焼き、蒸し、干す。木宮商店が丹精込めた手仕事でつなぐ郷土食「車麩」の伝統

2020/11/4

家で過ごす時間が多くなった今年。自炊の機会が増えたことで、これまで作ったことのないメニューに挑戦し、レパートリーを増やしている人も多いのでは?

そんな日々に、ぜひ常備して活用したいのが長岡市の名産品「車麩(くるまふ)」。低カロリーで栄養価が高く、菜食やマクロビオティックを実践する人たちも注目する優秀な乾物です。和洋中を問わず、煮てよし、炒めてよし、揚げてよし。様々な調理法で食べ応えのあるメインのおかずにもなる、新潟県の郷土料理に欠かせない食材です。

小学校の給食から日々の食卓に並ぶ手料理、料亭の一品まで、地元の人々に愛され続ける車麩の老舗、長岡市殿町にある「木宮(きみや)商店」を訪ねました。

 

じっくりかけた手間ひまと
職人の技術で生み出す滋味

鎌倉時代に中国から伝来した麩の主原料はグルテン(小麦タンパク質)に小麦粉と、実にシンプル。肉や魚に代わる良質なタンパク源として禅寺の修行僧たちが食する精進料理に利用され、全国各地で豊かな発展を遂げました。

現代では「焼き麩」と「生麩」に大別されますが、どちらにも当てはまらない麩も多数あり、焼き麩だけでも全国で100種類以上あるとか。生地を直火で焼き上げる車麩の主な産地は沖縄、石川・富山など北陸、山形、そして新潟です。

断面が美しい木宮商店の車麩。中心の空洞を取り巻く軸となる薄い1層目から外側の分厚い4層目まで、4回の焼き上げ工程を経て丁寧に作られています。

 

見た目も作り方も名称も地域ごとに多様な麩ですが、昔ながらの伝統的な製法で作られる木宮商店の車麩は、“煮崩れしない、しっかりした食感”が特徴です。
かわいらしい焼き菓子のような車麩はどのように作られているのでしょう。JR長岡駅から徒歩5分ほどの商店街にある木宮商店に向かうと、ベーカリーのような香ばしい匂いが漂ってきました。

雪国の生活に欠かせない雪よけの屋根「雁木(がんぎ)」が残る商店街。

 

「木宮の焼麩」と染められたレトロなのれんと壁面の大きな車麩が目を引く外観。戦後に建て直して築70年ほどになるそうです。

年代は定かでないものの、明治時代末期に創業されたという木宮商店の歴史は100年余。かつては同業のメーカーが長岡市内に数軒あったそうですが、次第に廃業して現在はここ1軒だけになりました。

店内に掲げられた肖像画は、乾麺屋から婿入りした初代の木宮六三郎さん(左)と義父で当主の木宮龍三郎さん。先代の技術と想いが令和の時代に脈々と受け継がれています。

こちらはレプリカですが、麩の製造工程で出るデンプンが尺玉を張り合わせる糊として使われているそうです。昔は障子や襖などの建具、ワイシャツや製本の糊付けにも活用されたのだとか。

商品を販売している店舗の奥に工場があり、いい匂いに誘われて中に入ると、キュルキュル、カチャンカチャンと賑やかでリズミカルな機械の音が聞こえてきます。焼きたてのパンに似た芳香が満ちあふれる工場内では、社長の木宮信太郎さんと息子の大基さん、パート従業員さんがきびきびと立ち働いていました。

木宮商店4代目、代表取締役の木宮信太郎さん。長岡市サッカー協会理事長という肩書きもお持ちのスポーツマンです。

「冷蔵庫のない時代の麩屋さんは夜中の2時、3時に起きてね。“もちを踏む”と言ったのですが小麦粉からグルテンを取って、それを炭⽕で焼いて、材料を残さず焼ききって⼣⽅に終了。炭火は消壺に入れて次回に。毎日は焼けないから3日に1回とか、それくらいの生産量でよかったんですよ。流通が発達してほかの地域からの安い麩が買えるようになり、夏は工場の中が暑くなるし、辛い仕事だから継ぐ人がいなくなって、ほかの店は少しずつ廃業していきました。1945年8月1日の長岡空襲でこの辺りは焼け野原となり、戦後に建て直した工場を昭和60年代に増築して、いまの規模になったんです」(木宮社長)

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