褌一丁の男衆が神社になだれ込む!上杉謙信旗揚げの地・栃尾の裸押合大祭
新潟県長岡市栃尾(旧・栃尾市)。この土地は戦国大名・上杉謙信が青年期を過ごし、はじめて城主をつとめたことから「謙信公旗揚げの地」としても知られています。
毎年2月の厳冬期。肌を刺すような寒さの中、凄まじい熱気を帯びた祭りが開催されます。その名も「栃尾裸押合大祭」。
褌(ふんどし)一丁とハチマキ、草履のみを身につけた男たちが一目散に神社へと突入し、激しく押し合う大迫力の祭です。
真冬の静かな神社を、熱狂が包み込む。
その一部始終を追いました。
名将・上杉謙信ゆかりの祭
毎年2月の第2土曜日。厳冬期の真っ只中。栃尾裸押合大祭が開催されるのは、栃堀地区にある「巣守神社(すもりじんじゃ)」です。
境内に掲げられた提灯には「毘」の文字。これは、上杉謙信が篤く信仰した毘沙門天に由来するもので、上杉軍の軍旗にもあしらわれた重要なモチーフでもあります。
有名な「川中島の戦い」など、その戦いぶりから軍神とも呼ばれた一方、宿戦国屈指の名将、上杉謙信。
栃尾をはじめ、新潟県内各地では、今もなお尊崇の念を込めて「謙信公」と呼ばれ、親しまれています。
栃尾裸押合大祭は、もともとはこの謙信が戦勝祈願と国内安定を祈願し、毘沙門天を祀ったことに由来すると伝えられています。
ちなみに、「<新潟の>裸押し合い」と言われると、どこかで聞いたことがある……というハードコアな祭り好きの方もいるかもしれません。
同じ新潟県の浦佐で行われる日本三大奇祭のひとつ「越後浦佐裸押合大祭」とは、言わば「双子関係」にある、長い歴史をもつ祭りなのです。
階段を上った先にあるのが「押合堂」。その名が示す通り、このお堂に男衆が突入していくのです。
この日はロープがしっかりと張られ、地元の消防団の方々が周囲を固めます。
押合堂前の一帯は、毎年人気の観戦(?)スポット。開始の30分前ともなると、多くのお客さんで賑わい出していました。
午後7:00。いよいよ開始!
しばらくすると、遠くで掛け声が上がりました。その声は、次第に近づいてきます。
一番乗りの男性が駆け上がってきました!手には、人間の上半身くらいはあろうかという巨大なを抱えています。
ロウソク立ても、本体の大きさに比例して巨大!なかなかの重さ。険しい顔をして、押合堂へ突入していきます。
なぜこのような巨大なロウソクを抱えるのか。上杉謙信公が奉納を行った際に用いられたものを忠実に再現したから、という説や、元は普通のサイズのロウソクを使っていたが、いつしか巨大化していた…などの説があるようで、栃尾観光協会、栃堀区の住民の方、祭り関係者にお話を聞いて回ったり、浦佐の裸押し合い大祭の言及がある「北越雪譜」の原文にもあたってみましたが、正確な由来はついぞわからず。その起源は長い歴史の中で失われてしまったようです。
数分も経てば、お堂の中は男たちでパンパンに!散発的な掛け声がひとつになり、お堂内部は異様な熱気につつまれていきます。
男たちが集合した押合堂内は、はやくも湯気が立ち込め、瞬く間にムワッと熱が充満します。
彼らが繰り返す掛け声は、「サンヨ!サンヨ!オッセ!オッセ!」というもの。昔から変わらず続く掛け声です。
リズミカルな掛け声は聞いているだけでも不思議な心地よさがあり、参加はせずとも観衆の一人として観ているだけで高揚感に包まれます。
午後7:30。熱すぎる大合唱。
オッセヤーイ!
ところで、「オッセ!」というのは、押せ!押し合え、というような意味。これは、なんとなく分かります。
では、「サンヨ!という聞き馴染みの無い掛け声は、一体何なのでしょうか。
サンヨとは漢字であらわすと、「撒与」と書きます。直訳すると「撒いて与えてください!」というもの。
押合堂の上から撒かれる「福札」を奪い合うのです。
しばらくすると、押合堂の上部にある欄間から、ひょっこりと男性があらわれました。巣守神社の神職の方、地元や近隣の商工会会長などが白装束をまとい、男衆めがけて福札をバラ撒くのです。
彼らが現れると、堂内の男たちから湧き上がる「サンヨ!」の掛け声が一層大きくなります。
「オッセ!オッセ!オッセヤーイ!オッセヤーイ!」と、押し合う際の掛け声の内容が微妙に変化しました。すると、男たちは一層、押し合いを強めます。
この福札、運良くゲットすると福が到来すると言われるありがたいお札なのですが、豪華景品を貰える券でもあるのです。
激しく札を奪い合う男たち。その眼差しは、真剣そのものです。
開始から1時間あまり経過すると、押合堂に入っただけでカメラのレンズは曇るほどに。外の気温は、手元の温度計でマイナス1度。堂内は外の極寒が嘘のような、まるでサウナ状態でした。
午後8:00 火照った体を
冷やすために向かう先は…
すると、数名からなる一団が堂を飛び出し、階段を駆け降りていきます。向かう先は、階段の下にある手水場です。
押合堂から駆け出した勢いそのままに、手水場の水に次々に飛び込んでいくではありませんか!
沿道の観衆からは、悲鳴にも似た歓声が上がります。
大の男たちによる、全身を使った豪快なダイブ。近くにいた観衆は、頭から水を被るほど。
一目散に飛び込む人もいれば、躊躇しながら恐る恐る入る人、何かを唱えながら飛び込む人など、様々です。
男たちが飛び込んでいるのは、大きな岩をくりぬいて作られた巨大な石の桶。ここには、湧き水が満たしてあります。
激しい押合いと水へのダイブをなんと1時間半、ひたすら繰り返すのです。
関係者によれば、正確な由来は分からないものの「あまりにも身体が熱くなってしまうので、自然発生的に男たちがたまらず飛び込むようになったのではないか」とのこと。もちろん、神聖な儀礼として行われ始めた可能性もあるようです。
階段を駆け下りる男たちからは、よく見ると湯気が立ち上がっています。観ているこちらが分かりえないほど熱いはずです。
午後9:00 一体感とともに
迎えるラスト
壮絶な押し合いと冷水への飛び込みを繰り返す男たち。気がつけば午後9時を過ぎていました。この頃になると、異様な一体感が生まれていきます。
「ありがとう!」とどこからともなく声が上がり、そこここで抱き合う裸の男たち。
「男たちが押し合い、札を奪い合うお祭り」
そう聞くと、雄々しい光景ばかりイメージしてしまうもの。しかし、最後には、まるでスポーツの試合が終わったかのような、不思議な爽やかさが会場に漂っていました。
2018年の参加者は、実に100名以上。新潟県内外から大勢の男たちが駆けつけました。
参加者の男性たちに話を伺うと、参加者の出身地は「縁起の良いお祭りだと思って」「インパクトがすごいですよね。一度観て、すっかりやられちゃって(笑)」「来年は絶対参加するぞ!と思っていた」「インターネットでたまたま知って、調べるうちにどんどん気になってしまった」など、参加動機は様々。
中には、10年連続で北海道から参加しているという猛者もいたから驚き。すっかりクセになってしまう人も多いようです。
人口減とどう向き合うか……
「地元の祭り」のゆくえ
取材をする中で印象的だったのは、栃堀地区以外からの参加者が多かったこと。外国人の参加者も数名いました。
近年は、少子高齢化の影響を受け、地元・栃堀からの参加者は減少傾向にあります。地元からの参加者は、毎年20名程度なのだとか。
人員の確保が難しい中、交通整理は毎年、地元青年団の方がつとめるなど、運営は地元の若手が中心となって行なっています。
余裕があれば、途中から押合いに参加する方もいますが、多くの方にとっては、全体を通して参加することは難しくなってきているのだとか。
交通整理に当たっていた地元の男性にお話を伺うと、「参加したいという地元の人間は多いですよね。でも、こればかりは仕方がない。地域外から来てくれた方が楽しんで帰ってくれれば、と思っています」とのこと。
「地元の力だけでは運営が難しくなりつつあるため、同じく裸押合大祭を開催する浦佐から応援に出てもらったり、そのお礼に、こちらから応援を送ったり。相互に助け合っています」
こう話すのは、栃堀地区区長の武士俣幸村さん。
「人口が減っていることは事実ですが、これだけ伝統ある祭なので、大切に受け継いでいきたいと思っています。栃堀をはじめ、栃尾は謙信公ゆかりの地としての意識も高い。細かい部分は変わっていくかもしれませんが、できる限りのことをしていきたいと思っています」(武士俣さん)
栃尾裸押合大祭は、地域で大切に受け継がれてきた伝統的なお祭りであるのはもちろん、外からの参加者、協力者を広く受け入れるオープンなお祭りでもありました。
我こそは、という男性は、ぜひ一度、チャレンジしてみてはいかがでしょうか。
Photos:Yuko Iida,Junpei Takeya
Text : Junpei Takeya