広告だったのだ。決まったデザインパターンを踏襲しているのも、広告としての印象付けを意識しているからなのだろう。
手描き看板にこだわる理由
気になるのは、なぜこの絵柄、このデザインになったのか、ということだ。いわゆる「松田三連星」を前に社長が解説してくださった。
「かわいい絵が描いてあれば目をひくでしょう。これは左から、ビーグル、チワワ、ヨークシャーテリアです。チワワは世界一小さい犬ですね。この三つを選んだ理由は、売れている犬だからですね。犬の絵は、写真を使う方法もあるんでしょうけれど、手で一枚一枚描いてもらっているんです。ペンキでね。この手描きの絵の広告って、インパクトがあって胸をひきつけるんですよ」
胸をひきつける。聞きなれない言葉だが、確かに社長の言う通りだ。印刷では醸し出せない1点ものの、オリジナルならではの迫力に、私たちは吸い寄せられるのかもしれない。
「でも5年くらいすると、色があせてきて、みすぼらしくなるの。白黒の看板だったら、8年も9年ももつよ。でも、緑、赤、青のこの色は、どうしてもあせてしまうんです。みすぼらしいと、うちの会社がお金がないみたいに見られるでしょ。インパクトがあるからこそ、見る人はそのうち犬を買いに行こうと思うわけ。5年たってみすぼらしくなると、松田ペットの社長が『うちの店には来なくていいよ』と言ってるのと同じだもの。だから、数年ごとにかけ替えるんです。毎月10枚ほどですね。大変なんだよ」
看板そのものにお客様が「今」を読み取っている。そこを意識しているからこそ、新しくかけかえる作業をし続けているのだ。このかけ替え作業、スタッフの方がやっているのだろうか、と思っていると、社長から「俺がやっている」と意外な答えが返ってきた。
「車で走って、小千谷から、見附、寺泊、中之島など、車で走りながら『ここはそろそろ替えきゃな』と思って替えているんだよ」
看板をかける場所などもすべて社長が決めて段取り、作業までしているというから驚いた。
山古志や与板など、看板が立て続けに現れる道もあるので、なぜ、同じ地域で多くの広告を続けて出すのか、その理由を聞いてみると「俺の勝手だよ(笑)」と飄々とした答えが返ってきた。ただ、やはり、山道などで次々に看板が出てくるとひどく印象に残る。そのことはもちろん意識しているという。
独特のタッチは「映画の絵看板」から
松田ペットの看板絵を描いているのは、新潟県小千谷市の近藤看板店の近藤忠男さん(85歳)。松田社長曰く、もうこういう絵を描ける人は近藤さん以外にいないのだそうだ。電話でお話をうかがった。
「看板を描く仕事をして40~50年になります。最初は、映画の看板の、俳優の似顔絵を描いていたんですよ。絵が得意でしたからね。当時は手描き看板全盛の時代だったんです。独立して自分で看板屋を始めて、松田社長に頼まれて看板の子犬の絵を描くようになったんです。子犬の写真を見ながらね。今では、松田さんの看板は描きなれているからずいぶん早くも描けます。休み休みではありますが、一日に2~3枚描きますね。描きながら意識していることですか? やっぱり、上手に描きたいやね。売りもんですからね」(近藤さん)
85歳のベテラン絵師の語る「上手に描きたい」との言葉には重みがある。松田社長は近藤さんの絵の魅力をこう語る。
「俺はその昔、昭和35年、近藤さんが独立する前、看板店の社員だったときに似顔絵を描いているところを見ているんですよ。そのうち腕がどんどん上がってきて。近藤さんがいよいよ『俺は独立して小千谷で看板店をやるぞ、仕事出してくれ』って言うので、その独立を機に看板をお願いするようになったんです。
昭和35年ごろには、町に映画館がありました。映画看板っていうのは、そういう役者の絵を、とてつもなくでっかく描くわけ。畳12帖とか24帖くらいあったのかなあ。アーケードの上のほうに掲げられているのが、車を運転しながらでも見える。今だったら写真を元にして大きく印刷することもできるけれど、あのころはそんな技術はないから、似顔絵を描くしかない。誰が見ても、勝新太郎だ、三橋美智也だ、島倉千代子だ、とわかるようにね。しかも白黒写真を元にして、カラーの絵の具で描くわけですよ。泥絵の具っていって、少しくらい雨でも大丈夫な絵の具を使ってとてつもなくでかく描くわけ。近くに寄ると、あれて見えるけれど、自動車に乗ってみるとまるで写真のように見えるわけよ。
近藤さんはそれを描いていた。だから、車に乗っていると見えるような場所に置く看板に、近藤さんのタッチがいきる。遠くから見ると目に光があるようにピシャっと目をひく。そういうタッチは昔の人でないと描けないの」
あの子犬たちの表情は、目力の強い銀幕のスターたちを描き続けてきた近藤さんならではのタッチだった。そして、近藤さんが映画看板で培った技術を武器に独立したタイミングと、松田社長がペットショップとしてより知名度を上げていくために看板を武器にしようとしたタイミングが重なり、今に続くあの看板が生み出されることになったのだ。
創業まで〜松田社長若き日の修行時代
継続は力なり。長きにわたる広告戦略で長岡では知らない人がいないほどの知名度を獲得した松田ペットだが、創業者である社長は、どのようにペットショップを始めたのだろうか。
「若いときは、東京の江戸川の金魚屋で修行しました。集団就職の時代で、地方から東京に就職に来る若者が『金の卵』なんて言われていました。中学校を卒業したての子たちが長岡駅に集合して、蒸気機関車に乗って上京するんです。清水トンネルっていうところで窓を開けていると、入ってきた煙で真っ黒になるのよ。上野に着くと『江戸川金魚』の人が旗を持って迎えに来ている。それで、私、長岡から来た松田ですって挨拶して。最初の仕事は、2年は草刈り。金魚の池のある山におっぱなされて、なた鎌っての持たされて、池の草取りさせられて。それで自分の下に新人が入ってくると、ようやく餌係。そういう時代だったんだよ」
修行を終えて長岡に戻って、最初に取り扱ったのはやはり金魚だった。
「47年前、28歳のときにペットショップを始めました。世のお父さんの月給が3万円の時代に1匹200円の金魚を売っていました。10年間は金魚屋をしていたんですが、経済が発展して世のお父さんが10万円の月給をとるようになった。そうすると、200円の金魚を見てもかわいいなってならなくなってきたんですよ。私が当時、新潟の金魚屋の友達のところに『おうい、金魚やってるか』って言ったら『ばか、いまごろ金魚やってるやついないよ。鳥だよ』と。鳥は2万円します。200円と2万円じゃ売上が違うでしょ」
確かに筆者の家でも35年くらい前、セキセイインコを飼っていた。当時、インコなどの鳥を飼う家は多く、生まれた雛を分けてもらったりしたものだった。
「それで今度は10年たったら、件の新潟の友人に『おい、鳥屋やってるか?』と言ったら、『バカ、今ごろ鳥なんてやるか、今は犬だよ』と。今度は17万円の犬を売っているんです。実際、鳥が売れなくなってきていました。それで犬屋に変えようと。2万円の鳥と17万円の犬じゃやっぱり売上が違う。それで売上が違うと今度は元気が出てくるんですよ(笑)。10年陳腐化という商業の言葉があるんです。最初はみんなが売り上げがあっていいんだけど、10年たつとつぶれるんですよ。同じ店がいくつもできるとかね」
松田社長は、世の動きを見ながら、ペット業界の時流に舵をきるタイミングを間違わず、ここまで生き抜いてきたのだ。
看板愛好家の存在がうれしい
一面、犬の絵でかこまれているお店の駐車場に、ひときわ大きく書かれた「健康なくして叶う夢なし」のコピーが目に入った。社長の「叶えたい夢」とはなんだろうか。
「まず、健康第一。あとはこの松田ペットをやっていればそれでいい。看板あちこちつけるのにもお金も体力もいるけれどこの店を続けていくためだからね、あとは何もいらない。安い給料もらっていればそれでいい。健康でなければに何もできない。カラオケにも行けないでしょ。私はマジックなんかもやるんです。ネタが10も20もあるよ。特別養護老人ホームで披露したりしています。『人のため何かして その人の喜ぶ姿を見て 最後に自分が喜べばいい』。いい言葉でしょ。俺大好きなんだ。俺もやっている股旅あい好会の座長の言葉なんだけどね」
人の喜ぶ姿を見て、自分も喜ぶ。社長がペット販売を続けているのも、この哲学あってのことなのだろうか。
「犬は人の言うことを聞くし、かわいいでしょ。そばにいると幸せでしょ。そのために犬を飼うんですよ。犬は家族なんですよ」
そういって笑う社長。足元はスニーカー。好きなことをぶれずにやっている人のイキイキとした表情だ。
最後に、社長に、松田ペットの看板を、現代アートとして見ており、写真を撮って収集したり研究している熱心な愛好家がいることを伝えた。
「嬉しいねえ! インターネットを見ていると、うちの看板出てるよね。神戸に美術の大学があるんですが、そこから20人乗りくらいのバスで、教授と生徒が写真を撮りにきたことがありますよ。美術の教科書じゃないけど、資料か何かにうちの看板が載っているみたいで。長岡造形大学の生徒も2人来たね。造形大の教授がうちの広告の話をしていたと言っててね。私と一時間くらい話していったよ。こういう、手で描いた広告を何十年と展開しているところってあまりないそうです」
松田ペットの看板ファンがいることを心から喜んでいる笑顔だった。
ペット販売という仕事を通じて、商売人としての勘を磨き、生き抜いてきた松田社長。その人がこだわりをもって作り続けている松田ペットの看板は、潜在的なターゲットを獲得する本来の役割も担いつつ、いまや一期一会、唯一無二のライブなポップアートへと変貌を遂げている。前述の看板のファン、新稲さんは、この秋、街のおもしろさを見つけてディープに探るマニアたちの集い「マニアフェスタvol.3」に松田ペットの看板をテーマにした同人誌を持って参加した。
「長岡の方だと表紙写真を見るだけで、あの看板ね、とすぐわかりますよね。なので地元受けするテーマかと思っていたのですが、東京のイベントに出てみたら、初見の人が『何これ?』って寄ってくるんです。近藤さんの絵柄と、あのデザイン性のなせる技ですね」と新稲さん。
サブカルチャー好きな人たちの界隈で松田ペットの看板はじわじわと知名度と注目を集めつつある。全国的なブームになって長岡に聖地巡礼のファンがやってくる日が来てももうおかしくはないのだ。毎日の通勤通学で、週末のドライブで、ふと看板が更新されているのに気づいたり、レアな絵柄の一枚を見つけてしまったり、Googleマップから長岡の県道170号をストリートビューで見て看板を探してしまったりしていたら……あなたはもう、松田ウォッチングにはまっているのかもしれない。
Text and Photos: Chiharu Kawauchi
Main photo提供: 新稲ずな(にいなずな)
株式会社松田ペット
住 所
新潟県長岡市大島新町1-1-15
電話番号
0120-27-4811
営業時間
9:00〜19:00(年中無休)
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