「不登校」は「失敗」ではない。フリースクール「あうるの森」で見た、安心できる社会づくりのヒント
2021.8.4
新潟県長岡市石内の静かな住宅街にある、一軒のフリースクール。ここ「学びスペース あうるの森」には、小学校3年生から高校2年生まで、いろいろな理由で不登校になった10名ほどの子どもたちが通っています。
2021年1月、ここに通う子どもたちは、自分たちの体験をまとめた書籍『不登校宣言 フリースクール「あうるの森」の子どもたち』(新潟日報事業社)を出版しました。学校に行けなくなるほどの傷を一度は心に負った彼らが、本の出版という大きなプロジェクトをどうやって成し遂げたのでしょうか。また、そうした活動ができる「あうるの森」は、どんな学び舎なのでしょうか。学校という「標準」から外れると生きづらくなりがちな世の中で、誰もが「生きやすい」まちにしていくために、どんな視点が必要なのか、あうるの森を訪ねて学んできました。
自分に自信をつけるために
学校の勉強に力を入れる
小中学校での不登校児童生徒の数は、年々増加しています。その数はおよそ18万人(※)。全国の小中学生の1.9%、つまり50人に一人が不登校なのです。そうした子どもたちの受け皿のひとつが、民間のフリースクールです。芸術文化・情操教育に力を入れている学校や、自給自足を掲げた学校など、一般的な学校教育とは一線を画すユニークな教育方針の学校も多くあります。この「あうるの森」は、どのようなフリースクールなのでしょうか。その特色について、代表の山田竹紘先生にお聞きしました。
※文部科学省の令和元年度の調査。年度間に連続、または断続して30日以上欠席した児童生徒の人数(病気や経済的理由による長期欠席者を除く)
――まずは、「あうるの森」がどのようなフリースクールなのかお聞きしたいと思います。
山田先生(以下、山田) 「あうるの森」は2013年に私がNPO 法人として起業したフリースクールです。不登校の子ども達がここに通ってきて、午前8時から午後5時まで活動しています。何よりも大切にしているのが、ここが不登校の子どもたちにとって安心できる場所であることです。そのうえで、具体的にどのような活動をしているかというと、まず勉強です。実は、フリースクールで学校の勉強に力を入れているところはけっこう珍しいんです。
――珍しいんですか? でも言われてみると、フリースクールには学校教育の型にはまらない活動をしているイメージがありますね。
山田 勉強に力を入れているのには、理由があります。不登校の子どもたちは、自分の能力に自信がない子が多いんです。家にずっといると、勉強もわからなくなってくるし、体力も落ちていく。取り残された感じがして、自分は何をやってもできないんじゃないか、と思いつめる子が多いんですよ。では、どうやって自信を取り戻していくのか。その手段が勉強なんです。
自信や自尊心は、何もないところからは出てきません。それまで成績が落ちていく一方だったとしても、ここに来て、安定した生活を送って、毎日勉強すると意外とできるようになるんですよ。そして、自分に自信が持てるようになる。「あうるの森」では数検(実用数学技能検定)へのチャレンジも勧めています。これに合格すると、漠然とした自信じゃなく「自分は数検何級を持っている」「だから自分は勉強ができないわけではない」と、客観的な根拠の伴った自信が出てくるんですよね。だから勉強って大事だなと思っています。
――勉強はできるようになっても、不登校だと学校の出席日数が足りないことで受験や進級に不利になるのでは、という心配もあります。
山田 高校を卒業していないと就職などで大きなハンデが発生してしまうことを考えると、高校に入学するための学力と、中学の出席日数は必要です。ですから、学校との連携は大事にしていて、「あうるの森」に来た日は小中学校の出席扱いにしてもらえるんです。
――それは、親御さんや子どもたちにとって、かなり大きな安心材料ですね。
山田 学校には月に1回、「何日に来て、どういう勉強をしています」と報告書を出しています。学校の先生がここに来て面談をされることもありますし、学校の定期テストをここで受ける子どももいます。
――同級生たちと同じテストを受けて、自分の学習の成果も確認できる。先ほど先生のおっしゃった「根拠のある自信」につながっていきますね。
山田 ここの卒業生で、大学に進学した子もいます。大きくなってからも時折、顔を見せに来てくれることがありますよ。
年に一度のプロジェクトを通して
チームワークや社会性を学ぶ
山田 もう一つ、「あうるの森」で大事にしているのは社会性です。私は「出来る範囲でひとつのプロジェクトに参加する」ことを社会性だと考えていて、「あうるの森」では毎年、協力してひとつのイベントを行っています。2018年には劇を作って上演しましたし、2019年は市のイベントに出てカレーの屋台を出店しました。去年は『不登校宣言』の出版。こうした試みは、すべて社会性を身につけることを目的に行っています。演劇なら、人前で演技ができない子は衣裳や小道具を作る、手先が器用じゃないけど人前には出られるという子は舞台に出る、と役割分担します。屋台出店なら調理班、外装班、広報班に分かれて、それぞれが自分の仕事に責任を持ちます。本の編集なら、5~6人の子がインタビュアーをするなどメインの仕事を受け持って、文字起こしとか細かい作業はたくさんの子に割り振って進めていきました。
年に一度のイベントで、子どもたちは普通の学校生活では体験できないような、生きた学びを経験することができます。カレーを販売するなら、食品衛生を知る必要があります。お金を稼ぐ大変さやそれを扱う責任も体験することになります。外部の大人と関わる業務もあります。イベントを完遂することで、子どもたちは「学力」に加え、「社会性」を身につけ、さらに自信を取り戻していくのでしょう。「今、困っている人のために」
研究者を志した青年が学校を作るまで
――ところで、山田先生は、どうしてフリースクールを作ろうと思うようになったのでしょうか。
山田 「教育」に興味を持つようになったのは高校生くらいのときです。学校の先生になりたかったわけではなく、学校教育の制度そのものに興味があったんです。高校3年生の時には他国の学校教育の実態を見てみたくて、ドイツのギムナジウム(大学進学を前提とした中等教育機関)に一年間留学しました。帰国してからは、大学で不登校や貧困といった状況にある子どもたちへの教育のあり方を研究し、大学院にも進学しました。そんなときに、東日本大震災が起きたんです。報道で、たくさんの人たちが炊き出しや瓦礫の撤去などボランティア活動をしているのを見ているうちに「国や地域の教育制度を変えるために知見を生かすのが研究者で、自分はそれを素晴らしい仕事と思って目指してきた。しかし、教育に困っている人が今、現実にいる。私も実地で、困難を抱えている人のために何かしたい」と思うようになりました。それで大学院を辞めて長岡に帰り、このフリースクールを起業したという次第です。
――東日本大震災がひとつのきっかけになったんですね。ですが、理想を掲げても、実際に土地を探して、建物を建てて、という過程は相当に大変だったのではないでしょうか。
山田 そうですね。本当にいろんな方の力を借りてここまでやってきました。今でこそ軌道に乗ってはいるんですが、開設してから3~4年は本当に苦しかったです。今でも経営としてはラクではありません。月謝をいただかなければ運営できないのですが、一方で、月謝を支払うのも厳しいというご家庭もあります。不登校と貧困は私の研究テーマでもありましたから、こういった問題では行政と連携しての手助けがより一層必要だと感じます。
「学校に行かない」ことを
選んだ子どもたちの声
「あうるの森」に通う子どもたちは、どのようにしてここにたどり着いたのでしょうか。学校が辛くなっていった理由、この場所との出会い、親や学校との関わり方について、通っている子どもたちに聞いてみました。インタビューに応えてくれたのは、高校1年生の児玉銀太さんと中学2年生の櫻井楓さん。児玉さんは『不登校宣言』の本の制作に携わったメンバーのひとりでもあります。櫻井さんは『不登校宣言』の本がきっかけで「あうるの森」に通い始めました。
――まず、話せる限りでいいので、不登校になったきっかけと、「あうるの森」に来てからのことを教えてもらえますか。児玉銀太さん(以下、児玉) 最初は本当に小さな理由だったんです。自分は運動がちょっと苦手で、勉強もあんまりよくできなくて。テストでは、成績が明確に現れますよね。それでみんなに置いてかれた気がして。そういった小さいことが重なって「学校=嫌な場所」っていうイメージが自分の中でこびりついてしまって。だから、学校に足を運ぶと、「ここは一体誰の場所なんだろう」と思うようになってしまって。そこから不登校になりました。
「あうるの森」に来る前は、みんなが学校に行って勉強しているのに、自分は家にいるから置いていかれたような気持ちになってしまっていました。それと「この先どうなっちゃうんだろう」と不安がずっとつきまとっていました。でも、ここには似ている境遇の人がいっぱいいて、一人じゃないという気持ちになれました。それに「自分は勉強している」という安心感もありました。
山田 児玉さんは、自分のことを「勉強もあまりよくできない」と言っていたけれど、そんなことはないです。ここで勉強して中学生のときに数検3級をとっていますし。
児玉さんは『不登校宣言』のあとがきで「学校に行っても行かなくても、どちらでも人は成長できる」と強いメッセージを書き記していたのが印象的でした。自信をつけて次のステップへと進まれている姿は、同じ悩みをもつ子どもたちの支えになるのではないでしょうか。続いて、櫻井さんは、どのように「あうるの森」に通うようになったのでしょう。
櫻井楓さん(以下、櫻井) 私は、もともとは学校で勉強するのも人と遊ぶのも好きでした。でも、小学校4年生のときに体調を崩しやすくなって、体育ができなくなったときがありました。ちょうどマラソン大会の時期で、ドクターストップを受けてマラソンの練習を休んだんです。そこから同級生に「なんでやらないの」といじめられるようになりました。担任の先生にはお母さんが事情を説明してくれたのですが、先生も信じてくれなくて、さぼっているとみなされました。苦しくて苦しくて学校に行きたくないけれど、休めばお母さんに迷惑をかけると思って、精一杯登校しました。6年生まで、いじめは落ち着いているときもあったのですが、同じ子から繰り返されることもあり、担任の先生が変わっても、自分の言うことを信じてもらえないのは変わりませんでした。
――先生に信じてもらえないのはつらかったですね。
櫻井 昨年、中学校に入学してまもなく、新型コロナの緊急事態宣言による一斉休校がありました。それが終わって再開した途端、授業のスピードが急にすごく早くなって追いつけなくなってしまって。もともと学校を休みがちだったのですが、一回休むごとに驚くほど授業が進んでいて……。どうすればいいのかわからなくなって、ますます学校に行けなくなりました。学校では勉強に悩まされて、家にいたらいたで今度は「今、みんなはどれくらい進んでるんだろう」と考えてしまって。その頃は、夜も眠れなくて、明日が来ると思うと怖くて、どこが居場所なんだろうと考えていました。毎日ずっと些細なことで涙が溢れてきて、何度も死にたいなぁと思っていたんです。お母さんにもたくさん迷惑をかけました。
そんなときに、学校で面談してくれていたスクールソーシャルワーカーの方から「あうるの森」のことを教えてもらったんです。ちょうど『不登校宣言』の出版記念会があることを新聞の記事で知って、お母さんと一緒に行きました。その後で見学に行ったら、みんながすごく優しくしてくれて、ここが私の居場所なのかなと思いました。学校に行かなくても、勉強もできるし、みんなとちゃんと話もできる。急に解放された感じになりました。
――お話を聞いていると胸が痛くなりますね。お母さんは今、櫻井さんの様子を見てなんておっしゃってますか。
櫻井 その日あったことを話していると、聞いているお母さんが本当に笑顔なんです。安心してくれているんだなと思ったら、私まで良かったなって思います。
――よかったですね。櫻井さんはこれから、どんな生き方をしたいか、夢はありますか。
櫻井 私は高校に進学して、その後は「あうるの森」みたいな活動をしているところにスタッフとして入りたいと思っています。大人が自分の身になってその立場で考えてくれることって、子どもにとってすごく安心できることだから。あうるの先生はすごく話しやすいし、ここが第二の家みたいな感じなんです。
書籍の制作を通して
子どもたちが学んだこと
2021年1月11日、書籍『不登校宣言 フリースクール「あうるの森」の子どもたち』が出版されました。12人の子どもたちによる不登校の体験談、4人の母親と3人の小中学校教諭へのインタビューが270ページにまとめられており、学校に居場所を失った子どもたちの閉そく感や「自分が安心して居られることのできる場所」を求める切実な思いに胸をうたれます。そして居場所を得た子どもたちが自分を認めて前向きに生きようとする姿に勇気づけられ、多様な生き方ができる社会が求められていることを切に考えさせられます。
なぜこの本を作ることになったのか、山田先生と児玉さんに出版の経緯をお聞きしました。
――「あうるの森」では一年に一回、イベントを企画して実施しているとのことでした。屋台出店や演劇の上演も大がかりなイベントですが、出版となると、全国に本が届くことにつながり、非常に影響力が大きいですよね。なぜ、こうした大きなチャレンジを選ばれたのでしょうか。
山田 去年の1月、次のイベントの企画を立て始めたときに、たくさんのアイデアが子どもたちから出ました。航空写真を撮ろうとか、会社を作ってみようとか。そのとき一人の男の子が「本を作りたい」と言い出したんです。「自分たちの経験を色々な人に知ってもらうための本を作りたい。この本できっと勇気づけられる人がいるから」と。それでみんなが「面白いね」となり、出版を目指すことになったんです。
-―児玉さんは、編集メンバーの一人だったんですよね。自分たちの体験談をまとめた本を作ろうとした背景には、どんな思いがあったのでしょうか?
児玉 不登校を題材にした本は多いですが、不登校の生徒「本人」が作った本ってあまり見たことがなくて。例えば「不登校の原因の割合はいじめが何%で無気力が何%で……」みたいなデータはよく載っています。でも、どういう理由でいじめられたのか、どういう理由でだるくなったのか、細かいところは実際に不登校の人じゃないとわからない。不登校の生徒からの目線や価値観で書いた本があれば、唯一無二のものになるんじゃないかと思いました。
-―本づくりには工程が非常にたくさんありますが、どんなところが大変でしたか。
児玉 インタビュー形式で本を書くことになったので、私も取材をする側として質問をしました。答えてくれる人は、みんな多かれ少なかれ傷ついた経験があるわけです。そこをなるべく傷つけずに上手く質問をして、話を掘り下げるのが大変でした。試行錯誤するなかで、無理に聞き出そうとするんじゃなく、あくまで友達という立場で接することが大切だな、と思うようになりました。例えばゲームの話をしているのと同じ感覚で、笑いながらしゃべる感じで話を聞くようになりました。
――児玉さんはじめ、インタビュー担当のメンバーがさりげない話しかけ方をしていたから、みんなが深い話をしてくれたのかもしれませんね。
児玉 録音した会話をみんなで文字に起こして文章にまとめていく作業でも、「この人はどんな気持ちだったんだろう」「その時自分が先生だったらどう対応すればよかったのかな」とか、すごく考えてしまいました。話をどこまで削っていいか、判断力を試されましたし、パソコンに慣れることも難しかったです。
――編集作業を知っている方がついてくださったんですか?
山田 出版社の編集の方が2週間に一回来てくれていました。編集の方と主要メンバーの子たちでみっちりと会議をして、それを他の子どもたちにも話しながら進めていったんです。
――慣れない作業の連続で、分量もかなりありますから、作業は大変だったでしょうね。でもその一方で、達成感を覚える瞬間もあったのではないでしょうか?
児玉 『不登校宣言』が完成してからひと月半後、2月23日に、長岡市中央図書館の2階の講堂で完成披露会を行ったことが印象に残っています。70~80人の人が集まってくれて、その前でみんなで制作に至った経緯を話したのですが、ようやく披露できたんだなと安心感と達成感を覚えました。
山田 小3や小4の子がステージに立って、自分の言葉でしゃべったんです。学校にも全く行っていなかった子どもたちが、人前で発表をするって、すごく勇気がいるんですよ。私は舞台袖で見守っていたのですが、遠目から見たらわからないだろうけど、震えながらちゃんと発表をしていました。あの完成披露会のみんなは、すごく印象的でした。演劇の時も、カレーの屋台をしたときも、この完成披露会の時も、大きいイベントのたびに子どもの気持ちと成長に嬉しくなります。
「ひとりで悩まなくていい」と
親にも子どもにも伝えたい
――学校が辛くて悩んでいる子どもたちに、大人はどんな風に接したらよいのでしょうか。特に、自分の子どもと学校の関係に悩んでいる親御さんもいらっしゃると思います。
山田 子どもが学校に行けなくなったら、親御さんは少なからず「自分の育て方が悪かったんじゃないか」って自分のことを責めるんですよね。ただ、不登校は本当に誰にでも起こり得ることです。不慮の事故みたいなもので、育て方とは関連性のないことなんです。だからご自身を責めないでほしい。その上で、いろんな人への相談の窓口を広げておくことが大事なんじゃないかなと思います。フリースクールはもちろん、スクールソーシャルワーカーの方や市区町村の教育委員会など、相談できる人やサポートしてくれる機関はいろいろあります。そうしたところとつながることができるという知識を持っておくことが大事です。
――学校というシステムの中で「生きづらさ」を感じている子どもたちは今も大勢いるわけですが、学校や行政はこれからどのようになっていくべきだと思われますか?
山田 今、社会は大きく変化しています。特に緊急事態宣言下の一斉休校を経て、もはや「学校に行くことが絶対」という価値観は崩れつつあるのかな、と思います。そう考えると、学校以外の教育の場はあるべきです。高校では、今、通信制をはじめ、さまざまな学び方ができて選択肢も増えています。そういった仕組みが中学や小学校にも増えるかもしれない。それが子どもの生きやすさにつながっていければいいですね。
学び方も生き方も、人によって様々な道筋があってもいいはずです。『不登校宣言』の中で、山田先生が書かれていた一文に共感を覚えました。「不登校だと社会に出たらもっと厳しい。だから嫌でも体調を崩してでも学校に行かなければいけない」。不登校の本人も保護者も、周りの人もそのように考えている人は多い。(中略)しかし、体調や精神を崩してまで続ける仕事や学業はないと断言する。(『不登校宣言』18ページより引用)
「こうでなければいけない」という思い込みが、自分自身や他の誰かを息苦しくさせているかもしれない。時には立ち止まって思い込みを疑ってみること、自分や大切な人の心や体を守るために別の選択肢を考えることは、とても大切なことなのではないでしょうか。
「僕は不登校になってしまったのではなく、不登校を選んだと今は思っている」(『不登校宣言』帯より)
『不登校宣言』には子どもたちのつらい体験が書かれていますが、一方で私たちを縛り付ける「思い込み」を払ってくれる言葉、自分に素直に生きていく勇気をくれる言葉がいくつもあります。インタビューする側もされる側も、不登校の子どもたち。「つらかったね」「その気持ちわかるよ」という労わりと共感が、読者の心にも伝わるのかもしれません。
不登校の子どもは年々増え続けています。そうした子どもの居場所作りや、より細やかなサポートができるネットワーク作りは、一層必要になっていくことでしょう。子どもだけでなく、その親を支えることも重要です。他のみんなとは違う道を選んでも自信をもって生きていける世の中をつくっていくためのヒントが、「あうるの森」の取り組みにはあるのではないでしょうか。
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学びスペース あうるの森
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Text&Photo : 河内千春
※本文中に登場する学生の名前は一部、仮名とさせていただきます。