長岡に突如現れたフェニックス この絵に秘められた想いとは
2016年の春、長岡の街中に突如現れたフェニックスの壁画を知っていますか。
躍動感と生命力をあふれさせ、長岡の空を雄大に羽ばたくフェニックスが現れたのは、アオーレ長岡裏手の旭町2丁目3-16。柿川通り沿いに建つビルの壁面です。(→Map)
いったいこの壁画はなぜ描かれたのでしょうか。この絵に込められた想いについて、制作者に話を聞きました。
どうしてビルに壁画を描くことになったのか
フェニックス壁画を制作したのは、画家の松本泰典さん(45歳)。大学から東京に出て、精力的に作品制作にあたっていましたが、長岡にある実家の蔵の修繕をきっかけに30歳で長岡へUターン。その後、長岡市本町1丁目にある「Gallery沙蔵」をオープンし、現在はギャラリーに併設する珈琲店「Café茶蔵」のマスターも務めています。
ことの始まりは、4月7日SNSに投稿された小林不動産の「殺風景なので、このビルの壁にだれか絵を描いてくれませんか?」との写真付き募集投稿。これを目にした松本さんは、迷わず手をあげました。
「畳10帖とか、16帖とか、以前からとにかく大きな絵を描いてきました」と話す松本さん。ただサイズがサイズなだけに、保管場所に頭を悩ませていたといいます。
「そんな時に渡りに船で壁画の募集があったんです。壁画だと保管に困らないですし、ありがたい話でした。」
それから話はトントン拍子に進み、出願してから10日ほど経った4月19日には、壁面への筆入れがスタート。
「お店の営業もあるので基本的には、朝5時から10時までの午前中の時間を充てるつもりで描き始めました。でも、コンクリートの表面ってざらざらしていて平らじゃないんです。それで線を描くのに当初見込んでいた倍くらいの時間がかかって。昼過ぎ2時くらいまで続けた日もありました」
そして5月26日、ついに壁画は完成しました。
「PHOENIX朱雀」というタイトルに込めた願い
「もともと干支をテーマに毎年1枚絵を描いているので、来年の構想も少しずつ始めていたんです。酉年だし、長岡だし、なんとなくフェニックスはどうかなと思っていました。そこへ今回の壁画の話が持ち上がったんです」
2004年10月に起きた中越大震災で大きな被害を受けた長岡は、地震からの復興と寄せられた支援に対する感謝のシンボルとしてフェニックスを掲げ、夏の風物詩である長岡まつりでは、「新潟県中越大震災復興祈願花火フェニックス」を打ち上げてきました。そんな長岡の象徴ともいえるフェニックスの絵をモチーフにするのは、松本さんにとってとても自然なことでした。
「それから、オリジナリティと公共性を意識しつつ、フェニックスの具体的な構想を練りはじめました。いろいろ調べる中で、中国の四神という神話世界で天の四方の方角を司る霊獣の中に、フェニックス=鳳凰と同様の姿で描かれる朱雀という南を司る神鳥がいて、火の属性があることを知ったんです。しかも壁画の場所は、街の中心部に位置する長岡城跡の南側。この場所に朱雀を描くことで、街を守る意味を込めたいと思いました」
こうしてフェニックスのイメージに朱雀が重ねられた結果、壁画は「PHOENIX朱雀」と名付けられました。
壁画で地域のつながりを深めたい
朱雀は四神のひとつであることから、今後は舳希芽PROJECTとして、ほかの三神も描いていく予定です。
「実は10月から2作目に着手しています。場所は中之島地域にある中之島美術館で、玄武という北を司り水の属性の神を描かせてもらいます。中之島地域は、2004年7月の豪雨で川が決壊し浸水被害があった地なので、今回もまた強く縁を感じています。もちろん絵を描けば災害に合わないわけではないですが、願いを込めて気合を入れて描かせてもらいます」
さらに今後は、栃尾や寺泊でも東と西のそれぞれの神を描いていきたいと希望を語る松本さん。
「それと、もっと南ということで川口にもう一度、朱雀を描きたいです。中越大震災で被害が大きかった地域もあるし、合併して大きくなった長岡市で、周辺地域とのつながりを深める意味でも実現させたい。そうやっていたるところに絵がある街になったら、きっと面白い。空家バンクならぬ、壁バンクができたらいいですね」
長岡に突如現れたフェニックスには、たくさんの物語と想いが込められていました。柿川通りを通った際は、ぜひ近くで見てみてください。
栃尾や寺泊、川口をはじめ、各地で壁画を描けるところも募集中です。