男同士、言葉のない会話。

今、佐野豆腐店の店先には、佐敏さん綾子さんとともに、息子の亮介さん(34歳)の姿もあります。亮介さんが「店を継ぎたい」と東京から帰ってきたのは数年前のこと。初めの頃は張り切ってメモをとっていたけれど、一通りの流れを覚えてコツをつかんでからは、佐敏さんにまったく質問しなくなりました。佐敏さんも、あえて口出しをしない。「男同士ってあまり会話しないんですよ。うちのおじいちゃんとお父さんがそうだったように」そう語るのは妻の綾子さん(64歳)。納得のいくものができるまで、あぶらげをつくっては自分で食べ、つくっては食べを繰り返す。三代目も、二代目がそうだったように、自分なりのコツをつかみかけているところ「私が何か横から言ったら、   迷ってしまうかもしれない。だからぐっとこらえて、何も言わないでいます」と佐敏さん。「きっと、親が思っている以上に、せがれもいっぱしの豆腐屋になったんでしょう」。

1日につくるあぶらげは、平均600~700枚。次から次へとひっきりなしに注文が来る。

1日につくるあぶらげは、平均600~700枚。次から次へとひっきりなしに注文が来る。

「おいしくない」という愛情。

三代目が店に立つようになり、最近では、自分が店でにがりを打つ回数が減った佐敏さん。店が終わったあとに桶に水をはり、にがりを打つ感覚を失わないための練習も欠かせません。「味が落ちるのがこわいんです」それほどあぶらげづくりは繊細。季節によって豆の状態も違えば、水温も違う。当然、にがりの打ち方にも、日々わずかな差が生まれます。人の手仕事によってつくられているからこそ、まったく同じものをつくるのは難しい。「それが手作りの味わいだと思うんです。でも、味は落としちゃだめ。もし、おいしくないものができてしまったら、はっきりおいしくないって言いますから」と綾子さん。「私、かなり口うるさいと思いますよ」その言葉の裏には、深い愛情が込められています。綾子さんもまた、佐野豆腐店の味を守る一人です。

三代目の息子に、母から一言。店を継ぐ前に「まずは幸せな家庭を築き上げてほしいです

三代目の息子に、母から一言。店を継ぐ前に「まずは幸せな家庭を築き上げてほしいです。

大切に受け継ぐべきもの。

「追い越そうとは思ってないんです。少しでも親父に近づきたいと思っているだけで」三代目、亮介さんがめざしているのは、二代目の味。「手をまわす回数ごとに豆乳の色が少しずつ変わっていくんです。そのタイミングが狂うのが怖いから、話しかけられたくないし、一言も発したくない」二代目同様、にがりを打つ工程に全神経を集中させています。

継ぐことにプレッシャーがないといったら嘘になる。「親父の味には、まだ届きません」

継ぐことにプレッシャーがないといったら嘘になる。「親父の味には、まだ届きません」

受け継ぎたいのは、店の素朴さ。「このままでいい、というと語弊があるかもしれないけれど、店を大きくしようとはまったく思わない。僕ができるのは、この素朴なままを守り続けることだと思います」佐野豆腐店には、ご近所から買いに来るお客様だけでなく、日本全国にファンがいます。北海道から沖縄まで、20年来、30年来のお付き合いの方もいます。これからもお客様に愛される店であり続けたい。「三代目になっても変わらない味でお客様に愛される様に」。二代目佐敏さんの志は、三代目亮介さんにしっかり受け継がれています。

群馬のお客様が毎年贈ってくれる高崎だるまの「招き猫」が、店内には何体も並ぶ。

群馬のお客様が毎年贈ってくれる高崎だるまの「招き猫」が、店内には何体も並ぶ。

 

佐野豆腐店の志

 

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「三代目になっても変わらない味でお客様に愛されるように」

商売をやっている人はみんなそうだと思うんですが、一度来たお客様にまた来てもらえることがいちばん嬉しいんです。それが何よりおいしかった証拠ですから。うちの店には、ありがたいことに何十年来のお客様もいます。また食べたいと思ってもらえるように、これからも味を守りながら、地道に真面目に続けていくつもりです。息子の代になっても今と変わらずにお客様に愛されるお店でありたいと思っています。

(佐野豆腐店 店主 佐野佐敏)

※この記事は2015年3月に作成されました。

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