春の山菜を求めて――棚田の村の農家レストラン探訪
芽吹きの季節、山の木々が黄緑色に染まり始めると、いてもたってもいられなくなるのが「山菜好き」の性。探して採るのも楽しいし、味わってももちろん最高。そんな美味なる山菜を求めて訪ねたのは、新潟県長岡市の山古志地域。日本の原風景をそのまま残したような“棚田の村”として知られる土地です。地元の山の幸を食べさせてくれる農家レストラン「山古志ごっつぉ 多菜田」の五十嵐なつ子さんに、山菜を採る楽しみ、食べる楽しみ、そして山の恵みや自然とともに生きる楽しみを教えていただきました。
山菜採りの合図はカエルの鳴き声
長岡駅から車で20~30分ほどの山古志地域の虫亀地区にある「山古志ごっつぉ 多菜田」。出迎えてくださったのは、本日山菜指南をしてくださる代表の五十嵐なつ子さんです。
「カエルがケロッと家の後ろの池で鳴き始めると、あ、山菜採りが始まるな、とソワソワするんです。カエルが鳴く時季のあいだは、山菜採りが楽しめるんですよ」と、五十嵐さん。「4月に入って最初に出るのは、フキノトウとコゴミ。アサツキも早いです。山の人は、アサツキの芽が出たばっかりの緑の部分を春一番にとるのが好きなんですよ。刻んでみそ汁に浮かべたり、おろしあえにしたりして、春の大地の香りをいただくのがね」
この季節になると、何度も店用の山菜を採りにいくほか、自分の趣味としても採りに行くそうです。本格的な時は、仲間三人くらいと朝5時から10時ごろまで行くのだとか。
「蛇が苦手だから、朝早く、蛇が出てくる前に行くんですよ(笑)。山の上のほうまで行きますし、ずっとリュックを背負って採りながらだから、膝も痛くなります。帰ったら、すぐにゼンマイのわたを取ったり、下ごしらえしなければならないんで、山菜採りの日は一仕事ですね」
装備を整え、山菜採りに出発!
早速、山菜採りに同行させていただくことに。まずは山に入るための装備を万端に。山菜採りは簡単そうですが、軽装は禁物。水と汚れに強い上下のウェア、手袋をつけ、足元も長靴や登山用の靴で滑らないよう、万全の装備をして、いざ、山菜採りに出発です。
本日採集する場所は、お店からほんの数分車を走らせた虫亀地区の一画。まずはその土地の持ち主である養鯉業のお宅にご挨拶して採集の許可をいただいてから、五十嵐さんは山に入ります。ブームともいえる山菜採りですが、持ち主のいる山に勝手に入って採集するのはルール違反。山菜採りはその土地をよく知っている人と行くようにしましょう。
ウド、ゼンマイ、キノメ……
見渡す限りの宝の山
取材したのは4月下旬。道にはまだツクシが出ていて、まだわずかに溶け残った雪も見られます。あたりの美しい景色に見とれていると、
「ほら、見て! ゼンマイ! あんなにいっぱい! あの上にもあるわよ」
と五十嵐さん。え?どこに?
目をこらして、ようやくわかりました!
「わたがちょっと出ているでしょ。あれ、取り頃ですよ」
「ゼンマイには一株のなかに、球のようになっているオスと、ひらべったいメスとがあるんです。球になっているオスは採らずに残したほうがいいと言われていてね。だから、平べったいほうを採るんです。それに、株を根こそぎとってしまってはダメ。必ず何本か残さないとね」
採集したゼンマイはわたを取ってきれいにし、干して保存食にします。長岡では地元名産の車麩などと一緒に煮ることも多く、その独特の味わいは郷土料理に欠かせません。
「これがキノメ。ぴゅっぴゅって出ている先の部分をとって、ゆでておひたしなどでいただきます。これは、どんどん取ってかまわないの」
キノメといえば山椒の若葉を指すこともありますが、このあたりでいうキノメとは「あけびの芽」のこと。ほろ苦さと歯ごたえのよさで人気の山菜です。
折り重なった落ち葉からはっと目を引くほどに明るい黄緑色が見えました。顔を出しているのは、フキノトウです。
「フキノトウは、これは開いているけれど、まだ開ききっていないものを採って天ぷらにします。中を開いてから揚げると形よくきれいですよ」と五十嵐さん。開いているものは「フキみそ」にするのもおすすめだそう。
「ここ、すごいわ! ウドがいっぱい出てますよ!」
言われて斜面に目をやると、本当にあたり一面ウド!
「ウドは根を深く掘って採るんです。浅いところで切ってしまうと、翌年、細くなってしまう。なので、ぐっと深くね」
五十嵐さんに教わって筆者もやってみましたが、急斜面なので体勢が難しく、また思いのほかウドがしっかりと硬くて、鎌ではなかなかうまく切り取れません。土を手で掘って、株元が見えるようにして、下から鎌を入れるようにしてようやく採ることができました。
「ちょうど、こういう短いのが食べ頃。私はこういうのを天ぷらにします。あと、ウドは半分くらいに切って上は天ぷらにして、下の部分は皮をむいて生のまま、もろきゅうに使うようなみそだけで食べるのもおいしい。あと、一夜漬けのみそ漬けも美味しいですよ」
翌年のための数本を残す。
それが山の鉄則
「これは、タラの芽」
五十嵐さんの家の土地で植えているタラの木だそう。それぞれの枝の先端に新しい芽が出ているのですが、そのなかに、芽がなく、寒々しく枯れている枝がありました。
「芽が先端に一本しかない枝の、その一つだけの芽を採ってしまうと、その枝は枯れてしまうんです。脇にほかの芽があれば大丈夫なんだけど、そこを見極めて残してあげないと」
山菜の王様として名高いタラの芽ですが、乱獲によって、木が枯れてしまうケースも聞かれます。
山菜は採り始めると、夢中であれこれ採りたくなります。でも、採り方のルールを守ることが大切なのだとか。
「ウドやコゴミやゼンマイなど、何本もかたまって出ている株は、いいのだけ採って2〜3本は来年のために残しておきます。土地の人はわかっていて株の2〜3本を残しておくんだけど、知らない人はその残したものを全部取っちゃうことがあるの。そうすると、翌年細くなってしまったり、絶えてしまったりするんです」
必ず1〜2本は残してほしい、と言う五十嵐さん。先に採集に来た人が来年のために残したものを採らないこと。それが残されたものかどうか、経験を積んで目や勘を養うことが、山では必要になります。
山のものは「すぐに食べること」
五十嵐さんはもう一つ、山の鉄則を教えてくれました。
「山のものって採って長く置いておくと、かたくなったり、おいしさが半減してしまう。私たちはそれを『山にかえる』って言います。山のものは、早く調理して、早く食べる。それが、私たちの鉄則なんです」
採った山菜はすぐに調理すること。美味しいうちにいただくことが、自然の恵みに感謝することにつながります。
五十嵐さんの言葉には、山菜を採るときには、家ですぐに料理しきれて食べきれる量にとどめておくこと、欲張りすぎない量を採ることが大事だという教訓もにじんでいます。
「山はたくましく、次々生えてきます。でも、無謀な取り方をしない、ということが鉄則かな。昔の人からの知恵ですから」
地震がなかったら生まれなかった——
農家レストラン誕生のいきさつ
山菜採りを終えて、お店に戻った五十嵐さんに「多菜田」開店までのいきさつをお聞きしてみました。
「中越地震(2004年10月)がなかったら誕生しなかったでしょうね……。私は以前公務員だったのですが、それまでは夫に『おまえはどんなに熱が出ても体調崩しても仕事にいく、休むということをしない。それじゃあ家畜とおんなじだ』なんて心配されるほどに働いていたんです。でも地震が起きて、全村避難となって、仮設住宅で暮らしていた二年目の夏、体調を崩したんです。めまいが止まらなくなって、2週間入院しました。
そしたら、私、めげたんです。このまま60歳まで勤めて、元気が全部なくなってからだと自分の人生は味気ないものになるなって。
私は山菜採りやキノコ採りが好きで、畑仕事も楽しいし、趣味として本当に山が好きでした。でも休みもそうそうとれないから、1シーズンに一日くらいしか採りにいけない。退職したら一日中好きな山のことがしたいと思っていましたが、60歳になったときに体壊していたらそれもできないじゃないですか。そうなるくらいなら、少し貧乏でもなんとか暮らせればいいんだから、もうこの年度で仕事を辞めよう、と思ったんです」
五十嵐さん、55歳の決断。そのきっかけは健康だけでなく、もう1つあったそうです。
「地震のあと、山古志の私たちは全国の人たちにたくさんの手をさしのべてもらって、人の暖かさというものを思い知らされたんです。それで、いかに自分がうすっぺらな人間だったかということを思い、反省しました。自分にできることがあったらこの先、何か応援とか恩返しをしなければいけないな、と思ったんです。
でも、年が年ですし、山の中ですし、『何もできないよね…』と言っていたときに、この地区で何十年来親しくしている人が『わたしらがここで元気で暮らしていることを全国のみんなに見てもらって、ここで楽しく元気で暮らすことが、ご恩返しなんじゃないか』って言ったんです。頭をゴンと打たれるようなショックを受けてね。その方は酒井美千代さんという養鯉業をしていた人で、つい先ごろ亡くなったんです。本当に……彼女の力が大きかったですね。彼女がそう言ってくれたおかげで、考えが進みました。私たちを心配している人たちが山古志に来続けてくれているわけですから、そういう人たちに、元気になった私たちをお見せできて、それから、地元の食材を使ったものでおもてなしができて、休んでいただける――そういう場があればいいんじゃないかと思って。
それで復興の支援事業金をお借りして、直売所もあって、食べるところもあるお店を仲間4人で立ち上げることになりました。彼女のひとことがなければ、これは実現しませんでした」
自給自足の伝統から生まれた
ローカルの味、多菜田の味
そうして平成20年12月、「山古志ごっつぉ 多菜田」は、季節料理と地元の山菜や野菜の販売を看板に、山古志の味を来て下さる方に届ける店として開店します。
「仲間の皆さんは郷土料理が上手で美味しいし、昔ながらの自給自足の知恵もよく知っている人たちでした。越冬野菜の大根を春先に切干大根にするとか、わらびやきのこなど季節食材を塩漬けにしておくとか、手作りこんにゃくを作って楽しむとか、おやつに落花生を育てるとか、そういう伝統がこの地域にはまだまだ残っているんです。
私は、山古志の食材は絶対おいしいと思っているのね。雪が多くて、標高差があって、寒暖差があるからおいしくなる。そして、不便だからこそ自給自足で作ってきた食べ物の文化がある。この地域で作っていたもの、食べていたものをそのままお出しする。『多菜田』ではそこにこだわることにしています。モダンなことはしない。地区の人にお弁当を出すみたいなときにはまた違いますけれどね(笑)」
働き方が変われば体も変わる
66歳を迎えた五十嵐さん。そして「多菜田」は2018年12月に10周年を迎えます。
「10年近く走ってきて……結局はまた忙しくなったんですよ(笑)。でもね。働き方が変わって、太陽とともに起きる生活をするというのはこんなにいいことだったのかなと思ったんです。これまでは建物のなかにいて、忙しければ家にも持ち帰るような仕事の仕方をしていましたが、辞めてお店を開いてからは、日がのぼると外にでて、暑い最中は家の中にいて、涼しくなったらまた外に出て暗くなるまで仕事をして……という生活になりました。そうしたら、私の体が変わりました。これまで汗がでなくて体温調節が難しい体だったんですが、汗がたらたらと出るようになって貧血もなくなって、体重も落ちました。新陳代謝がよくなったんですね。こんなに違うんだな、思い切った決断をしてよかったって」
これまでを思い返すように、晴れやかな笑顔を見せてくれた五十嵐さん。ちょうど昼時。「多菜田」にお客様が来始めました。
「あ、いらっしゃいませ! あら、嬉しいですねぇ。来てくれて」
「今、思い出してさぁ」
「今日のおすすめですか? 手打ちそばがありますよ。日替わりには、しょうゆおこわがつきますよ」
「ごっつぉらねっか」
山古志に住む私たちの笑顔を見せることがご恩返し――その言葉のとおり、次々と来る近所の人、常連の人、観光で来た人を、五十嵐さんと多菜田のスタッフは笑顔で迎えます。
春の山菜、地元の野菜、秋のきのこ、棚田で収穫したお米……。ここでしか食べられない山の「ごっつぉ」を求めて今日も多くの人が「多菜田」を訪れます。皆さんも一度、訪れてみてはいかがでしょう。山菜の季節はもちろん、四季折々の山の知恵が生きたご飯に、きっと元気をもらえるはずです。
Text & Photos : Chiharu Kawauchi
山古志ごっつぉ多菜田
[住所]長岡市山古志虫亀947
[電話]0258-41-1144
[営業時間]11:00~14:00
[定休日]月曜日・木曜日
[駐車場]6台
[HP]http://tanadayamakoshi.seesaa.net/