市民が集う拠点「アオーレ長岡」10周年! 縁の下で支えてきた裏方さんに密着【前編】

新潟県長岡市のシティホールプラザ「アオーレ長岡」がオープン10周年を迎えました。市民に「アオーレ」として親しまれているこの場所は、5000人収容可能なアリーナ、屋根付きの広場、4つの市民交流ホール、市役所や議場などが一体となった複合施設として2012年4月1日にオープン以降、様々な催しで華々しく賑わうと同時に、市民が何気なく集い語らう生活の場としても定着してきました。この10年の歳月を支えてきたのがアオーレの“裏方さん”、つまり施設の管理運営に携わるスタッフのみなさん。この場所を縁の下でしっかりと支え、訪れる人たちの笑顔を見守り続けてきた“裏方さん”は、どのような思いでこの節目を迎えたでしょうか。
前後編の2部構成で、それぞれのストーリーをお伝えします。前編に登場するのはアオーレの運営リーダー、ソフト面を担うNPO法人ながおか未来創造ネットワーク事務局長の木口信雄さん。後編では、清掃、設備や警備を担うみなさんをご紹介します。

 

楽しい記憶を受け継ぐ場所で始まった
手探りと試行錯誤を重ねる日々

JR長岡駅大手口とペデストリアンデッキ「大手スカイデッキ」で直結というロケーションにあり、すっかり「長岡の顔」となったアオーレ長岡。木材とガラスの市松模様が目を引くユニークな設計は建築家の隈研吾さんが手がけ、この建物を見るために長岡を訪れる建築ファンもいるほど。

長岡駅前の大手通りから望むアオーレ長岡。ここは、プロレスやコンサートなどのイベント会場や市民活動の場として、50年にわたり親しまれた長岡市厚生会館の跡地という、市民の記憶と愛着が残る場所です。

名称の公募で小学生の案が採用された「アオーレ」は「会おうれ」、つまり地元の言葉で「会いましょう」という意味。その言葉どおり、中央にある屋根付き広場「ナカドマ」や奥の「アリーナ」を中心に様々なイベントが開催され、子どもから大人まで、たくさんの人々が行き交う拠点となりました。イベントがない日も、待ち合わせをしたり、テーブルで勉強をしたり、市役所で用を済ませてお茶を飲んだり、ベンチでのんびりくつろいだり……。思い思いの時間を過ごす場所として市民に愛されています。

右手のエスカレーターで3階へ上がり、NPO法人ながおか未来創造ネットワークのオフィスへ。事務局長の木口信雄さんにお話を伺いました。

NPO法人ながおか未来創造ネットワーク事務局長の木口信雄さんは、オープン時から施設管理とイベント運営を牽引してきました。着用している「青ジャンパー」は、アオーレのソフト面を担う人たちのユニフォーム。

木口さんはかつて体育館などを管理運営する財団法人長岡市企業公社に所属し、アオーレの前にこの場所にあった長岡市厚生会館を担当していました。市民の楽しい思い出が詰まった厚生会館でしたが、老朽化のため惜しまれつつ2009年に閉館。解体・撤去され、その跡地に3年後に誕生したのがアオーレです。

「オープンに向け、2011年末に現在のNPOの前身である任意団体『市民交流ネットワーク・アオーレ』が立ち上がり、その運営リーダーに任命されました。市民からイベント企画を公募し、使う人たちの気持ちに寄り添って企画の実現を支援する。その運営が私たちの仕事です」と木口さん。

施設運営の現場でキャリアを積んできた木口さんですが、アオーレのオープンに際しては数々の苦労があったようです。

「オープン直前の3月中旬にここにやってきて、初めて見る備品の使い方がわからなくて困りました。オープニングイベントでアリーナにステージを組もうということになったのですが、誰も使ったことがないから設営の音頭をとる人間がいなかった。『おめーたちがわからないで、どうするがいやー』なんて言われてしまって(笑)。頭を抱えながら、ああでもない、こうでもないと試行錯誤して『わかった!みんな、こうやるんだよー』と、やっと発見した方法を共有して、どうにか作り上げたんです。ところが、あるときステージのメンテナンス業者さんが来て、『それ、やり方が違いますよ』って。本当にドタバタのスタートで、とにかく大変だったからなのか、あまり記憶がないくらいです」

アオーレには現在、10周年を伝えるポスターやパネルが随所にあり、祝賀ムードが漂っています。

 

長岡市の「使いこなしてほしい」方針と
市民の「やってみたい」熱意に応えたい

木口さんたちの奮闘の甲斐があり、オープン当日の落成イベントも、最初の週末に開催された「アオーレ誕生祭」も大成功。楽しいステージショー、ご当地グルメの飲食ブースやフリーマーケット、市内でロケが行われた映画『この空の花 -長岡花火物語』の大林宣彦監督とキャストが登壇するイベントなどを盛り込んだ「誕生祭」には、2日間で8万8000人も来場したそうです。
このオープニングイベントも含め当初は行政主導でしたが、長岡市は「アオーレは市役所直営でなく、市民の力で運営したい」という方針を定めていました。

「市民のみなさんの気持ちに火を点けようと、いくつかイベントを開催してみたところ、『これならやれそう』『私もやってみたい』と、市民発の企画が次々に集まってきました。当初は行政主導の事業が7、8割でしたが、次第に市民主導のイベントが増え、そんなに時間がかからず逆転しました。当時の森民夫市長の『アオーレを市民に使いこなしてもらいたい』という願いが、早い段階で実現されたんです」

2012年4月1日に行われた落成イベント「オープンを祝う市民のつどい」の式典。建築家・隈研吾さんによる施設紹介、市長室や議場などを一般開放した施設見学会、甘酒の振る舞い、和太鼓・お囃子の披露などが行われ、この日は約3万人が集いました。

「アオーレでこんなことをやりたい」という市民の要望に応えるべく、難しそうな企画であっても「どうしたら実現できるか」と知恵を絞り、木口さんとスタッフは奔走してきました。

「企画が持ち込まれたとき、NGとか禁止といった言葉を極力使わないようにしようというのが基本的なスタンスです。これはちょっと難しそうだなと思っても、100をゼロにはしないよう、やりたいことを少しでも叶えてあげられるよう、やれる方法を一緒に考えていくことを大切にしています」

「最初はドタバタの連続で、同日にいくつかイベントが入っていて、1つ終わると『はい、転換!』という目まぐるしさ。まるでドリフの『8時だョ!全員集合』みたい(笑)。試行錯誤を繰り返し、経験を積んだ10年でした」と木口さん。

施設利用の予約は利用日3ヶ月前の月の1日から、電話やネットでも予約可能とのこと。アオーレ内のどこで実施するのがいいか、スペース選びから相談に乗ってもらえます。

「通常の貸館業務の場合、予約を受け付けて当日は部屋と備品を貸し出して終わり、なのですが、アオーレに関しては、場所はどこが適しているか、どう形をつくっていくのかというところから相談に応じ、開催までサポートしていくことが多いですね。自由な発想に驚かされることも多々あり、最初のころは『え!こんなことやっていいの?本当にできるの?』ということもあって、チャレンジの連続でした。例えば、ファイヤーダンスの企画が持ち込まれたときは、『わー、どうしよう』と思いました。屋根があるナカドマは半屋内ということで、消防法の規制があるんです。法令は遵守しないといけませんから、どうやってクリアしようかと消防署に相談し、しっかり安全対策をして実現しました。前例を踏襲することだけをやっていてはアオーレの意味がなく、どうやったら可能なのか考えてみる。この10年間にやってきたこと、そのすべてが糧となり、いまに役立っています」

消防署に相談して消防法をクリアし、しっかり安全対策をしてナカドマで実現したファイヤーダンス。

「もし初開催で集客が心配な場合は、集客力のあるイベントと同日開催にするなど、よりよい方法を一緒に考え、広報宣伝もお手伝いします。例えばマルシェの企画が2つあったとして、双方に情報共有して組み合わせることで相乗効果が生まれれば、それはお互いの主催者のメリットになるし、来場するお客さんも楽しいですよね」

市民協働センターと机を並べるオフィス。木口さんは現場にいることが多く、ここにいる時間は短いのだとか。

近年はコロナ禍で多くのイベントが中止や延期にもなりましたが、この10年で毎週末なにかしら楽しいことが行われている場所として市民に認知され、賑わう拠点となってきたアオーレでは、また少しずつイベントも復活してきました。

「『行けばなにかやっている』という、ワクワク感を抱いて来てもらえる場所であってほしいですが、なにもやっていなくても、ナカドマにテーブルと椅子を出せば、その直後に誰かが座っていたりします。イベントはもちろん、市民のみなさんの日常も大切にしていきたいから、どうやったら居心地のいい場所を作れるかといつも考えています」

 

オープンであることを忘れず
市民の生活と楽しみの場であること

会議室を出て、木口さんに仕事現場を案内していただきました。まずは、アオーレの中で木口さんがいちばん好きな場所から。それは3階のオープンテラス。JR長岡駅から大手スカイデッキでアクセスできるテラスは、ナカドマを見下ろしたり、ベンチでくつろいだり、市民にも大人気です。

ここが木口さんのお気に入りスポットのひとつ。オブジェの前で記念撮影する人も多く、シーズンやイベントごとに衣替えをして、市民に楽しんでもらう演出も大切な仕事です。

「隈研吾さんが設計したのは建物ではなく空間。どこもかしこもガラス張りですから、ここで働くことは、最初はなんだかこそばゆいような感じがしました。すっかり慣れて気にならなくなりましたけどね。10年間で傷んだところもありますが、使ってなんぼです。最初のころは、施設や備品に傷ができると『なんで、ここ壊したがー』と叱られたりすることも……。いまは考え方を共有しているので、『この傷は勲章ですよ』と言ってもらえるようになりました」

「これも私たちが作ったんです。プラダン製でとても軽いんですよ」とベンチを動かす木口さん。この日はアルビレックス仕様のオレンジ色でしたが、色は変えられるそうです。

オープンテラスから階段を下りて1階のナカドマへ。市民にとっては楽しいイベント会場としておなじみですが、こんな使い方をしている人も。

「ここで毎朝6時半からラジオ体操をしたり、水曜と土曜の朝には太極拳をしたり。あちらの大型ビジョンにNHKの『ラジオ体操』を映しているので、その前に集まって、みなさん体を動かしています。どなたでも参加できますよ」

ナカドマはまるで24時間オープンの公園のよう。誰もが気軽に使える公共の場所として機能しています。

2022年5月にアリーナとナカドマで行われた成人式。コロナ禍で延期になっていた2021(令和3)年度の式典が、1年遅れで実施されました。

ナカドマの奥にあるアリーナでは、この日の夜に行われるバスケットボールの試合の準備が進められていました。ここは、プロリーグ「B.LEAGUE」所属の日本初のプロチーム、新潟アルビレックスBBのホームアリーナでもあり、試合にはブースター(チームのサポーターのこと)が詰めかけます。

子どもも大人も熱くなる、新潟アルビレックスBBの試合の様子。各種スポーツイベントやコンサートなどが開催されるアリーナの壁面には、旧厚生会館の緞帳やフローリング材が再利用されています。

2015年7月にアリーナで開催されたフィギュアスケートのアイスショーには、羽生結弦さんや安藤美姫さん、織田信成さんらスター選手が登場するとあって、たくさんの人たちが来場。また、スケートリンクの一般開放もあり、そちらも大いに賑わいました。

アイススケート初体験の人も多かったリンクの一般開放。「長岡にはスキー場はあるけどスケートリンクがないので、子どもたちに日ごろできない体験をさせてあげたくて」と木口さん。

「いままでは首都圏まで行かないと見られなかったようなものをここで見せてあげたい。長岡にいながらにして魅力ある本物が見られる場所であること、それもアオーレの大切な役割です」

木口さんは今日も市民の笑顔のために、アオーレの黒子として走ります。

この10年で、ご自身にとってアオーレはどんな場所になったのでしょう。そんな質問に、木口さんは笑顔でこう答えてくれました。

「日常的に共に仕事をしている仲間、貸館業務でお付き合いのある方、設営などに関わる業者さん、それはまるで“アオーレファミリー”というような存在です。私だけではどうにもならない、解決できないことも、この人に聞けばわかる、この人にお願いすればできる。そういう雰囲気やネットワークが10年間で出来て、つながって、そしてまた一緒に動き出す。アオーレはそんな場所です」

木口さんがナレーションを担当した、アオーレ10周年の記念映像がこちらに。ぜひご覧ください。

https://ao-re.jp/event/38125

 

▼後編へ続きます

市民が集う拠点「アオーレ長岡」10周年! 縁の下で支えてきた裏方さんに密着【後編】

Text: 松丸亜希子 / Photo: 池戸煕邦

(イベント写真提供:NPO法人ながおか未来創造ネットワーク)

●インフォメーション

NPO法人ながおか未来創造ネットワーク
[住所]新潟県長岡市大手通1-4-10 アオーレ長岡西棟3階(市民協働センター内)
[開館時間]8:00〜22:00
[電話番号]0258-39-2500 [e-mail]network@ao-re.jp
[URL]https://ao-re.jp(アオーレ長岡)

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