即身仏に伝説の妖怪、果てはドクロにアフリカの秘宝まで。新潟「ミイラ寺」紀行
宝物殿で知る弘智法印の歴史
西生寺があるのは山の中である。日本海に沿って続く国道402号線から弥彦山スカイラインに入り、しばらく車を走らせると、たどり着く。
西生寺は真言宗智山派、いわゆる真言密教の寺院だ。開山は天平5(西暦733)年、開祖は奈良時代の僧、行基。越後国(新潟県)屈指の古刹として、古くから信仰を集めてきた。
広大な参拝者用駐車場に車をとめると、ひときわ目を引く巨大なお堂が建っている。こちらは無料で入ることのできる宝物館である。
社務所にご挨拶すると、奥から女性が現れた。
「ようこそいらっしゃいました」と迎え入れてくれたのは、西生寺ご住職の奥様だ。
「今日はちょうどこの後、弘智さま(註:弘智法印)のご開帳を行います。準備が整うまで宝物殿をご案内いたしましょう」
奥様のご厚意により、特別に宝物館内を解説付きで案内していただくことになった。
宝物館中央の一番目立つ場所にはガラス張りのケースが置かれているが、夏の強い日差しが反射して、中を確認することは難しい。
「脇から見ると見やすいですよ」との奥様のガイドに従い、ガラスに近づき、奥を覗き目を凝らす。思わず「あっ!」と声を上げてしまう。
そこには、なんと即身仏が安置されているではないか!
驚いたがこれは木製の即身仏とのこと。レプリカなのだ。よく目を凝らすと、たしかに木彫りの像である。
レプリカなのだが……なんとなく迫ってくるものがある。奥様によると、こちらは江戸時代に当時の西生寺住職によって製作されたものらしい。ただ単なるダミーの木像ではなく、このレプリカにも歴史的な背景があるという。
「江戸時代に『出開帳(でがいちょう)』という催しが主に江戸で行われていました(※)。全国の即身仏をはじめとする秘宝が1箇所に集まる、見世物小屋のようなものです。そこに出すために当時の関係者が作り、送り出したと言われています」
(※当時は江戸幕府の方針で一般市民の旅行などの諸国往来が制限されていたこともあり、普段は拝むことのできない寺社の宝物などを特別に拝観する機会が設けられていた)
実は江戸時代、全国には数多くの即身仏が存在したという。しかし、出開帳に「ホンモノ」を出すことにより、あるものは傷んでしまったり、最悪の場合、紛失してしまったりしたそうだ。
そんな中、西生寺に江戸幕府より出開帳への出展が要請されると、ホンモノを隠し、こちらの木像を出展したと言われている。
「こちらのそっくりさん(木像)をお出ししたことにより、弘智さまは日本最古の即身仏として残ったのではないかと考えています」
見た目が「そっくりさん」なだけではなく、弘智法印の魂を入れ、開眼している木像であるため、こちらでのお参りのみでも十分だそうだ。
引き続き宝物殿内を歩いてみる。巻物が掛けられているが、これはどうやら弘智法印の足跡をたどるもののようだ。ストーリー仕立てに絵が描かれている。
弘智法印は鎌倉時代に現在の千葉県大浦村(現在の千葉県匝瑳(そうさ)市)に農家の次男として生まれ、村内にある蓮華寺(れんげじ)に入り出家。その後修行を積み、僧になったという。50代まで蓮華寺の住職をつとめたのち、諸国へ仏教伝道の旅に出る。
真言密教の聖地・高野山などでも修行を積み、信州(長野県)などを経て最終的に越後国西生寺に行き着き、壮絶な修行の末、1363年、70余歳で即身仏になったのだという。
書物も保管されている。戦国大名、加藤清正直筆の書状など、貴重なものばかりだ。
と、そこに突然人間のドクロが。こちらは約400年前、弘智法印即身仏を見つけた奴(やっこ。武家の下級奉公人)のものだという。
この奴、即身仏を見つけた際、「なんだこの怪しいものは!」などと言って、いたずら半分に弘智法印を槍でひと突きしたらしい。なんとも恐ろしいことをするものである。
その後、摩訶不思議な現象に苦しめられ、終いには首をはねられることになったという。
まさしく祟りが起きたのではないだろうか……。
この場所の「主」ガイヤウルフ
宝物館に入って右側に、動物の剥製が入れられた大きなショーケースが見える。どうやらオオカミの剥製のようだが、異様に大きい。宝物館内のどこからでも存在感を発しているので、気になって仕方がない。
「これは、ガイヤウルフね」と奥様。
ガイヤウルフ。聞き慣れない名前だが、別名「大陸狼」という、おもにシベリアに生息する大型のオオカミらしい。手前がオス、後ろに立っているのがメスで、夫婦とのことだ。
これが実は、相当ないわく付きのシロモノであるという。
これは元々、ある工務店の倉庫に眠っていたものだという。バブルの時期に剥製がブームとなったことがあったが、その時代になんらかのルートで手に入れた模様だ。
ある日、工務店の方が西生寺を訪れ、なんとか西生寺で預かってはくれないだろうかとお願いされ、仕方なく預かることになったという。話によれば、家族に災難が降りかかり、どうしようもない状況なのだという。どうにもこの剥製が原因なのではないかと疑い、困り果てて駆け込んできたようだ。
西生寺の現住職がお経をあげ、その後は供養のため火葬することになったのだが、その際に、ご住職の耳に、どこからともなく声が聞こえてきたという。
「燃やさないでくれ!いい子にしているから……!自分たちはただ、多くの人たちに見てもらいたいだけなんだ、と声がしたらしいんです」と奥様。
ちょうど宝物館の中にスペースがあったので「仕方ないからケースを作って、中に入ってもらった」という。
「メディアに取り上げられるのが夢だったみたいだから、今日も喜んでいると思いますよ。ふふふ」と奥様。
展示以来、宝物館のいわば守り神的な存在になっているようである。妙な存在が入ってくると、追い出しにかかるそうだ。背筋が伸びた気分になる。
ザイールから伝わったアフリカの秘宝
「アークボーン」
弘智法印木像のすぐ脇には、およそ日本のものとは思えないビジュアルの物体が安置されている。
これは「アークボーン」と呼ばれる、アフリカ・ザイール地方に伝わる民族神の像らしい。子孫繁栄を願って作られたもののようだ。
台座には梵字(密教で用いられる、古代インドのサンスクリット語をもとにした文字)で「アークボウン」と書かれている。梵字により名前がつけられているということはつまり、西生寺によって清められ、祀られていることを意味する。
まさか日本の仏教寺院にアフリカの神様が祀られているとは……。衝撃的である。
このような外国から来たモノが果たして受け入れられるのでしょうかと奥様に尋ねると、「まあ、弘智さま次第ね。ダメなものは弘智さまに嫌がられますからネ」とのこと。
奥様の口からはっきりとは語られなかったが、「ダメなもの」もあったようだ。そういうモノは自然に排除されていった模様である。そう考えると、宝物館に収蔵されているのは選ばれしアイテムとも言える。
伝説の「雷獣」
続いては、「雷獣乾躯」をご紹介しよう。
雷獣乾躯は、「雷獣」のミイラである。奥様によれば、江戸時代には「ミイラブーム」があったという。人魚や河童のミイラが盛んに作られたらしい。その中で「雷獣ブーム」もあり、この雷獣ミイラが作られたという。
江戸時代、人々の間では、雷獣は「雷鳴とともに大暴れをする妖怪」として大変恐れられていたそうだ。日本では絶滅してしまった黄テンの一種とも言われるが、なぜか西生寺に昔から大切に保存されていたらしい。
どことなく猫にも見えるが、それにしては大きいようにも見える。ミイラ化してもなお大きく見えるということは、やはり伝説の雷獣なのかも……?
宝物殿自体も人からの頂き物(!?)
人とのつながりによって、まるで導かれるかのように集まってきた「お宝」たち。
実は、そもそもこれらの宝物が安置されているこの宝物殿自体、他所から寄贈されたものなのだという。50年ほど前、新潟市白根地区にあった葬祭場を解体する際、あまりにも勿体無いということで、西生寺に移築することになったようである。
あらゆるものが巡り巡って西生寺に集まってくるかのようだ。
いよいよ霊堂へ。即身仏と対面!
ご開帳の準備が整ったとのことで、いよいよ霊堂へ。ここからはご住職自らご案内していただく。
総欅(けやき)造りのお堂には、非常に精緻な彫刻がいたるところにみられる。もともとは彩色が施されていたものの、長い年月を経て欅そのものの色に変化したという。歴史的建造物としても価値が高い。
霊堂に入ると、ご住職による即身仏の説明が入り、お経を読み上げる。
撮影はここまで。ここからはカメラ厳禁のエリアになる。
読経が終わると、即身仏が安置されている場所の目の前に案内された。一礼をすると覆いを取り払う。
目の前に現れたのは、死してなおも祈りを捧げ続ける即身仏、弘智法印の姿。空気が一変し、なんとも言えない感覚が全身を襲う。その身そのものがメッセージを発しているような……。
ご住職によれば、即身仏として祀られるのは、想像を絶する厳しい修行を積んだ僧のみであるという。およそ3000日ものあいだ、木喰行(もくじきぎょう)という断食修行(五穀十穀断ち)を行う。簡単に言えば、タンパク質などを一切体にとりいれず、わずかな木の実などを口にすることで身体を清めていく修行だ。普通なら途中で死んでしまうはずの修行である。
では、なぜそのような厳しい修行をしてまで即身仏になろうとするのか。
それは、衆生救済のためであるという。自らの身を犠牲にして世の中の平安のために祈りを捧げるという信念のみによって即身仏となり、その姿をもってメッセージを発してくれているのだ。
どのようなメッセージを受け取るかは個々人次第である。ぜひ一度、弘智法印霊堂を訪れ、即身仏の姿を見ていただきたい。
→弘智法印霊堂の様子は西生寺公式ホームページでご覧いただけます。
懐の深さも魅力
懐の深さを感じられるのも西生寺独特のポイントである。何と言っても、アフリカの神様を祀っているのだ。
境内の最も高い場所には、宗派を問わずどのような人であってもお墓を持てる永代供養墓地が存在することからも、懐の深さを感じる。
独特の空気が漂う新潟屈指のアウタースポット、西生寺。ぜひ一度、訪れてみてはいかがだろうか。
Text and Photos: Junpei Takeya
真言宗智山派 海雲山西生寺
[住所]新潟県長岡市寺泊野積8996
[電話番号]0258-75-3441
[拝観受付時間]AM 9:00~PM 3:30
[拝観料金]一般500円・小人300円・幼児無料、団体割引あり ※宝物館は拝観無料。
[休観日]毎月28日、7月15日(年中行事のため)、8月13日~15日(お盆のため)、10月2日(年中行事のため)※その他不定休あり(法事・葬式等)。要問合せ。[冬季休館]1月〜3月彼岸まで
[HP]http://www.saisyouji.jp/saisyo-ji/contentsFrameset.html