夜空に咲いた花。

毎年の恒例行事としてすっかり定着した「えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭」ですが、3年ほど開催されなかった時期があります。中越地震があった2004年、川口町では最大震度7を記録。全壊や半壊となった家屋は1000棟近くにものぼりました。日常の生活を取り戻すことに精一杯。「とてもお祭りを開催できるような状態ではありませんでした」ようやくお祭りを実施できるようになったのは、震災から3年近くが経過した頃。なんとか復活させようと、役場も商工会も町の人々も、みんなで力をあわせて、開催にこぎつけました。こうして中越地震以降、初の開催となった2009年。「一面の雪景色の中、一斉にキャンドルに灯がともったときは、感慨深いものがありました」。夜空に大きく咲いたスターマインは、川口の復興の証でもありました。

会場となる川口運動公園。祭り当日は、一面に「火ぼたる」が現れる。

会場となる川口運動公園。祭り当日は、一面に「火ぼたる」が現れる。

 

絶やすことのない祭りの火。

小宮山さんが、実行委員長を務めるようになったのは3年ほど前のこと。「商工会の会長として、ではなく、小宮山正久、一個人として、代表を務めさせていただいています」まつりごとは、あくまでも地域のみなさんが主役。商工会が頭になるものではない。というのが小宮山さんの考え方です。明治の時代から、代々続く家業を息子さんに譲り、小宮山さんが商工会の会長職についたのが2012年。18歳のときに青年部に入ってから半世紀近く、川口町商工会の活動に参加してきました。「代々、親が商工会に入っていると、息子が青年部に入る、というのが習わしでした。今は後継ぎが少なくなって、我々の代で終わり、という個人商店も多いんです」中越地震以来、川口の人口は1000人近く減少し、高齢化も進んでいます。地域を活性化していくためにも大きな期待が寄せられている「えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭」。その実行委員長として、小宮山さんには強い想いがあります。「毎年、楽しみにして下さる方がたくさんいるんです。祭りの火は決して絶やしてはいけない。これからも地域を一層盛り上げていきたいと思っています」。

 

えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭の志

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明るく楽しく住みやすい地域

長岡市と一口にいっても、その範囲はとても広く、いろんな地域があります。他の地域のいいところはどんどん見習って、長岡全体で何事にも協力し合える場作りをしていきたい。そして、私の愛する川口エリア全体が威勢のいい地域になるといいなと思っています。

(「えちごかわぐち雪洞火ぼたる祭」実行委員長 小宮山 正久)

※この記事は2015年3月に作成されました。

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