空き家ギャラリー仕掛け人が語る。「場」の始まりと終わりと続く人の繋がり
※この記事は2017年1~2月に「な!ナガオカ」が主催した「視点の学校」ワークショップにて、長岡造形大学の学生が作成したものです。
新潟県長岡市の長岡駅前に、築70年の一軒家をリノベーションしたアートギャラリーがあります。その名は「長岡ベース」。
ここでは随時学生や若い作家による作品展示が開催され、「場」を中心としたコミュニティが形成されてきました。しかし2017年2月末をもってギャラリーは閉鎖。約2年間の活動に終止符を打ちました。
地域をアートの力で活性化させようとしてきた長岡ベース。それはどのように始まり、なぜ今活動を終えるのか。運営の中心を担ってきた江原正美さんにお話を伺いました。
「空き家×作家」で生まれた長岡ベースの構想
――そもそも長岡ベースをつくろうと思ったのはなぜでしょうか?
「子供の頃から絵を描くことが好きだったこともあって長岡造形大学の美術工芸学科に入学し、2014年の春に卒業しました。卒業後は大学時のバンド仲間と一緒に『EHARAJAPAN』という作品展示活動を主としたアートグループを結成。活動をしていく中で、展示以外のことも積極的に行いたいと考えるようになったんです」
その後の可能性について模索し、悶々としていた江原さんでしたが、ある日、長岡造形大学の先生と何気なく話していた会話の中に、その糸口を見出したそうです。
「それが『長岡駅前に空き家がたくさんある』という話と『作品を展示するギャラリーの運営とアトリエでの作品制作の両方を作家自身が行えばいいのに』という話でした。別々の文脈で出てきた話だったのですが、その2つが私の中でつながり、EHARAJAPANがギャラリー兼アトリエを長岡駅前の空き家を利用して始めるきっかけになったんです。
2014年の冬から本格的に物件探しを開始。翌年の2015年の2月から自分が住み込む形で『長岡ベース』の活動を始めました」
「場」が新たなコミュニティを生み出した
——長岡ベースを始めたことで、何か変化のようなものはありましたか?
「長岡ベースができるまで、長岡には学生や若い作家向けのギャラリーがありませんでした。でもここができたことで、それまで作品を発表したくてもできなかった人たちにとっての作品を見せる場となり、ひいては作品制作のきっかけ作りになったのでは、と感じています。
彼らに門戸を開きコツコツと活動を続けた結果、長岡ベースを中心にしてそれまで関わることのなかった人と人が繋がり、交わって今では立派なコミュニティになってるんです」
変化は街だけでなく、江原さん自身についてもあったといいます。
「コミュケーション能力が身に付いて、人と関わることが好きになりました。仲間内だけで作品を展示するのではなく、多くの人に作品を見せるという意識を持って作品を作ることも面白かったです。
EHARAJAPANというグループ単位でも、作品制作や長岡ベースについて常に話し合ってきました。時にはうまくいかないこともあり、強い口調で言い合うことや立ち止まってしまったこともありましたが、それは、メンバーの一人一人がいつも真剣に長岡ベースについて考えていた証拠だと思っています。
学生時代の青春を延長した感覚で、それだけでも長岡ベースを2年間継続して良かったと思っています」
長岡ベースをやってわかった「為せば成る」
――今回、長岡ベースを閉鎖することにしたのはなぜでしょうか?
「長岡ベースは、特にコンセプトなどはっきりと決めないまま始めました。当初はそれでも特に問題なかったのですが、2016年の5月ごろを境に、長岡ベースに対するメンバーの方向性の違いが、大きく表れてきたんです。
このままではEHARAJAPANのメンバー全員がダメになると感じ、2年という区切りをつけて終えることにしました。
長岡ベースとしての活動は一旦終了となりますが、今後も作品制作を行って、イベントの企画やグループ展の開催を重ねていき、今まで関わったことがない人との繋がりも大切にしていきたいです」
——長岡のみならず、今日本中で増加する空き家が問題になっています。江原さんと同じように空いたスペースを利用して「場づくり」をしたいという人たちに何かアドバイスはありますか?
「まず、やろうと一歩を踏み出すことが大切。やろうと思えばなんでもできる。為せば成る。やろうと思ったことに自信がない、能力がないと、尻込みするのではなくやればいい。
何をやればいいかは、そのプロセスを考えていくと自ずと見えてきます。今後、何かやろうという時に、勇気を出して、迷う暇なくやり続けることで、人との繋がりや経験が積み重なっていきます。それらは、必ず自分の糧になります。
長岡ベースで活動した2年間は、もちろん楽しいことばかりではなく、悲しいこともあって、沢山悩みました。でも、くよくよするのではなくて、自分が本当にやりたいことに対して、行動するだけだという考えに辿り着きました。今後は、やればできるということを胸に自分のやりたいことをやって生きていきたいです」
走り出した人たちが戻ってくる場所として
長岡ベースの終了と同時に、EHARAJAPANも解散するという江原さん。数年間に渡って活動を行ってきた場所とグループを同時になくす決断は並大抵のものではなかったであろうことは想像に難くありません。
取材の冒頭、「なぜ『長岡ベース』というネーミングなのか?」尋ねた取材陣に対し、江原さんはこう言いました。
「長岡ベースの『ベース』って、野球のホームベースが由来なんです。なぜなら、野球のホームベースは、打者が踏み出して戻って来る場所だから」
長岡ベース自体はなくなってしまいました。しかし、そこから走り出したEHARAJAPANはじめ、数々の作家たちの繋がりは今後も続き、きっとまた同じ場所に戻ってくるのでしょう。
Text: Maho Saito
Photos: Jyuri Nagai
Interview: Reika Tomono, Jyuri Nagai
長岡ベース(現在は閉鎖しています)
[住所]〒940-0066新潟県長岡市東坂之上町3丁目2番地3