昆虫少年が絵本作家に!自然への敬愛と感動を描き続ける松岡達英さんの50年
2019/2/24
『ぐりとぐら』『はらぺこあおむし』『100万回生きたねこ』『おばけのバーバパパ』『ひとまねこざる』——。読まずとも絵が浮かんでくる、良質な絵本の数々。これらは親から子へと長きにわたり読み継がれ、国内で100万部以上を売り上げた絵本ばかりですが、そのミリオンセラー作品群に2018年に加わったのが『ぴょーん』(ポプラ社、2000年)です。
作者の松岡達英さんは、新潟県長岡市在住の“自然絵本作家”。同書は中国、フランス、ロシア、アルゼンチンなど世界で愛され、カエルや昆虫、水辺の生き物、鳥や植物などが緻密なタッチで描かれた150点を超える作品は、子供から大人までたくさんの読者を魅了しています。
東京・青山での個展を控えた松岡さんのアトリエ兼ギャラリー「GreenWorks」を訪ね、長岡での少年時代と半世紀に及ぶ創作活動について伺いました。
長岡の豊かな自然環境で育まれた
動植物への好奇心と観察眼
1944年、長岡市に生まれた松岡さんは今年75歳。どんな少年時代を過ごされたのでしょう。
「家の近くを流れる栖吉川が遊び場でね。フナとか鮎、たまにウナギ、鯉、ナマズとか、魚獲りが当時の子供たちの遊びだった。獲ったら食べる。大きな魚はみんなで分けて家に持って帰ると喜ばれてね。そのとき初めて、ナマズの卵巣が緑色だと知った。興味のあるものはじっくり見ていたよ」(松岡さん)
「夏休みはセミ捕りとか、子供はみんな昆虫採集に夢中だった。6年生のときだったかな、長岡に50種類ほどいる蝶をぜんぶ捕まえようと思って。いちばん珍しいオオムラサキの目撃情報を先輩に聞いてね。ひとりで自転車をこぎ、山に行って捕まえたんだよ。網の中でバタバタしてるのを見て、興奮してドキドキしたなぁ」(松岡さん)
獲った魚を食べ、昆虫を標本にするのと同時に、観察して絵を描き、見たものを記録することにも熱心だった松岡さん。野遊びを通じて、じっくり見る力と忠実に描写する力が培われていきました。
「親父も絵を描くのが好きだったし、僕も小さい頃から好きで図工は得意科目。早く描けばそのあと遊べるから、習慣的にスピード感が養われたんだね。通っていた川崎小学校に中学生が描いた防犯ポスター巡回展がやってきて、緻密に描かれた絵にすごく感動して。そこから、スーパーリアリズムのようなものを追求するようになった。先生にはできない技で、『松岡君がいちばん上手い』と言ってくれたおかげで学校での僕の立場があったんだ(笑)」(松岡さん)
足元の小さな生き物の生態、その進化、そして、もっと大きな世界へと、松岡さんの興味の範囲は次第に広がっていきました。
「進化論を唱えた博物学者アルフレッド・ウォレスも刺激的で、小学生の頃にウォレスの『マレー諸島の自然』という本で南洋諸島の昆虫たちの美しい版画を見て、いつかこんなのを捕れたらいいなって思った。中学校の図書館で見た『原色図鑑 世界の蝶』(北隆館、1958年)で世界中の大きな蝶の存在を知って、どんどん夢が膨らんだよ」(松岡さん)
図工と同じくらい得意だったのは理科。親の勧めもあって長岡工業高校に進学しましたが……。
「自然科学と物理が好きで工業高校の電気科に進んだけど、入ってみて電気なんて大嫌いだと気付いた(笑)。オームの法則だとか方程式も嫌いだったし、見えないものは好きじゃない。目に見えて追いかけられるものが好きで、相変わらず昆虫採集をやり続けてた。県内のあちこちから生徒が通ってきてたけど、同級生に2人くらい似たようなのがいてね。『八海山のほうにこんな蝶がいる』とか情報交換してたよ」(松岡さん)
蝶を追い求めて群馬で就職したのち
「絵と昆虫が好き」を仕事にするまで
渋々ながら3年間通って無事に卒業した松岡さん。さて、その後の進路は?
「理系は自分の道ではないなと思いつつ、浅間山の蝶を見たくて高崎の化学関係の会社に入ったけど、天気がいいのに変電所でじっとしてたりして、つまんなくてね(笑)。半年で辞めて長岡に戻った。『絵や昆虫が好きで、自信もある。これを活かすにはどうしたらいいだろう』と考えて、翌年の春に東京デザイナー学院に進学したんだよ」(松岡さん)
専門学校でイラストレーションとグラッフィクデザインを学び、広告制作会社でデザイナーとして働くことになった松岡さん。仕事の傍ら、仲間と新宿でポスター展を開き、昆虫と自然を描いたポスターを出品したところ、中学時代に魅了された『世界の蝶』の版元、北隆館の編集者の目に留まり、アルバイトで絵を描くようになりました。
「給料が手取り約3万円の時代に、アルバイト代は5万円くらい。会社の仕事は楽しかった。けど、楽しくない仕事もしないといけない。だんだん社内で浮いてきちゃってね(笑)。2年くらいで会社を辞めたよ」(松岡さん)
そして、フリーランスのイラストレーター兼デザイナーとなった松岡さん。24歳で北隆館の「知識絵本シリーズ」全10巻を上梓して、絵本作家としての一歩を踏み出しました。
世界の秘境でフィールドワーク
憧れの博物学者、その進化論の聖地へ
そこからの松岡さんは、アラスカ、ニューギニア、オーストラリア、中南米、アフリカなど、世界各地に赴き、次の本のプランを考える。そしてまた旅に出るという羨ましい生活。「本を作るための取材がなにより楽しい」と松岡さんは語ります。
「本を出してお金が貯まると海外に出かけて。1回の旅行で1冊作る。アラスカの5日間くらいのツアーでは『ハクトウワシを見た。よし、これで何ページ分できた』って(笑)、本の構成を考えてラフを作りながら旅をしてね」(松岡さん)
「30歳の頃、インドネシアのアルー諸島にも行った。憧れのアルフレッド・ウォレスが進化論を発見した場所だね。出版社から本を作ってほしいと言われて、予算をたくさんもらって行ったのに本は中止になっちゃって(笑)。でも、『世界の蝶』で見た世界最大の蝶、トリバネアゲハも見られたし、楽しい旅だったよ」(松岡さん)
飛行機の中でひらめいた!
大ヒット作『ぴょーん』誕生秘話
“自然絵本作家”という特別なポジションでキャリアを積み重ねてきた松岡さん。著作は150点にもなりますが、最も売れているのが2000年に発行された絵本『ぴょーん』です。
恐竜の化石を取材したアメリカ出張帰りの機内で、体がぴょん!と浮遊する感覚に“ひらめいた”松岡さん。すかさず目の前にあったエチケット袋にササッとラフスケッチを描き、幼児向けの科学絵本を考えてほしいと依頼されていた編集者に見せて絵本になったのだそう。
「絵本作家といっても、150冊の1割くらいが売れてくれてどうにかなるんだよね。僕の場合、やってることが特殊だから競争相手が少ないし、そんなに苦労したことはない。特殊性は大事かもしれないな。人との付き合いがあり、たくさんのユニークな友人がいて、その中から生まれてくるものもある。ぜんぶつながってるから」(松岡さん)
「息子が『お前んちの父ちゃん、仕事しないで昆虫採集ばっかりしてる』なんて言われてたこともあったわね」と笑う紀さん。
故郷での自然観察をもう一度…
長岡市内にアトリエを建てる
横浜や鎌倉など、長らく関東で暮らしながら精力的に絵本を作り続けてきた松岡さんですが、心の中にはいつも故郷の懐かしい自然があったといいます。
「いつか帰ろうと思っていたわけではないよ。住む場所にはそんなにこだわらないし、行きたいところにどこでも行く人間だからね。でも、もう一度、長岡の自然を描いて絵本を作りたいなぁって。よく知ってる自然だから、僕にいろいろ教えてくれるだろうと思ったんだよね」(松岡さん)
そして2000年、松岡さんは長岡市川口地域にアトリエを建設。春から秋までをそこで過ごし、雪に覆われる冬だけ鎌倉の家に戻るという生活を始めました。
川口のアトリエ周辺を取材して作った『野あそびずかん』の「あとがき」には、こう書かれています。
「これまで世界の自然をたくさん見てきたが、日本ほど緑の多い国はないと実感している。すばらしい自然は、まだまだたくさん残っている。子どもたちが地球の不思議に感動しながら育っていけばと願いながら、これからも自然の絵本をつくり続けたいと思う」
松岡さんの創作のモチベーションは、この言葉に尽きるのかもしれません。
「昆虫だけでなく自然全般の知識を得て、改めて長岡の自然と向き合ってみると、新しい発見がたくさんあってね。子供の頃は見えていなかったものがたくさん見えてきた。地球はものすごくおもしろい。このおもしろさに気付いたほうが得だよね、と思いながら本を作っているよ」(松岡さん)
中越地震で被災して地域の力を実感
鎌倉から長岡へ、本格的に居を移す
川口での暮らしが始まって4年が過ぎた2004年10月23日の17時56分、M6.8の新潟県中越地震が発生。松岡さんもアトリエで被災しました。
「食器棚が倒れて窓ガラスが落ちて割れて、なにもかもぐちゃぐちゃ。地震の30分前に息子と一緒に車で通った場所が崩落したと聞き、とても怖かったよ」(松岡さん)
松岡さん一家は近隣のホテル前の広場に避難した後、新潟市の親戚宅を経由して鎌倉の家へ。1ヶ月後に、救援物資を持って川口に戻りました。
「地震のような脅威もあるけれど、それもまた自然の営み。今回の何倍もの揺れを伴う地殻変動で山や川が生まれ、環境の恵みをもたらしたわけだし、地震で慌てふためく人間を尻目に、動植物はなにごともなかったかのように悠然としているんだよね」(松岡さん)
辛い時間を共に乗り越えた川口の人々に元気をもらい、「大規模半壊」のアトリエを再建しようと決めた松岡さん。また、あの美しい故郷へ帰ろうと。再建後、しばらく鎌倉と往復する生活が続きましたが、長岡の市街地に新しい家を建てて鎌倉の家を引き払い、完全に長岡に居を移して5年になります。
川口のアトリエに通っていた松岡さんですが、「最近は年を取ってあんまり行かなくなってきたので、もっと使ってもらえる人に活用してもらえたら」とのこと。売りに出されているので、興味のある人は松岡さんのアトリエ「GreenWorks」に連絡してみてください。
「帰って来て本当によかったと思う。通うのと暮らすのでは、自然から教わることが10倍くらい違うから。たとえば、知識としてモリアオガエルを知っていても、すべてを知るにはやっぱりこっちにいないと。描きたいものがぜんぶここにあって、ものすごく密度の高いものが得られるんだよ。長岡に戻って寿命が延びたね(笑)」(松岡さん)
そのモリアオガエルが主人公の『ぼくらはいけのカエル』は2018年発行の近作。たくさんの種類のカエルたちの物語がユーモラスに描かれています。
「地上に初めて上がって陸を征服したのがカエルの仲間。サンショウウオやイモリもそうだけど、カエルも動作がゆっくりしていて穏やかで愛らしい。僕はそういう生き物が大好き」(松岡さん)
流木アートと絵画、約30点を展示
東京での個展は2/25(月)スタート!
2018年夏、長岡市立図書館開館100周年と長岡開府400年を記念し、中央図書館2階の美術センターで松岡さんの大規模な個展が開催されました。今年は流木を使った木工作品と小さめの絵画、約30点を展示販売する個展『地球大好き』が2/25(月)より東京で予定されています。
「工作も絵と同じくらい好きで、子供の頃から夢中になって作ってた。こういうのは寺泊の海岸で拾ってきた流木を使ってるんだよ。流木は都会ではいい値段で売ってるけど、こっちは無料だから嬉しいね(笑)。年に10点くらいしか作れないけど、もう100点以上になるかな」(松岡さん)
今年も何冊か絵本の発行が予定されているそうですが、どんな新作に出会えるのでしょう。雪が溶け、長岡に本格的な春が到来したら、冬眠から目覚めた生き物たちに誘われ、また松岡さんの自然観察の日々が始まります。
Text: Akiko Matsumaru
Photos: Hirokuni Iketo, Akiko Matsumaru
●Information
松岡達英 アトリエGreenWorks
[開館時間]10:00〜16:00 ※不定休なので事前に予約を
[住所]新潟県長岡市沖田3-21
[電話]0258-86-7757
[URL]http://www.gw-gallery.com松岡達英個展『地球大好き』
[会期]2月25日(月)〜3月9日(土)11:00〜19:00(土曜は17:00まで)、日曜定休
[会場]Pinpoint Gallery
[住所]東京都港区青山5-10-1 二葉ビルB1
[電話]03-3409-8268
[URL]http://www.pinpointgallery.com