多文化共生はどう実現する?長岡在住ベトナム人にリアルな日常を聞いた
新潟県長岡市には現在、約600人のベトナム人が暮らしている。市内の外国籍住民のうち、これは中国に次いで二番目に多い。彼らの多くは長岡技術科学大学を中心とする留学生として、あるいは就労のために日本にやってきた。
街角で、スーパーマーケットで、普段の生活を共にしている隣人たち。だが、そんな彼らのことを、私たちは何も知らないと言っても過言ではない。どのような人たちで、どのような願いを持ってここにいるのか。お役所の文書で表現される「人材」「労働力」ではない一人の人間としての言葉を聞きたくて、長岡で暮らすベトナム人と、長岡とベトナムの架け橋づくりをする人にお集まりいただいた。
学生時代の経験をきっかけに
ベトナムと長岡をつなぐ活動を開始
長岡市で日本人とベトナム人をつなぐ活動を行うキーパーソンがいる。地域おこし協力隊の川堀龍(かわぼりたつる)さんだ。現在、川堀さんは主にデジタルディバイド(情報格差)の解消活動を主軸にしている。高齢者向けのスマホ教室「スマホカフェ」を開催し、スマホの使い方が分からない高齢者を一人ひとりサポートする。人と関わり、地域の課題に向き合う。それが川堀さんの日常だ。
そして、川堀さんにはもう一つの活動がある。「ベトナムフェス in Nagaoka」の実行委員長として、日本人とベトナム人をつなぐ取り組みだ。これは協力隊の業務とは別のものだが、川堀さんは「趣味のようなものですね」と大きな情熱を注いでいる。

川堀さんとベトナムとの接点は、2023年にさかのぼる。当時、川堀さんが所属していた長岡技術科学大学(以下、長岡技大)の研究室では、15人ほどいる学生のうち、半数近くがベトナム人だったという。
「研究室には日本語が得意な人もいれば、そうでない人もいました。言葉の壁があって、ベトナムの文化や暮らしのことを日本人に伝えるのは簡単じゃない。でも、自分たちの国のことをもっと知ってもらいたいという気持ちを、ベトナム人のみんなが持っていたんです。それなら何か企画をしてみようと思いました」(川堀さん)

こうして川堀さんは、研究室のベトナム人学生とともに、2023年11月に「ベトナムフェス in Nagaoka」を企画した。会場は長岡市の中心部にある交流拠点施設・アオーレ長岡。音楽ライブやファッションショー、アオザイ(ベトナムの伝統衣装)着用体験、食や雑貨の屋台が出店するマルシェ、ベトナムの景品が当たるビンゴ大会などを行った。 イベントは大盛況。初開催ながら、2日間で約4000人が来場し、そのうち約4割はベトナム人だったという。




マルシェには北部出身者と南部出身者の2つのフォーの店が出店し、食べ比べた日本人たちはその味の違いに驚いていた。
「同じフォーといっても、北部と南部ではスープの味が全然違うんですよ。南部は甘さが強く、北部は甘さ控えめで酸っぱさがあるんです」 日本にも地域ごとに味の違うラーメンがあるように、ベトナムのフォーも地域で味が変わる。そんな異文化のおもしろさを発見する人々の姿が、会場のあちこちにあった。

このベトナムフェスは毎年少しずつ形を変えながら進化を続けている。2024年は「縁日×ベトナムの遊び」をテーマに、日本の射的とベトナムの遊びを組み合わせた企画を実施。2025年には長岡市の三島地域に会場を移し、ベトナム語の謎を解く脱出ゲームなどを行った。



現在のベトナムフェス実行委員のメンバーは8名。うち4名がベトナム人だ。当日のボランティアを含めると、延べ40名ほどの人々が関わり、ベトナム人をつなぐネットワークが、少しずつ広がっている。
技能実習生の「孤立」が
受け入れ企業の悩み
ベトナムフェスを続けるには、協賛金が欠かせない。川堀さんはベトナム人を雇用している企業を一社一社訪ねて、協賛や協力を求めることも続けている。そして企業の担当者と向き合い話をする中で、ある共通の悩みを抱えていることに気づいたという。
「企業の方たちは『ベトナム人の社員が土日もずっと家にこもって外出しないらしく、孤立していないか心配で……』とよく言っていたんです」

企業にとって、従業員は貴重な労働力だ。ただ、会社として支援できるのは、職場環境を整えることまで。休日に何をしているのか、友人がいるのか、孤立していないかといったことまでは把握できない。プライベートに踏み込むわけにもいかない。だからこそ、自発的に参加できるベトナムフェスのような場の存在が、企業にとっても心強いのだ。
仲間づくり活動を続ける
留学生のヒエップさん
ベトナム人たち自身は、このまちでの暮らしをどう感じ、何を思っているのだろうか。川堀さんの紹介で、2人の長岡在住ベトナム人にも話を聞くことができた。
一人目は、長岡技大の大学院で機械工学を専攻するグエン・フイ・ヒエップさん(24歳)だ。

——日本にはいつ来たんですか?
2022年に来ました。ハノイ工科大学を出てから、長岡技大の大学院に入りました。今は修士2年生で、3月末に卒業します。
——なぜ日本に来ようと思ったんですか?
ベトナムの大学に、日本の大学に留学できるプログラムがあったんです。これは、成績のいい人から順に、行きたい大学を選べる仕組みです。私は長岡技大を選びました。大学の先輩から「住みやすいし物価も高くない。学校は技術系大学として評判だし、就職にも強い」と聞いていたからです。
——ご家族はベトナムに?
はい。私は3人兄弟の真ん中で、社会人の姉と中学生の妹がいます。
——日本語はどうやって勉強したんですか?
ベトナムで少し勉強してきましたけど、本格的に上達したのは来日してからです。半年くらいで日常会話ができるようになりました。教科書だけで勉強するより、実際に会話をしながら学ぶのが一番ですね。周りの人と話すようになって、「こういう文法をよく使うんだ」「こういう言葉が自然なんだ」というのが感覚で分かってきました。
——今は学生ということで、アルバイトをしながら生活をしているそうですね。
はい、長岡市内のスターバックスで働いています。以前、このお店でコーヒーを買った時に、店員さんがすごく丁寧に話しかけてくれたんです。ここで働いたら、もっと日本語でコミュニケーションを取れるようになるのではと思って応募しました。働き始めた頃はなかなかうまく会話ができなかったんですけど、今ではスタッフやお客さんと楽しく話せるようになって、すごく成長したと思います。
——親からの支援はあるんですか?
いえ、アルバイトで稼いで、学費も生活費も全部自分で払っています。今は留学生なので勉強が優先ですが、社会人になって働くようになったら、親に仕送りしたいです。
——普段の移動手段は?
基本は自転車です。買い物に行く時は、車を持っている友達に相乗りさせてもらったり、バスを使ったりします。冬は雪が多いので、歩くことも多いです。周りのベトナム人留学生も同じような状況で、この前友達が、雪の日に学校から自宅アパートまで帰るのに2時間もかかったと言っていました。大変ですけど、何とかなるんですよね。
——休日は何をして過ごしていますか?
基本的にはアルバイトの予定がびっしり入っています。でも、川堀さんからイベントの声がかかった時は、参加させてもらっています。
あと、最近まで「VYSA」という在日ベトナム青年学生協会に所属していました。ここでは新入生の歓迎会や花見会を企画したり、Facebookで発信をしたりしていたんです。新しく日本に来たベトナム人が一人ぼっちにならないように、「こんなイベントがあるよ」と紹介して、人と人とをつなげていました。

——日本に来て寂しいと感じたことはありますか?
正直ありました。日本語がまだうまく話せなかった時です。私が日本語で話しても、周りの人に理解してもらえない時があって……。そういう時は「もっと日本語を勉強しないといけないな」と悔しく思いました。今は上手くコミュニケーションを取れるようになったので、寂しさを感じることはないですね。
——日本人の印象はどうですか?
すごく親切だと思います。周りの人同士で自然と助け合う気質ですよね。そういう精神は、ベトナム人にも近いものがあると感じています。
——ベトナムには帰っていますか?
はい、何度も。今年の2月の旧正月にも帰る予定です。
——卒業後はどうする予定ですか?
名古屋の自動車部品メーカーに就職します。海外にも拠点がたくさんある会社で、将来的には海外で働ける可能性が高いことから選びました。日本で技術を学んで、いずれはベトナムに還元したいと思っています。
醤油ラーメンがお気に入り。
技能実習生のズーさん
もうひとりお話を聞かせてくれたのは、フアム・トン・ズーさん(35歳)だ。ベトナム中部の出身で、2024年4月に来日し、現在は長岡市内の縫製会社で働いている。ズーさんは日本語がまだ流暢ではないため、ヒエップさんに通訳してもらいながら話を聞いた。

——ご家族のことを教えてください。
3人兄弟の末っ子です。上に兄が2人いて、ベトナムで働いています。両親は70代です。兄たちの給料はそんなに高くないので、私が日本から仕送りをしています。
——なぜ日本に来たんですか?
技能実習生として働いて、お金を稼ぐためです。
——なぜ日本だったんですか?
日本を選んだのは、他の国より行きやすいし、給料が高いからです。ベトナムでは月の給料が5万円ほど。日本は物価が4倍高いけど、給料も4倍。生活費を差し引いても、日本の方がお金は残ります。
2024年の3月に日本での就職を支援してくれる担当者から「こういう仕事がありますよ」と今の職場を教えてもらい、面接に合格したので日本に来ました。長岡市に住むことになったのは偶然です。私の目的は働いてお金を稼ぐことなので、正直どこに住んでも良かったんです。
——日本語はどのくらい話せますか?
ある程度の聞き取りはできるけど、話すことは苦手ですね。来日する前、ベトナムで5ヶ月間、専門学校に通って日本語を勉強しました。職場では、日本人の同僚が何を言っているかは理解できますが、言葉で対応するのはまだうまくできないです。
——現在どんな仕事をしているんですか?
ミシンで洋服を縫う仕事をしています。私はベトナムで10年間、縫製の仕事についていて、制服、学生服、Tシャツ、短パン、いろんなものを作ってきました。だから今の仕事は楽勝です。職場には6〜7人のベトナム人がいて、日本語が話せる人もいるので、分からないことがあれば通訳してもらっています。
——休日は何をして過ごしていますか?
買い物でスーパーに行ったり、家でゆっくり休んだり、基本的には一人で過ごしています。家にいる時はテレビを見ることが多いです。ドラえもんのアニメが好きですね。
——日本で好きな食べ物はありますか?
シンプルな醤油味のラーメンが好きです。お気に入りの店があってよく行きます。
——日常で困っていることはありませんか?
特に困っていることはありません。職場にベトナム人の仲間がいるし、日本人も親切にしてくれますから。
——今後はどうする予定ですか?
できれば、最長期間である5年は日本で働きたいです。ただ、最近は就労ビザの更新基準が厳しくなっていて、日本語能力検定のN5レベル(※)以上が必要だといわれています。今のままだと更新できない可能性もありますが、何とか仕事を続けたいです。
※日本語能力試験では、難しいほうから順にN1(幅広い場面で使われる日本語を理解することができる)→N5(基本的な日本語をある程度理解することができる)までの5段階の検定を行なっている。特定の産業分野や就労の内容によってはあるレベル以上の検定の取得が必須であったり、取得していると有利になるものもある。2027年以降に技能実習生制度を引き継ぐ予定の育成就労制度では、就労開始前にN5の取得もしくはそれに相当する日本語講習の受講が求められる。
SNSでつながるだけでは
「孤立」は解消できない
ヒエップさんもズーさんも、長岡市の生活において「特に困っていない」と答えた。では、長岡におけるベトナム人コミュニティは順調に機能しているのだろうか? これに対して、川堀さんはこんな課題を指摘する。
「今の時代、SNSがあるから、実際に会わなくてもつながれるし、それで十分だと思ってしまうのが危ういなと。例えば、ベトナムで同じ学校だった友達が日本に来ても、LINEやFacebookで『元気?』『元気だよ』とメッセージを送り合うだけ。それで『つながっている』と思ってしまって、実際に会おうとはしない、ということもあるようです。
在新潟県ベトナム人会などのコミュニティにも名前だけ登録して、実際にイベントに参加しない人も多いです。だから、オンライン上ではつながっているように見えるけど、現実生活では一人ぼっちなんです。それで孤独を感じている人もいるのではと思います」
新潟県内には「在新潟県ベトナム人会」という社会人向けのコミュニティがある。学生向けにはヒエップさんが所属していた「VYSA」がある。Facebookでつながり、花見会や歓迎会などのイベント情報が流れてくるが、実際にイベントに参加するかどうかは個人の判断次第だ。



さらに、ヒエップさんは、別の視点から孤立の問題をこう語る。
「日本語が十分に話せない場合、外に出ても孤立しやすいんです。例えば、カフェみたいな交流できる場所に行っても、日本語で会話できないから、誰ともつながれない。本当は話したいんですけど、言葉が通じないから無理なんです。だから、結局家にいることになる。家でゲームをしたり、寝たり、必要な時だけスーパーに買い物に行ったり。実際そういう生活をしているベトナム人はたくさんいます」
外国に暮らす上で、その国の言葉がどれだけ話せるかによって暮らしが大きく変わることは間違いない。日本の地方都市だとなおさらだろう。話せる人は仕事やアルバイトを通じて日本人と交流し、日本語もさらに上達していく。一方、話せない人は外に出ても人とつながれず、家で過ごすことが多くなるのだ。

ヒエップさんやズーさんが「今の生活で困っていない」と断言できるのには、理由がある。それは二人とも、日本で暮らす明確な目標を持っていることだ。ヒエップさんは日本の企業に就職して技術を学び、いずれベトナムに還元したい。ズーさんは家族への仕送りのために、5年間は日本で働きたい。そんな強い目的意識があるから、多少の困難は何ともないと感じているのかもしれない。
そして、二人とも、職場や研究室に同じベトナム人の仲間がいるのも大きい。ズーさんは日本語が十分ではないが、職場に通訳してくれる人がいる。ヒエップさんは日本語が話せるので、日本人とも交流できる。
しかし、すべての人がそうした恵まれた環境にいるわけではない。職場で一人きりの人。日本語が話せず、通訳してくれる人もいない人。SNSでつながっているように見えて、実際には誰とも会っていない人。そして、明確な目標を持てないまま、日々を過ごしている人。企業が懸念する「土日も家にいる」という状況の裏には、こうした目に見えにくい孤立のリスクが存在している。
そうした人たちのハブになり得る要素として「食」がある。現在、長岡でもベトナム料理店や食材店を見る機会が増えており、コミュニティの重要な拠点になっている。しかし、ズーさんが懸念していた就労ビザ要件の厳格化と同じように、2025年10月以降、外国人が日本で飲食店を営むための経営・管理ビザも店に要求される資本金が500万円から3000万円へといきなり大幅に引き上げられており、地域で地道に営んできた個人店などは次回の更新が認められないところも出てくることが予想される。そのような場がなくなれば飲食業に従事する人もそこに集まる人も居場所をなくし、孤立の問題はまた根深くなる。「共生」を謳う一方で、海外から来た人たちの顔や人生を見ていないかのような法制度が増えているのが日本社会なのだ。そのぶん、普段から彼らと接する職場や地域レベルで、どのようなセーフティネットを築けるかが重要になってくる。

長岡市には、そうしたセーフティネットの一つとして機能している場所がある。長岡市国際交流センター「地球広場」だ。ここでは、英語、中国語、ベトナム語での生活相談が受けられ、各国のイベントや情報提供も行われている。困ったことがあれば、母語で相談できる場があるというのは、外国人にとって大きな安心につながっている。
また、地球広場では「世界が先生」という事業を行っている。これは、留学生が学校や地域に出向き、自分の国の文化を紹介する出前授業だ。ヒエップさんもこの活動に参加し、ベトナムの言葉や食べ物、遊びなどを子どもたちに伝えた経験があるという。こうした取り組みは、ベトナム人と日本人が直接顔を合わせ、互いの文化を知る貴重な機会となっている。
みんながこの地で暮らすために
ちょうどいい共生のかたちとは?
長岡市内を歩いていても、在住する600人のベトナム人の姿は意識しなければ見えない。しかし、確かにここに暮らし、働き、笑い、悩んでいる人々がいる。
このまちで長岡人とベトナム人が共生するために必要なのは、完璧な支援システムを整えることではないのかもしれない。もっと大切なのは、ゆるやかなつながり、顔の見える関係、そしてリアルに会える場があることだ。ベトナムフェスのような「場」が果たす役割は、そこにあるのではないだろうか。

今後、川堀さんがベトナムフェスにおいて目指しているのは、「継承していけるかたち」を作ることだという。
「いずれは市と協働して、持続可能な形にしたいですね。ベトナム人のみなさんは意欲的に活動しているので、いずれ彼ら自身が引き継いで続けていける仕組みができればと思っています」
川堀さんが考える「継承」とは、単にイベントとしてのベトナムフェスを毎年続けることではない。長岡に暮らすベトナム人たちが、自分たちの文化を発信しながら、自分たちのコミュニティを育てていくこと。それが健全に楽しく育てば、そこには自然と、ベトナム人だけでなく日本人やその他のナショナリティの人たちも集まるだろう。そうした活動が続いていくことで、長岡というまちの生活の中に豊かで多様な文化が根づいていく。それこそが、共生のかたちなのではないだろうか。
Text&Photo/渡辺まりこ



