小さくても、僕らの世代でやれることから少しずつ。「小さな山古志楽舎」がつなぐ、地域コミュニティの灯

JR長岡駅から車でおよそ40分、長岡市の南東部に位置する、豊かな自然の残る中山間地域の山古志。2004年の中越地震にて大きな被害を受け、長岡市内に(当時は山古志村であり、長岡市とは別の自治体)全村避難を行った際の仮設住宅の住み分けでも山古志のコミュニティを崩さないよう住民同士でまとまり、小中学校も市内の学校に間借りする形で再開するなど、地域のつながりを大切にしてきたエリアでもあります。
昭和20〜30年代には6000人以上もの人が暮らしていましたが、現在の人口は800人ほどとなっており、高齢化・過疎化が目下の課題。その中で、この先の山古志を担う世代が小さな地域活動を立ち上げています。その名も、「小さな山古志楽舎」。「いろんなかたちでいいから、山古志と関わる人を増やしたい。そのためにできることを、ちょっとずつ」と話すのは、代表の長島忠史さん。長岡市役所山古志支所の松田恭平さんにも参加いただき、「やまこし復興交流館おらたる」にて、「小さな山古志楽舎」に込めた想いについて話を聞きました。
当たり前すぎて気づかなかった
地元の「日常の営み」のよさ
「小さな山古志楽舎」の代表を務めるのは、山古志で「農家民宿 山古志百姓や三太夫」を営む長島さん。中越地震の際に全村避難を指揮し、「帰ろう、山古志へ」のスローガンをもとに山古志の復興の道筋を切り拓いた旧山古志村最後の村長(のち衆議院議員)・長島忠美さんの息子さんとして、山古志で生まれ育ちました。
住み慣れた自宅・地域を離れ、不安を抱えた中での全村避難の際にキモとなったのは、山古志村内のコミュニティを避難先でもできる限り維持したこと。避難先である長岡市内の避難所でも、はじめは分散していた避難先を集落ごとに再編し、顔馴染みの人たちがいつでも集まれるようにしました。仮設住宅でも同じように、3地区に建設された仮設住宅に集落ごとにまとまる形で村民を配置。帰村後もこの方針は継続し、自宅が壊れて自力再建が困難な村民のための公営住宅も、役所の近くなど村内の一箇所にまとめて建設するのではなく、それぞれの集落内に建設しました。厳しく美しい自然とともにある山古志での生活において重要な役割を果たしてきた、地域の人たちのつながりを何よりも大事にしたのです。

山古志で生まれ育ち、「農家民宿 山古志百姓や三太夫」を営む長島さん。
「楽しさ」をキーワードに動き始めた「小さな山古志楽舎」。地域の魅力を発信するとなると、地域のアピールポイントを押し出すネーミングになりそうなものですが、このちょっと変わった名前は、小さい地域にも小さいなりにいいところがあって、小規模であることが別にマイナスというわけではないという思いから、あえて「小さい」とつけているそうです。そして、なによりも山での暮らしを楽しむメンバーが集う場所というイメージで、「楽」しい「舎」という名前にしたのだとか。現在、楽舎で活動している7名には、山古志で生まれ育った人はもちろんのこと、結婚などを機に外から山古志に来た人も参加しています。「ずっといるからこそわかるよさも、外の世界も見ているからこそわかるよさも地域にはあるはずです。それをバランスよく取り入れていきたい」とのことでした。
「むしろ山古志の外で育った妻たちの方が、山古志のことをすごい場所だと言ってくれることが多いんです。僕らも中越地震によって一度山古志を出て、改めて山古志のよさを知ることもありました。地域のよさを見出すには、時には目線を変えることが大切なのかなと思います。
畑仕事のような日常のシーンの中でも、「いい景色だね」とか、「空が広いね」って違う見方で言ってもらえると、はっとするときがありますよね。昔は地域で汗を流すおじいちゃんの姿は日常の風景すぎて特になにも思いませんでしたが、いま自分が農業を主軸にした生活をしていると、改めて『おじいちゃんたち、かっこいいなあ、すごいなあ』と感じるようになりました」(長島さん)
自然観察、アウトドア、追悼行事…
多様な切り口で地元の記憶をつなぐ
日常の中に当たり前のようにある美しく豊かな自然。足元にありすぎて気づかないことも多いそれこそが実は楽しい・かっこいいものなんだということを伝えるために、「小さな山古志楽舎」はどのような活動を行っているのでしょうか? 山古志出身で、同世代として活動を応援している長岡市役所山古志支所の松田さんにも話に入ってもらいました。
「発足して以来ずっと新型コロナウイルス感染症の問題があるため、思うようにイベントができない面もありますが、小さく、手さぐりで山古志でのイベントを行っています。山古志にとって自然は切っても切れない存在ですから、はじめに開催したイベントが、2021年8月に自然休養地四季の里古志のキャンプ場で開催したのが『虫の会』です」(松田さん)

学芸員の解説のもと、山古志に生きる虫について学ぶ。(写真提供:小さな山古志楽舎)

左は長岡市役所山古志支所の松田さん。錦鯉の養殖も手掛けています。
山古志の中はもちろん外ともつながりを作っていきたいという思いから、長島さんたちは「虫の会」に続いて「メスティンを使って 山古志の新米を炊こう!」を開催。山古志のキャンプ場で、メスティンという飯ごうの一種でお米を炊くこのイベントは、山古志の中だけに限らず参加者を受け付け、県内各地からアウトドア好きな家族や、メスティンでお米を炊くのは初めてという家族が集まりました。神楽南蛮みそなどご飯のお供を用意して、炊きたての新米をみんなで頬張る。美味しさも倍増です。

爽やかな秋晴れの中開催されたメスティンの会。新米がもっちり美味しく炊けました。(写真提供:小さな山古志楽舎)

追悼式の様子。山古志の好きなポイントを写真で共有するスペースも。(写真提供:小さな山古志楽舎)
外部への発信も欠かさず
みんなを地域に巻き込みたい
山古志にはこの他に、地域住民による「山古志住民会議」という地域団体もあります。この「住民会議」と「小さな山古志楽舎」が、一緒になって冊子と動画を制作しているのも面白いところ。「山古志で自分らしく暮らす」という意味を込め「ラシクラス」と題して、ありのままの生活をまとめています。
長島さんご夫婦にフィーチャーした「ラシクラス」5本目の動画。このほかにも、山古志での暮らしの様子を伺える動画を山古志住民会議チャンネルで配信中
出演しているのは山古志で暮らす住民たち。自然体で、地元のいいことも悪いことも飾らずに話す。その雰囲気も山古志らしくて好きだと、長島さんは語ります。
「鯉の世話をして、一息休憩してボーッとしているだけでもいいところなんですよ。自然の音がいいんですよね。静かなんだけど、水の音や鳥の声、草木が揺れる音がする。同じ場所でも朝と晩で全然違うし、もちろん日によっても違う。県道から一本入ると、車の音さえも一切しなくなります。最近、一日中山古志の中にいるのに、写真を撮るようになりました(笑)。ふとした瞬間に、きれいだなって」(松田さん)
「見慣れているはずなのに、歳を重ねてからのほうが山古志の景色に感動している気がします(笑)。伝える、つなげるということを意識するようになって、山古志と自分の関係性が変わって、山古志の見方にも変化があったのかもしれませんね。この素晴らしさを変えることなく残していきたいと思う一方で、何もしていないと、何もしていないだけの結果しか出てこないとも感じます。美しく快適な山古志で今暮らせているのは、上の世代の人たちが頑張って来てくれたからこそ。『小さな山古志楽舎』の活動は、僕らが将来、地域の主役を担う準備でもあると思います。今だけの手間で考えると『何のためにやるの?』 と思うようなことも、実は長い目で見れば、地域づくりのいろんなことにつながっています。上の人たちから受けた恩恵を、また次につなげていきたいですね」(長島さん)
少しずつ、次代の地域を担うための試みを始めている「小さな山古志楽舎」。地域の外にいる人たちとも積極的に協働していきたいという思いがあり、新型コロナウイルスの影響でなかなか帰省できていないという山古志出身の方とオンライン飲み会を開催したこともあったそうです。そういった機会も、ちょっとでもいろいろな人を山古志に巻き込んでいきたいからこそ。「山古志に住んでいる・いない」だけが条件じゃない、いろんな関わり方を探っていきたいと、中越地震の追悼イベントはYouTubeでライブ配信を行いました。山古志でつなぐバトンの受け取り方、渡し方の形は、思っている以上にいろんな可能性がありそうです。
山古志の魅力として「豊かな自然」をあげるお二人に、最後に特に好きな季節を聞いてみたところ「緑がまぶしい春か夏……いや、秋もいいし、一面真っ白になる冬も捨てがたい……決められません(笑)! どの季節もいいんですよね」との答えが返ってきました。四季折々で表情を変える山古志の魅力を伝えて次代につなぎ、今ここにいないけれど山古志を思う人たちともつながっていく。「小さな山古志楽舎」は少しずつ、みんなの心の中にある「山古志」を軸につどうコミュニティになっていくのだろうと感じました。
Text / Photo: な!ナガオカ編集部
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