塾? 溜まり場? 子どもたちと多様な大人をつなぐ「ひねもす大学」。その教育哲学に迫る
階下にはデザインスタジオとカフェ
ビル全体を学生が集える場所に
JR長岡駅から車で西へ10分足らず、長生橋で信濃川を渡った先にある大島本町。長岡市民にはおなじみ「松田ペット」、その向かい側に佇むビルの3階に「ひねもす大学」はあります。
学習塾の正社員として勤務していた太刀川さんが、かねてより構想を温めていた「ひねもす大学」。ジャンルとしては塾でありながら、その枠に収まりきらない可能性を秘めた新しい学びの場です。始動の後押しをしたキーパーソンは、金型ビルの空間デザインを手がけ、ディレクションを担う「Sponge」代表でデザイナーの高坂裕子さんでした。
高坂さんに出会った経緯について、太刀川さんが教えてくれました。
「塾で働いていたころから、おもしろいと思う人にSNSで連絡して会いに行ったり、イベントを開催したりしていたんです。そんな中でGOOD LUCK COFFEEをオープンしたばかりの青柳拓郎さんを訪ね、『どうしてカフェをつくることになったんですか?』とか、いろいろと話を聞いて親しくなって。その仲間うちで裕子さんに出会い、地元が同じ大島だと知りました」
2018年に長岡駅に近いすずらん通りに移転したGOOD LUCK COFFEE。その新店舗のデザインを高坂さんが担当していて、小さなコミュニティではよくあることながら、出会う前から共通の友人知人が多かったそうです。
「月日が流れて2021年になり、裕子さんの会社『Sponge』の事務所がオープンしたということで、ここに見に来たんです。事務所は2階で、3階は金型工場の物置でしたが、裕子さんはこのビル全体を学生が集える拠点にできたらいいなと話していました。小学生から高校生までを長年見てきた自分と大学で講師をしている裕子さん。いつかやりたいと思ってきた場所づくりをここで実現できたら抜群におもしろいなと感じて、『あ、それ、俺がやる!』と手を挙げた次第です」
話はとんとん拍子に進み、高坂さんが3階の内装デザインとアートディレクションを担当。Spongeのスタッフや長岡造形大学の学生たちがペンキ塗りなどに参加し、みんなでつくり上げた「ひねもす大学」が2023年4月に開校しました。
「ひねもす大学」という、ひらがなの柔らかさと語感が印象的な名称は、「学びは学校の勉強だけじゃない。ずっと続くもの」という思いを込め「朝から晩まで、一日中ずっと」という意味の「ひねもす」、そして「大きく学ぼう」で「大学」。そんなコンセプトで決定したそうです。
有名大学を出たら素敵な大人になれる?
進路指導をしながら芽生えた違和感
学習塾で22年間にわたり講師として教え、経営にも携わりながら、本業とは別にユニークな人たちにコンタクトを取り、地道にネットワークを築いてきた太刀川さん。退社して「ひねもす大学」を立ち上げた、その発想の根底にはどのような教育観があるのでしょう。
「この近くにある大島小と大島中に通っていたのですが、自分にとって、先生はテレビの中のスターのような憧れの存在でした。地元の塾の先生もよくしてくれて、出会った先生たちがみんな素敵で、自分も先生になりたいと思うようになって。ずっとサッカーをやっていたので、サッカーが続けられて教員免許が取れる東京の大学に進学しました。卒業後は長岡に戻って高校の教員になり、得意な社会を教えてサッカー部の顧問がやれたらいいなと。ところが、教育実習で母校の高校に行ったら、先生たちが生徒のために動いていない現場を目の当たりにして、『え? なに、この世界は……』という気持ちになったんです。なんだかかっこ悪いと思えて。人生の選択において、かっこいいと思うかどうかで決断していたので、『もう、教職はないな』と。学校ではなく民間の塾でバリバリ働くほうがいいと思い、就職活動を始めましたが、氷河期で求人が全然なくて、かなり苦戦しました。塾に限らず新潟県内で50社くらい受けたと思います」
「そうしたら、卒業直前の3月になって長岡に本社がある塾で求人が出たんです。面接マニュアルなども読みましたけど、書かれている対策の中には『自分にとっては嘘をつくのと同じだな』と思うようなものも多かったから、自分は本当のことを言おうと。面接で『この会社の看板を背負って立ちます。最後は自分がこの会社をやります!』と言って採用され、会社はそんなビッグマウスの新人をおもしろがってくれましたよ(笑)。20代のころは仕事が楽しくて無我夢中で働きまくりました。1ヶ月分くらいの授業を準備するために教科書を読み漁って、わからないことは先輩の先生たちに聞いて、自分の授業を見てもらって。仕事の後はこのテンションに付き合ってくれる同僚たちと一緒に毎晩ファミレスに行き、朝4時ぐらいまでいましたね。そんな感じで20代が終わって30代になり、入社して10年経つころには教育事業部を統括する立場になっていました」
講師として教える立場から経営側に入って、太刀川さんは少しずつ会社の方針に違和感を覚えるようになったと言います。
「子どもたちの前に立たなくなったころから、なんとなく違和感が生まれたんです。経営チームの考え方に馴染めず、そのころには教育について自分なりの哲学が芽生え始めていたので、『教育ってこれでいいのかな』とか『自分はそんなマインドでやってないな』と思うようになりました。進路指導もしていたのですが、高校・大学の選択や職業選択のときに、学校や塾の先生の指導が嘘っぽくて、なんだか弱いなと感じてしまって。その仕事のことをよく知りもせず『この大学のこの学部に行きゃ、なれるんじゃない?』と言ってみたり、進学実績を作りたいから、子どもたちや保護者が喜びそうな有名大学をいっぱい受けるように言ってみたり。なにか変だなと思い始めました」
「ちょうどFacebookが日本に入ってきたので、新潟県内で活躍している人を見つけては『塾に勤務している者です。あなたの仕事について学びたいので、ぜひお話を聞かせてください』とメッセージを送り、次々に会いに行きました。やっていくうちに見えてきたのは、『素敵な大人になれるかどうかは、勉強ができるかどうか、有名大学を出たかどうかとは関係ない』ということ。この活動を円滑にするために、『style Nagaoka』というウェブサイトを立ち上げて、仕事の本質に迫りたかったので3ヶ月くらいその人に密着して、自分で文章を書いて。サイトがあると『ここに載せます』と言って人に話を聞きやすくなるというメリットもあるし、ほかの人にも見てもらいたいなと思ったんです。聞いた話を自分だけのものにするのはもったいないなと」
[参考サイト]
『style Nagaoka』
「そうしたら、少しして『な!ナガオカ』が始まったんですよ。それで『もうウェブはいいや。誰かやってくれる人がいるなら』と思ってやめたんです(笑)。そして自分は次のステージへ。ウェブだけだと教育にならないから、そんな素敵な大人たちを自分の仲間や若者たちに会わせたいと思うようになりました。イベントを開催して、みんなでその人の人生観を聞くような機会をつくろうと」
「素敵な大人」の条件とは? 40代半ばの太刀川さんですが、10年前にはもう自分なりの答えに辿り着いていたそうです。それは「さまざまなことに対して意欲があり、諦めないこと」。そんな大人像に導くための子どもたちの学習については、こう考えています。
「英・数・理・社・国という勉強も、テストの点数も、僕はただの道具だと思っています。いまの子どもたちの学習は暗記力でどうにでもなる世界で、それが得意な子もいれば、苦手な子もいる。得意な子は一瞬で覚えて点を取り、そういう子たちに学校や塾は『いい高校・大学を受けなさい』と勧める。苦労や努力や工夫がなくてもポンポンと進んでいきますが、それを横目に暗記が苦手な子たちは心が折れてしまう。それが現状です。本当はそうではなく、一人ひとりに向き合ってきちんと目標を設定し、一緒に乗り越える必要があります。乗り越えた先に『次はこうしたい』という意欲が出る。これを繰り返して、意欲が湧き出るくせを作る。勉強はそういうものだと感じています。大半の子は勉強が嫌いで逃げたいわけですが、逃げずに闘うために横でサポートするのが僕の仕事です。会社組織で運営している大手の学習塾ではなかなか難しいことですが、前職のときからこれを提案し、実験的にやっていました。でも、『そんなこと、お前じゃないとできないよ』と言われてしまって。前職では最初からずっと変わり者扱いでしたが(笑)」
じっくりと時間をかけて構想し、思い描いた理想にぴったりのスペースと頼もしい協力者が見つかり、満を持して開校した「ひねもす大学」。いよいよ入学する子どもたちを募ろうと友人知人に声をかけたところ、じわじわと希望者が集まり、「みんなに目が行き届く人数」として設定した定員30人が埋まりました。入学が決まると、子どもと保護者との三者面談を行い、その子の現状や目標に合わせた学習プランを作成。それに即して子どもたち自ら主体的に取り組めるよう支援していきます。
「ひねもす大学」は祝日を除く月曜日から土曜日の15時から22時まで開校。何回行っても、何時間いても指導料は変わりません(小学生は月25,000円、中学生は月30,000円、高校生は月20,000円 ※入学金30,000円は別途)。作成したプランに基づいて、自分の勉強部屋のように気軽に、好きなときに行って自分のペースで学習。学習したものを太刀川さんがその都度チェックして、わからないことがあれば個別に教えるという、集団指導と個別指導のメリットを備えた独自のスタイル。学年で区切らず、小学生から高校生までが混ざることにも意味があると太刀川さんは考えています。
「学びは一生続くもの。学ぶ楽しさ、知る楽しさを経験して、学ぶ力を身につけてほしい」と太刀川さん。子どもたちの主体性を育み、意欲や能力を引き出す学習指導に加え、ここで実現したかったことは、子どもと大人の出会いをつくることでした。
「本当は多様な社会」を見せることが
子どもたちの生きやすさにつながる
「都会なら日常的に電車で出かけられるし、子どもたちの行動範囲も広くて、出会える人たちの年代や職種もいろいろだと思いますが、長岡だと、家と学校を往復し、ほかに行く場所といえば習い事とお医者さんくらい。会う人も限られています。それで、小学生が高校生に会い、子どもたちが“イケてる大人”に会える機会が必要だろう、『この人は素敵だな、自分の理想だな』と思える大人に一人でも出会えたら、その子は幸せなのではと。赤ちゃんから大人まで、世代の切れ目なく集える場所にしたいと考えました」
子どもたちに学習指導する日々の中、培ってきた人脈を活かして、さっそくトークやワークショップを開催。「ひねもす大学」の子どもたちと保護者だけでなく、広く一般に向けて素敵な大人たちを紹介する試みがスタートしました。太刀川さんのネットワークには、ユニークな活動を展開しているクリエイターもたくさんいます。
マルチクリエイターの吉樂蕗さんが「伝える」をテーマに行った「HINEMOS CLASS」は、長岡造形大学の学生たちによる研究発表を素材に、どうしたら視覚的にもっと伝えることができるか、文字のフォントや大きさ、位置、写真の入れ方、スライドの作り方など、プレゼンテーションについての授業となりました。
カメラマンのあさいまおさんが小中学生を対象に実施した「HINEMOS CLASS」は、「写す表現」がテーマ。外に出てスマホで写真を撮り、どうしたら素敵に撮れるのか、撮り方の工夫や撮影後のエフェクト(加工)についての授業で、写真表現とともに、撮った写真を見て「素敵だと思う理由」を言語化し、言葉で表現することを意識する契機にもなりました。
子どもたちの多くは、ある程度の年齢までは自分の周りにいる大人を「大人」のサンプルとして育つしかなく、太刀川さんの言うように、地方都市では出会う大人の種類も限られてしまいます。その多様性を「ひねもす大学」が担保することで、子どもの抱く将来の選択肢が広がったり、今の環境に閉塞感を感じている子どもの視界が開けたりすることもあるかもしれません。「進路」のイメージが画一的になりがちな学習塾のような場所でこうした試みが行われている。その意義は、非常に大きいのではないでしょうか。
子どもたちのよりよい環境づくりのため
地域の保育園や学校とタッグを組む
テレビ番組『情熱大陸』や『プロフェッショナル 仕事の流儀』が好きだという太刀川さん。まだまだ紹介したい素敵なプロフェッショナルが新潟にはたくさんいるので、これからも出会いの場を積極的につくっていきたいと意欲を燃やします。その道のプロが自分の仕事や人生について語る時間は子どもたちにとって非日常であり、「私もこんな大人になりたい」「こんな仕事をしてみたい」という純粋な憧れが具体的な未来イメージにつながることも多々あるでしょう。太刀川さんは、子どもたちからの「この仕事をしている人に会ってみたい」というリクエストにも応えてくれるそうです。
さまざまな人が行き交う場所にという願いから、「ひねもす大学」では赤ちゃんとママがゆっくり過ごせる時間も設けています。カーペットを敷いて靴を脱ぐスタイルにしたのは、このサークル活動のためでもありました。
「助産師をしている地元の同級生の小島直生子(なおこ)さんが、長岡市の『産婦・新生児訪問』でこの周辺の地域を担当しているのですが、『生後28日まで』という定められた期間が終わっても継続して見守りたいということで。家庭訪問したママたちに『こんな場所がありますよ』とお声がけしたら、赤ちゃんを連れて来てくれるようになりました。駐車場の都合で火曜日と木曜日を中心にサークルを開催していますが、大島保育園も活動を応援してくれて『イベントのときはうちの駐車場を使ってもいいですよ』と協力してくれます」
こうして生まれたのが、ママになったばかりの女性たちが孤立しないよう、育児について不安なことをなんでも質問し、悩みを分かち合って安心できるよう、小島さんと太刀川さんが運営するサークル「ねぇねぇ、小島さん」。情報は「ひねもす大学」のInstagramで随時発信されているので、チェックしてみてください。
また、小学校の先生も「ひねもす大学」の見学に訪れたそうです。公立小学校の先生が塾の見学に来るというのはあまり聞いたことのない話ですが、太刀川さんいわく「子どもたちが一日の多くの時間を過ごす学校現場のリアルな話を聞きました。向上心と問題意識があり、試行錯誤をしながら学びを続けている素敵な先生だなと。子どもたちと時間を共にする立場は同じで、子どもたちと真剣に向き合っていく仲間だから、協力したらお互いにもっと良くなると確信しました」とのこと。
地域の人たちや同級生、自らアプローチして関係を培った多彩なプロフェッショナルなど、たくさんの仲間と手を取り合いながら、新しい学びや教育のあり方を模索する太刀川さん。前職の同僚や先輩、すっかり大人になった教え子たちも「ひねもす大学」に遊びに来るそうです。それは人好きで人懐っこいキャラクターの成せる業。太刀川さん自身が、子どもたちが「こんな先生になりたい」と憧れる“素敵な大人”の一人に違いありません。
さて、そんな教育のプロフェッショナルである太刀川さんが、GOOD LUCK COFFEEの青柳拓郎さんと一緒に開催する「NOBISHIRO meeting」で講師を務めます。トークではなく、たっぷり1時間、GOOD LUCK COFFEE にて1対1で話せる貴重な機会。費用は無料で、講師にドリンクをごちそうすることになっています。先着順なので「お話ししてみたい!」という人は早めに予約を。太刀川さんの日程はこちらです。
(1)2/20(火)11:00〜12:00 (2) 2/20(火)12:30〜13:30
(3)2/29(木)11:00〜12:00 (4) 2/29(木)12:30〜13:30
(5)3/13(水)11:00〜12:00 (6) 3/13(水)12:30〜13:30
ほかの講師は、太刀川さんと「ねぇねぇ、小島さん」を運営する助産師の小島直生子さん、「な!ナガオカ」でも紹介した管理栄養士のますがたみきさんという魅力的な顔ぶれ。
詳細は、ひねもす大学とGOOD LUCK COFFEEのInstagramを参照してください。申し込みはInstagramのDMとGOOD LUCK COFFEE店頭で受け付けています。
来年度に向け、「オープンキャンパス」が予定されています。下記のインフォメーションを参照し、入学希望の人はもちろん、ちょっと興味が湧いた人、子どもの学習相談や進路相談、悩みや気になることがある人も、気軽に「ひねもす大学」の扉を叩いてみてください。その先には、きっと新しい世界が広がっているはずです。
「ひねもす大学」の歴史はまだ始まったばかり。子どもの力を引き出す学びの場として、世代を超えた多様な人たちが集い、語り合い、なにかが生まれるエネルギーを秘めた溜まり場として、これからどんな展開を見せてくれるのか期待に心が躍ります。
Text: 松丸亜希子 / Photo: 池戸煕邦
ひねもす大学
住 所
新潟県長岡市大島本町1-8-11 金型ビル3階
info@hinemosdaigaku.com
イベント
「ひねもす大学 オープンキャンパス2024春」①2/28(水)②3/5(火)③3/11(月)④3/16(土)時間はいずれも11:00〜13:00で1人60分程度。ひねもす大学を見学し、太刀川さんと話ができます。個別対応のため、上記InstagramのDMかe-mailで事前に予約を
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