聞こえる人も、聞こえない人も、居心地よく。サードプレイスを体現するサイニングカフェ「NOBI by SUZUKI COFFEE」
2024.5.14
“誰もが自分らしく生きられる社会”といった言葉は、ちょっと意地悪に言えば流行といっても過言ではないほど、あらゆる自治体が謳っています。新潟県長岡市も例にもれず、2017年2月に「『地球広場』多文化共生ビジョン」(※国籍・文化の違いを尊重し合い、外国人市民との共生に取り組むための指針)を打ち出し、2024年2月には「パートナーシップ・ファミリーシップ制度」(※性自認・性的指向により婚姻の届出ができない人、パートナーシップ関係にある人の親族を対象に、届出を受け付けてパートナーやファミリーであることを市が証明する)を開始するなど、一人ひとりがありのままに生きられる地域づくりに取り組んできました。しかし、いくら行政がせっせと音頭を取ったところで、そこに共鳴して協力関係を築ける民間事業者や支援者がいなければ、そう容易ではないという現実もあります。行政は、あくまで行政。それぞれの生きやすさが阻害されない環境づくりを促すことはできても、実際にその中身をつくっていく民間の力なくしては、かけ声倒れに終わってしまいます。
2024年5月15日、長岡市三和に「サイニングカフェ」と銘打つ「NOBI by SUZUKI COFFEE」がオープンします。「サイニング」は手話や指さしを意味する言葉で、店を切り盛りする倉又司(くらまた・つかさ)さんは聴覚障害がある、新潟県立長岡聾学校の卒業生。どのような経緯でこのお店が誕生することになったのか、倉又さんにお話を伺いました。
長岡聾学校中学部で手話に出会い
寄宿舎のお風呂で日々猛特訓!
かつて長岡市役所本庁舎だった「さいわいプラザ」と、隣接する長岡市立劇場から南へ徒歩1分。信濃川のほど近くに、新潟市に拠点を置く株式会社鈴木コーヒーの長岡支店があります。そこに併設されているのが、「NOBI by SUZUKI COFFEE」です。
NOBI店長の倉又司さんは、もともとコーヒー好きでカフェが大好き。自分のカフェをオープンする日を夢見て、数年前から新潟県内各地のイベントに出店し、コーヒーを販売する「のびのびカフェ」を展開してきました。聞こえる・聞こえないに関係なく、誰でものびのび過ごせる“サードプレイス”(※自宅と職場以外に自分の居場所といえる「第三の場所」)をつくることが活動のコンセプトです。
倉又さんの出身は新潟県の最西端、富山県に隣接する糸魚川市。生まれつき耳が聞こえない聴覚障害があり、長岡聾学校で学んだことで長岡市と縁ができました。
「小学校は地元の糸魚川でした。当時は口話(※口の形や動きで言葉を伝え、読み取る方法)教育が盛んで、学校の中に口話の訓練をする『きこえの教室』があり、そこで学んでいたのですが、自分の声が聞こえないのでなかなか成果が得られず、5年生くらいで『もう無理!』と、苦しくなってしまいました。両親が『長岡に聾学校があるけど、どうする?行ってみる?』と聞いてくれて、小学校卒業後に長岡聾学校の中学部に通うことになりました」
糸魚川から長岡までの距離は、約120キロ。通学するには遠いため、聾学校の寄宿舎に入りました。中学生から本格的に手話を学び始めた倉又さんにとって、この寄宿舎での生活が大きな学びの場だったそうです。
「月曜の朝に糸魚川から長岡に来て1週間を過ごし、土曜に帰省するのですが、日曜は野球部の部活があったので、実家で過ごす時間はごくわずか。忙しい日々でしたけど、当時は私も若くて体力がありましたね(笑)。寄宿舎では先輩・後輩と一緒の生活で、食事もお風呂もずっと一緒。最初は手話がわからず別世界に来たような感覚でしたが、先輩から『手話は必要だよ。指の動きはこうするんだよ』などと、お風呂で習いました。すっぽんぽんの状態で(笑)。まず指文字から教えてもらって『よしよし合格。上がっていいよ〜』なんて言われていました。お風呂=先輩の指導の時間という感じで、そのときは本当に嫌でしたが、それがあって手話を身につけることができました。とっても優しい先輩のおかげです(笑)」
「そのころは『口話が優先だ』という人もいれば、『手話が必要だ』という人もいて。いろいろな考え方がありましたが、私は手話のほうが通じやすかったんです。手話でコミュニケーションを磨くというか、コミュニケーションすることで手話も磨かれるというか。聾学校の中学部・高等部はとても楽しい日々で、特に寄宿舎が最高に楽しかった。もし寄宿舎に入っていなかったら、まったく違う人生になっていたと思います。いい仲間がたくさんできました」
メーカー勤務と公務員、各8年を経て
「サードプレイスづくり」の夢を抱く
高等部専攻科で学んだ後、小千谷市の半導体メーカーに就職した倉又さん。そこで8年間働く中で、ある思いが頭をよぎるようになりました。
「周りは聞こえる人がほとんどで、コミュニケーションの問題もあって、仕事が難しいなと感じ始めて。そういった私自身のいろいろな経験を、聞こえない子どもたちに教えてあげたいと思うようになりました。子どもたちが社会参加できるように、少しでも生活しやすいようにサポートしたい。それでメーカーを辞め、長岡聾学校の寄宿舎指導員の試験に合格したので転職しました」
思い出深い寄宿舎の指導員として、再び長岡聾学校にやってきた倉又さん。子どもたちと向き合う生活が始まりました。
「小学部から高等部までの子どもたちが暮らす寄宿舎は、ただ寝泊まりするだけでなく、自立の力をつける学びの場でもあります。指導員は生活を共にしながら、食事のマナーとか、いろいろ指導しますが、いちばん大切なのは『生活力』。私自身の経験ですが、以前ある会社にアルバイトを申し込んで、聞こえないことを伝えたら断られたことがあります。障害者の採用枠があっても、『申し訳ないけど、聞こえない人は電話ができないから難しい』と。新潟では聞こえない人が働ける場所は限られていて、都会のほうが採用してくれる会社も多く、障害への理解もあると感じます。それもあって、県外に出る人が多いので、子どもたちが都会で一人暮らしできるように生活力を磨くサポートをするのが指導員の仕事です。あとは楽しく一緒に遊んだり、ゲームをしたり。親元を離れて暮らす子どもたちがリラックスして過ごせるように」
倉又さんにとって、指導員はやりがいのある仕事でした。しかし、やがて少しずつ限界を感じるようになります。
「指導員は公務員なので、仕事としてできる範囲が狭いなと感じるようになってきて。子どもたちにしてあげたいことは本当に幅広いけれど、組織で働く公務員としては限界がある。それなら自分でやりたいことをやったほうがいいし、そのほうが自分に向いているのではないかと思いました。その延長線上で、みんながゆったり集まっておしゃべりをして、『手話がわからなくても、筆談でも身振りでもいいよ』といったコミュニケーションができるサードプレイスをつくりたいと考えるようになったんです」
倉又さんは、外に出て新しい経験をするのが大好きな行動派。自転車仲間とロードバイクで走ったり、オートバイで北海道までツーリングに行ったり、サップ(SUP=スタンドアップパドルボード ※板の上に立ち、パドルを漕いで水上を進むスポーツ)に挑戦したり……。サードプレイスの構想は、そうした中で人と出会っていくことによってはっきりと像を結んできたのだとか。
「5、6年前から友人と一緒にバイクでいろいろな場所を回るようになりました。どこに行ってもカフェやバーがあって。酔っぱらったおじさん同士、お酒を『どうぞどうぞ』と言い合いながら、初対面でもすぐに仲良くなれます。聞こえても聞こえなくても、みんな同じ人間ですからね。そんな雰囲気のところがたくさんあって、とても楽しくて。長岡にもあったらいいなと思いました」
誰にも気兼ねなく、みんなが心地よく過ごせる居場所がほしい。自分にとって理想の場所がまだないなら、自分でつくればいい。そんな思いが次第にふくらみ、夢を実現するために倉又さんは動き始めました。
「そのころ、職場の人間関係に疲れていて、精神的にまいっていたんです。『仕事から離れて好きなことをしたほうがいいですよ』という医師の勧めもあって休職しました。ずっと家にいても仕方ないので、新潟県起業支援センターが運営する『CLIP長岡』でセミナーを受講し、CLIPのみなさんと手話通訳者さんのおかげで起業について学ぶことができました」
倉又さんにとって、2023年はチャレンジの年になりました。NPO法人市民協働ネットワーク長岡による「夢の種プロジェクト2022」にエントリーした企画「手話で注文してみよう!サイレントバー」が最終選考にノミネート。1月開催の「夢の種のも〜れ!」でプレゼンしたところ、聴講者の投票の結果、金賞を受賞したのです。会場には聞こえる人も聞こえない人もたくさん集まり、手話通訳者もいて、良い出会いに恵まれました。
4月には市内を流れる柿川のほとりで行われるマーケットイベント「かきがわひらき」に参加。聾者の友人たちや手話通訳者と共に「手話ワークショップ」を開催し、聴覚障害と手話に関する「ミニ講座」と手話によるおしゃべり「手話べり」を行いました。「夢の種プロジェクト」で金賞を獲得した企画も、4月にウェスタンバー「Forty-Niners」で「手話BAR」として実施という形で身を結びました。
「ワークショップでは、子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで、たくさんの人に会えて楽しかったです。2022年の秋から冬に放送されたドラマ『silent』がヒットして、手話に関心が集まっているタイミングでもあり、手話とはなにかということを伝えることができました。Forty-Ninersは昔からよく行くバーなのですが、聞こえない人も聞こえる人も、手話でも筆談でもいいので、ゆっくりと交流していただきたいと思って開催しました。でも、来てくれたのが友人知人ばかりで、自分の中では40点くらいだったかな……。店長に『知り合いばっかりじゃ普通の飲み会だよね。目的が違うでしょ』と言われてしまいました」
文字にしてしまうと厳しい言葉にも見えますが、Forty-Ninersは倉又さん行きつけのお店で、店長とも気心が知れた仲であるがゆえに、お店という場にとって、そして倉又さんのような人にとって、何が必要かをわかった上でのコメントなのです。
「どこかで飲んだ後に立ち寄る“締め”のお店なんです。スタッフが手話を覚えてくれていて、『久しぶり〜。元気?なに飲む?』といつも手話で温かく迎えてくれて、帰るときも『ありがとう』って手話で。私たちのことをよく理解してくれている。そんな魅力的なお店でぜひイベントをしたいと思ったんです。次回は知り合い以外の人たちも来てくれるように、呼びかけ方法を変えて『手話BAR』をまたやりたいと思っています」
イベント出店からいよいよ実店舗の開業へ
「鈴木コーヒー」との出会いで開いた夢の扉
倉又さんは指導員の仕事を辞め、本格的に開業準備をスタートしました。「のびのびカフェ」で各地を巡りながら、コーヒーについて学ぶ日々。カフェ活動を通じてたくさんの人たちに出会い、聴覚障害や手話のことをもっとたくさんの人に知ってほしいという思いが募りました。
「カフェを開業しようと決めて『のびのびカフェ』を始めたものの、飲食業の経験がないので、開業してもすぐに潰れてしまうかも……という心配もありました。私ひとりじゃ無理だろうからプロに指導してもらおうと思ってインターネットで調べたところ、以前から長岡聾学校が鈴木コーヒーと交流があり、コーヒーの淹れ方や接客を学ぶ職場体験をさせてもらっていることを知りました」
新潟市に本社を構える株式会社鈴木コーヒーは1963年創業。新潟県内の方は「雪室珈琲」というブランドでご存知のことも多いでしょう。60年以上にわたりコーヒー豆の加工販売を軸に地域のコーヒー文化を創出し、地球環境や社会課題にもひたむきに取り組む企業です。そんな鈴木コーヒーとの出会いが、倉又さんを動かす大きな力となりました。
[参考サイト]
SUZUKI COFFEE
「鈴木コーヒーが2023年7月に新潟市内で『DONBASS COFFEE ROASTERS』という、焙煎工場を備えたカフェを社会福祉法人との協業でオープンするというニュースを見て、この会社なら障害者支援に理解があり、開業のノウハウを教えてくれるのではと思いました。ウェブサイトを見てみたら『カフェ開業コース』というのがあって、これだ!と」
[参考サイト]
DONBASS COFFEE ROASTERS
倉又さんがさっそくメールで鈴木コーヒーに連絡したところ、すぐに「お会いしましょう」という返事が届きました。そして本社に出向いた倉又さんは、社長の佐藤俊輔さんに会うことができたそうです。
「ピンクのセーターを着てメガネをかけた佐藤さんは、とても気さくな雰囲気の方だなと思いました。『こんなカフェを開きたいんです。ご支援いただけませんか?』と私のプランを話したら、すぐに『いいですね、やりましょう!』と握手してくださって。開業のノウハウをいろいろ教えてくださるのかなと思っていたら、とんとん拍子に話が進み、長岡支社の中にカフェをつくっていただけることになりました。車で10分弱の場所に直営店の『CRAFTSMAN by SUZUKI COFFEE』があり、そこでコーヒーのことやカフェ運営のことを学んでいます。こんなに支援していただけるとは想像していなかったので、なんだか不思議な気持ちですが、本当にありがたいことです」
倉又さんの熱いサードプレイス構想に深く共鳴し、力強くバックアップしてくれた鈴木コーヒー。この上なく頼もしいパートナーを得て倉又さんの挑戦は次のステージへ進んだばかり。それが、この「NOBI by SUZUKI COFFEE」です。
「これまでの職場にはそれぞれ8年ずつ勤務したので、カフェもまずは8年間がんばりたいです。8年限定、というわけじゃないですけど(笑)」
2児の父として、ひとりの大人として
まちの未来の景色をつくっていく
理想の場づくりに向けて走り続ける倉又さんは、小学生と幼児の2児の父でもあります。ご自身の子どもたちが生きていく、このまちの未来についてはどんなイメージを持っているでしょう。
「あの人はあの人、私は私。いろいろな人がいます。それぞれの違いを認め合える社会であれば、少しずつ発展していけるかなと。発展していく中で必ず差が出てきます。あの人はうまいのに私はあんまりうまくないとか、自分を他人と比べることなく、自分は自分。なんでも好きなことにチャレンジできて、そのチャレンジをサポートしてもらえる。そんなまちになるといいですね。私もたくさんの人に支援していただいて、それがNOBIにつながっています。いろいろな人がいて、人と人とのつながりが増えていくと、長岡はもっと面白くなるんじゃないかなと思います」
「子どもたちにも聴覚障害があり、息子は一般の小学校、娘は長岡聾学校幼稚部に通っています。息子に一般の小学校と聾学校の両方を示して『どっちがいい?』と選ばせたら、『ちょっと心配だけど、地元の小学校に行ってみたい』とのことで。年度の初めに必ず担任の先生に会って、聞こえないというのはどういうことか説明し、『うちの子だけ特別扱いしないでください。みんなと同じように接していただき、人物そのものを見て評価してください。もし聞こえにくいことで問題があれば、先生のお力でよろしくお願いします』と伝えています。高学年になり、年ごろなので難しいこともありますが、そういうときには寄り添って励まして、一緒に遊びに行って。そんな息子ですが、成績が学年の上位のほうに入っているんですよ。なぜ勉強ができるのか、私にもわかりません(笑)」
手話は家族にとって大切なコミュニケーションツール。うまく通じなくて、ちょっとした親子喧嘩になることもたまにはあるそうですが、なくてはならないものです。
「生まれたばかりの妹にも聴覚障害があると知った息子が『僕も手話を覚える』と言い出して。いまやすっかりマスターしていて、娘の手話が速すぎて私に理解できないときも、なぜか息子は理解しているんです。NOBIは水曜定休ですが、学校と幼稚部の行事のときはお休みをいただくこともあります。子どもたちとの時間も大切ですから。不定休なので、Instagramの投稿をチェックしてお越しくださいね」
「イベントもまた開催したいですが、いろいろやりすぎると大変なので、まずは店の経営をきちんとやって、慣れてから考えていこうかなと思っています。ここには個性的な人たちがたくさん来るでしょう。馬を飼っている友人が馬に乗ってやってくるかもしれません。彼は『駐車場に馬小屋が必要だ』と言ってました(笑)。もし店が開いているのに私がいない場合はたぶんトイレにいますから、ちょっと待っててくださいね。1人でやっていると、そんなこともあるでしょうから。緊張しないで気軽にお入りください」
最後に、動画でメッセージをいただきました。手話で生き生きとおしゃべりする倉又さんをご覧ください。
手話のメッセージ:
「NOBIがもうすぐオープンです。ここは手話にこだわらず、聞こえる聞こえない関係なく、誰でものんびりコーヒーを楽しめる場所です。ぜひ遊びに来てください。近くには信濃川が流れていて、コーヒーを飲んだ後、外に出てゆったりと川を見ながら心を落ち着けることもできると思いますので、ぜひお越しくださいね。よろしくお願いします」
NOBIのInstagramでも動画を活用して随時発信しているので、ぜひチェックしてみてください。
勇気を出して自らアクションを起こし、たくさんの人たちと関係を築いて、まちにサードプレイスを開く倉又さん。みんなが心地よさを感じる温かな居場所には、さまざまな個性と特性を持つ人たちが集い、まちをポジティブな方向に変えるエネルギーを創出する拠点となりそうです。
倉又さんに会ってみたい。倉又さんのコーヒーを飲んでみたい。倉又さんの挑戦を応援したい。手話を学んでみたい。そんな人たちが訪れて聞こえる世界と聞こえない世界が混ざり合い、NOBIが賑わうことで景色が変わり、爽やかな風がまちを吹き抜けることでしょう。
長岡聾学校の取材に続き、今回も長岡市福祉課の紹介で同行してくれた手話通訳者を介して倉又さんと会話をすることができました。手話通訳が必要な人は下記を参照して申し込みを。
[参考サイト]
長岡市:意思疎通支援者(手話通訳・要約筆記) の派遣
https://www.city.nagaoka.niigata.jp/fukushi/cate03/sintai/shuwa.html
Text: 松丸亜希子 / Photo: 池戸煕邦
NOBI by SUZUKI COFFEE
住 所
新潟県長岡市三和3-8-21
電話番号
0258-33-2551(鈴木コーヒー長岡支店)
営業時間
10:00〜18:00(17:30LO)
※水曜定休、不定休あり。2024年5月いっぱいは11:00開店、5/18(土)はメンテナンスのため臨時休業
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