防災は市民が主役!一人ひとりが防災力を高める「安全大学」と「安全士会」とは?
北陸の豪雪、西日本豪雨、相次ぐ巨大台風、大阪や北海道の地震と各地で自然災害が多発した2018年。“天災は忘れた頃に……”と悠長に構えていられない状況に、我が家の備えを見直した人も多いかもしれない。そんな中、災害が日常の延長線上にあることを強く意識し、防災を生活の中に取り入れようという機運が高まっている。
2004年10月23日に発生したM6.8の新潟県中越地震を契機に、長岡市で2006年に誕生した「中越市民防災安全大学」(以下、安全大学)。夏に開催された第13期までの卒業生は600人を上回る。規定の単位を取得すると「中越市民防災安全士」の資格が与えられ、多くの人は「中越市民防災安全士会」(以下、安全士会)のメンバーとなり、地元での活動のほか、東日本大震災や熊本地震の被災地支援なども含め、各地で活躍している。
安全大学設立の経緯と活動について、主催する公益社団法人中越防災安全推進機構(以下、機構)の諸橋和行さんに話を聞き、安全士会女性部「シュークリーム」が活躍する災害食講座を取材した。
日常の防災力アップのために
500人の「防災リーダー」を
2006年9月、長岡市の3大学(長岡技術科学大学、長岡造形大学、長岡大学)、1高専(長岡工業高等専門学校)、1研究所(防災科学研究所雪氷防災研究センター)による「防災学問コンソーシアム」を母体に、機構が設立された。中越大震災に関する記録や研究活動の推進と支援、研究成果を安心・安全な地域づくりと防災安全産業の振興に役立てることを目的とした、大学・研究機関・専門機関の連携を核とする「産・官・学・民」の防災ネットワーク型組織である。
機構内で地域防災力を向上・強化するための活動を行う、地域防災力センター長の諸橋和行さんはこう語る。
「長岡市は防災活動に熱心なほうの自治体ですが、すべてのきっかけは中越大震災です。地震の後に『この経験を風化させてはいけない。記録し、伝えていかなければ』と、当時の森民夫市長が率先して防災に取り組み始めたように、あの地震がなければ、機構も生まれていません」
機構は「防災人材の育成」を主軸のひとつとしており、2006年に安全大学を開校した。長岡市が共催しているが、長岡市民だけでなく高校生以上のすべての人に開かれた、安全と防災をテーマとする講座が毎年夏に開催されている。
「中越大震災からの復興も大事なテーマとしてありましたが、それよりもむしろ、日常の防災力をどう高めていくか。そのためにはやはり人材が大事なので、市民大学を立ち上げて防災リーダーを育成していこうと。『防災リーダー養成講座』ではなく『安全大学』にしたのは、大学のように、多様なニーズを受け入れるものにしたかったんです。様々な人がそれぞれのモチベーションで関わっていい、リーダーを目指さなくとも、ただ学びたい、知識を増やしたいという人がいてもいい。市の税金だけでなく、国からも助成金をもらって開催していたこともあって、広く声をかけて受講者を募りました」(諸橋さん)
当初は10年間の計画として設立された安全大学。毎回50人の受講生で10年間、合計500人の卒業生を生み出すことが目標だった。
「市町村合併で広くなりましたが、大学設立時の長岡市はもっと小さくて、だいたい500くらいの町内会がありました。各町内会に1人ずつ卒業生がいて、防災リーダーとなれば理想的。そういう計算でした。10年間で目標はほぼ達成したのですが、森前市長としては卒業生が各地で活躍して防災力の底上げに寄与しているという実感があり、長岡市として安全大学を継続していく判断をしたのです」(諸橋さん)
「受講生集めに苦労したこともありましたが、東日本大震災など大きな災害があると市民の関心が高まり、たくさん集まります。当初は13日間、毎週土曜の午後を中心に開催していましたが、その条件で通える人たちは10年間で受講しきったと考え、11年目からは5日間の集中型にして、条件的に難しかった人も受講できるようにカリキュラムを改編しました」(諸橋さん)
「備える」とは「考える」こと
諸橋さん自身も安全大学の第1期生。受講の4年後に現在の仕事に就き、防災チーム統括を任され、地域防災力センターを立ち上げた。安全士であり、防災の知識と技能を有すると日本防災士機構が認証する防災士でもある諸橋さんは、防災をどう捉えているのだろう。
「普段からの備蓄とか、そんな単純なことではなく、もっと深いものだと思います。人はいつか死にますが、死に方は選べませんよね。自然災害による死だけが不幸ではないし、そこに防災はどう折り合いをつけられるのかといつも考えています。子供を車に乗せたときにシートベルトをしていなかったことがあり、ハッと気付いたのですが、そういう気付きこそが防災で、シートベルトと防災訓練は同じことではないかなと。防災力とは、人生をよりよく生き抜くために必要な力だと思います」(諸橋さん)
絶望から立ち上がった主婦が
防災のエキスパートに
安全大学の卒業生で組織される安全士会。その副会長で防災士、地域防災講座インストラクターでもある石黒みち子さんは、諸橋さんの同期で安全大学の第1期生だ。中越大震災で被災した経験を持つ石黒さんは、茫然自失で過ごした日々のことを涙ぐみながら語ってくれた。
「小千谷市でひとり暮らしをしていて、半壊した自宅で地震の後10日以上も着の身着のままでした。コミュニティがしっかりしている地域は助け合いながら乗り切ったようですが、私は普段のお付き合いがあまりない地域で、なにがどうなっているのか情報がまったく入らなくて。4日目にやっと、友人が持ってきてくれた塩むすびを口に入れてハッと我に帰り、水も飲んでいなかったことに気付きました。その間の記憶がなくて、心身ともに壊れていたんですね。これまで築いてきた生活の基盤が一瞬で無くなって、お金もないし若くもない。絶望的だと感じて、信濃川に飛び込もうかと思ったこともあるくらいです」(石黒さん)
辛い日々の中、たまたま通りかかった場所でテレビが目に留まったという石黒さん。「行政の支援にも限界があるので、これからは市民一人ひとりが防災力を高めていくことが大事。そのために安全大学を開校したいと思っています」と語る長岡造形大学の平井邦彦教授(現名誉教授、中越防災安全推進機構顧問)の言葉が心に響き、すぐに大学に問い合わせたという。
「『私はただの主婦ですが、ぜひ参加したいです』と言いました。自分に知識や知恵がないことが問題なのだと、本当に切羽詰まった状態だったんです。そして第1期生として半年間せっせと安全大学に通い、安全士と防災士になり、手話、要約筆記、救急法なども学んで資格を取って。私のあの辛い思いを誰にも経験してほしくない。これを伝えていくことが私の役割だと思っています。家族からは『趣味の域を超えてるよ』なんて笑われるのですが、私自身もまだまだスキルアップしていきたいです」(石黒さん)
女性目線で防災力アップに貢献する
安全士会女性部「シュークリーム」
安全士会はいくつかの部会で構成され、その中に2016年9月に石黒さんが立ち上げた女性部「シュークリーム」がある。
「防災=男社会という雰囲気がありますが、それではダメだと思いました。国からも避難所運営には少なくとも3割以上の女性をと言われていますが、女性同士で語り合うことで被災者が安心できるという利点もありますし、子供やお母さんたち、高齢者への配慮など、女性の視点はとても大事です」(石黒さん)
部員は20代から70代まで20人ほどで、管理栄養士や看護師の資格を持つ人もいる。各地に講師として招かれ、震災や水害について語り、学校や町内会の防災講座で防災グッズや災害食作り、AEDの心肺蘇生法や応急手当を指導するなど、女性の視点を活かし、小さな子供を持つ家族や高齢者の防災力アップに尽力する。「ぜひ来てほしい」という要請が増えているそうだ。
シュークリームの活動の一端に触れるために、長岡市水道町の町内会が開催した災害食講座を見学させてもらった。包丁やまな板を使わず、ハサミで食材を切り、鍋、カセットコンロ、耐熱のポリ袋と少量の水で調理をする「パッククッキング」を、みんなで体験してみようというもの。講師は石黒さんだ。
「助かった命をつなぐには食べることが大事ですが、災害発生後すぐに支援は来ません。そのときどうするか。家にあるものを使って何が作れるだろうと考えて工夫することです。被災して実感しましたが、温かいものがあるとホッとしますよね。それでこの調理法に親しんでもらおうと。離乳食やおかゆ、お年寄りのための柔らかい料理も、カセットコンロの熱源さえあれば簡単に作れます」(石黒さん)
支援物資だけで栄養が偏らないように、温かいものを食べて元気になれるように、パッククッキングには炊事を日常的にこなすお母さんたちならではのアイデアが生きている。
一緒に料理を作ることが
コミュニティづくりにもつながる
参加者は地域の高齢者の会と子供会に所属する人たち。同じ町内会といっても、それぞれ別に活動しているため、この日初めて顔を合わせる人たちも多かったようだ。この講座には、災害発生時にスムーズに助け合いができるように、調理を通して地域の人たちが仲良くなり、コミュニティの絆を深める一助になればという目的もある。
この日のメニューは、焼きそば、スープカレー、ポテトサラダの3品。5〜6人のグループに分かれ、各テーブル1台のカセットコンロで調理する。
料理上手なお母さんたちも、家でお手伝いをしているという子供たちも、ピーラーで皮をむき、ハサミで野菜を切り、ポリ袋に入れるパッククッキングはいつもと勝手が違って、簡単とはいえコツが必要だ。「災害時だけでなく普段から家でやってみて、慣れておいてもらえたらいいですね」と石黒さん。
参加者からはこんな声が聞こえてきた。
「包丁がなくても料理ができるなんて!初めてハサミで野菜を切ったけど楽しかった」
「『じゃがりこ』がおいしいポテトサラダに変身してびっくり!」
「あんまりキレイじゃない水でも、これならお料理ができますね」
「1年ぶりにパッククッキングをやってみたら忘れていることがたくさん。家でもやってみなくては」
生き生きと活躍する石黒さんのような人が町内にいたら、なんと頼もしいことか。だが彼女も、中越大震災のときは悲嘆に暮れていた主婦だったのだ。地域の防災リーダーに頼るのではなく、彼女がそうしてきたように一人ひとりが災害への危機感と防災意識を持ち、地域の人たちと関わり合いながら日々を過ごすことが、防災の根本なのかもしれない。
下記から資料をPDFでダウンロードすることもできる。パッククッキングの詳細も掲載されているので、ぜひご一読を。
災害時の食の備え
https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/324846.pdf
Text: Akiko Matsumaru
Photos: Hirokuni Iketo, Akiko Matsumaru
●Information
地域防災力センター(公益社団法人中越防災安全推進機構)
[住所]長岡市大手通2-6 フェニックス大手イースト2F(長岡震災アーカイブセンター きおくみらい)
[電話]0258-39-5525
[URL]https://www.chiikibousairyoku-center.com中越市民防災安全士会 女性部(シュークリーム)
[住所]長岡市千歳1-3-85(ながおか市民防災センター2F)
[電話]0258-77-3918