伝統より「愛情」を大事に——地域のお客と共に生きる四川料理「喜京屋」の125年
さわやかな辛味がクセになる
名物マーボードーフの味
JR長岡駅西口から徒歩数分。ビジネスホテルが連なる道の先に、喜京屋の看板が見えてきます。ランチタイムともなれば近隣の勤め人が次々と訪れ、夜は地元のなじみ客、家族連れ、宴会の客たちでにぎわう長岡屈指の人気店です。何を食べても美味しいのですが、この店の看板メニューといえば、なんといってもマーボードーフです。
特徴は山椒と唐辛子のしびれる辛さ。とりわけ四川山椒のすばらしい香りと、スッとしたさわやかな辛味は食欲をそそります。使われているラー油は自家製。豆板醤は3年物を使用。発酵が進んだ味噌特有の深い味わいがあります。食べ進むにつれ、舌はビリビリしてきますが、のど越しのよい豆腐がそのしびれをやわらげます。これに白いご飯を添えれば、相性は当然抜群で匙が止まりません。とにかく、クセになるうまさ。食べ終わるころには体に喝が入ったかのよう、何やらパワーがわいてくるのです。
そばの店から中華専門店へ
喜京屋125年の歴史
この喜京屋を支えているのが、5代目の疋田昭一郎さん(37歳)です。喜京屋の創業は明治28年(1895年)と古く、今年の春には店をかまえてからなんと125年目。中華料理の店としてはかなり老舗なんですね、と聞くと……。
「もともとは、そばや天ぷらの店だったんですよ」と疋田さん。
「父から聞いた話なのですが、初代の疋田喜一が東京に料理の修業に出て、『京屋』という店で天ぷらなどを習って帰ってきて、この場所で商売を始めたそうです。店名も自分の名前の『喜』をつけて喜京屋にしたと。中華をやるようになったのは自分の父の代からです」
「祖父の代まではカツ丼とかラーメンといったいわゆる店屋物と呼ばれる料理を出前するような商売をしていたのですが、父はこれからはお客さんに来てもらえるような商売をした方がいいんじゃないかと考えて、中華料理を選んで、店で宴会もしてもらえるような業態にしたと聞いています。父は祖父とは違うジャンルのものに挑戦したかったのかもしれませんね」
疋田さんの父は新潟市の「四川飯店 新潟」で中華料理の修業をスタートさせます。当時、新潟の四川飯店を率いていたのは岡野国勝さん。日本における四川料理の父、陳建民(ちんけんみん)氏の一番弟子と言われ、中華料理の著書も多い一流の料理人でした。疋田さんの父は、岡野さんのもとで修業を積み、長岡に帰ってから喜京屋を中華料理の店に変えたのです。
調理場の手伝いから
自然に中華料理の世界へ
そばや天ぷらの店から、四川飯店仕込みの中華料理屋へ。家業が変わる様子を子どものころに見てきた疋田さん。料理に興味をもつのは自然なことだったようです。
「他の家庭と違って土日は忙しいので、遊んでもくれないし、やることがないわけですよ。だから、小学校の低学年ぐらいから帰ってきたら餃子を包む手伝いなどしていました。いつの間にか難なくできるようになっていたし、いつも調理場に入ってずっと見てるから、子供なりに料理に興味が湧いてきていたんでしょうね。小学生のときから、料理人になっていくんだろうなという意識はあったと思います」
中華料理に限らず、プロの料理は、見て盗んで覚えるといいますが、小さなころから見様見真似でいつの間にか学んでいた疋田さん。誰もかまってくれなかったから、と笑いながらおっしゃるのですが、これもひとつの英才教育でしょう。
そんな疋田さんは中学生のときに、陳建一さんの味に出会います。四川飯店の名物であり、喜京屋の名物でもある、しびれる辛さのマーボードーフ。この味を初めて食べたときのことを疋田さんははっきりと覚えているそうです。
「父の代から、陳建一さんを喜京屋にお招きして料理を作っていただくイベントを定期的に開催していて。調理場にカメラを入れて陳さんの料理風景を見ながら楽しんでもらう食事会で、今も続いているのですが、その1回目が平成9年。当時、中学生ぐらいだったんですけれども、その時に初めて陳さんのマーボードーフを食べたんです。衝撃で。痺れるし辛いし、普通の食べ物じゃない、でも美味しいなあ、なんでなんだろう、すごい料理なんだな……って感動したのをよく覚えています」
高視聴率を誇ったテレビ番組『料理の鉄人』が放映されていた時代に、中華の鉄人、陳建一さんが作るマーボードーフと出会うという、中学生としてはかなり強烈な体験をした疋田さん。父の勧めもあって、高校卒業後の進路は、陳さんがオーナーである東京・赤坂の名店「四川飯店」の本店に修業に行くことなったのです。
スタートはお茶くみから。
四川飯店での修行時代
18歳の青年の、中華料理の超一流店での仕事が始まりました。いったいどんな日々だったのでしょうか。
「厳しかったですね。当時はまだ『料理の鉄人』も放送中でしたし、メディアも数多く来ていたし、忙しかったですよ。昼間だけでも何百人とお客様が来ていましたから」
「修業の最初は、鍋を洗ったりする雑用からかな、と思っていたんです。それが新人のスタートはお茶くみ・ゴミ出しからで、鍋なんて触らせてももらえない(笑)。でも先輩方のお茶を淹れるといっても、調理場には30人もいて、みんな一人一人舌が違うわけです。お茶はお茶でも濃いお茶がいいとか、この人はコーヒーでクリームはなしとか、この人のコーヒーは冷たいのだとか、みんな違う。お茶も出す前に一人ずつ味見して出すんですよ。厳しいんですよね。でもそれが、お客さんの好みに合わせた味を出すという基本につながるんです」
「それができるようになると次は、スタッフ用の朝ごはんを任されるようになります。でも同期のほかのみんなは調理師専門学校を出ているから作れるのですが、自分は高校を卒業してすぐにお店に入ったため、料理なんて全然作れなかったのですごく苦労しました」
同期の中でも一番の若手だった疋田さんは、そうした苦労をイチから経験しながら、一人前の料理人となるべく四川飯店本店で腕を磨いていきました。
「料理は愛情」。
大切にしている恩師の言葉
師である陳建一さんの言葉で、今もずっと大切にしている教えが疋田さんにはあるといいます。
「やっぱり『愛情込めて作りなさいよ』という教えですね。陳さんは『料理は愛情』っていう言葉を常々言っているんです。どんな時も、彼女とか親に作るように愛情込めて作ったら、美味しいものができるよってことなんです」
続いての疋田さんの言葉に驚かされました。
「陳さんの店って、面白いことにレシピがないんですよ。これは『自分がおいしいと思うものを作りなさい』っていうことなんです。だから作り手によって味が違うんです。特殊ですよね。洗う前の鍋に残った料理を舐めてみて、こういう料理なんだ、こういう味付けなんだっていうのがわかってきたり、作るところを見て何が入るかを覚えて、自分で作ってみて、こうやると美味しいなっていうのを繰り返して自分の料理ができていくんですよね」
有名店には精密な決まったレシピがあるのだろう、というイメージがあっただけに、これは意外。若い料理人たちにとっては、作り方や味を体で覚えて、自分のなかに絶対的なおいしさへの感覚を育てていかざるを得ない環境だったといえるでしょう。
「自分がおいしいと思うもの」が作れるよう、味覚と技術を鍛えた疋田さんは、一人前の料理人に成長します。そして7年間の修業ののちに四川飯店を辞し、長岡の父の店に戻りました。今も疋田さんは陳さんに教わったように「その日に自分がおいしいと思ったもの」を作っています。
「毎日マーボードーフを作っているけれど、多分毎日違うと思います。その日使うお豆腐も、中に含まれている水分は絶対毎日違うし。そういう小さな違いも影響してくるから、スープの量を調整したりもします。例え同じレシピでもやっぱり味は変わってきますよね」
自身の味覚を信じて
国際コンクールへの挑戦
長岡に戻って喜京屋を継いだ疋田さんですが、地元に本格四川料理の味を広めつつ、自身の技術の研鑽にも励んでいます。その挑戦の場のひとつが料理コンクールです。2年に一回開催される40歳以下の若手を対象にした中国料理の国内大会に、2016年初めて出場し、銅賞(5位)。初出場での入賞でしたが、むしろ結果に悔しさを感じた疋田さんは、2年後に再出場し、見事優勝を果たしたのでした。さらに、この大会をきっかけに国際コンクールに出場する日本代表に選ばれたのです。
2018年、香港で開催された第三回李錦記青年厨師中餐国際コンクールに出場した疋田さん。その大会はどんな様子だったのでしょう。
「香港で開催された世界大会には17か国が参加していました。中国料理は、世界各地に広がっていて、いろいろな中国料理があるんです。でもやっぱり中国とか韓国とかアジア圏の国は繊細だし、フランスなどヨーロッパの方にはまたちょっと違う中国料理がある。すごい体験でした」
「世界大会に出て勉強になったことはたくさんあります。開催地・香港の調味料がまず日本と全然違うし、食材も違うので、日本と同じように作っても全然味が違っていておいしくならない。審査員も日本の審査員じゃなく世界各国の審査員がいて、どういう味付けが評価されるかがわからないわけです。それを考えてもしょうがないから、支えになったのは、陳さんに言われ続けた『自分がおいしいと思うものを作る』ということでした」
香港というアウェイの場。調味料も食材の味も日本と違ううえに、厨房では火のつけ方をはじめ機材の使い方もわからない。さらに、テーマ食材も直前まで教えてもらえないのだといいます。
「抽選なんですよ、食材は。牛、豚、エビ、鶏あたりがおおよそ決まっていたので、それならだいたい肉だろうと思って肉の予想をしていたのですが、僕に出されたテーマはエビだった。そこから調理スタートですよ。全然ラッキーじゃなかったですよ(苦笑)」
まさにぶっつけ本番。しかし初めての世界大会で、疋田さんは師の教えを信じて作りきり、結果、金賞(2位)を受賞。国際コンクールというハイレベルな世界で、素晴らしい成績を残したのです。「コンクールに参加するのは、自分のモチベーションになる」と語り、次の国内大会、世界大会を視野に入れる疋田さんの今後の活躍が楽しみです。
よだれ鶏、火鍋など
中華の逸品に舌鼓
疋田さんが腕をふるう喜京屋には、前述のマーボードーフのほかにも約100種のメニューがあります。どれを頼もうか迷うほどの豊富さなので、疋田さんに喜京屋で人気の味、おすすめの味を教えていただきました。
前菜の一番人気が「よだれ鶏」。四川料理の名菜のひとつで、変わった名前ですが「よだれが出るほど」おいしいから、というユニークな由来があります。ピリ辛のたれがあっさりとした鶏肉にぴったり! これはもうビールが進むこと間違いなし!
おいしいうえに身体にも美容にもよいと大ブームになった薬膳料理「火鍋」。喜京屋でも「本格火鍋コース」がいただけます。辛味をきかせた赤い麻辣(マーラー)スープと、濃厚でマイルドな白湯(パイタン)スープに具材を入れて火を通して食べる鍋で、ナツメ、クコの実など体を労わる薬膳の材料が入っています。
お酒好きにおすすめしたいのが、中国酒の飲み比べ。酒どころの長岡市ですから、日本酒の飲み比べ、利き酒などの機会は多いものの、中国酒となるとたくさんの種類を味わう機会はあまりありません。紹興酒をはじめとした黄酒(ホワンチュウ、穀物を原料にした醸造酒)や、透明な白酒(パイチュウ、穀物を原料にした蒸留酒)など個性様々な5種を味わってみれば、中国の酒文化の奥深さを知る機会になりそうです。
麺類はランチでもディナーでも人気があるメニュー。なかでも不動の人気はエビラーメン。たっぷりの野菜、ぷりぷりのエビ、やさしい塩味のとろみのあるスープは、染み入るような、ほっとする味です。
お店の味を持ち帰りたい、家族に食べさせたい、という場合、メニューによっては持ち帰りにも対応してもらえます。さらにオードブルなどもオーダーできるので、ホームパーティーや親せきの集まりなどで、本格中華料理を出すと喜んでもらえそうです。
中国の歴史や文化を伝える
新たな試みも行う
疋田さんは、料理人として中華料理の技術や味の向上を目指すだけでなく、調理師専門学校では講師を務め、学生たちに中華料理を教えて後進の育成に励んでいます。また、6年前からは月に一度、家庭向けの料理教室も開催しています。家庭の火力で、いつもの調理道具で作れるように、テフロン鍋とカセットコンロを使って本格中華が作れるように指導していて、生徒さんたちに好評を博しているのだそう。
こうした中国料理の技術を伝える活動のほか、「中国文化」の魅力を伝える活動もしています。その一つが宴会のオーダーを受けたときにサービスとして提供している、中国の伝統文化『変面』のショーです。中国の演劇といえば、京劇が有名ですが、四川省には「川劇(せんげき)」という伝統芸能があります。劇中、一瞬にして仮面の色が変化し、喜怒哀楽をドラマチックに観客に伝えるのが見どころのひとつ。この変面のショーを、なんと疋田さん自らが見せてくれるのです。
「従業員や家族と一緒に中国の四川省に行ってきたのですが、本場の変面ショーを見に行ったときに、子どもからお年寄りまでみんなが喜んで見ているのを見て、いいなあと思ったんです。僕らの仕事というのは、料理を作ることももちろんそうなのですが、人を喜ばせたり、人を豊かにすることだと思うんです。中国の伝統文化を知ってもらって、お客さんに喜んでもらえたらいいな、と思いますし、うちの店に来てくれてありがたいという思いもこめて、サービスのひとつに取り入れています」
疋田さんは「当たり前のことですが」と言いながら、お客様の顔を見て、話をして、味を調整したり、メニューを変更したりしていると教えてくれました。チェーン店ではできない、この店だからこそできることをひとつひとつ大事にして、味に満足して帰ってもらいたい、という思い。さらに、中国の伝統文化に触れることでよりいっそう豊かな食体験をしていただければ、という思いが、生み出す味やお店のサービスのなかに、込められています。
今日はちょっと元気になれる美味しいものが食べたいな、と思うとき。暑さ厳しいとき、冬の寒いとき、疲れたとき、気分のいいとき……。疋田さんの四川料理を思い出してみてはいかがでしょうか。唐辛子や山椒のピリッとした辛さは、身も心も奮い立たせてくれ、活力をチャージしてくれるのではないでしょうか。
Text: Chiharu Kawauchi
Photo: Hirokuni Iketo / Chiharu Kawauchi
喜京屋
住 所
長岡市殿町1-3-9
電話番号
0258-32-2417
営業時間
11:00~21:20(L.O.20:50)
定休日
火曜