焼き、蒸し、干す。木宮商店が丹精込めた手仕事でつなぐ郷土食「車麩」の伝統
じっくりかけた手間ひまと
職人の技術で生み出す滋味
鎌倉時代に中国から伝来した麩の主原料はグルテン(小麦タンパク質)に小麦粉と、実にシンプル。肉や魚に代わる良質なタンパク源として禅寺の修行僧たちが食する精進料理に利用され、全国各地で豊かな発展を遂げました。
現代では「焼き麩」と「生麩」に大別されますが、どちらにも当てはまらない麩も多数あり、焼き麩だけでも全国で100種類以上あるとか。生地を直火で焼き上げる車麩の主な産地は沖縄、石川・富山など北陸、山形、そして新潟です。
見た目も作り方も名称も地域ごとに多様な麩ですが、昔ながらの伝統的な製法で作られる木宮商店の車麩は、“煮崩れしない、しっかりした食感”が特徴です。
かわいらしい焼き菓子のような車麩はどのように作られているのでしょう。JR長岡駅から徒歩5分ほどの商店街にある木宮商店に向かうと、ベーカリーのような香ばしい匂いが漂ってきました。
年代は定かでないものの、明治時代末期に創業されたという木宮商店の歴史は100年余。かつては同業のメーカーが長岡市内に数軒あったそうですが、次第に廃業して現在はここ1軒だけになりました。
商品を販売している店舗の奥に工場があり、いい匂いに誘われて中に入ると、キュルキュル、カチャンカチャンと賑やかでリズミカルな機械の音が聞こえてきます。焼きたてのパンに似た芳香が満ちあふれる工場内では、社長の木宮信太郎さんと息子の大基さん、パート従業員さんがきびきびと立ち働いていました。
「冷蔵庫のない時代の麩屋さんは夜中の2時、3時に起きてね。“もちを踏む”と言ったのですが小麦粉からグルテンを取って、それを炭⽕で焼いて、材料を残さず焼ききって⼣⽅に終了。炭火は消壺に入れて次回に。毎日は焼けないから3日に1回とか、それくらいの生産量でよかったんですよ。流通が発達してほかの地域からの安い麩が買えるようになり、夏は工場の中が暑くなるし、辛い仕事だから継ぐ人がいなくなって、ほかの店は少しずつ廃業していきました。1945年8月1日の長岡空襲でこの辺りは焼け野原となり、戦後に建て直した工場を昭和60年代に増築して、いまの規模になったんです」(木宮社長)
「主原料はパンと同じく小麦粉ですが、イーストの匂いはしないでしょう。パンのような発酵の工程はなく、生地はグルテンの膨張力で膨らみます。グルテンと小麦粉を水で練り合わせて休ませて、機械で引いたら(こねたら)また休ませて。生地の状態は季節とか、その日の天気や温度によっても違うし、『今日はこんな感じかな』と想像してやってみますが、焼いてみないとわからない。焼き上がりを見て、『じゃあ明日はこう変えてみよう』って考えたりね」(木宮社長)
地引き作業(生地を引く=こねる)をする機械の動きがユニークなので、動画でご覧ください。かつて地引きは職人の仕事で、力のいる重労働だったそうです。
「元々はガラスがあったんだけど、飛び出してくる生地を指で押し込みながら状態を確認するために先代はガラスを外したのかな」とつぶやく木宮社長。なぜそうなっているのか不明ながらも踏襲し、経験に応じて新しい工夫を加えつつ、確かな技術が受け継がれていきます。
工場に響く賑やかな音の源のひとつは、こちら。まんべんなく焼けるよう、車麩が巻きつけられた鉄の心棒を回転させるチェーンが奏でる音でした。自動で動かしていますが、何秒にどれくらいスライドさせるかなど、細かい設定ができるのだとか。
心棒がくるくる回転し、焼けたら手前から奥へとスライドする機械の様子も動画でぜひ。こんがりとおいしそうに焼けていく様子に心が躍り、思わず見入ってしまいました。
機械でこねて休ませた生地を切り、ギューッと引っ張って心棒を回転させながら巻きつけていきます。ちょうど棒の長さに合う適量を切ってピタッと巻きつける、その鮮やかな技術に目は釘付け。
「ピタッと合えば気持ちもいいし、仕事も早いんだけど、そういうときばかりでもないんですよ(笑)。20歳からだから、もう40年やってます。ははは、ついに60になってしまいましたね。親父に習ったことを息子に伝えて、そうね……あと5年くらいで引き継げたらいいな」(木宮社長)
小麦アレルギーに負けず
奮闘する5代目が未来を担う
「5年くらいしたら引退してのんびり旅行でもしようかな」と語る木宮社長。後継者である息子の大基さんは、埼玉県内で流通の仕事に携わった後に帰郷し、車麩の仕事を始めてから、なんと小麦アレルギーが見つかったのだとか。
「食べるぶんには問題ないのですが、粉や生地に触れると大変なんです。肌が赤くかぶれてかゆくなって、鼻から入るとくしゃみが止まらないし。でも、子どものころから工場の様子を見てきたし、遊びで手伝っていて、いずれ長男の自分が継ぐものと思ってきましたから。新しい感覚も取り入れてやっていきたいですね」(大基さん)
同業他社が次々に廃業し、いまでは木宮商店だけになりましたが、「ほかにないなら需要があるはず」と、大基さんは5代目として店を継ぐ決意をしたのです。
実は、すでに小学校時代の作文で「焼き麩屋は大変な仕事だけど、僕もお父さんのようになりたいです」と書き、それが地元の新聞に掲載されたことをお母さんの満智子さんが教えてくれました。木宮社長は「私も子どものときから跡継ぎだと刷り込まれていて、なんとかがんばればやっていけるかなと思って継ぎました。そんなもんだよね」と笑います。
さて、4回巻きの車麩が焼き上がりましたが、麩の質を安定させるために1日から2日かけて休ませ、約180センチメートルの麩を蒸し器に入る長さに切り、蒸して柔らかくした後にスライサーで輪切りにして、カラカラになるまで干して……と、完成するまでに1週間近くかかるのだとか。この手間ひまによって、車麩の味わいがじっくりと深まっていくのかもしれません。
輪切りの車麩に紐を通して大きなカゴに入れ、2階の乾燥室へ運びます。天井から吊るされた車麩は、たわわに実った果実のよう。あとは乾くのを待つばかりですが、最短で3日、梅雨など湿度の高い季節は5日ほどかかるそうです。
輪切りから乾燥、袋詰め、梱包、発送作業は女性たちが担当。時間をかけ、多くの人の手で真心込めて作られた車麩が、こうして店頭に並ぶ商品となります。
店舗を切り盛りするのは社長夫人の木宮満智子さん。常連さんと会話をして、車麩を使ったレシピも配布しています。
「麩は水に入れて戻す人が多いと思いますが、お湯で戻すとふっくら膨らんで食感もいいんですよ。揚げ物にしたり、フレンチトーストやピザ風にしたり、アイデア次第でいろいろ使える食材なので、若い人たちにもどんどん食べてもらいたいですね。長岡市の給食では『車麩の揚げ煮』が人気メニューですが、麩は油と相性がいいんです。豚のバラ肉や油揚げと一緒に煮てもおいしいですよ」(満智子さん)
生産者直伝の食べ方動画も!
次世代に伝える試みは続く
カチカチに乾燥した車麩は未開封なら1年ほどの賞味期限があり、非常時のためにも備蓄したい食材のひとつ。調理の際は、まず水やお湯で柔らかくなるまで戻してから使います。冷凍もできるので、多めに戻して冷凍保存もおすすめです。
煮物、炒め物、揚げ物など、たくさんの調理法でおいしく食べることができます。満智子さんが調理し、大基さんが撮影した生産者直伝の食べ方動画もYouTubeにアップされているので、上手な戻し方や調理法を参考にぜひトライしてみてください。
Text: Akiko Matsumaru
Photo: Hirokuni Iketo, Akiko Matsumaru
木宮商店
住 所
新潟県長岡市殿町1-6-5
電話番号
0258-32-1753
営業時間
8:00〜19:00 ※不定休
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