直江兼続も愛した「与板打刃物」の危機。存亡を賭けた弟子取りと、地域ぐるみで継承を支える人々を追う

2021/3/26

戦国時代より450余年の歴史をもつ越後与板打刃物。上杉謙信の家臣であった直江実綱(2009年の大河ドラマ『天地人』の題材となった直江兼続の義父)が刀剣をつくる職人を連れてきたことで、“刀の産地”として栄えたのがその始まりといわれている。江戸時代中期以降はその技術を生かした大工道具の生産も始まり、現在は「伝統的工芸品」に指定されるノミ、カンナ、チョウナ、マサカリなどを主につくっている。これらは日本を代表する宮大工に愛用され、伊勢神宮や出雲大社などの建造物を修繕する際にも欠かせない道具として活躍してきた。つまり、与板の打刃物が、日本の伝統を支えるための一翼を担ってきたのだ。

しかしながら、越後与板打刃物の伝統を継ぐ若者はなかなか現れず、ピーク時は200人を超えていた鍛冶職人は、現在十数人にまで減少。職人の高齢化も進んでおり、「伝統の技術を次世代につながなければ……」と願う地域の人たちの危機感は募る一方だった。そこに、2020年10月に与板の鍛冶職人として弟子入りしたのが、似鳥透(にたどりとおる)さん31歳だ。

現在は修行中とのことだが、いったいどんな人物なのだろうか。彼の修行先である水野鉋(かんな)製作所を訪ねた。

与板の市街地から少し離れた山間部にある水野鉋製作所。

火の色を見極めることが重要!
感覚がものをいう打刃物づくり

工房に足を踏み入れると、そこには使い込まれた炉や鍛造機械が並び、燃料となるコークス(石炭を蒸し焼きにして抽出した炭素の塊)の灰が漂っている。室内は、わずかな灯りのみの薄暗い世界。鍛造をする際に“火の色”を見極めるためだという。

「カンナづくりの一部をお見せしましょうか?」と似鳥さんから提案があり、地金(鉄)に鋼を溶接す鍛接(たんせつ)の工程を見学させてもらった。

豪快に火花が散るコークス炉。

(左)水野鉋製作所の職人・水野清介さんと(右)似鳥透さん。

似鳥さんの作業をじっと見つめているのは、師匠の水野清介さん。水野鉋製作所の4代目としてこの道50年以上、伝統工芸士の資格をもつベテラン職人だ。修行を始めて4カ月余りの似鳥さんの所作を細やかにチェックし、必要があればすぐさまに的確な指導をする。

かつて職人は弟子に手取り足取り教えることはなく、「黙って背中を見ろ」というスタンスが普通であった。長年の感覚がものをいうこの世界で、水野さんのように懇切ていねいに指導してくれることは非常にめずらしい。

よく見ると火の色には違いがあり、色によって温度が異なる。

しばらくすると、コークス炉に炎が上がってきた。熱く燃える炎の中に地金を入れるが、この時に最も大切なのは「火の色をよく観察すること」と水野さん。火の色を見分けることで適切な温度で地金を赤め、この熱を利用して地金に鋼を鍛接するそうだ。

熱い地金に鋼をのせて接合する。

鋼と地金を鍛造。似鳥さんの技術ではまだ製品化には至らないそう。

地金の温度が上がったら、水打ちと呼ばれる水蒸気爆発で表面のごみを取り除く。そして地金に鋼をのせたら再度熱して約950℃まで温度を上げ、ハンマーで打ち付ければ、鋼付けの工程が終了。最終的に製品が完成するにはこの後にも様々な工程を要し、どの作業も深い知識と経験によって成り立っている。一朝一夕では身につかない、奥深い職人技だ。

「5年以内の独立」が至上命題。
史上最短で一人前の職人を目指す

北海道出身の似鳥さんは、異色の経歴をもつ人物。ものづくりに興味があったことから大学では機械工学を専攻し、卒業後は精密機械メーカーに3年間勤務。その後、青年海外協力隊としてタンザニアに赴き、機械工学の講師として2年間ボランティアを行った。

帰国後、就職活動をする中で「一貫したものづくりに関わりたい」という夢を持ち続けていたところ、Instagramのストーリーで流れてきた「弟子募集体験会」の広告が目に留まり、のちにこれが彼の運命を変えることとなる。「『やりたかった仕事はこれだ!』と直感ですぐに応募を決めましたね」似鳥さんは当時をこう振り返る。

2020年6~7月に開催された「弟子募集体験会」は、全国各地から20~30代の男女7名が参加。1人につき3日間、水野さんがマンツーマンでカンナづくりを教えるという本格的な内容だ。「いやぁ、大変だったよ。途中でやめたくなった」と、水野さんは本音をチラリ。とはいうものの、やる気のある若者たちが来てくれたことで嬉しい気持ちが大きかったようだ。

選考の結果、似鳥さんが弟子入りすることに決定。その決め手は「素直さ」だったと水野さん。鍛造経験がある候補者もいたが、少々の知識があると、逆に柔軟さに欠けてしまう。師匠の教えを愚直に信じ、実行できる素直さと忍耐力をもつ似鳥さんは、職人として適性があると評価された。

「あと、うちの奥さんが(似鳥さんにすると)決めたんだよ。やっぱ相性も大事だからね」(水野さん)

実は、今回弟子をとったのは、経済産業省の補助金によって支援が受けられることが可能となったからに他ならない。金銭的な保障があることで、水野さんは自らの鍛冶仕事を最小限にして、弟子の育成に専念できる。似鳥さんは5年間の期限付きで技術を習得し、一人前になることを目指す。

越後打刃物に限らず、いま全国の職人は後継者不足に悩み、廃業してしまうケースが多い。その最大の理由は、弟子を育てるための経済的な余裕がないこと。かつては家業を継ぐことが当たり前だったが、働く選択肢が増えたことで、親は子に苦労をさせたくないがために、職人への道を勧めなくなっているのだ。

弟子に教えるのは今回が初めてという水野さん。

「自分は父親からていねいに教えてもらえなかったから、ひたすら仕事を見てマネしてた。昔はそれが普通。でも、それじゃダメなんだよね」(水野さん)

実は、与板の鍛冶屋はこれまでにも何度も弟子の育成に取り組んできた。しかし、なかなか後継者として定着する人はいなかったという。鍛冶技術のノウハウが共有されない「技は見て盗め」スタイルのままでは、一人前になるまでに10年以上かかるため、非効率的で挫折しやすいのだ。

その他、うまくいかなかった理由として、「与板の雪深さが辛い」「師匠と意見が衝突してしまう」「修行中に親方が亡くなる」など、様々なケースがあったそうだ。一方、似鳥さんは、与板の土地と鍛冶仕事がフィットしているように見える。

「私は北海道の郊外出身なので、むしろ与板は雪が少なく感じるくらい。生活に必要なものも不便なくそろいますし、暮らしやすいです。鍛冶仕事は自分の思い通りにいかなくて難しいけど、成長を感じられるのが楽しいですね」(似鳥さん)

こう飄々と話す。「大変なことや苦労していることはないですか?」と尋ねると、「少し手がしびれることくらいでしょうか……基本的にノンストレスです」とサラリ。期限付きの修業を楽しみつつ、着実に前へと歩を進めているようだ。

「技術はみんなでシェアし合う」
与板打刃物ならではの文化

与板での修行生活も4カ月が経過し、仕事の感覚が少しずつ身についてきたという似鳥さん。水野鉋製作所でのカンナ造り以外にも、積極的に場を広げて学んでいる。

「与板でノミづくりをする舟弘刃物製作所さんでは、私がつくったカンナを顕微鏡で見ていただきました。『なかなかいい』と評価していただき、ホッとしましたね」(似鳥さん)

このように、与板では同業者が情報交換しながら助け合うことが普通だという。似鳥さんの一番の師匠は水野さんに変わりないが、困った時にアドバイスをくれるベテラン鍛冶職人もまわりに多数存在し、心強い味方だといえる。

「数十年前は、与板の鍛冶職人が集まって勉強会をしたり、県外の刃物産地へ研修に行ったりもしたんだよ。今はそこまでしないけど、困った時にはみんなで助け合うね」と語る水野さん。与板では自らの工房へ同業者を快く招き入れるのが普通なのだそうだ。

「鍛冶の仕事場を見せて、技術を盗まれないのですか?」と質問すると、「マネできるものならマネしてみろ!って感じだね」と水野さん。それだけ自らの技術に自信があり、他者が簡単にマネすることはできないものなのだと断言する。

木材を薄く削る技を競う「木遊会」。

さらに水野鉋製作所は、鍛冶職人や木工職人が集う団体「木遊会」にも所属し、カンナで削る技術の追求も続けている。昨年11月に開催された木遊会の練習会にも参加し、木材をカンナで削る技術を競いながら、交流を行った。会場に同行した似鳥さんは、大工道具づくりの職人たちと交流する貴重な機会に刺激を受けたそう。ひたすら作業をこなすだけが鍛冶職人ではなく、知識を得てアップデートを繰り返し、玄人から学ぶことの大切さも心得たそうだ。

伝統技術を次世代へつなげたい
市民団体が弟子取りをサポート

先述した通り、水野鉋製作所が弟子をとることができたのは、経済産業省の補助金を受けることができたからに他ならない。師匠である水野さんの収入が保障されなければ、弟子につきっきりで教えることは不可能といえる。この補助金を受給するための煩雑な手続きを担当し、弟子の育成を後押ししたのが市民団体「ソラヒト日和」だ。

「ソラヒト日和」の(右)堀口孝治さんと(左)金子将大さん。

「日本建築の修復に欠かせない与板打刃物の技は、途絶えさせてはならない貴重な文化です。ところが、職人さんたちに、文化継承が途絶えることへの危機意識がそれほど強くなかったんですよね……。ですので、おせっかいながら、私たちが後継者探しのサポートをしようと動いたんです」
こう語るのは「ソラヒト日和」共同代表の堀口孝治さんと同じく共同代表の金子将大さん。与板の伝統技術を次世代につなげるために国の補助金が活用できることを知り、いち早く準備を整えた。

職人の収入を補助金で補いながら弟子を育てるという提案は、はじめは鍛冶職人たちに受け入れられなかった。「そんなうまい話があるかね」と一蹴され、水野さんからも一度は断られたそうだ。堀口さんたちはあきらめず、説得を繰り返したのち、ようやく水野さんが首を縦に振ったのだ。

補助金申請は必要な書類が多く、膨大な時間と労力がかかったという。やっとの思いで申請が通ったが、まだ資金は足りていなかった。

後継者育成の資金を集めるクラウドファンディングでは、56人からの支援があった。

そこで立ち上げたのが、クラウドファンディング。ふるさと納税の制度を利用した「ガバメントクラウドファンディング」を2回実施し、合計約250万円の支援を集めることに成功した。これらは「弟子募集体験会」宣伝費や運営費、材料の調達などに充てられた。

「与板の鍛冶文化はまちの財産」と誇りをもって語るお二人。彼らのサポートがあったからこそ次世代を担う人材の確保が実現できたわけで、その功績は大きい。ちなみに2022年度も同様に、弟子を募る体験会を実施する予定とのことだ。

日々淡々と技を磨き
まちに定着する職人になる

長岡に住む人々にとって、与板の打刃物は誇るべき伝統文化であり、若き似鳥さんへの期待は高まっている。師匠である水野さんは、与板の伝統を継いでいく弟子に対してどんな想いをもっているのだろうか?

「まぁ、鍛冶技術は絶やさない方がいいね。でも、その前にいっちょ前にならんとね。とにかく前に進むのみ、仕事ができるようになって飯が食えれば成功なんじゃないかね」とサラリと話す。伝統という、人ひとりの力では向き合いきれないものを引き継いでほしいという重圧をかけるのではなく、日々淡々と目の前の壁をクリアし、技術習得をしてこの地に定着することを望んでいる。情緒や時代のムードに流されず、黙々と腕を磨いてきた職人ならではのリアリズムがそこにはある。

一方、似鳥さんは「とりあえずは安定した品質の製品をつくれるようになりたい。カンナだけでなく、いずれは同じく伝統的工芸品であるノミやマサカリもつくりたいですね」と静かに語る。控えめで実直な印象だが、心には熱い闘志が宿っているのが伝わってくる。現在の似鳥さんの腕前を、水野さんは「意外と上達は早いね、まあまあできてるよ」と評価する。
現在、似鳥さんの修業記録は、自身が制作・運営するホームページやfacebookでチェックできる。得意の一眼レフカメラ撮影による商品写真や、越後与板打刃物の特徴・造り方をわかりやすく解説したページは必見だ。ものづくりに興味をもつ若者にとって、似鳥さんの発信が鍛冶職人に興味をもつきっかけになるかもしれない。日々淡々と研鑽を重ね、一人前になるその日まで、似鳥さんの挑戦は続いていく。

越後与板打刃物
HP:https://yoita-uchihamono.com/

Text&Photo:渡辺まりこ

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